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文理融合で、人文社会科学はこんなに変わる!

■開催概要/Session Information

■登壇者/Presenters

■レポート/Session Report

心の問いを科学で解く!人間研究の最前線

「人類の問題は理系用、文系用に分かれていない」。冒頭でこう語った企画者の熱意によって実現した本セッションでは、2人の研究者が、人文社会科学で扱われてきた心の問いに科学で迫る研究の最前線を紹介しました。

心や価値に関する問いに新たなアプローチ

「正義って何だろう」「感情って何だろう」「社会はどうやって成立したのだろう」……。 価値や心に関するこのような普遍的な問いは、昔から哲学や心理学といった人文社会科学において研究されてきました。しかし最近、状況が変わりつつあるというのです。

「文理融合で、人文社会科学はこんなに変わる!」と題されたこのセッションを企画したのは、司会も務める名古屋大学の哲学者、戸田山和久教授です。登壇者に東京大学の社会心理学者、亀田達也教授と、名古屋大学の複雑系科学・人工生命研究者である有田隆也教授の2人を迎え、人類の問題に対する新たな知見を参加者に提供しました。

心理学者と情報科学者が同じ場で話すという異色のセッションを始めるに当たって戸田山氏は、この会は自分の問題意識に加えて、「この2人を会わせてみたら面白いことが起こるのではないか」という期待から生まれたと語りました。

レポート

冒頭述べたように「正義って何だろう」といった問いは、古くから哲学や心理学によって探究されてきました。戸田山氏によれば、その理由は他に追究できる方法がなかったからです。ところが近年の計算機シミュレーションや脳科学の発展によって、価値や心に関する問いにアプローチする新たな方法が生まれつつあります。

「人類の問題は理系用、文系用に分かれていない。本当は文理融合という言葉も(元々分かれているものを合体させるという意味だから)嫌いなのです」と戸田山氏は言います。「文理融合で、人文社会科学はこんなに変わる!」とタイトルに感嘆符を付けたのも、人類の問題に対する新たな時代のアプローチを参加者に実感してもらいたいという願いからです。

情報科学で人間の協力行動を解き明かす

まず登壇したのは有田氏。人間行動に関して複雑系科学や人工生命といった情報科学の視点から探究し、その知見を生かして人の生活をより良くすることを目指す研究者です。

レポート

有田氏は、人間独自の社会性は、「協力」と「言語」、そして「心の理論」という能力の3つが共に関連し合って進化してきたと考えています。特に注目しているのが「心の理論」。心の理論とは心的表象と呼ばれる心の中のイメージの一つで、他者の心の状態や意図を推測する能力のことです。有田氏は、心の理論がどうやって生まれたのかを、コンピューターのシミュレーションを用いて研究しているのです。

外界の変化に対応して心的表象を変化させるとき、その変化を起こす機能をシミュレーションでは関数と見なします。有田氏らの研究によって、心的表象を効率良く変化させることができるような関数は、二段階の構造になっていることが分かりました。第一段階の関数は学習を司り、心的表象を変化させます。そして、第二段階の「二次学習」と呼ばれる関数が、関数の変え方の規則、つまり学習の仕方を変更する機能を担っているというのです。研究の結果から、二次学習が進化することで心的表象が生まれたのではと有田氏は考えています。

さらに有田氏は、得られた知見を生かして人間の協力行動を推し進める研究も同時に行っています。大手ゲーム会社との共同研究では、ソーシャルゲームのプレー中にユーザーが利他的行動を起こすときの仕組みを探っているとのことです。

利他的行動を促進するため、有田氏はゲームのような要素を取り入れる「ゲーミフィケーション」という手法を利用したシステムを考え、実験をしています。ゼミや会議で参加者が相手の役に立つ発言をしたときにポイントが与えられる仕組みを作ることで、有益な発言を促進できるかどうかを調べます。さらに他の参加者にポイントを賭け、その人が利他的な発言をしたときに自分もポイントを得られるという仕組みを作り、他者が利他的な行動をするよう自分自身が働き掛けるようになるかを実験しています。

以上のように、有田氏は、コンピューターの中で自然界の現象を再現することで、人間の基本的な性質である協力行動や「心の理論」を解き明かし、さらにその知見を生かして現実をより良くするための研究を進めているのです。

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続いて登壇したのは社会心理学者の亀田氏。社会心理学などを用いて人間の行動について研究しており、今回は「正義」というテーマで講演しました。

正義の議論で欠かすことのできないのが、ジョン・ロールズの著書『正義論』であるといわれています。アメリカ合衆国の哲学者であるロールズは、倫理学や政治哲学の分野で功績を残し、著書『正義論』を1971年に刊行しました。立憲や統治における正義、つまり人は社会をどう設計すべきか、という問題に関して当時主流だった考え方は、人は社会全体の富の総和が最大になるように意思決定するというベンサムとミルの功利主義でした。しかし、ロールズは功利主義に真っ向から対立する規範を主張し、その後の政治哲学に大きな影響を与えました。

レポート

ロールズは、富の分配において人がどんな経済状況に生まれるか一切分からない「無知のヴェール」という仮想状態を設定しました。そしてこの状況下では、人々は最悪の経済状況に置かれる可能性を想像して、最もリスクが小さくなる選択を取ると考えました。つまり、自分がどんな経済状況に置かれるか分からなければ、人は正義の規範として、社会に富を分配するときに最も恵まれない人の状態が最善になるよう意思決定をすると予測したのです。

ロールズの見解は、今日に至るまで議論が続いてきました。そこで亀田氏が行ったのが、心理学、認知科学、そして脳科学の三段構えの実験によってロールズの見解を検証する研究でした。

まず亀田氏は、行動心理学的な実験で、「無知のヴェール」の設定が本当に必要かを調べました。被験者は2つの課題を行いました。自分と全く関係のない赤の他人にお金を分配する課題、そしてギャンブルという自分の利益に直結する課題です。分配において人々が最低金額をどれくらい考慮するかと、ギャンブルでどのくらいリスクを取るかの関連を調べたところ、これら2つには相関があることが分かりました。つまり、自分の現在の経済状況にかかわらず、人々は心の中で社会的な富の分配課題と、自分に関わるリスク回避を関連づけていることが明らかになったのです。

次に行ったのは認知科学的な実験です。今度は、社会的な分配課題とギャンブル課題において、人々が各選択肢にどれくらい注意を向けるかを調べました。すると、どちらの意思決定場面でも、人々は最低保証金額に注意を多く払っていたことが分かりました。ここから、自分のリスクに関係するかしないかにかかわらず、人々は最悪の状況に注目することが分かります。

富の分配行動を脳活動からアプローチ

最後に、亀田氏はfMRIという脳画像イメージング手法を用いて意思決定の神経基盤を調べました。その結果、分配課題でもギャンブル課題でも脳の同じ部位が活動することが分かりました。興味深いことに、rTPJと呼ばれるこの脳部位は、分配課題に関わるであろう他者の心の状態や、ギャンブル課題と関わると予想される自分の過去や未来について推論するときに活動する脳部位だそうです。亀田氏は、意思決定の個人差は脳の働きの違いによって生まれるのではないかと考えています。

異なる3つの実験から、人は社会的な分配課題でも自己に関わるギャンブル課題でも、リスクを取る度合は個人で同じような傾向を示すこと、一般的に人々はリスクに注意を向けやすいこと、さらに人々の意思決定の個人差が脳活動の違いによって生まれる可能性があることが分かりました。心理学、認知科学と脳科学という領域横断的な研究により、亀田氏は、ロールズの主張は脳科学的な基盤を持っている可能性があると結論づけたのです。

人間研究を一つの分野にするために

講演後の質疑応答は限られた時間でしたが、参加者と登壇者の間で活発な議論が交わされました。その中の一つに、「それぞれの講演について互いにどう感じたか」という質問がありました。

有田氏は、コンピューターの中で生命性や社会性に注目する自身の研究手法と、実際の人々を観察して心理と行動を結び付ける亀田氏の研究手法に根本的な差を感じたと答えました。一方で亀田氏は、「人間について知りたい」という目指す方向は2人とも同じであると語りました。

最後に、企画者の戸田山氏からもコメントがありました。「学融合的な人間研究は始まったばかりで、まだ一つのまとまった分野にはなっていませんが、それは“まだ”というだけのこと。(人間研究を)一つのきちんとしたフィールドにしていくことが目標です。そして、異分野をつなぐことが哲学の貢献ではないかと考えています」と締めくくりました。

【レポーターからのひとこと】

心や価値の問いを科学的手法で解く研究の最前線の話を聞き、さまざまな観点から人間の心理が解き明かされる未来を思い描くことができました。一方で、参加者にとってはやや専門的で分かりにくかったのではないかと思います。時間のほとんどは2人の講演で、質疑応答の時間が非常に短かったです。「2人を会わせる」ことで生まれる新しい知を感じるために、また大半は一般の人であろう来場者のためにも、時間配分には工夫の余地があるように思いました。(小林実可子)

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