JST(理事長 北澤 宏一)は産学連携事業の一環として、大学・公的研究機関などの研究成果をもとにした起業のための研究開発を推進しています。
平成18年度に開始した研究開発課題「高感度赤外光FETモジュール」(開発代表者:小倉 睦郎 産業技術総合研究所 ナノテクノロジー研究部門 主任研究員、起業家:長崎 健)では、可視から近赤外波長領域において数十フェムトワット注1)レベルの感度を持つフォトトランジスター注2)の開発に成功しました。この成果をもとに平成21年4月15日、メンバーらが出資して、「アイアールスペック 株式会社」を設立しました。
現在、可視光領域ではシリコンフォトダイオード注3)やCCD注4)が光センサーとして多くの用途に利用されています。しかし、シリコンデバイスでは検出できない近赤外域では高感度な光センサーはなく、化合物半導体注5)フォトダイオードを用いてアンプで信号を増幅する方法が取られていますが、検出感度は不十分でした。
本開発代表者らは、量子細線注6)構造の電界効果トランジスター(FET)注7)を光検出器に利用する研究過程で、極めて強い電流増幅作用が得られる構造を見いだしました。
この研究成果を生かして、近赤外域で感度がある実用的な製品の開発を進めた結果、雑音源である暗電流注8)の発生源となる表面電流をブロックする新しいフォトトランジスター構造を設計しました。この構造により、暗電流を従来の100分の1以下と画期的に低減させ、従来の数千倍の増幅率と高い光検出感度を得ることができました。さらに、これまで可視から近赤外域では2種類のセンサーを必要としていましたが、本製品1個で全波長域をカバーでき、1V程度と低い電圧で動作するという特徴もあります。
これを多様な近赤外センサーとして商品化し、赤外線応用市場の活性化に寄与すべく、「アイアールスペック株式会社」を起業しました。同社は、赤外線検出素子の事業化後4年で売り上げ2億円以上を目指します。今回の「アイアールスペック 株式会社」設立により、プレベンチャー企業および大学発ベンチャー創出推進によって設立したベンチャー企業数は、94社となりました。
今回の企業の設立は、以下の事業の研究開発成果によるものです。
独創的シーズ展開事業 大学発ベンチャー創出推進
研究開発課題 | : | 「高感度赤外光FETモジュール」 |
開発代表者 | : | 小倉 睦郎(産業技術総合研究所 ナノテクノロジー研究部門 主任研究員) |
起業家 | : | 長崎 健 |
研究開発期間 | : | 平成18~20年度 |
独創的シーズ展開事業 大学発ベンチャー創出推進では、大学・公的研究機関などの研究成果をもとにした起業および事業展開に必要な研究開発を推進することにより、イノベーションの原動力となるような強い成長力を有する大学発ベンチャーが創出され、これを通じて大学などの研究成果の社会・経済への還元を推進することを目的としています。
<開発の背景>
現在、可視光領域の光センサーとしてシリコンフォトダイオードやCCDが多くの用途に利用されています。シリコンデバイスでは検出できない赤外線領域のセンサーとしては化合物半導体フォトダイオードを用いて、アンプで信号を増幅する方法が取られていますが、検出感度は不十分でした。
そのため、光検出器と電流増幅作用の両方の機能を持つ化合物半導体フォトトランジスターの研究が世界各地でなされていましたが、雑音源となる暗電流が大きく、微弱光が検出できる高感度な光センサーは得られていませんでした。また、増幅作用のある化合物半導体光検出器は特性がふぞろいで、さらに、従来のものでは検出できる波長域も限定されるため、広い波長範囲をカバーできる、より高感度な光センサーが分光計測や環境、医療など幅広い分野で強く求められていました。
<研究開発の内容>
本開発代表者は、量子細線構造のFETを光検出器に利用する研究過程で、極めて強い電流増幅作用が得られる構造を見いだしました。
この研究成果をもとに、赤外線も検出でき実用的な受光面積を持つ光検出器を目指して、InGaAs系を半導体材料とする新規なFET型光センサーの開発に取り組みました。今回、フォトトランジスターの特性を解析した結果、雑音源となる暗電流は主として素子表面で発生していることを突き止め、この表面電流をトランジスターの電流増幅領域に流入させないブロック構造の新しいフォトトランジスターを開発しました。
この構造では、FET電流増幅部が中心部にあり、1段低くした周辺領域が受光部となっています。その段差のある受光部表面層に表面電流ブロック層を作り付けることによって、表面層の電流が内部に流入するのを阻止しています(図1)。この表面電流ブロック層の採用により従来型に比べて暗電流が100分の1程度に低減されました。さらに、これまで不要な電流(暗電流)がトランジスター増幅部に流入しなくなったことにより、増幅率も低減しなくなり、従来のフォトダイオードの数千倍の出力が得られました(図2)。フォトダイオードでは理想的なアンプで増幅してもピコワット(10-12W)以下の光量を検出することは困難でしたが、このフォトトランジスターでは数10フェムトワット(10-14W)程度まで検出可能となりました。
また、本素子では段差構造で受光部を表面近くに露出できるため、InGaAs系フォトダイオードでは困難であった可視光の検出も可能となり、図2のように、従来型より2倍程度、広い波長域を検出できました。その結果、分光計測で最も広く使われている可視から近赤外域について、2種類のセンサーを必要としないで本製品1個で全波長域をカバーできました。また、バンドギャップ注9)の異なる薄層の半導体層を組み合わせることにより、1V程度の低い電圧で動作するため、特性のばらつきを抑えることも可能となりました。
<今後の事業展開>
この技術を用いた製品を、赤外線応用市場に提供することにより、分光計測や環境、医療、光通信など幅広い分野で利用されると考えています。例えば、波長多重光通信では中継点で各チャンネルの光量モニターが必要ですが、本製品ではこれまでより100分の1程度の光量で計測可能となるため、ほとんど伝送光量を損失させることなく、より長距離の通信が可能となります。また、本製品は血糖値測定波長をカバーしており、採血せずに行う光学的血糖値測定用として安価で高感度なセンサーを提供することができ、近赤外光トポグラフィー注10)などの無侵襲診断法などの普及にも貢献できると考えています。さらに、高感度であることから、臨床用光トモグラフィー注11)や生体認証分野において、より精密な画像判定が可能となります。
「アイアールスペック株式会社」では今後、波長0.5~1.7μmの広い波長範囲を持つ単体および1次元フォトトランジスターアレイ注12)の汎用品とカスタム仕様品を生産・販売します。また本製品の信号を高精度で計測できる回路モジュールも提供します。さらにアレイの多素子化、アレイ用計測モジュールの製品化、カメラ用画像モジュール、波長数ミクロン帯の中赤外光検出器の開発も計画しています。
<参考図>
図1 新規開発したFET型フォトトランジスター
図2 新開発のフォトトランジスターと従来のフォトダイオード(PD)の光電変換効率注13)の比較
<用語説明>
注1)フェムトワット
10-15W、すなわち1兆分の1ミリワット。
注2)フォトトランジスター
光を受ける受光領域と光によって発生した電流を増幅するトランジスター機能を一体化した光検出器。
注3)フォトダイオード(PD)
光により生成された電荷を電流として取り出す基本的な光検出器で、増幅作用を持たないので検出感度は低い。
注4)CCD
デジタルカメラなどに用いられている撮像素子。
注5)化合物半導体
III族とV族元素またはII族とVI族元素からなる半導体でInGaAs系半導体は発光、受光素子、トランジスター材料として用いられている。
注6)量子細線
ナノメータ程度の領域に電子を閉じ込める半導体構造で電子のエネルギーが不連続となることによる特殊な効果が発生する。
注7)電界効果トランジスター(FET)
半導体表面層に電流を流す電極とその電流を制御する電極(ゲート)からなるトランジスターの一種。
注8)暗電流
光検出器で入射光が無い状態で流れている電流でリーク電流とも言われる。暗電流は雑音源となりその大小が検出器の感度を支配する。
注9)バンドギャップ
光によって自由に動ける電子が励起され信号として取り出されるが励起されるために飛び越えねばならないエネルギーの幅。
注10)近赤外光トポグラフィー
頭皮上から近赤外光で脳機能マッピングする脳機能診断方法。
注11)臨床用光トモグラフィー
X線の代わりに近赤外線を用いて断層撮影するコンピュータ断層撮影の新しい方法。
注12)フォトトランジスターアレイ
多数のフォトトランジスターを1列状や2次元的に配列してスペクトル波長の検出やイメージを撮るために使われる。
注13)光電変換効率
フォトン1個に対する電子・正孔対の発生割合に、電子の増倍係数を掛けた値。通常光検出器の出力電流を入射光量で割ったA(アンペア)/W(ワット)で表現する。
<本件お問い合わせ先>
アイアールスペック株式会社
〒305-8568 つくば市梅園1-1-1
独立行政法人 産業技術総合研究所 第2事業所 本部情報棟 4202号室
西田 克彦(ニシダ カツヒコ)、小倉 睦郎(オグラ ムツオ)
Tel:029-859-6910 Fax:029-862-6546
E-mail:
URL:http://www.irspec.com/
独立行政法人 科学技術振興機構 イノベーション推進本部 戦略的イノベーション推進部
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
加藤 豪(カトウ ゴウ)、風間 成介(カザマ シゲユキ)
Tel:03-5214-0016 Fax:03-5214-0017