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科学技術振興機構報 第708号

平成22年1月22日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)
Tel:03-5214-8404(広報ポータル部)
URL https://www.jst.go.jp

粘菌の輸送ネットワークから都市構造の設計理論を構築

―都市間を結ぶ最適な道路・鉄道網の法則確立に期待―

JST目的基礎研究事業の一環として、JSTさきがけ研究者の手老 篤史 研究員らは、単細胞生物注1)真正粘菌注2)が形成する餌の輸送ネットワークを理論的に解明し、都市を結ぶ実際の鉄道網よりも経済性の高いネットワークを形成する理論モデルの構築に成功しました。本研究の成果であるネットワーク形成に関する理論は、近年ますます複雑化するネットワーク社会において、経済性および災害リスクなどの観点から最適な都市間ネットワークを設計する手法の確立につながるものです。

真正粘菌は、何億年もの長きにわたって厳しい自然淘汰を乗り越えて生存し続けています。このため、さまざまな機能をバランスよく保ち、変化する環境にも柔軟に対応することが知られています。すなわち、頻繁に使用される器官は増強され、使用されていない器官は退化しています。これは、人間が作る都市間ネットワークの思想と共通する部分が多いといえます。粘菌のこのような知的な挙動に関しては、すでに手老研究員らから発表され、2008年度のイグ・ノーベル賞を受賞しています。しかし、脳も神経もない粘菌が知的なネットワークを形成するメカニズムについては理論的な解明がなされておらず、生物学上の謎の1つとなっていました。

今回、真正粘菌変形体が作る輸送ネットワークを実験・理論の両面から解析し、数理科学的にネットワークを再現する理論モデルを構築しました。これにより、粘菌の作るネットワークによる物質輸送は、実際の鉄道ネットワークより輸送効率が良いことや、アクシデントに強いことが分かりました。

今後、都市間を結ぶ道路・鉄道・インターネットなどによる物流・情報ネットワークの整備にあたり、建設・維持コストや災害リスク管理など、さまざまな要件を目的に応じて重視した際に、本研究により構築した理論モデルの適応により最適なネットワークを提示する設計法則の確立が期待されます。

本研究は、北海道大学電子科学研究所の中垣 俊之 准教授、広島大学 大学院理学研究科の小林 亮 教授らと共同で行われ、本研究成果は、2010年1月22日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Science」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「生命現象の革新モデルと展開」
(研究総括:重定 南奈子 同志社大学 文化情報学部 文化情報学科 教授)
研究課題名 「真正粘菌に学ぶ時間・空間に対する原始的インテリジェンス」
研究者 手老 篤史(JST さきがけ研究者)
研究実施場所 北海道大学電子科学研究所 細胞機能素子研究分野研究室
研究期間 平成19年10月~平成23年3月

JSTはこの領域で、多様な生命現象に潜むメカニズムの解明に資する斬新なモデルの構築を目指す研究であって、治療、防疫、環境保全などに貢献できる予測力や発展性に富む研究を推進しています。上記研究課題では、真正粘菌変形体という多核単細胞生物の知的行動を解明し、同時にその行動を学ぶことによって他の現象に応用することを目的として研究を推進しています。

<研究の背景と経緯>

現在、送電網、金融システム、航空便や鉄道網、電話やインターネットなど、物流・情報のさまざまな輸送ネットワークが構築されており、私たちの生活に欠かせないものとなってきています。このような重要なインフラ・システムは、外部からの攻撃やアクシデントに対して強い必要があります。すなわち、このようなネットワークは構築・維持コストや断線に対するリスク管理機能など、さまざまなコストや機能の条件をバランス良く満たす必要があり、とても難しい問題になっています。アクシデントに強いネットワークは、必然的にコスト効率が良くない余分の輸送路を必要とする側面を持ちます。このような重要な問題であるにもかかわらず、ほとんどのネットワークは個別の国・自治体により明瞭な設計法則なしに構築されています。

一方、同じように集合間の輸送ネットワークを作成する生物がいます。真正粘菌の変形体です。この生物のネットワークは長く厳しい自然淘汰の中で生存してきただけあって、さまざまな機能をバランス良く持ち、変化する環境にも対応することが可能です。また、実際の輸送や物流のネットワークと同じように、粘菌のネットワークの形成法則は、利用されている部分がより発達し、利用されていない部分は減退・消失します。そして、構築・維持コストの節約やアクシデントに対する頑強性や輸送効率など、ネットワークが備えるべき性質はほとんど共通です。さらに、この生物は脳のような集中制御する器官を使わずに、全体で分散して制御しながらネットワークを作成しています。

このような真正粘菌のネットワークに着目し、その形成方法や働きを数理モデルで理論的に解明することにより、適正な都市間ネットワークの理論にも応用できると考えました。

<研究の内容>

今回、真正粘菌変形体(図1)という単細胞生物の作る輸送ネットワークに着目し、以下のことを明らかにしました。

  1. (1) 日本の関東地方の形状を模した容器を作り、主要駅に対応する場所に粘菌の餌を置きました。そこに粘菌を這わせると、粘菌は餌の周りに集まり、管状の輸送ネットワークを作成しました(図2)。
  2. (2) 粘菌は光を嫌い、明るい場所では管ネットワークを作らず、暗い場所に迂回して管を作成する性質があります。これを用いて、標高の高い(鉄道を作りづらい)場所や湖に対応する領域に強い光を当てる実験を行ったところ、制作コストに対応したより精度の高いネットワークを作ることを確認しました(図3)。
  3. (3) 粘菌の輸送ネットワークの作成を再現するアルゴリズムを生成しました。
  4. (4) 上記の実験に対応する数値計算を行うことにより、駅間を結ぶ粘菌ネットワークを再現しました(図4)。
  5. (5) これらのネットワークの性能を評価することによって、ネットワークの長さ・断線のリスク注3)輸送効率注4)のバランスが良いネットワークが作成されていることが分かりました。
  6. (6) 全体のネットワーク利用量が少ない場合には構築コストも少ないネットワークができるといった、環境により、重視する値が自動的に適応することも数値実験により確認されました(図5)。

この結果から、粘菌が形成するネットワークはバランスの良い機能を持った優れたネットワークであることが確認されました。このネットワークを再現するアルゴリズムは、インフラ整備や都市間ネットワーク作成に有用となるものと期待されます。

<今後の展開>

現在の数値計算法は関東地方のみで、図2の実験に合わせた計算方法でした。これを日本全体に展開し、かつ図3の光を用いた実験に対応させることにより、より正確な結果が得られます。もっとこの数値を実際の制作コストと正確に合わせることにより、精度の高い数値計算が行えます。また、均一な初期値からでなく、初期値を現在の鉄道網にすることにより、現在あるネットワークを利用しながら改善していくプランも立てることが可能です。さらに、生物ネットワークは何億年もの移り変わる自然環境の中で存続してきただけあって、環境が変化する状況にも強く、高い性能を維持することが可能であると予測されます。このような生物のネットワークから学ぶことによって、将来、機能的でさまざまな変動要素に強く、合理性のある都市間ネットワークの作成やインフラ整備を行うことが可能になると予測されます。

<参考図>

図1

図1 真正粘菌変形体

真正粘菌変形体の写真です。シート状の構造(主に円周部分)と管状の構造(線のように見える部分)の2つから構成されています。シート部分の厚みは1~2分で振動します。この振動に合わせて管の中を粘菌の体や栄養分が輸送されます。また、この管は輸送量が多いと太く成長し、流量が少ないと細くなるという性質があります。

図2

図2 粘菌の都市間ネットワーク作成実験

関東の形状をした容器(白線で表記)を用意し、主要都市に対応する点上に餌を置きます。また、山手線内を1つの大きな餌とし、そこに粘菌を置きます(図A)。その後、粘菌は広がり、餌に接触するとその周りに集まります(図B、C)。しばらくすると餌の周りに集まった粘菌同士はお互いを管状の輸送ネットワークでつなぎます(図D、E)。最終的には、主要駅を結ぶ粘菌の最適ネットワークが完成します。

図3

図3 実験結果とネットワーク

図Aは容器内では均一な状態での粘菌ネットワーク結果です(図2の実験と同条件)。図Bは光を与えることにより、標高の高い場所や湖などに粘菌が管を作りづらくした場合のネットワーク結果です。また、そのネットワークを点と直線で書きだした結果が図Cです。図Dは実際の鉄道ネットワーク。図Eは点同士を結んで作られる最短のネットワーク(MST)です。

図4

図4 コンピュータによる数値計算結果

図2の実験に合わせた条件で行った数値計算です。初期条件として関東地方の形状のランダムなネットワークを生成します(図t=0)。青い点は主要駅に対応し、山手線は主要駅7つ分で表現されています。粘菌の輸送ネットワークの成長法則と同様に計算し、輸送量が多い経路を発達させていきました(図t=1000)。充分な時間がたつと最適ネットワークが得られます(図t=29950)。

図5

図5 ネットワークの性能の評価

各図において、赤丸は数値計算結果。黒丸は図2の条件による実験結果。青四角は図3Bのような光を用いた実験結果です。緑三角は実際の鉄道網の値(図A)。横軸-ネットワークの総距離(維持・制作コスト)と縦軸-ネットワークの輸送効率です。総距離は短い方が良く、輸送効率は高い方が良いため、図の左下にあるのが良い結果となっています。このことから今回得られた数値計算結果(赤)は、実際の鉄道ネットワーク(緑)よりも良いことが分かります。この理論により、使う予算に見合った輸送効率を持ったネットワークが得られることも分かります。図Bは横軸-ネットワークの総距離(維持・制作コスト)と縦軸-アクシデントに対する強さを表したものです。総距離は短く、アクシデントに対する強さは強い方が良いため、図の左上にある点が優秀です。

<用語解説>

注1) 単細胞生物
1つの細胞から構成される生物。細胞とは細胞膜で仕切られた1つの「部屋」を指し示しているため、内部に多くの核を持つ場合もあります。ここで扱う粘菌は細胞1つから構成されますが、内部に多くの核を持ちます(多核単細胞生物)。また、一般には「細胞」とは最小の単位であり、分割不可能であると思われがちですが、ここで取り扱う真正粘菌変形体は単細胞ながらナイフなどで物理的にいくつかに切断すれば、そのそれぞれが生存できるという集合体のような性質を持っています。
注2) 真正粘菌
原生生物の一種です。原生生物とは、おおむね真核の単細胞生物を意味します。環境によりアメーバ状の変形体となったり、子実体を作り胞子で繁殖したりするなど、ライフサイクルの中でさまざまな状態を持ちます。暗くて湿度の高い場所を好み、自然界ではジメジメした落ち葉や倒木の下にいます。原生生物でありながら、生物の形態形成の実験的研究などに重宝され、現代生物学を代表するモデル生物になっています。
注3) 断線のリスク
ネットワークのうち1つの経路がランダムに切断された場合、そのネットワークが2つに分かれてしまうかどうかの確率です。例えば道路が事故や災害で通行止めになった場合、ネットワークが2つに切断されると、目的地に到着できなくなる場合があります。
注4) 輸送効率
ある2都市間をネットワーク上を通って移動する効率の平均です。ネットワークがいびつで迂回する必要が多いと輸送効率は低下してしまいます。

<論文名>

“Rules for Biologically Inspired Adaptive Network Design”
(生物に学ぶ適応ネットワークの構築方法)
doi: 10.1126/science.1177894

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

手老 篤史(テロウ アツシ)
科学技術振興機構 さきがけ研究者
〒001-0020 北海道札幌市北区北20条西10丁目 北海道大学電子科学研究所 細胞機能研究室
Tel:011-706-9433 Fax:011-706-9431
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

原口 亮治(ハラグチ リョウジ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究推進部(さきがけ担当)
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