多数の細胞から形成される生物では、個々の細胞は隣接する他の細胞とのコミュニケーションを通して自らの位置や機能に関する情報を把握し、生物個体としてのバランスを取っています。このように細胞が自身の役割を知り、集団に対して自立的な秩序をもたらすような個と全体の相互作用はホロニックコミュニケーションと呼ばれており、特に植物では動物の中枢神経系のような中枢制御機能を持たないため、葉の発生や花成など多くの過程でこのホロニックコミュニケーションが重要な役割を担っていると考えられています。しかし細胞が精確に自身の役割や位置を知るメカニズムは、生きた組織中で個々の細胞や分子の機能を解析することが困難なため、動物、植物のいずれにおいても未だ十分な解明には至っていません。そのようななか、東山氏らの研究によって、受粉した花粉から伸びる花粉管細胞を卵のある位置へと誘導するシグナリング分子が見つかり、140年来の謎であった仕組みの一端が解き明かされました。この発見には、独自に開発された数々の顕微解析技術が大きく貢献しており、顕微鏡下で細胞や分子を自由自在に操作・解析する技術への展開が期待されています。
本研究領域は細胞間の情報伝達の担い手であるシグナリング分子そのものの実際の動きを直接解析するライブセル解析を実現し、シグナリング分子のダイナミクスと作用機構を明らかにすることによりホロニックコミュニケーションを真に理解しようとするものです。このために、光技術、工学技術、シングルセルオミックスを一体的に推進することで、ライブセル生物学という新たな分野の確立を目指します。具体的には、植物の卵装置および胚の形成過程をモデルとし、第一に低分子性植物ホルモンやペプチドなどの全身性および局所性の細胞間シグナリング分子を直接可視化することを実現し、次に光技術および工学技術によりシグナリング分子を操作解析することに挑みます。そして個々の細胞のオミクス解析から、個々の細胞の応答の仕組みや未知のシグナリング分子を明らかにすることで、個と全体の調和が卵装置および胚のパターンを生み出す機構の本質に迫ります。
本研究を通して得られるホロニックコミュニケーションに関する知見は各シグナリング因子の実際の挙動や組織の中にある個々の細胞の性質、ひいては新たな生命システムの発見につながると共に、生きた細胞をシングルセルレベルで自在に解析する技術の創出が期待されます。これらは植物に限らず広く現在の生物学の限界を克服する可能性を秘め、高度な細胞操作を基盤として、非モデル生物研究の推進、農業における育種分野や医療における生殖医療分野、診断技術分野への貢献も期待されます。
本研究領域は植物におけるホロニックコミュニケーションのメカニズムを解明すると共に、生物学における新たな解析技術を創出するものであり、戦略目標「生命システムの動作原理の解明と活用のための基盤技術の創出」に資するものと期待されます。
1.氏名(現職) | 東山 哲也(ひがしやま てつや) (名古屋大学 大学院理学研究科 教授) 39歳 | ||||||||||||||||||
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2.略歴 |
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3.研究分野 | 分子細胞生物学、顕微分子生物学、植物生殖科学 | ||||||||||||||||||
4.学会活動など |
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5.業績など | 1998年、卵が裸出するユニークな植物トレニアを用いた体外受精系の確立に成功(Plant Cell,1998)。2000年には、当受精系と独自の顕微解析技術を駆使し、世界初となる植物受精過程のライブイメージングに成功した(Plant Physiol,2000)。 上述の研究基盤をもとに花粉管がいかにして卵細胞に正確に辿り着くかという一般的な問題に取り組み、2001年に、誘引に関わっている細胞が助細胞であることを発見(Science,2001)、2009年には誘引物質がそこから分泌されるdefensin類似のペプチドであることを発見した(Nature,2009)。これは釣りで使用するルアーにちなみ、LUREペプチドと名付けられ、これらの成果は共に科学雑誌「Science」と「Nature」の表紙を飾った。このLUREの発見は140年来の植物科学の基本的な問題を解決したと評価されている。 | ||||||||||||||||||
6.受賞など |
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