2011年に始まったJST-RISTEX「科学技術イノベーション政策のための科学 研究開発プログラム」は、3期15年の歩みを経て2026年3月に幕を下ろす。文部科学省事業としても異例の長期継続となったこの試みは、「政策のための科学」という社会実験がどこまで到達し得たのかを示す貴重な舞台となった。本企画では、初代・現プログラム総括と現RISTEXセンター長が集い、その変遷を振り返りつつ、プロジェクトを超えて獲得された知見や政策実装の可能性を検証した。
登壇者:- 森田 朗
- 前プログラム総括、前RISTEXセンター長、一般社団法人 次世代基盤政策研究所(NFI)代表理事、東京大学 名誉教授
- 山縣 然太郎
- プログラム総括、国立成育医療研究センター成育こどもシンクタンク副所長、山梨大学名誉教授、同大学院附属出生コホート研究センター特任教授
- 小林 傳司
- RISTEXセンター長、公益財団法人 国際高等研究所 副所長、大阪大学名誉教授、同 CO デザインセンター特任教授
- 黒河 昭雄
- プログラム外部推進委員、神奈川県立保健福祉大学ヘルスイノベーション研究科講師
発足の背景 ― 科学と政策の距離
どのようにして「政策のための科学」プログラムは立ち上がったのか。森田氏が文部科学省から科学技術政策のための科学というテーマで、RISTEXのプログラム総括を依頼されたのが発端だ。
森田「自然科学・社会科学ともに、研究は進んでいるにもかかわらず、政策決定には十分に反映されていないとの問題意識がありました。そのため、政策決定と科学のあいだを埋めるため、科学的知見を政策に取り込むプロセスを構築する必要があると考えました。
これには、基礎科学の精度をそのまま政策に求めると実行が困難になるため、ある程度の曖昧さをどう扱うかが重要です。また、社会課題の解決には法制度や経済性、社会の理解など多くの要素が関わるため、複数分野の知見を集約し、政策決定者がより妥当な判断を下せる情報をどう提供するかが鍵になります。どのような形で政策をつくっていくか、規制をするか、補助をするか、予算をつけるか。政策決定者が社会に広く一定の効果を狙った政策を立案できるようにするための情報提供の仕方を考えました」
エビデンスがあっても、政策決定に活用されにくいのはなぜか。森田氏は政治学の視点から、「政策決定者が知識を活用可能と認識していなかったことと、研究者の社会に還元する意識の不足が大きな要因だった」と2つの理由を述べ、両者を結ぶ制度や仕組みの不足を指摘した。
森田「両者の橋渡しの仕組みは、制度として構築する方法もあれば、たとえばアカデミアに科学的顧問のような立場を設け、知見を政策に組織的に反映する方法もあります。いずれにしても、知見を政策に反映するための枠組みをつくり、その中でどのように情報を活用するかを設計していく必要があります。我々自身が、そこにもっと知恵を出すべきだと考えています」
森田 朗 氏(前プログラム総括)
科学技術と社会について研究する小林氏もプログラム発足当時の状況を振り返った。
小林「当時、政策形成にデータを使うという考え方は、アメリカの科学政策研究の影響がありました。背景には、米国の上下院のねじれによって政策決定が党派的に行われるようになったことへの対応として、EBMが強調されたことがありました。これに対して、日本では2009年の政権交代と行政刷新会議(事業仕分け)が大きな契機だったと思います。事業仕分けには批判もありましたが、その後、自民党政権にも同様の評価文化が継続されました」
この動きは、政策が評価されるべきものであるという認識を広めるきっかけになった。
小林「たとえば、スーパーコンピュータをめぐっての『2位じゃダメなんですか?』という発言は政治家の無理解という話ではありません。計算機をめぐる研究者間の対立構造が背景にあったのでした。結果的に、その後の予算配分は計算機の単なるスピード競争から利用のためのアプリケーション重視へと転換されました。ただし、政策決定の場では研究者集団と政治家の結びつきによって対立が続きやすく、そうした状況の中で『政策のための科学』がどこまで浄化機能を持てるかは、重要な課題です」。成果が目に見えるようになるまでの期間から、成果の影響力の強さやその及ぶ範囲へと評価のベクトルが変わっても、課題がなくなるわけではない。
小林 傳司 氏(RISTEXセンター長)
東日本大震災と専門知の限界
そのような中で、東日本大震災が2011年に発生した。専門知の限界が露呈した出来事だった。
小林「政権側は複数の専門家を呼びましたが、その意見が食い違っており、限られた時間内での意思決定が極めて困難になったのでした。その後の放射線や甲状腺がんに関する議論でも、専門家の意見は分かれ続けました。未知の現象に対して科学の見解が収束するには時間がかかります。コロナ禍でも同様でした。科学の知見が固まる前に政策決定を求められるという状況の中で、作動中の科学の限界が明らかになったと思います」
災害対応やコロナ禍が示したのは、科学的知見が収束する前に政策決定が迫られる現実である。科学者たちの間で一定の合意形成ができていなければ、政治家は科学に基づく判断を下すことはできないが、合意形成はそう簡単な話ではない。
森田「政策決定は不確実性の中で時間的制約を伴い、多様な意見を前提に判断が求められます。その際、科学者の側が知見をある程度統合し、政治家にわかりやすく示す必要があります。専門家の分裂状態を政治家に委ねてしまっては、合理的な判断は困難になります。最大公約数的でも構わないので、根拠を持った選択肢を提示することが、科学者側の責務だと感じます」
医療分野の経験 ― EBMからEBPMへ
医療分野では、1990年代にEBM(エビデンスに基づく医療)が登場した。その社会政策分野への応用がEBPM(エビデンスに基づく政策立案)で、財政逼迫や公的サービス見直しの必要性から2010年代に重視されるようになった。現プログラム総括の山縣氏は、医療・医学の視点からEBMの成り立ちや制度化の背景を語った。
山縣「臨床研究の重要性が再評価され、実際の診療に活用しようという動きがその基盤です。医学のエビデンスには大きく二つあり、一つはウイルス感染など原因と作用を明らかにする『メカニズム』、もう一つは人を対象に治療効果などを評価する『アウトカム』です。前者は実験系、後者は臨床系の研究です。日本では長らく前者のエビデンスが重視され、疫学などの統計的手法は軽視されてきました。しかし、実際には現代医療は確率論に基づいており、薬の効果も副作用も確率的に評価されます。アウトカム設定も重要で、たとえばLDLコレステロールを下げること自体より、それが心筋梗塞を減らすかどうかが問われるべきです」
こうしたEBMは治療ガイドラインの根拠となり、今や若手医師はそのガイドラインを基に治療判断を行っている。
山縣「ただし、標準化と個別性のバランスは常に意識されなければなりません。EBMとEBPMには、意思決定者によりよい選択を促す情報を整備するという点で共通性があると思います」
山縣 然太郎 氏(プログラム総括)
しかし、たとえば喫煙対策の数値目標が政治的配慮で見送られたように、医療でも科学的根拠が政策に反映されない現実があった。
森田「政党の不安定化が進むなかで、政治家が耳障りのよいことしか言わなくなる傾向も見られます。たばこを例にとると、メーカーの圧力に加えて、たばこ税という財源の存在があります。税収が医療費を上回るから問題ないという議論もありましたが、それに対してどう反論するかが問われます。政治家が政策選択を説明できるように、科学的根拠を社会的メッセージとして意味づけることが重要です」
プログラムの位置づけと成果
本プログラムがRISTEXで果たした役割はどのようなものだったのだろうか。歴代のセンター長として、森田氏と小林氏は次のように語った。
森田「RISTEXはもともと自然科学中心のJSTにおいて、人文・社会科学を取り入れようとした初めての部門で、人文・社会科学の導入は挑戦的でした。始めた時点では、私自身も政策決定との関係について明確な認識を持っていたわけではなく、進める中で少しずつ理解を深めていった形です。
また、プロジェクトの成果の評価は難しく、データ分析による成果測定なども試みましたが、うまくいかなかった点もありました。ただ、測定的な評価はできなかったとしても、西浦博先生や仲田泰祐先生のプロジェクトのように、コロナ禍を通じてエビデンスに基づいた政策の重要性が具体的に示された例や、古田一雄先生のプロジェクトのように、政治過程への反映に課題があることが明確になった例もありました。
文科省などは、こうすれば政策に反映されるという方法の発見のような楽観的な期待を持っていたようですが、実際は科学的知見がそのまま政策に結びつくような単純な構造ではありません。政策反映には時間がかかり、関係者の理解や制度の整備も必要です。にもかかわらず、期待と現実のギャップへの不満も少なからずあったと思います」
小林「このプログラムが15年も継続したこと自体が異例でした。RISTEXでは、通常、領域設定前に課題や研究者層の存在、予算根拠などを調査・設計してから事業化します。しかしこのプログラムは、より包括的な政策的要請で始まった印象があります。そうした経緯に戸惑いもあったでしょう。ただ、内容的には他のJSTの組織には馴染まず、RISTEXこそが受け皿として適していたと思います。社会課題の現場ではなく、政策の現場との接点を設計するという意味で、学際的な枠組みにも合致していました。
私が注目しているのは、このプログラムが新たな研究者ネットワークを生み出したかどうかという点です。たとえば、西浦先生や仲田先生と他分野の研究者が交わる機会をつくったのは、この枠組みだったのではないかと感じます。これは将来にわたって貴重な財産になるでしょう。
15年継続する中で、うまくいかなかった経験からも多くを学べたはずです。だからこそ『未完のミッション』という表現が適切で、完成ではないけれど、終わってよいものでもない。むしろこれからどう発展させるかが問われていると考えます。最初の設計段階で、もっとRISTEX側が主体的に関与できていれば、よりよい展開も可能だったのではないかと思います」
「政策のための科学」は、政治と科学の間に横たわる構造的な課題に挑んだ。試行錯誤の過程が続いたが、研究者ネットワークの形成やエビデンス重視の姿勢を政策の土台に刻んだ意義は大きい。
EBPMと「政策のための科学」の違い
EBPMは近年急速に広まったことばだが、「政策のための科学」とは近いようで異なる概念であり、行政では、EBPMという単語の方が一般化している。森田氏は両者の関係を次のように考えている。
森田「両者は根拠に基づいて政策を立案するという点ではつながっています。ただ、日本のEBPMという概念は、予算要求の妥当性を示す手段として導入された側面が強く、実際には政策の正当化に使われがちです。同じ課題に対して異なる立場から自己に都合のよい異なるエビデンスが持ち出され、結果として有効性が見えづらくなっています。一方、「政策のための科学」の考え方は、データだけでなく政策のロジック構築にも重きを置きます。重なりはありますが、完全に一致はしていません」
小林氏も「行政官にとってEBPMは、予算要求時の説明手段です」と指摘し、大学におけるKPI導入と同じ構造だと述べた。
小林「正直、よく分からない部分もありますが、最近よく目にするロジックモデル※やKPI※などは、いわばEBPMシンドロームとも言える現象です。2010年代以降、それらが急速に広まりましたが、それ自体の功罪が評価された形跡が無いような気がします。大学でも、PDCA、KPI、ロジックモデルといった概念が持ち込まれましたが、実際に業務の改善につながったのかは疑問です。むしろこれら概念に形式を合わせる作業に大きな労力が割かれています。RCT※や定量分析だけがエビデンスではありません。より柔軟で多様な根拠を踏まえた合理的な思考こそが本来の目指すべき姿です」
※ロジックモデル:政策課題とその現状に対して、手段から目的までの経路を図示したもの。
※KPI:Key Performance Indicator、重要業績評価指標。最終目標達成のための中間プロセスにおける達成度を定量的に測るための指標。
※RCT:ランダム化比較試験。研究の対象者を2つ以上のグループに無作為に分け、治療法などの効果を検証すること。
山縣氏は医学の視点から、エビデンスの捉え方を語る。
山縣「医学の世界ではエビデンスの質に明確な階層があり、RCTやシステマティックレビュー※が最上位、個々の専門家の意見が最下位とされています。かつては偉い先生の発言が重視されていましたが、数値化や測定に基づいた知見が重要であるという考え方に変わってきました。ただし、すべてがRCTで扱えるわけではなく、特に子どもを対象とした政策や現実世界データに基づく分析では、疑似的な方法が必要になります。ロジックモデルの構築と継続的な見直しは、政策形成において有効だと考えています」
※システマティックレビュー:明確に作られたクエスチョンに対し、系統的で明示的な方法を用いて、適切な研究を同定、選択、評価を行なう文献研究。特に、RCTのシステマティックレビューはエビデンスレベルが高いと評価される。
医学では、エビデンス以外の要素であるバイオ・サイコ・ソーシャル※な要因を踏まえた治療も進む。EBPMでもエビデンス以外の要素を取り入れる必要がある。
山縣「エビデンスがどのような背景で得られたのかを理解せずに適用すれば誤る可能性があります。健康はWHOが提唱するように文化や地域の条件など、健康の社会的決定要因に深く依存しています。政策も医療と同様に、多様な状況に応じた柔軟な対応が求められます。
最終的には現場の判断や対応に委ねざるを得ません。医療においても、医師がエビデンスをどう用い、患者が自らの状態をどう理解するかが鍵です。そのためには、川崎病を発見した川崎富作先生がおっしゃるように『医療は暖かく、医学は厳しく』で、医学は厳格に実施しなければならないが、解明されていないことも多く、医療の現場には数値以外の要素も加味すること必要です。この考え方は、政策科学にも通じるのではないかと考えています」
※バイオ・サイコ・ソーシャル:バイオ (生理的・身体的機能状態)・サイコ(心理的・精神的状態)・ソーシャル(社会環境状態)の3つの側面から、患者の置かれている困難な状況を把握する必要があるとする考え方。
科学そのものが不確実性を含むが、EBPMは政策の不確実性を科学によって安定化させようとする傾向がある。小林氏は次のように見ている。
小林「確かに、個人の経験や勘に基づく非合理な意思決定を抑制するという点では、エビデンスの活用には浄化作用があると思います。ただし、それを理学的な意味での科学と呼ぶことには慎重であるべきです。私は医学部の学生に『医学は理学的な意味での科学ではない』と教えています。医学は、生命の維持や苦痛の軽減という価値観が内在しており、人間生物学とは異なる。『政策のための科学』も、理学的なモデルではなく、むしろ医学のように価値を伴う実践として捉えるべきではないでしょうか」
森田氏も「医学はもともと実践の知であり、経験知から始まった。政策も同様で、歴史的経験や状況判断が重要だ」と語り、政策科学を実践的知識の体系として位置づけた。
成果と失敗から学ぶ
初期には計量書誌学※的なアプローチの研究が多く採択されたが、行政現場での活用にはつながらなかった。 ※計量書誌学:⽂書の公表と利⽤に⾒られるパターンを数学的・統計的に分析する学問
森田「当初はその手法を私自身もよく理解していませんでしたが、予算配分と成果の可視化に有効だと考えて試みました。ただ、期待される行動の指針となるような結論を出せなかったことが、行政現場での不採用につながったと考えています」
一方で、財政との関係を分析した研究など、政策のための科学として意義深い成果もあった。
森田「プログラムの初期はその成否におけるリスクが特に高く、全てのプロジェクトに成果を求めるのは無理があると思います。野球の打率のように、一定の割合で成果が出れば十分です。採択と評価のバランスを見直す必要があると感じています。採択しなかったテーマの中にも、大きな可能性を秘めたものがあったと思います。ただし、それを事後的に評価して責任を問うようなことは避けるべきです」
山縣「失敗から学ぶ姿勢はプログラムにとって不可欠であり、最終評価にもそうした要素を含めるべきです。失敗した中から次に活かせる学びがあることを明示する必要があります」
対談前半では、「政策のための科学」プログラムには、どのような期待や背景があり、どのような困難に直面しながら展開されてきたのかを伺った。「政策のための科学」がEBPMと必ずしも同一視されるものではなく、単なる形式主義に陥る危険を避けつつ、実践と理論をつなぐ役割を担ってきたという点が浮かび上がった。本プログラムが「未完のミッション」であることも改めて確認された。成果も失敗も含めて学びとし、科学と政策の橋渡しを続けていくことが、これからの課題である。
(後半に続く)
(取材 黒河昭雄、文・小熊みどり、編集・森田由子)



