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科学技術振興機構報 第388号

平成19年3月29日

東京都千代田区四番町5-3
科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(広報・ポータル部広報室)
URL https://www.jst.go.jp

環境汚染物質の新たな生体内作用経路を発見

 JST(理事長 沖村憲樹)は、複数のタンパク質からなる「タンパク質複合体」を分析する手法を用い、環境汚染化学物質の毒性作用に関わるダイオキシン受容体(AhR)注1が、性ホルモン受容体注2タンパク質の分解を促進する活性を持っていることを明らかにしました。
 生体のダイオキシン受容体は環境中の様々な化学物質と結合することが知られています。これら環境汚染化学物質の人体に対する健康影響の作用機構の理解は医学的見地からも重要ですが、その作用を仲介すると考えられているAhRの機能には不明な点が多いのが現状です。これまでにAhRの機能として遺伝子発現を活性化する作用(図1左)が知られていましたが、それ以外の機能はほとんどわかっていませんでした。
 今回、研究チームは、環境汚染化学物質の存在下で、培養細胞の性ホルモン受容体が減少することに着目し、AhRの「タンパク質複合体」を分析することにより、AhRが他のタンパク質と複合体を形成し、複合体の他の構成因子と協働することで、女性ホルモン受容体(ER)や男性ホルモン受容体(AR)のタンパク質分解を促進する一種の酵素として機能すること(図1右)を、in vitro(試験管内)の実験とマウスを用いた実験によって、初めて明らかにしました。
 本研究成果は、一つのタンパク質が他のタンパク質と「タンパク質複合体」を形成することにより、もともとのタンパク質とは全く異なる機能を獲得することを示す好事例です。また、タンパク質複合体を分析する手法の幅広い有用性を示しています。さらに、環境汚染化学物質の新たな作用機序として、タンパク質分解を介したホルモン作用遮断機構を初めて提起するものです。
 本研究は、戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「加藤核内複合体プロジェクト」(研究総括:加藤茂明 東京大学分子細胞生物学研究所教授)の加藤茂明(同上)と大竹史明グループリーダー(JST研究員)らが、東京大学等と協同で行ったものです。今回の研究成果は、英国科学雑誌「Nature」に2007年3月29日(英国時間)付で掲載されます。


<本研究の背景>

 ダイオキシン受容体(AhR)は、ダイオキシン類やディーゼル排気ガス、煙草粉塵に含まれる発がん成分であるベンツピレンなど、環境中の様々な化学物質と結合することが知られています。これら環境汚染化学物質の一群は多環芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbon;PAH)注3と呼ばれています。PAHがリガンド注4として結合したAhRは活性化し、細胞核内で特定の遺伝子発現を活性化することが知られています。
 しかし、遺伝子発現を活性化するだけの作用では、PAHの多様な毒性作用を説明できません。従って、AhRが遺伝子発現の制御以外の機能を有する可能性が考えられました。ところが従来の分析方法では、タンパク質の新しい機能を見つけることは困難なため、(AhRなど)タンパク質の新しい分析方法が必要と考えられました。

<本研究の成果>

 加藤らはこれまでに、リガンドと結合することにより活性化したAhRが細胞核内で女性ホルモン受容体(ER)と直接結合し、女性ホルモンの正常な情報を撹乱することを報告しています。しかし、AhRが活性化状態のERの機能を抑制する仕組みは不明でした。
 今回、研究チームは、AhRのリガンドが存在する環境下で、培養細胞においてERおよびAR(男性ホルモン受容体)タンパク質が減少することに着目し、AhRの「タンパク質複合体」が、これらのタンパク質分解を促進しているかどうかを調べました。
 まず、培養細胞の核内でAhRが会合しているタンパク質群の複合体を、生化学的方法を用いて単一の複合体として精製し、質量分析計によって構成因子を同定しました。次いで、得られた複合体がin vitroでユビキチン化の酵素活性を示すかを調べました。ユビキチン注5とは、分解されるべきタンパク質に付加される小型のタンパク質のことで、付加されると(このタンパク質を分解せよ、という)「分解の標識」になります。すなわち、ユビキチン化されたタンパク質は分解されるため、複合体がERおよびARタンパク質に対してユビキチン化酵素活性を示せば、これらのタンパク質分解を促進していることになります。
 実験の結果、AhRは単独ではユビキチン化酵素活性を示しませんが、リガンドと結合してユビキチン化修飾酵素複合体を形成することにより、複合体の他の構成因子と協働して、ERやARをユビキチン化する活性を示しました。さらに研究チームは、AhRのユビキチン化修飾酵素複合体によりER、ARタンパク質が分解され、女性ホルモン・男性ホルモンの作用が遮断されることを、AhRのリガンドを投与したマウスの子宮や前立腺を用いた実験によっても確認しました。
 従来、AhRは遺伝子発現の制御の観点から研究が進められてきました(図1左)。今回、タンパク質複合体の構成因子を変えることで、AhRがタンパク質分解を制御するユビキチン化修飾酵素としても機能していることが明らかとなりました(図1右)。

<今後の展開>

 私達の生活環境は様々な環境汚染化学物質にさらされています。これら化学物質の作用機序の解明は社会的に重要な課題と言えます。本研究では、環境汚染化学物質の新たな作用点として、タンパク質分解を介したホルモン作用の遮断機構を初めて提起するものです。危険化合物のスクリーニングの指標として、従来の遺伝子発現制御に加え、このようなタンパク質分解活性を調査することの必要性を示すものと考えられます。
 また本研究は、低分子化合物がタンパク質分解を直接制御する事例としても動物界では初めての報告です。これまで、同様の低分子化合物が結合する一部の受容体群は、遺伝子発現を活性化する作用を有することで、創薬のターゲットとなってきました。これに対し今回、低分子化合物によって、その受容体を介してタンパク質分解を制御するという仕組みが発見されたことにより、女性ホルモン依存性の乳がんや子宮内膜がん、男性ホルモン依存性の前立腺がんなど、ホルモン依存性がんなどに対する創薬において、新たな突破口となる可能性があります。

図1 今回判明した環境汚染化学物質の新たな作用経路
用語解説

<掲載論文タイトル>

“Dioxin receptor is a ligand-dependent E3 ubiquitin ligase”
(ダイオキシン受容体はリガンド依存性ユビキチンリガーゼである)
doi: 10.1038/nature05683

<研究領域等>

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下のとおりです。
戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「加藤核内複合体プロジェクト」
(研究総括:加藤茂明 東京大学分子細胞生物学研究所 教授)
研究期間:平成16年度~平成21年度

本研究に際して、東京大学及び藤井義明氏(筑波大学先端学際領域研究センター 客員教授)のグループ等の協力を得ました。

※戦略的創造研究推進事業 発展研究「ダイオキシン受容体の生体における本来的機能の解明」研究代表者(平成15年度~平成20年度)

<お問い合わせ先>

加藤 茂明(かとう しげあき)
 独立行政法人科学技術振興機構
 加藤核内複合体プロジェクト 研究総括
 東京大学分子細胞生物学研究所教授
 〒113-0032 東京都文京区弥生1-1-1
 Tel: 03-5841-8478 Fax: 03-5841-8477
 E-mail:

黒木 敏高(くろき としたか)
 独立行政法人科学技術振興機構
 戦略的創造事業本部 特別プロジェクト推進室
 〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
 Tel:048-226-5623 Fax:048-226-5703
 E-mail: