科学技術振興機構報 第83号
平成16年6月28日
埼玉県川口市本町4-1-8
独立行政法人 科学技術振興機構
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URL:http://www.jst.go.jp/

「生殖細胞と体細胞の分化のスイッチを担うタンパク質を発見」

 独立行政法人 科学技術振興機構(理事長 沖村憲樹)の研究チームは、生殖細胞と体細胞の分化のスイッチを担う分子として、Nanos(ナノス)タンパク質をショウジョウバエで同定した。Nanosタンパク質は進化的に保存されており、哺乳動物も含む多くの動物でNanosタンパク質が、生殖細胞と体細胞分化の重要なスイッチ役となっていると考えられる。このような分子の発見は初めてである。Nanosタンパク質による"体細胞分化の抑制"、すなわち"未分化状態の維持"のメカニズム解明は、未分化幹細胞を用いた再生医療、生殖医療を目指す今後の医療の基礎研究として重要な位置を占める。
 この発見は、戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CRESTタイプ)の研究テーマ「生殖細胞の形成機構の解明とその哺乳動物への応用」(研究代表者:小林悟 大学共同利用機関法人 自然科学研究機構・岡崎統合バイオサイエンスセンター・基礎生物学研究所・教授)の研究グループによるもの。Nanosは生殖細胞の前駆細胞(極細胞 注釈※1)にのみ含まれるタンパク質である。Nanosタンパク質を欠く極細胞は、細胞死(アポトーシス)を起こして死んでしまうが、この細胞死がおこるのを人為的に抑制すると、本来は生殖細胞にしか分化しないはずの極細胞が体細胞に分化することを見い出した。極細胞中では、Nanosタンパク質により体細胞分化が抑えられ、生殖細胞の分化が進行する。
 本成果は、2004年6月28日週(アメリカ東部時間)の米国科学アカデミー紀要(Proceedeings of the National Academy of Science )オンライン版で公開され、2004年7月13日発行の同誌に掲載される。
<背景>
 次代に生命を残すためには生殖細胞が必要である。一方、体細胞は筋肉や神経などの体のパーツを作ることにより個体の生存を支えているが、個体の死とともにその役割を終えてしまう。このように運命が大きく異なる生殖細胞と体細胞は、もともとは1つの細胞(卵)の細胞分裂により生み出された、姉妹同士である。どのような機構でこれらの運命が決定されるのかは、発生学の分野で未解決の大きな問題であった。
 
<研究の経緯>
 小林研究室においては、ショウジョウバエ生殖細胞の前駆細胞(極細胞 注釈※1)(図1および2参照)の分化に必要なタンパク質としてNanosを同定していた。このタンパク質は、卵の後端の細胞質に局在し、極細胞にのみ取り込まれる。私たちは、Nanosタンパク質を欠く極細胞は、生殖細胞にまで分化できないことを報告した(Nature 380, 708-711、1996;Nature Cell Biol. 1, 431-437、1999)。また、Nanosタンパク質は、体細胞で発現し機能する遺伝子の活性化を極細胞中で抑制していることも明らかにされつつある。このことから、Nanosタンパク質が極細胞中で体細胞の分化を抑制していると予想し、研究を行い、今回、nanos遺伝子の機能が失われた突然変異を用いて以下の結果を得た。

1) Nanosタンパク質を欠く極細胞は細胞死(アポトーシス 注釈※2)を起こす(図3参照)
 Nanosタンパク質を欠く極細胞の数は、胚発生の進行にともなって減少する。これは、極細胞がアポトーシスを起こすことが原因である。以上の結果から、Nanosタンパク質は、極細胞の維持にも必要であることが明らかとなった。
2) Nanosタンパク質を欠く極細胞は体細胞に分化することができる(図4参照)
 アポトーシスに必要な遺伝子群の機能を失わせると、上記極細胞の細胞死が抑制されることが明らかとなった。そこで、Nanosタンパク質を欠き、かつアポトーシスに必要な遺伝子群の機能も失った極細胞の発生運命を調べたところ、これら細胞の一部が体細胞に分化していることが明らかとなった。体細胞に分化した極細胞は、体細胞で活性化される遺伝子を発現し、逆に生殖細胞特異的な遺伝子を発現していないことも明らかとなった。
3) Nanosタンパク質を欠き、かつアポトーシスに必要な遺伝子群の機能も失った極細胞の一部は、生殖巣に移動することもできる(図5参照)
 上記の極細胞の発生運命を調べる過程で、予想しなかった結果が得られた。Nanosタンパク質のみを欠く極細胞は、生殖巣に移動することができないことを既に報告していた(Nature 380, 708-711、1996)。今回、Nanosタンパク質を欠き、かつアポトーシスに必要な遺伝子群の機能も失った極細胞の一部は、生殖巣に移動することができた。このことは、Nanosタンパク質が極細胞のアポトーシスを抑制することで、極細胞の生殖巣への移動を正常に進行させていることを示している(図6参照)。しかし、このように生殖巣に移動した極細胞は、最終的に卵や精子に分化できない。すなわち、Nanosタンパク質は生殖細胞の分化にも直接関わっているのである。
 以上の結果から,極細胞は生殖細胞に分化する運命のみを持つ細胞ではなく、細胞死や体細胞分化の経路をたどることもできる多分化能を持つ細胞であることが示された。Nanosタンパク質は、このような経路を抑制することにより、極細胞を正常に生殖細胞へと分化させる働きを持つ(図6参照)
 
<まとめ>
 ショウジョウバエにおいて極細胞は生殖細胞に分化するように運命づけられていると考えられてきた。しかし、今回の研究成果により、極細胞は多分化能を持つこと、体細胞の分化がNanosタンパク質により抑制されていることが初めて明らかとなった。Nanosタンパク質は、哺乳類、魚類、無脊椎動物で保存されており、今回明らかにしたNanosタンパク質の機能についてもヒトを含め多くの動物で保存されていると予想できる。Nanosタンパク質による"体細胞分化の抑制"、すなわち"未分化状態の維持"のメカニズム解明は、未分化幹細胞を用いた再生医療、生殖医療を目指す今後の医療の基礎研究として重要な位置を占める。また、Nanosタンパク質の機能を人為的にコントロールすることにより、生殖細胞から体細胞への転換だけでなく、体細胞から生殖細胞への転換も可能になると予想できる。これが実現されれば、絶滅種の体細胞から生殖細胞を作り、次世代の生命を生み出すことも可能である。
 
<参考:論文タイトル/著者>
Nanos suppresses somatic cell fate in Drosophila germ line
林良樹、林 誠、小林悟
doi :10.1073/pnas.0401647101
 
<用語注釈>
(※1)極細胞
ショウジョウバエの生殖細胞前駆細胞。卵(胚)の後極に形成されることから命名された。
(※2)アポトーシス
細胞が物理的に破壊されたり飢餓による偶発的な死とは異なり、細胞の持つ遺伝子の働きにより制御される死。発生過程では、死ぬべき細胞があらかじめ決められており、アポトーシスに関わる遺伝子群が発現し死に導かれる。この意味においてアポトーシスは細胞分化の一つといえる。
 
この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下の通りである。
研究領域: 生物の発生・分化・再生
(研究総括:堀田 凱樹、情報・システム研究機構 機構長)
研究期間: 平成12年度~平成17年度
 
(補足説明資料)
図1 ショウジョウバエの生殖細胞形成過程1
図2 ショウジョウバエの生殖細胞形成過程2
図3 Nanosタンパク質を欠く極細胞はアポトシスを起こす
図4 Nanosタンパク質を欠き、かつアポトーシスを抑制した極細胞は体細胞組織に取りこまれ体細胞に分化する。
図5 Nanosタンパク質を欠き、かつアポトーシスを抑制した極細胞は生殖巣に移動できる
図6 極細胞の多分化能とNanosタンパク質の機能
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 本件問い合わせ先:
小林 悟 (こばやし さとる)
   大学共同利用機関法人 自然科学研究機構
   岡崎統合バイオサイエンスセンター
   基礎生物学研究所
    〒444-8787 岡崎市明大寺町東山5-1
    TEL: 0564-59-5875
    FAX: 0564-59-5879     

島田 昌 (しまだ まさし)
   独立行政法人 科学技術振興機構
   研究推進部 研究第一課
     〒332-0012 川口市本町4-1-8
     TEL:048‐226‐5635
     FAX:048‐226‐1164      
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