1.背景 |
「ソーシャビリティ」(Sociability:社会能力)(注:「生きる力」の一つで、社会性に関する能力。ソーシャルスキルなども含まれる概念で、「社会力」と訳されることもある。)と呼ばれる他者を理解し円滑に付き合う能力は、社会生活をおくる上で必須の能力である。これは言語性・非言語性のコミュニケーション能力を基盤とした高次脳機能と捉えられる。しかし、その神経基盤および発達期における獲得過程については不明な点が多い。一方、科学技術の加速度的な発展がもたらした情報化、効率化、少子化、高齢化などによる、人、とりわけ子供を取り巻く生活環境や社会環境の急激な変化に対応するために、社会能力の重要性は増大している。いわゆる育児・教育問題の多くには社会能力の獲得不全の関与が想定される。
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2.研究の目的 |
本ミッション研究は、単発の刺激と脳内における反応の計測だけでは解明できない、社会・生活環境が心身や言葉の発達に与える影響やそのメカニズムの解明を目指すもので、特に、社会能力の神経基盤及び発達期における獲得過程について解明することを目的とする。ここでは固定の統計群の経時的な追跡研究手法を用いるとともに、近年急速に発達している非侵襲脳機能計測の手法等を活用しつつ、医学(小児医学、脳神経科学等)、心理学、保健衛生学、教育学等の多分野の研究者の連携により研究を進める。本研究により、社会能力という人間として社会で生きていくために最も重要な能力の獲得過程を明らかにすることで、現在の教育関連の問題の本質を提示するとともに、より効果的な教育方法への示唆が可能となることが期待される。
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3.研究の方法 |
(1) |
質問票調査による生育上の環境因子の調査
生育環境の発達に関する影響について、演繹的推論*1)による仮説の検証に必要な基礎情報を質問票調査により収集する。
( i ) |
質問票の主な項目は以下のとおり。
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保護者ならびに同居家族の属性に関する情報/生活・育児環境 |
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自記式の心理・行動尺度による対象者(家族)の心理的、行動的特性 |
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発達チェック項目 |
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(ii) |
各地域での質問票調査は既存の乳児健診の場を活用して行う。調査時期は4~5ヶ月、9~10ヶ月、1歳半、3歳、以降1年毎に実施する。 |
(iii) |
調査は、郵送による調査、調査会場での直接面接による聞き取り調査の2つを想定する。 |
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(2) |
観察と行動記録
上記(1)質問票調査だけでなく、小児科医、発達心理専門家等が研究対象者全員を標準化された手法により経時的に観察することで、環境因子の影響をより正確に分析するためのデータを得る。その際、神経学的評価と心理発達評価を定義した調査方式の決定と適切な行動記録のため、小児科医を中心とする検討と研究参加者への研修が必要となる。
(i) |
行動発達検査による心理的過程の調査
研究対象者の心理的過程(視線利用、表情模倣、注意の共有、三項関係*2)など)を記録・解析することにより、心理面での発達状況を明らかにする。 |
(ii) |
発達神経学的検査(反射、筋緊張など)と調査時の子供の行動のビデオ記録を行うことにより、発達障害の兆しを含む子供の発達初期からの特徴的行動を客観的、定量的に抽出する。 |
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(3) |
非侵襲脳機能計測による脳神経基盤との関係の明確化
上記(1)~(2)の調査により、社会能力の獲得過程の解明と、獲得過程における環境因子の影響等について明らかにした上で、非侵襲脳機能計測法(機能的MRI*3)、光トポグラフィー*4)等)を用い、社会能力と脳神経基盤との関係を明確化する。
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(4) |
追跡研究体制の整備
研究の開始にあたっては、下記の事柄に配慮し研究体制の整備を行う。
(i) |
調査手順書の作成と研修の実施により、参加研究者の調査手順の統一化を徹底する。 |
(ii) |
質問票調査、面接調査、観察、行動記録を行う研究者および、研究の過程で個人情報に接する研究者は、職業上の守秘義務が課せられる医師、保健士、および契約により守秘義務を課す心理専門家等とし、個人情報の保護に万全を期す。 |
(iii) |
異なる地域特性や人的資源などの研究体制を調整して、全国的な追跡研究として統合的に実施することを目的として、各地域間の連絡体制を整備する。 |
(iv) |
年間出生数、行政機関との協力関係、などを勘案し、地域性を考慮して対象地区を選定する。 |
(v) |
研究対象者の選定にあたっては、健康状態、症状、年齢、性別、同意能力等を考慮し、慎重に検討する。研究対象者については、自発的な同意の得られた場合のみ対象となる。研究対象者が未成年の場合には、その代諾者から十分な説明の上での同意(インフォームド・コンセント)を受けるものとする。なお、本研究の研究対象となることに同意しなくても、不利益をうけることはない。また、同意した場合でも、いつでも不利益をうけることなく、これを撤回することができる。 |
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4.研究体制 |
研究統括のリーダーシップの下に、多分野の研究者を有機的に組織し、関係機関との協力のもとに研究を進める。
<研究グループ構成>
(役割) |
(氏名) |
(所属) |
(役職) |
研究統括 |
小泉 英明 | (株)日立製作所 | フェロー |
統括補佐 |
川口 英夫 | (株)日立製作所 基礎研究所 | 主任研究員 |
〃 |
小西 行郎 | 東京女子医科大学 医学部 | 教授 |
〃 |
森本 兼曩 | 大阪大学 大学院医学系研究科 | 教授 |
研究メンバー |
板倉 昭二 | 京都大学 大学院文学研究科 | 助教授 |
河合 優年 | 武庫川女子大学 教育研究所 | 教授 |
小枝 達也 | 鳥取大学 地域学部 | 教授 |
榊原 洋一 | 東京大学 大学院医学系研究科 | 講師 |
定藤 規弘 | 自然科学研究機構 生理学研究所 | 教授 |
富和 清隆 | 大阪市立総合医療センター 小児神経内科 | 部長 |
桃井 真里子 | 自治医科大学 医学部 | 教授 |
山本 初実 | 国立病院機構 三重中央医療センター 臨床研究部 | 部長 |
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5.研究期間 |
研究期間は平成16年度から2年間の準備調査及び予備的研究(パイロット・スタディ)の実施を経て、平成18年度から5年間の本格的な調査研究を実施する。ただし、本格的な調査研究の実施に先立ち、平成17年度末を目途に、それまでの準備調査、予備的研究の成果等の状況を踏まえ、研究計画全般についての評価を行うものとする。
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6.年次計画と達成目標 |
平成16年度に本ミッション研究を行うための要素的準備(研究対象者への質問票の検討・作成/観察手順・手法の検討/参加研究者への統一的研修/研究対象者や広く一般に向けた広報/成人を対象とした非侵襲脳機能計測等)とそれらを統合して研究するための枠組み(地域との連携対応等)を整備し、平成17年度に予備的研究を実施、平成18年度から本格的な調査研究に入る。
(1) |
平成16年度
( i ) |
質問票
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調査票の作成、聞き取り法の統一 |
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症例登録、転出、死亡など、研究対象からの離脱登録方法の決定 |
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小集団を対象とする予備的な質問票調査 |
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(ii) |
検査項目・検査手順の策定
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発達神経学的検査項目と行動発達検査項目の作成と評価。
4~5ヶ月、9~10ヶ月、1歳半、3歳以降1年ごとの検査項目を作成する。 |
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検査時間40分で検者と研究対象者を同時記録するポータブルシステムを開発する。検査手順書の作成を行うことにより、検査精度の均一化を図る。 |
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(iii) |
成人を対象とした社会能力と脳神経基盤の関係の確認
成人を対象に、発達過程において社会能力獲得の基盤となる心理的過程を抽出し、行動発達検査、発達神経学的検査や非侵襲脳機能計測法により、脳神経基盤との関係を確認する。 |
(iv) |
研究に関する合意形成のための活動
パンフレットや説明ビデオを作成し、各地域にて研究対象者および自治体向け説明会を開催する。また、広く一般に対して本ミッション研究についての社会的合意形成に資するためにシンポジウムを開催する。 |
(v) |
十分な説明の上の同意(インフォームド・コンセント)の手続きの策定
研究対象者に対しては、検査の目的、内容、方法等について十分に説明し、研究対象者の代諾者の理解を求め、同意を得るように努めるための説明と同意(インフォームド・コンセント)の手続きや同意書フォーマットを検討・作成する。 |
(vi) |
個人情報の取り扱い
研究対象者の個人情報、個人データの管理方法を策定し、情報管理拠点の整備を行う。また、情報処理拠点で取扱う個人データの処理方法(連結可能匿名化等)や情報管理システム等を構築する。 |
(vii) |
研究参加者への統一的研修
研究対象者への問診手順、ビデオによる撮影手順、説明と同意(インフォームド・コンセント)の手続き方法、個人情報の取扱い方法などについて、参加研究者に対して統一化を図るため、研修を実施する。 |
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(2) |
平成17年度
予備的研究を実施する。選択された拠点地域において、少人数で予備的研究を行い、問題点や改善点の抽出等を行い平成18年度以降に実施する本格的な調査研究の計画に反映させる。また、同時に次年度以降に本格実施が開始される予定の他地域での準備を行う。
平成17年度末に、それまでの準備調査、予備的研究の成果等の状況を踏まえ、研究計画全般について中間評価を行い、次年度以降の本格的な調査研究のための研究計画への反映を行う。
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(3) |
平成18年度以降
(i) |
追跡調査
0歳児および5歳児の一定のグループを調査対象集団として選定し、1万人規模の追跡調査を開始する。調査期間は、当面5年間とし、調査データを社会技術研究システム内に設置した「脳科学と社会研究センター」における情報管理拠点で管理・解析するとともに、各地域における情報管理拠点でも解析を行う。 |
(ii) |
症例調査(Case-Control Study)
追跡調査中にケース登録されたグループと対照グループに対して、非侵襲脳機能計測を含めた詳細な発達心理学的検査を行う。 |
(iii) |
子供の非侵襲脳機能計測技法の確立
機能的MRI、光トポグラフィー、脳磁図(MEG)、脳波計(EEG)など、脳の活動を脳血流や脳の電気的活動などにより非侵襲的に計測する既存の計測法において、研究対象者に適用する上で改善すべき点があれば、その技術的用件を解決し、最適検査条件を決定する。 |
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7.研究予算 |
予算額:200百万円(平成16年度)
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8.研究実施場所 |
社会技術研究システムが設置する「脳科学と社会研究センター」を中心に研究を実施する。追跡データの収集等に関しては各地域において実施する。
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9.研究の実施にあたって配慮すべき事項 |
(1) |
倫理的対応
本ミッション研究では研究対象者の個人情報を扱うため、個人情報保護やプライバシーに十分配慮して研究を進めることが必要であり、また、研究対象者(または代諾者)への十分な説明と同意(インフォームド・コンセント)が前提となるなど、倫理的な対応が重要である。このため「疫学研究に関する倫理指針」(平成14年、文部科学省・厚生労働省告示第2号)、「臨床研究に関する倫理指針」(平成15年、厚生労働省告示第255号)等を踏まえて定められた『「心身や言葉の健やかな発達と脳の成長」研究における倫理の確保に関する達』に基づき、JST内に倫理審査委員会を設置し、研究計画等について倫理的、科学的観点からの審査等を行う。
また、研究の進捗によって明らかな病態が発見され、専門医による治療等が必要と判断された対象者については、適切な医療機関への紹介を行うことを原則とする。この際には、『「心身や言葉の健やかな発達と脳の成長」研究における倫理の確保に関する達』に従い、個人データ開示に当たって必要な事項等に配慮する。
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(2) |
倫理研究グループの設置
社会技術研究システム内に設置した「脳科学と社会研究センター」に倫理研究グループを設置し、適切な研究実施に資するよう、当該研究の倫理的・社会的課題や諸外国における動向等について並行して検討を進め、研究計画や倫理審査の考え方などに反映する。
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(3) |
公募研究との連携
研究の推進にあたっては、広く一般より研究提案を募り実施する「公募研究」との連携を図る。 |
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*1) |
演繹的推論
諸前提から論理の規則にしたがって必然的に結論を導き出すことにより推理を行うこと |
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*2) |
三項関係
二項関係(本人と他人)に対し、さらに第三の要素として人か物が加わった関係 |
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*3) |
機能的MRI
ヒトの脳の活動部位を非侵襲に検出可能な磁気共鳴画像装置 |
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*4) |
光トポグラフィー
脳表面からの反射光(近赤外光)の強度変化を測定することにより、脳機能を測定する装置 |
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