• 山下 大輔 大阪大学大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学 特任研究員

2023年採択加藤プロジェクト:患者市民参画に基づくヒト幹細胞由来の生殖細胞研究のELSI対応とガバナンス

キーワード Ver.2.0:人間らしい生き方ってなに?動物やAIとはどう違う?

私が所属する加藤プロジェクトでは、IVG(in vitro gametogenesis:ES細胞やiPS細胞といった幹細胞から試験管などを用いて体外で生殖細胞を作製する)研究について、ELSI(倫理的・法制度的・社会的課題)の観点から検討を行ってきた。IVG研究は、生殖の仕組みに関する新たな知見をもたらし、さまざまな医療分野の発展に貢献することが期待されている。現時点では受精能力を持つヒト生殖細胞を作製することには成功しておらず、また各国の規制においてもIVGをもとに作製した生殖細胞を人へ移植することは禁止されているが、この研究の発展によっては、将来的に、たとえば皮膚などの体細胞に由来するiPS細胞から精子や卵子を作製し、それを用いて人を誕生させるといったことが可能になるかもしれず、このことは多くの人々の想像をかき立てている。本プロジェクトは、研究に市民の視点を取り込むべく「市民パネル」を結成しIVG研究について意見交換を行なっており、また、他にもこれまでに市民公開シンポジウムやサイエンスカフェなどを開催し、市民による対話と熟議の場を設けてきた。

こうした議論の中では、「IVG研究やその臨床応用を進めるべきか否か」、「臨床応用を進める場合に、必要な制度や社会的支援はどういったものか」など、さまざまな観点から意見が交わされるが、その際しばしば「人が技術を用いて、尊厳のある命を生み出してよいのか」、「命は神の領域ではないのか」といった、根源的な問いが話題にのぼる。こうした問いは、文化的な背景や個人の価値観にも深く関わっており、単一の答えを持たないものである。

加えて、IVGを背景とした命についての問いが孕む難しさの一つは、「体細胞から命をつくる」という技術が、これまでに前例のない全く新しい可能性を提示している点にある。私たちは、未知の技術に対して期待を持つとともに、時に動揺を覚えたり、何か大切なものが脅かされるのではないかという不安を抱くことがある。

これまで開催してきた市民対話を通じて、未知の技術について考える際に前提とする、二つの姿勢のあり方が浮かび上がってきた。

一つ目は、現在の社会的・道徳的な枠組みに照らして考えるアプローチである。この立場では、IVGが普及することで、既存の性の概念や家族観、命の尊さに関する価値観が揺らぐことへの懸念が示された。新たな技術の登場は、既存の社会規範との摩擦を生み出し、社会がより複雑化する可能性を孕んでいる。議論の場では、このような変化に対する率直な不安の声が寄せられた。

もう一つは、今の社会規範が変化していくという前提のもとに、IVGの位置付けを考えてみる、という姿勢である。この立場では、仮にIVGのヒトへの臨床応用が技術的に可能になるとして、その時には、性や命についての現在の価値観がすでに変化していたり、あるいはIVG技術の登場によってそれが変化する可能性があるのではないか、という見方が示された。この見解を示した参加者の多くは、技術の安全性を確保しつつ、規制の整備と並行して研究を先へと進めることに同意していた。実際、近い例として、体外受精について日本では、技術の導入が始まった1980年代前半には批判的な意見が多く見られたが、現在では広くおこなわれており、2022年には約10人に1人が体外受精により誕生している。これは、技術の発展と普及が社会的受容に影響を与えた一例である。

おそらくここで重要なのは、これら二つの異なる姿勢を評価し、どちらかより妥当なものを検討することではないだろう。むしろ、参加者らのコメントの背景にこのような異なる考え方が存在するということを、市民パネルの参加者やプロジェクトの研究メンバーらが共に確認したこと、それ自体が意味を持っているといえる。それは、自分のものと異なる意見に触れてはじめて、人が自らのものの考え方を省みることができるためである。それはある意味で主体を脅かすものでもあるが、結局のところ、本当の意味での他者との対話が始まるのは、他者の存在を認識し、それによって自己の特殊性が可視化される、この地点をおいて他にはないのではないだろうか。

ことに、IVGについて考える際には、私たちは先述のような「命」をめぐる自己の価値観と向き合うことを否応なく要求される。もちろん、IVGの臨床応用が実現するかもしれない未来において、社会状況や人々の価値観がどうなっているのかを、今の時点で正確に予測することはできない。しかし、だからこそ過去の議論も参考にしつつ、その上で、これからの時代に私たち自身が「生命」というものをどのように定義していくことを望むのか、という問いに共に向き合っていくことが重要ではないだろうか。

将来的に実現するかもしれない、まだ見ぬ「命のあり方」をめぐる問いについて、私たちはどのように考え始め、時に相反する意見を交わしながら、どのようにして社会で合意を形成していくことができるのだろうか。

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