上席フェローメッセージ

社会技術研究開発センター上席フェロー
小林 傳司

上席フェロー・小林 傳司

 現代の科学技術は社会から多様な期待に応えることが求められるようになっています。一つには、人類の知的地平を拡大し、世界の理解を深める卓越した研究の推進です。二つには、社会にイノベーションをもたらす研究の推進です。三つには、地球環境問題や SDGs といった人類的社会的課題の解決に資する研究の推進です。これは日本に限らず世界の科学技術政策に共通の課題と言ってよいでしょう。
 その中で、RISTEX は研究資金配分機関である JST の一組織として二番目と三番目の研究の推進に積極的に取り組んできました。いずれもブダペスト宣言にいう「社会のなかの科学・社会のための科学」の推進です。社会のための科学技術の推進という課題において、本当に社会が求めている科学技術とは何かを考えることが必要なのです。現代の科学技術の進展はきわめて急速であり、「できること」が爆発的に拡大しています。しかし、「やって良いこと」、「やらなければならないこと」そして「やってはならないこと」の検討が遅れがちです。近年では、ゲノム編集技術を利用した人間の誕生、AI 技術によるプライバシー侵害などが社会の耳目を集めています。これらは科学技術に関する ELSI(ethical, legal and social implications/issues)の事例として、現代の重要な検討課題になっているのです。
 そもそも ELSI の研究は 1990 年代のヒトゲノム計画に際して、ヒトの遺伝情報の解読が社会にどのような影響をもたらすかを、解読研究と平行して推進するための研究予算制度でした。以来、欧米各国ではライフサイエンスにとどまらず、さまざまな新規科学技術研究に ELSI 研究が組み込まれ、大学にも ELSI 研究と人材育成のための組織が作られていきました。しかし日本では、ライフサイエンスにおける散発的な実施にとどまり、社会のための科学技術の研究開発に必須の取組みという理解は広がりませんでした。そこには、ELSI 研究が自由な研究のブレーキ、あるいは障害になるという、誤解に基づいた印象があったようです。しかし、ELSI 研究は社会のための科学技術の実現をするためのハンドルとでもいうべき存在と考えるべきなのです。科学技術を社会で活用するための必要不可欠な研究という認識が広まってほしいものです。
 現状、日本の ELSI 研究者の層は薄く相互のネットワークも構築されていません。その結果、日本の科学技術と社会の関わりを踏まえた ELSI の議論の蓄積が少なく、欧米の論調の紹介と追随になりがちです。人材育成の仕組みもありません。こういう状況を打破し、イノベーションの創出や社会的課題解決のための研究を推進するためにも、JST そして RISTEX は日本の ELSI 研究を支援していかねばなりません。社会が求めるイノベーションを実現するためには、研究開発システムに ELSI 研究を組み込むことがあたりまえという時代にしていきたい。強力な科学技術研究力を持つ日本が、その多様な経験や固有の文脈を踏まえて、世界に発信し得る ELSI 研究を推進することが、いま必要なのです。

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