科学技術振興機構報 第144号

平成17年 1月25日

東京都千代田区四番町5-3
科学技術振興機構(JST)
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「神経幹細胞が多様な神経細胞を産生するメカニズムを発見」

 JST(理事長 沖村憲樹)の研究チームは、ショウジョウバエにおいて神経幹細胞が時間とともにその性質を変えて多様な神経細胞を生み出す基本的なメカニズムを明らかにした。このようなメカニズムの発見は初めてである。
 この発見は、戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CRESTタイプ)の研究テーマ「細胞内パターニングによる組織構築」(研究代表者:広海健 情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所/総研大遺伝学専攻・教授)の研究グループによるもの。神経系を構成する細胞を生み出す神経幹細胞は、次々と異なる種類の細胞を生み出していかなければならならないため、時間経過に伴って細胞の性質を変化させていると考えられている。ショウジョウバエ胚の中枢神経系では、ニューロブラストと呼ばれる神経幹細胞が、Hunchback,Krüppel等の様々な転写因子を順番に発現し、それを「誕生の順序の情報」として分化する娘細胞に伝えることが知られていた。しかし、ニューロブラストがいかにして転写因子発現のスイッチング(切り換え)を行うかは不明であった。今回広海研究室の特別共同利用研究員・金井誠(東京農工大学大学院在籍)らは、Seven-upという転写因子がニューロブラストで一過的に発現することによって、「誕生の順序」の情報を切り換えるスイッチとして機能していることを証明した。本成果は、2005年2月1日付の米国科学雑誌Developmental Cellに発表される。

<背景>

 多くの器官では「幹細胞」(*1)と呼ばれる細胞が分裂を繰り返すことによって組織を構成する細胞の生成や維持を担っている。幹細胞は「自己複製」的な細胞分裂をおこない、分裂で生じる娘細胞の一つは他の細胞へと分化するが、もう片方は幹細胞の性質を維持する(図1左)。一方、神経系を構成する細胞(*2)を生み出す神経幹細胞(*3)は「多くの種類のニューロンやグリア細胞を産み出す」という使命を持っているため、時間経過に従って次々と異なる種類の細胞を生み出していかなければならない(図1中)。この過程では、神経幹細胞は完全に自己複製するのではなく、その性質を「時間とともに変える」という現象があると考えられている。脊椎動物では神経幹細胞の「時間による変化」の分子機構はまだ解明されていないが、ショウジョウバエ中枢神経系では、ニューロブラストと呼ばれる神経幹細胞が、発生プログラムに従ってHunchback,Krüppel等の様々な転写因子(*4)を順番に発現することが知られている。分化する娘細胞はこれらの転写因子を「誕生の順序の情報」として認識して特定の神経細胞に分化する引用文献(1)。しかし、ニューロブラスト(*3)がいかにして転写因子のスイッチング(切り換え)を行うかは不明であった。

<研究の経緯>

 広海チームは,核内リセプター型の転写因子Seven-up(*5)がニューロブラストの転写因子スイッチングのタイミングを制御していることを見いだした。Seven-upはほとんどすべてのニューロブラストで発現するが、その発現は一過的であり、ニューロブラストの細胞系譜の中で特定の時期に限られている。NB7-3というニューロブラストの細胞系譜を詳しく解析した結果、Seven-upの発現時期はNB7-3の1回目と2回目の分裂の間の時期に限局していることがわかった。この時期は転写因子Hunchbackの発現が消え、別の転写因子Krüppel発現状態に遷移する時期と一致している。転写因子の発現スイッチングへのSeven-upの寄与を調べるために、seven-up機能欠失胚を解析したところ,NB7-3はHunchbackを発現し続け、次の転写因子への遷移が著しく遅れることが明らかになった(図1右)。この異常の結果、ニューロブラストは同じ種類のニューロンを作り続け、多様なニューロンを生み出すことができなくなる(図2)
 Seven-upをニューロブラストで強制発現するとHunchback蛋白質およびhunchback-lacZ融合遺伝子の発現はともに抑制される。従って、HunchbackからKrüppelへの転写因子スイッチングは、Seven-upがニューロブラストにおけるhunchback遺伝子の転写を抑制することによっておこる可能性が高い。広海チームは既にSeven-upがショウジョウバエ複眼においても2種のニューロンの間の遺伝的スイッチとして機能することを見いだしており引用文献(2)、今回の発見と併せ、この転写因子が細胞運命選択過程においてスイッチとして機能していることが明らかになった。Seven-upは進化的に非常によく保存されている転写因子であり、COUP-TF(*6)と呼ばれる脊椎動物ホモログも神経系の発生過程で発現している。今回の発見を手がかりに、ヒトやマウスの脳の細胞多様性の生成機構が解明される可能性も高い。

<まとめ>

 ヒトなど高等生物の脳が複雑な情報処理を行えるのは、非常に多くの種類の神経細胞によって構成されているからである。多くの種類の神経細胞を産み出すために、神経幹細胞は「完全に自己複製する」という幹細胞特有の振る舞いをせずに、分裂とともに次々と自らの性質を変えていく。広海研究室は、Seven-upがニューロブラストの遺伝プログラムのスイッチとして神経幹細胞の性質変化を司っていることを示すことにより、神経高次構造の生成の根幹となる現象に新しい局面を開いたと言える。このようなスイッチ機能の解明がさらに進めば、神経幹細胞を「若返り」させるなど、再生医療への応用が可能になるかもしれない。

<参考:論文タイトル>

 “seven-up Controls Switching of Transcription Factors that Specify Temporal Identities of Drosophila Neuroblasts”
 doi :10.1016/j.devcel.2004.12.014

<引用文献>

 (1) Isshiki T, Pearson B, Holbrook S, Doe CQ. (2001). Drosophila neuroblasts sequentially express transcription factors which specify the temporal identity of their neuronal progeny. Cell 106, 511-21.

 (2) Mlodzik M, Hiromi Y, Weber U, Goodman CS, Rubin GM. (1990). The Drosophila seven-up gene, a member of the steroid receptor gene superfamily, controls photoreceptor cell fates. Cell 60, 211-24.

この研究テーマが含まれる研究領域,研究期間は以下の通りである.
研究領域:生物の発生・分化・再生(研究総括:堀田 凱樹)
研究期間:平成12年度~平成19年度

<補足説明>
図1 2種類の幹細胞プログラム
図2 SVPによる神経細胞多様性生成
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本件問い合わせ先:

研究者名  広海 健 (ひろみ やすし)
所属機関名 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所
 住所 〒411-8540 静岡県三島市谷田1111 
 TEL: 055-981-6767
 FAX: 055-981-6868
 E-mail:

島田 昌 (しまだ まさし)
独立行政法人 科学技術振興機構 研究推進部 研究第一課
 〒332-0012 川口市本町4-1-8
 TEL:048‐226‐5635
 FAX:048‐226‐1164
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