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科学技術振興機構報 第328号

平成18年9月1日

東京都千代田区四番町5-3
科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(総務部広報室)
URL https://www.jst.go.jp

自己組織化でナノサイズの「生卵分子」を開発

 JST(理事長:沖村憲樹)は、直径5ナノメートル注1の球状殻構造(カプセル)を持った有機金属化合物の内部に、フッ素性液滴を閉じ込める手法を開発しました。世界最小の「生卵状の分子」であるとともに、カプセルの内部に含まれるフッ素性液滴は、フッ素原子の数も厳密に制御され、サイズや形状にばらつきが全くない精密さを有しています。
 フッ素性溶媒は、水とも混ざり合わず、また一般的な有機溶媒とも混ざり合わない独自の性質を持っており、この性質を活かして、反応や分離・精製、触媒の固定化など様々な用途が開発されてきましたが、溶媒である以上、溶かす物質に対して大量に使わなければならない宿命がありました。このフッ素性溶媒をナノサイズのカプセルの中に閉じ込めてしまえば、カプセル内では究極的に少量のフッ素化合物で大きな効果を生み出せます。
 本研究の特徴は、球状殻構造(カプセル)化合物の構築に、生体構造の形成に見られる「自己組織化注2」という優れた仕組みを化学的に利用したことです。すなわち、構成成分として用いた有機分子と金属イオンは、安定な状態を求めて結合と解離を繰り返します。その結果として、やがてカプセルが自然に組み上がる(自己組織化する)ように成分同士の相互作用があらかじめうまく設計されています。さらに、カプセルの内側にはフッ素性溶媒となるフッ素化合物を直接結合させることで、内部にナノサイズのフッ素性溶媒環境を作り出すことに成功しました。この有機合成の手法により、大きさや構造にばらつきが全くない、原子単位で構造を制御した液滴内包カプセル(生卵分子)を構築することができました。この生卵分子を通常の有機溶媒に溶かし、ここにフッ素化合物を入れてかき混ぜると、それぞれの生卵分子の内部に数分子のフッ素化合物が溶け込み、中心部で生卵の「黄身」に相当するコアが形成されます。
 今回開発したフッ素性の「ナノ溶媒」は、精密設計を必要とする医農薬の分野で、特殊な反応溶媒や工業触媒への利用などが期待され、既に民間との共同研究も進行しています。
 本成果は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「医療に向けた自己組織化等の分子配列制御による機能性材料・システムの創製」(研究総括:茅幸二)における研究テーマ「自己組織化分子システムの創出と生体機能の化学翻訳」において、東京大学大学院工学系研究科教授藤田誠(研究代表者)らによって得られたものであります。米国科学誌「サイエンス」に、2006年9月1日(米国東部時間)に掲載されます。

【研究の背景】

 お互いに混ざり合わない水と油、すなわち水相と有機相以外に、第三の相として全フッ素置換炭化水素化合物が作り出すフルオラス相(フッ素性液相)が知られています。このフルオラス相は、水相とも有機相とも混じり合わないという独特の性質を持ち、反応や分離・精製、触媒の固定化など多くの応用例があります。フルオラス相をナノメートルサイズのカプセルの中に閉じこめ、水相や有機相の中でフルオラス相独特の性質を使おうとする試みとして、従来よりミセルや樹木状高分子を用いる方法がありましたが、カプセルの構造や大きさを制御することが難しく、サイズや性質がばらつく、構造的に弱い、合成が煩雑である等、さまざまな問題がありました。また、特定の機能の発現を狙って自在に設計することも困難でした。

【研究の経緯】

 生体内では、複数のタンパク質が自己組織化することで、ナノメートルサイズの構造体を形成しています。東京大学の藤田らは、その基本原理のみを活用して、合理的に設計した有機分子と金属イオンの組み合わせでさまざまな高次構造を自己組織化構築してきました。最近では、この手法を応用して、様々な大きさや形状のカプセル状化合物が自在に作れるようになりました。これらのカプセル状化合物の内部には、生体系と同様のナノサイズのポケットが存在します。そこで本研究では、内面にフッ素置換炭化水素鎖(フルオラス鎖)を結合し、カプセルの内部をフルオラス鎖で満たしました。このフルオラス鎖はカプセル内で大きな自由度を持ち液体のように振る舞います。このような手法によって、堅いカプセルの殻の中に、液体のように柔らかいフッ素性の溶媒を閉じこめることに成功しました。このカプセルの基本構造は有機合成の手法によって精密に作っており、5ナノメートル径の大きさを持ちながら、原子単位で構造が厳密に決まっており、自在に構造を設計することができます。

【研究の内容】

1 フッ素性官能基を内側に閉じこめたカプセル状の構造体を合成する研究はこれまで数多くなされていますが、構造設計の自由度が高くかつ得られる構造が一義的に決まっているものは合成されていません。一方、東京大学の藤田らは、自己組織化により組み上げたカプセル状化合物(図1)の内部空間にフッ素性官能基を結合することで、原子単位まで構造を制御した、5ナノメートルの球状カプセルの合成を世界で初めて達成しました(図2)。
2 上述のカプセル状化合物の構造は、各種の分光学的分析法や質量分析、および放射光を用いたX線結晶構造解析により厳密に決定され、一義的な構造を持つことが明らかになりました(図3A)。内部のフッ素性官能基は堅いカプセルの殻構造の中で液体のように柔軟に振る舞うことがわかりました。
3 さらに、外からフッ素性分子を入れると、カプセルの内部に最大で8分子、とけ込むことがわかりました(図3B)。この性質は、カプセル状分子を設計して合成することで、精密に調節できることがわかり、さらに、内部から再び取り出すことができることもわかりました。カプセルの殻構造には穴があいていて、そこから分子が出入りできると考えています。
4 この液滴は、さらにフッ素化合物を選択的に溶かし込むなどの性質を示すことから、フッ素性の「ナノ溶媒」として、精密有機合成、分離材料、触媒などへの応用が期待できます。

【今後の展開】

1 カプセル内にさまざまな分子を溶解し、フルオラス相特有の機能発現(物性・反応)を狙います。とりわけ、フルオラス相が酸素を効率良く溶解することから、カプセル内での高効率酸化反応が可能になります。特殊な物質変換が可能な分子フラスコとして利用できます。
2 温度変化や環境の変化に応じて内部の化合物を出し入れできることから、ドラッグデリバリーなど、医薬への応用、センサーへの応用などが期待できます。
3 本研究で利用したカプセル状化合物は、大量合成が容易で安定な化合物であり、機能の発現を狙って自由に設計できることから、内部に溶かし込む分子に合わせたカプセルをテーラーメイドに作ることができます。そのため、フッ素性分子に限らず、様々なナノサイズの溶媒空間を作ることができ、新しい反応場や吸着特性を持ったカプセルを作ることで、医農薬、ナノ材料の分野への応用が期待されます。
4 同様の手法で、重合性物質を内包することにより、高密度、高解像度の記録材料がつくれます。


<用語解説>
図1 自己組織化の概念図
図2 カプセル状化合物の構造式
図3 カプセル状化合物の構造

【掲載論文名】

"Fluorous Nanodroplets Structurally Confined in an Organopalladium Sphere"
(球状有機パラジウム錯体の内部で精密に構築した、フッ素性ナノ液滴)
doi :10.1126/science.1129830


【研究領域】

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域:「医療に向けた自己組織化等の分子配列制御による機能性材料・システムの創製」(研究総括:茅 幸二)
研究課題名:自己組織化分子システムの創出と生体機能の化学翻訳
研究代表者:藤田 誠 (東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻 教授)
研究実施場所:東京大学工学部5号館
研究実施期間:平成14年度~平成19年度

【お問い合わせ先】

藤田 誠 (フジタ マコト)
  東京大学大学院 工学系研究科 応用化学専攻
  〒113-8565 東京都文京区本郷7-3-1
  TEL: 03-5841-7259 FAX: 03-5841-7257
  E-mail:

野口 義博 (ノグチ ヨシヒロ)
  独立行政法人科学技術振興機構
  戦略的創造事業本部 特別プロジェクト推進室
  〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8 川口センタービル
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