科学技術振興事業団報 第340号
平成15年7月30日
埼玉県川口市本町4-1-8
科学技術振興事業団
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「室温・空気中で安定なエレクトライドの合成に成功」

 科学技術振興事業団(理事長:沖村憲樹)創造科学技術推進事業(ERATO)細野透明電子活性プロジェクト(総括責任者:細野秀雄、東京工業大学 応用セラミックス研究所教授)は、東工大応用セラミックス研究所と山梨大学クリスタル科学研究センターの協力を得て、室温・空気中で安定なエレクトライドの合成に世界で初めて成功した。
 結晶といえば、食塩のように陽イオンと陰イオンが結びついたイオン結晶が、その代表である。こうしたイオン結晶の中で、陰イオンの占めるべき位置を電子が占める物質は1974年に合成され、エレクトライドと命名された。電子は負の電荷をもつという点では陰イオンと同じであるが、質量が小さく量子力学的に振舞うという点で陰イオンと異なるため、エレクトライドはユニークな性質を示すことが、知られている。しかしながら、これまでに報告されてきたエレクトライドは、アルカリ金属のクラウンエーテル化合物で、最も安定なものでも-40℃以上では分解し、また空気に曝すと反応してしまうなど、熱的にも化学的にも不安定なため、応用の道が閉ざされていた。
 同プロジェクトの細野リーダーと松石 聡研究員らは、12CaO・7Al2O3 (C12A7)というセメントの原料になっている物質の構造が、C60と類似のケージ(籠)構造を有し、その中に酸素イオンを包接することに着目し、これらの酸素イオンの全てを化学処理によって電子に置き換えることで、空気中でも300℃程度まで安定なエレクトライドを初めて合成した。合成されたエレクトライドは、濃緑色の固体で室温100 S・cm-1という高い電気伝導度を示す。
 これまでエレクトライドには、ディスプレイ等の冷電子放出源(注1)、赤外線検出素子、還元試薬など興味深い応用が期待されていたが、今回の成功で応用の可能性が初めて現実的になった。また、数センチメートルの大きさの単結晶も得られているので、応用研究だけでなく、物性研究も飛躍的に加速されるものと期待される。
 本研究成果は8月1日付けの米科学誌「サイエンス」に掲載される。

1.エレクトライドとは ?
 食塩NaClはNa+イオンとCl-イオンが結びついてできている結晶である。このように陽イオンと陰イオンがクーロン力で結合して規則的な配列をつくっている固体をイオン結晶という。電子はマイナスの電荷をもつので、究極のイオンともみなすことができる。1974年に米国ミシガン州立大学のJames L. Dyeは、アルカリ金属のクラウンエーテル化合物を合成し、深青色の結晶を得た。その結晶は図1のように、アルカリ原子が陽イオンと電子に解離して、陽イオンがクラウンエーテル分子によって包接されてしまい、電子と再結合できなくなり、電子が陰イオンとして働き、イオン結晶となっていることを発見した。
 このように、電子が陰イオンとなって形成されるイオン結晶を"エレクトライド"と命名した。
図1. これまでのエレクトライドの代表的な例。
  緑:セシウムイオン、ピンク:電子、赤:炭素、白:酸素。セシウムイオンはクラウンエーテル分子に囲まれ、大きな陽イオンになり、電子が陰イオンになって、イオン結晶を形成している。

2.これまでのエレクトライドの研究
 エレクトライドは、究極に陰イオンとみなすことができる電子が、陽イオンとともに結晶を形成する。液体アンモニアにアルカリ金属を溶解させると、アルカリ金属の陽イオンと溶媒和された電子が生成することが知られているが、エレクトライドは、固体に溶媒和した電子が陰イオンとして働くという極めてエキゾチックな物質なため、多くの研究者の関心を呼び、1974年の発見以来、多種の物質の合成、構造解析、電子状態の計算、そして物性の研究がおこなわれてきた。そして、最近では大学の無機化学の代表的な教科書類にも記載されるほどになっている。
 しかしながら、有機分子と活性なアルカリ金属の組み合わせから成るこれまでのエレクトライドが、-40℃以下の低温、且つ空気を遮断した雰囲気下でのみ安定なため、その取り扱いは容易ではなく、応用の道は全く開けていなかった。そのため、空気中、室温付近で安定に取り扱えるエレクトライドを得る試みが、米国を中心に20年来続いていた。

3.本研究グループのアプローチ
 アルミナセメントの構成成分の一つである12CaO・7Al2O3 (C12A7) の構造は、直径約0.4ナノメートル(nm)のプラスの電荷を帯びたケージ(籠)が立体的に積み重なって構成されている。そして、ケージの中にはそのプラス電荷を中和するために、酸素イオン(O2-)が包接されている。このような緩く束縛された酸素イオンは、"フリー酸素イオン"と呼ばれている。研究グループは、このフリー酸素イオンの存在に着目し、これを通常の条件下では不安定な活性マイナスイオンで置き換えることで、新しい機能の発現を狙ってきた。
 その結果、O-イオン(通常の酸素イオンはO2-)で置き換えた物質は、酸化しにくい金属の代表である白金さえ酸化してしまう超酸化力を示し、H-イオン(通常の水素イオンはH+)を包接した物質は、紫外線を照射すると、光の当たった部位だけに電気が流れる状態に変わるなどの新しい機能を発見(昨年10月Nature誌)してきた。
図2. C12A7の結晶構造を構成するケージ。
  直径が約0.4 nmでC60のような球状をしており、プラスの電荷を帯びているので、ケージの中には酸素イオンが包接されている。

 今回は、フリー酸素イオンを究極の陰イオンともいうべき電子で100% 置き換えることを試みた。具体的にはC12A7の単結晶を金属カルシウムの小片とともに、ガラス管に封入し加熱することで、ケージからフリー酸素イオンを100 %引き抜き、代わりに電子をケージ中に包接することに成功した。得られたエレクトライドの構造を図3に示す。
図3. 合成された室温・空気中で安定なエレクトライドの構造の模式図。
  ナノサイズの籠の中に、フリー酸素イオンが包接されていたが、電子(緑色の球)に100 %置き換わっている。黄色の部分が繰り返しの最小単位である単位胞で、一辺の長さは1.2nm。

 処理前のC12A7の単結晶は、無色透明でガラスのような外観をしており、電気を全く流さない絶縁体であるが、処理によってケージ中に電子が包接されはじめると、緑色を帯びてきて、最終的には濃緑色(試料が厚いと外観は黒色)になり、良く電気を流す状態(100 S・cm-1)に変わる。つまり、電気をよく通すセメントができたことになる。このような状態になっても試料は、空気中で室温はもとより300℃程度まで安定で、素手で扱っても変質するようなことはない。
図4. ケージ中のフリー酸素イオンを順次、電子に置き換えていく時のC12A7単結晶の色の変化。
  左端が未処理のもので電気を全く通さない。右に行くにつれて酸素イオンが電子と置き換わっていき、100 %置き変わったものが右端でかなり良く電気を通す。

4.本研究成果のインパクト
 本研究の成果は、室温・空気中で安定なエレクトライドを初めて、しかも単結晶の形で合成できたことである。
 この成功には、以下のインパクトがある。
(1) エレクトライドのユニークな物性を活かした応用の可能性が初めて現実のものとなった。具体的には、今回見出されたエレクトライドは、ナノケージに緩く束縛された電子を高濃度に含んでおり、これらの電子を室温で外部に取出す「冷電子放出源(注1)」、電子の光吸収を利用した「赤外線検出素子」、電子の化学反応性を利用した「還元試薬」などへの応用が考えられる。
(2) 物質本来の性質の研究に必須の安定な単結晶が得られたことにより、未知の物性を秘めているエレクトライドの研究が飛躍的に進展すると期待される。
(3) 古くから知られていたセメントの構成成分12CaO・7Al2O3結晶の構造中のナノケージから酸素イオンを引き抜くことで、絶縁体から電子良導電体に永久的に変換することができた。環境調和性が高く、資源的にも無尽蔵な物質だけからなる物質で、初めての電子導電性物質が発見されたことになる。


注1)用語解説
「冷電子放出源」  テレビのブラウン管に使われている電子銃は、高温に加熱して、かつ電界を印加することで電子を真空中に放出している。これに対して、試料を加熱することなく、室温で電場をかけるだけで電子を放出できる物質をいう。熱電子放出に比べ、エネルギー消費が少なく、きれいなビームが得られるため、ディスプレイなどいろいろな応用が期待されている。このためには、電子を放出し易く安定な物質が不可欠。

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【本件問い合わせ先】

 細野 秀雄(ほその ひでお)
  東京工業大学 応用セラミックス研究所 教授
   〒226-8503  横浜市緑区長津田町 4259
   TEL: 045-924-5359
   FAX: 045-924-5339    

 長谷川 奈治(はせがわ たいじ)
   科学技術振興事業団 戦略的創造事業本部
   特別プロジェクト推進室 調査役
   TEL:048-226-5623
   FAX:048-226-5703    

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This page updated on August 1, 2003

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