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別紙

研究開発テーマ概要、採択課題一覧およびプログラムオフィサー(PO)総評

研究開発テーマ:高齢社会を豊かにする科学・技術・システムの創成

PO:伊福部 達 (東京大学 高齢社会総合研究機構 名誉教授)

研究開発テーマ概要

日本は世界に先駆けて超高齢社会に急速に向かっていますが、現時点ですでに全人口の約25%が65歳以上の高齢者で占められており、2055年にはそれが40%を超えることが予測されています。そのため、労働者人口の減少、社会保障費の増加に加え、高齢者に社会参画を可能な限り延長することが求められています。しかし、この課題に対してテクノロジーで何を解決することが望まれているかが不明なことから、大学や国の研究機関などの研究は方向性が定まらないままであり、また、マーケットを作り出せなかったことから、産業界でも本格的な取り組みが行えませんでした。

このような背景のもと、本テーマでは、高齢社会における「就業などの支援」と個人の「活動の支援」の両方を実現することを目標とし、横断的で長期にわたる「産学連携」による取り組みを行っていただきます。特に高齢者個人が社会活動を行いやすくなるような支援技術を追求します。

その中でも、人間が知的な社会生活を送る上で重要な機能である「感覚」「脳」「運動」と、それらを結ぶ「情報循環」が円滑に行われるように支援する方法を構築します。同様に、コミュニティの中で必要な生活機能である「情報獲得」「コミュニケーション」「移動」と、それらを結ぶ「情報循環」が円滑に行われるように支援する方法を構築します。その支援技術として、主に、インターネットに代表されるようなICT(情報コミュニケーション技術)やロボットに代表されるようなIRT(情報ロボット技術)を活かす道を確立します。

さらに、高齢化は日本ばかりでなく世界的な傾向にあることから、海外での取り組みなどについても常に動向を把握し、本テーマにより創成される新しい技術・システムが将来、輸出産業などにも活かされることを期待しています。

採択課題一覧

課題名 研究概要 PM 開発リーダー
研究リーダー
高齢者の記憶と認知機能低下に対する生活支援ロボットシステムの開発

認知機能の低下により、日付やスケジュールが把握できなくなることで、生活が成り立たなくなる高齢者は多くいます。このプロジェクトでは、生活の現場に密着した技術開発(フィールド・ベースド・イノベーション)に基づき、高齢者の自立・自律した生活をより長く実現するために、生活に必要な情報を確実に伝えるロボットシステムを開発します。さらに、利用者個々に対応する導入サービスや供給体制を含めた、トータルな高齢者支援産業の創出を目指します。

  大中 慎一 日本電気株式会社
井上 剛伸 国立障害者リハビリテーションセンター
高齢者の自立を支援し安全安心社会を実現する自動運転システム

高齢者が自立して元気に生活していくためには安心安全な移動手段が欠かせず、中でも自動車は日常の足として大変重要です。そこで本研究は高齢者の運転能力の低下をバックアップし、事故を回避する自動運転知能を持つ自動車の研究開発とその市販化を目的としています。そのため産学連携の研究体制により、センサー技術、危険予知判断技術、危険回避技術などの研究開発とともに、このシステムの実証実験により効果評価や社会的受容性の検証を行います。

井上 秀雄 トヨタ自動車株式会社
  永井 正夫 東京農工大学
高齢者の経験・知識・技能を社会の推進力とするためのICT基盤「高齢者クラウド」の研究開発

超高齢社会において、シニア層の経験・知識・技能を活かすシステムは社会の新たな推進力となります。人々の情報発信を加速するインタラクション、インタフェース技術と、社会活動を分析するソーシャルコンピューティング、スキルディスカバリー技術との連携により、元気シニア層の社会参加を活性化するとともに、多様な個性と就労条件に応じて能力を組み合わせ仮想的な労働力を合成するモザイク型就労を実現します。

  小林 正朋 日本アイ・ビー・エム株式会社
廣瀬 通孝 東京大学
高齢社会での社会参加支援のための軽労化技術の研究開発と評価システムの構築

高齢者の過度の負担や疲労を取り除くことで作業の質を高めることが可能である軽労化技術を高齢者に適用することで、自立生活と社会参加が可能な豊かな高齢社会を実現する。人の手による仕事の価値を見直し、安心・安全に、持続的に、かつさりげなく作業支援する3Sアシストを提唱し、具体的には農作業や除雪作業のための筋力補助スーツと設計・評価システムを開発し、他のアシスト技術へも適用可能な評価基準を構築する。

  山岸 孝幸 三菱電機エンジニアリング株式会社
田中 孝之 北海道大学

※PM(プロジェクトマネージャー):課題の取りまとめ役

<プログラムオフィサー(PO)総評>

日本の超高齢社会に向けて喫緊の課題となる「労働者人口の減少」や「社会保障費の増加」に対処するため、「高齢者の社会参画を可能な限り延長」することが求められています。そこで、本研究開発テーマではこのような背景のもと、高齢社会における「就業などの支援」と個人の「活動の支援」の両方を実現することを目標としました。研究開発の対象としては、「高齢化に伴って低下する心身機能を可能な限り維持させ、高齢者の獲得した知識・経験をできるだけ生かす支援機器やサービスシステム」を取り上げています。実用的な技術の創出とそれによる新産業の創出を念頭に置き、対象とする技術課題を、①日常生活を送る上で重要な「感覚」「脳」「運動」の機能低下を支援する技術、②社会参画する上で重要な「情報獲得」「コミュニケーション」「移動」を円滑にし、支援する技術、としています。

これらの課題を遂行するにあたって、インターネットに代表されるICT(情報通信技術)やロボットに代表されるIRT(情報ロボット技術)を生かすことを前提条件とし、(a)「ウェアラブルICT」、(b)「インフラICT」、(c)「労働支援IRT」、(d)「移動支援IRT」、(e)「脳機能支援ICT・IRT」からなる5つの技術分野を研究開発対象としました。(下図参照)

研究開発対象の5つの技術分野

研究開発対象の5つの技術分野

昨年度の公募では54件の応募がありましたが、本研究開発テーマは裾野が広く、さまざまな可能性があることから、1年間の企画調査研究(本格的な研究を目指す絞り込みのための研究)を行うこととし、8件の提案が企画調査研究課題として採択されました。採択された8件の課題については、約1年間にわたり企画調査研究を実施し、その結果について審査を行い、この度、4件の採択課題を決定しました。

また、審査においては、本事業の設定趣旨に加えて、「法令調査結果、実施フィールド」を明確に示しているか、「産業創出と高齢者の就労・生き甲斐の両面」を考慮しているか、という観点も加味し、「5つの技術分野に偏りがない」という視点も重視しました。その結果、上記5つの技術分野をほぼ網羅する課題を採択することができました。

ただし、採択課題4件の内、2件については、「すでに応用研究・実用化研究へ移行出来るフェーズに近づいており、短期間で最終のステージⅢに移行すること」、または、「多角的に研究を遂行し有用性のエビデンスを明確にすること」などの条件を付けた採択となりました。これから採択課題4件で研究をスタートすることになりますが、高齢社会の諸課題を解決するための研究アプローチは時代とともに変化することから、今後も柔軟性を重視した課題運営を行い、研究開発を進めていきたいと考えています。

研究開発テーマ:スピン流を用いた新機能デバイス実現に向けた技術開発

PO:安藤 功兒 (産業技術総合研究所 フェロー)

研究開発テーマ概要

電子は電荷とスピン(磁化)の2つの自由度を有していますが、従来これらの自由度は別々に産業に利用されてきました。2つの自由度を結びつける手段としては、効率の低い電磁コイルしかなかったからです。しかし80年代後半の巨大磁気抵抗(GMR)効果の発見はこの事情を大きく変えました。電荷とスピンの間で直接働く量子力学的相互作用を利用することで、2つの自由度を効率よく結合することが可能となりました。このパラダイムシフトが生み出したGMR素子は磁化の情報を直接電気情報に変換する高効率な情報読み取りヘッドとして、ハードディスクの容量の飛躍的向上をもたらしました。スピントロニクスと呼ばれるこの技術分野からは、その後も、トンネル磁気抵抗(TMR)素子や不揮発性メモリである磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)が市場に出て行き、現在、ストレージ・メモリ産業を大きく変えつつあります。これらのスピントロニクス素子の成功は、いずれも、固体中におけるスピン偏極、スピン注入、スピントルクなどのスピン流と呼ばれる特異な物理現象を利用することにより実現されたものです。スピン流の学理は最近さらに急速な発展を見せつつあり、スピンポンピング、スピン蓄積、スピンホール効果、逆スピンホール効果、スピンゼーベック効果などの新しい概念が続々と出現してきています。そのため、スピン流からはさらに新しい応用デバイスが生み出されるものと大きな期待がかけられています。

日本はスピントロニクス・スピン流の基礎研究とその実用化の両面において、世界的にずば抜けた実績を誇っています。このような背景をもとに、本研究開発は、スピン流の新たな革新的応用可能性を探ることを目的として実施されるものです。

採択課題一覧

課題名 研究概要 PM 開発リーダー
研究リーダー
3次元磁気記録新ストレージアーキテクチャのための技術開発

記録ビットの極微化によって高密度化の限界に直面している磁気記録のブレークスルーを目指し、新原理に基づく3次元磁気記録技術の開発を行います。具体的には、スピン流を用いた新機能素子であるスピントルク発振素子が記録媒体中に誘起する磁気共鳴現象を利用して、多層磁気媒体への選択的記録・再生を行います。この技術により、磁気記録の飛躍的な高密度化を可能とし、新原理に基づいた超大容量ストレージを実現します。

佐藤 利江 株式会社東芝
  久保田 均 独立行政法人 産業技術総合研究所
トンネル磁気抵抗素子を用いた心磁図および脳磁図と核磁気共鳴像の室温同時測定装置の開発

生体からの微小磁場検出装置の開発を行います。従来のSQUIDによる生体磁気計測では、液体ヘリウム容器が障害となりセンサーを生体に密着できませんでした。本研究では、室温で動作する多数のトンネル磁気抵抗素子を鎧帷子状に配置し胸・頭部の皮膚に密着させて心磁図・脳磁図を得ることができる装置を開発します。これにより、近接計測による空間分解能を格段に向上できるため、安価で実用的な医療機器として飛躍的普及が期待できます。

  西川 卓男 コニカミノルタオプト株式会社
安藤 康夫 東北大学

※PM(プロジェクトマネージャー):課題の取りまとめ役

<プログラムオフィサー(PO)総評>

1980年代後半の巨大磁気抵抗(GMR)効果の発見を契機として、電子の持つ電荷とスピンとの間の直接的な相互作用を利用するスピントロニクス技術分野が創りだされ、すでに不揮発性磁気メモリなどが市場に送り出されました。これに並行して、スピントロニクスを支える学理であるスピン流においても、最近次々と新しい現象が見出されており、さらなる新しいデバイスの創出が期待されています。本研究開発テーマは、スピントロニクスとスピン流における、日本の優れた実績を背景として、具体的な革新的応用デバイスの実現により、日本の産業競争力の維持・強化と社会基盤の強化に資する成果を得ることを目指します。

本研究開発テーマについて、平成23年9月29日(木)から11月7日(月)まで研究開発課題の公募を行い、8件の応募を頂きました。提案された研究開発課題は、バラエティ豊かであり、若い学理であるスピン流が高いポテンシャルを有しており、応用可能性が多岐にわたっていることを実感したところです。産業界および学術界における専門家であるアドバイザー7名の協力を得て、書類選考を行い、5課題について面接選考を実施しました。面接対象課題には、あらかじめ提案書の中でも特に説明すべき項目を複数指定することで、有意義な議論ができました。

選考は以下の基準に沿って行われました。

1.提案された応用デバイスや技術は今回の研究開発テーマの設定趣旨に沿ったものか。

2.当該テーマにおけるトップクラスの研究メンバーから構成された強力な研究開発体制となっているか。

3.マイルストーンと各ステージにおいて実現すべきベンチマークが具体的かつ定量的であるか。

4.開発の実現性があり、実現されたときの社会的・産業的インパクトが見込まれるか。

基準1と2に関しては、面接対象となった全ての提案課題が素晴らしい内容でした。しかし、基準3の設定には苦しむ課題も見られました。スピン流が急速に発展しつつある若い学理であるという性格を反映して、無理もない面もあります。しかし、今回は特に基準3と4を重視した選考を行うこととし、これらを満たした2件の提案を採択することとしました。なお、不採択とした課題の多くは、基準3をもう少し明確化すれば採択も可能となっただろうと思われる内容でした。

採択された研究課題については、効率的・効果的に「産業創出の礎となる技術」を確立していただくために、POが研究進捗モニターを頻繁に実施するとともに、必要に応じ課題間協力を促します。本プログラムの推進によって、産と学が一体となり、パラダイムシフトをもたらすような画期的なデバイス/システムの実現につなげたいと思います。