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科学技術振興機構報 第434号

平成19年10月22日

東京都千代田区四番町5-3
科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(広報・ポータル部広報課)
URL https://www.jst.go.jp

脳神経疾患の遺伝子治療に有益な新規遺伝子導入ベクターを開発

(パーキンソン病や運動ニューロン疾患などの遺伝子治療に光)

 JST(理事長 北澤宏一)は、福島県立医科大学、東京都医学研究機構、日本医科大学、京都大学、国立感染症研究所と共同で、脳神経疾患の遺伝子治療に有益な新しい遺伝子導入ベクター(注1)を開発しました。このベクターは脳神経細胞の終末部位から取り込まれて遠方の神経細胞体まで輸送され、組み込んだ遺伝子を高効率に発現させる画期的なものです。
 動物モデルを用いたさまざまな遺伝子治療の実験では、ヒト免疫不全症ウイルスI型(HIV-1)に由来する自己不活化型レンチウイルスベクター(注2)が広く利用されています。このベクターは特に、神経細胞への感染効率が高く、長期間にわたって遺伝子発現を維持できる点で優れています。ウイルスベクターによる神経細胞の遺伝子導入では、ベクターが神経細胞の終末部位から取り込まれ、遠方の細胞体に輸送される「逆行性輸送」と呼ばれる性質を利用する場合があります。この性質は、遠方に存在する神経細胞へ遺伝子導入を可能とするため、パーキンソン病や運動ニューロン疾患などの脳神経疾患の遺伝子治療に有用なものと考えられています。ところが、従来のHIV-1に由来するウイルスベクターでは、逆行性輸送の効率は極度に低いことが知られています。
 本研究では、逆行性輸送に関与するウイルスベクターの外皮に存在する糖たんぱく質(注3)の種類に着目。なかでも強い逆行性輸送を媒介することが示唆されていた狂犬病ウイルス(rabies virus)に由来する糖たんぱく質(RV-G)に注目し、HIV-1ベクターの糖たんぱく質をRV-Gに置換した改良型ベクターを作製することで、脳内で高い逆行性輸送効率を示すベクターの開発に取り組みました。RV-Gを有する改良型ベクターをマウス脳の線条体(注4)に注入したところ、同ベクターは線条体に連絡する多くの脳領域(大脳皮質、視床、中脳など)に存在する細胞体まで輸送され、それらの細胞で遺伝子の発現を誘導しました。また、このベクターをサル線条体へ注入すると、中脳の黒質(緻密部)から線条体に連絡するドーパミン神経細胞(注5)に高頻度な遺伝子発現を誘導しました。
 これらの結果から、RV-Gを有する改良型のベクターは、げっ歯類および霊長類の脳内において逆行性輸送を介する高い遺伝子導入効率を示すことが明らかとなりました。今回構築したベクターは、パーキンソン病や運動ニューロン疾患などの種々の脳神経疾患に対する遺伝子治療に有益なアプローチを提供するものと期待されます。
 本成果は、戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)の研究領域「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」(研究総括:津本忠治、独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター ユニットリーダー)における研究課題「ドーパミンによる行動の発達と発現機構」の研究代表者・小林和人(福島県立医科大学 医学部附属生体情報伝達研究所 生体機能研究部門 教授)と研究分担者・高田昌彦(東京都医学研究機構 神経科学総合研究所 統合生理部門 副参事研究員)らによって得られたもので、10月19日(米国東部時間)に国際科学雑誌「Human Gene Therapy」(オンライン版)で発表されます。

<研究の背景>

 ウイルスに由来する遺伝子導入ベクターは、難治性の脳神経疾患に対する遺伝子治療において有益な実験技術を提供しています。特に、ヒト免疫不全症ウイルスI型(HIV-1)をもとにした自己不活化型レンチウイルスベクターは、神経細胞への感染効率が高く、長期間にわたって遺伝子発現を維持できる点で優れており、動物モデルを用いたさまざまな遺伝子治療の実験に広く利用されてきました。
 いくつかのウイルスベクターは、神経細胞の終末部位から取り込まれ、遠方の細胞体に輸送される逆行性輸送を示すことが知られています(図1)。ベクターの逆行性輸送は、パーキンソン病や運動ニューロン疾患などの脳神経疾患に対する遺伝子治療に有用と考えられています。パーキンソン病は、中脳に存在する黒質(緻密部)に細胞体を持ち、線条体に連絡するドーパミン神経が変性・脱落する運動疾患です(図2)。このため、ドーパミン神経の終末のある線条体にベクターを注入し、逆行性輸送によって、脳深部に存在する細胞体へ遺伝子導入をすることが有効です。また、運動ニューロン疾患の場合は、運動ニューロンの終末が局在する筋肉にベクターを注入し、逆行性輸送を介して脊髄の細胞体に遺伝子導入を行うのが有益です。
 ウイルスベクターの逆行性輸送には、ベクターの外皮に存在する糖たんぱく質の種類が関係すると考えられています(図3)。従来のHIV-1を元に構築したウイルスベクターでは、水泡性口内炎ウイルス(vesicular stomatitis virus)に由来する糖たんぱく質(VSV-G)を利用しており、逆行性輸送の効率は極度に低いことが知られています。一方、狂犬病ウイルス(rabies virus)は神経終末より感染し、逆行性に伝播することが知られており、この性質には狂犬病ウイルスの糖たんぱく質(RV-G)が重要な役割を持つことが示唆されています。そこで我々の研究グループは、HIV-1ベクターの糖たんぱく質をRV-Gに置換した改良型ベクターを作製し、脳内で高い逆行性輸送効率を示すベクターの開発に取り組みました。

<研究成果の概要>

 RV-Gを有する改良型のHIV-1由来ベクターを従来のVSV-Gを有するベクターと比較するために、マウスおよびサルの脳内(線条体)にそれぞれ2種類のベクターを注入し、その後の遺伝子の発現パターンを解析しました。今回は、導入遺伝子として緑色蛍光たんぱく質(GFP)(注6)を利用しています。マウス線条体に注入した場合、従来型ベクターではほとんど逆行性の輸送を示しませんでしたが、改良型ベクターでは線条体に投射する多くの脳領域(大脳皮質、視床、腹側中脳など)に存在する神経細胞体への逆行性輸送が起こり、それらの領域で遺伝子の発現を誘導しました(図4)。また、サルの線条体へ注入した場合にも、従来のベクターに比較して、改良型ベクターは黒質―線条体系ドーパミン神経細胞における遺伝子発現を顕著に向上させました。(図5)。これらの結果は、RV-Gを有する改良型のベクターを利用することにより、げっ歯類および霊長類の脳内において逆行性輸送を介して高い遺伝子導入効率が得られることを示しています。

<今後の展開>

 今回の実験では、導入遺伝子としてGFPを用いてRV-G改良型ベクターが脳内において高頻度の逆行性輸送を示すことを明らかにしました。今後、導入遺伝子をドーパミン神経や運動神経の細胞死を抑制する、あるいは、細胞の生存を促進する活性を持つ遺伝子に変換する実験を計画しています。これらの有用遺伝子を持つベクターを病態モデルに注入することによって、標的の細胞で目的の遺伝子の発現を誘導することができると考えています。
 また、本研究で開発した新規ベクターは、今後、さまざまな脳神経疾患の遺伝子治療に有用なアプローチを提供することが期待されます。

図1:ウイルスベクターの逆行性輸送を介する遺伝子導入
図2:黒質―線条体ドーパミン神経系の脳内分布
図3:ウイルスベクターと標的細胞との相互作用を示す模式図
図4:HIV-1由来ベクターによるマウス脳内への遺伝子導入
図5:HIV-1由来ベクターによるサル黒質―線条体ドーパミン神経への遺伝子導入
<用語解説>

<論文名>

"Efficient gene transfer via retrograde transport in rodent and primate brains using a human immunodeficiency virus type 1-based vector pseudotyped with rabies virus glycoprotein."
(狂犬病ウイルス糖たんぱく質を有するHIV-1由来のベクターを利用してげっ歯類および霊長類の脳内において逆行性輸送により高頻度に遺伝子導入を行う技術)
doi: 10.1089/hum.2007.082

<研究領域等>

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下のとおりです。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域: 「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」
(研究統括:津本忠治(独)理化学研究所 脳科学総合研究センター ユニットリーダー)
研究課題名: 「ドーパミンによる行動の発達と発現機構」
研究代表者: 小林和人(福島県立医科大学医学部附属生体情報伝達研究所 教授)
研究期間: 平成17年度~平成22年度

<お問い合わせ先>

福島県立医科大学 医学部附属生体情報伝達研究所 生体機能研究部門
〒960-1295 福島市光が丘1番地 福島県立医科大学
小林 和人(こばやし かずと)
TEL:024-547-1667
FAX:024-548-3936
E-mail:

独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
〒102-0075 東京都千代田区三番町5番地 三番町ビル
瀬谷 元秀(せや もとひで)
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FAX: 03-3222-2064
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