ポイント
- ヒトやマウスなど哺乳類では出生後はほとんどの脳神経細胞が細胞分裂しないため、正確なゲノム編集を行うことは困難とされてきた。
- 生きているマウス個体のあらゆる発達段階で、脳の狙った細胞や領域に適用できる新たなゲノム編集技術を開発した。
- 本技術により、脳神経科学分野にもゲノム編集技術が活用され、脳内での遺伝子機能の理解、脳神経疾患の病態解明や将来の遺伝子治療につながることが期待される。
JST 戦略的創造研究推進事業において、マックス・プランク フロリダ神経科学研究所の西山 潤 リサーチフェロー、三國 貴康 リサーチサイエンティスト、安田 涼平 ディレクターらは、生きているマウス個体の脳内で、狙った細胞や領域を正確にゲノム編集できる技術を開発しました。
これまで、細胞分裂を行わない出生後の脳神経細胞では正確なゲノム編集を行うことは困難と考えられてきました。本研究グループは、ウイルスベクター注1)を用いてゲノム編集に必要な分子をマウスの脳に導入することで、従来数パーセントであったゲノム編集効率を最大30パーセントまで高めることに成功しました。この技術を用いて、胎生期から成熟期まで、生きているマウスのあらゆる発達段階において、脳内の狙った領域や脳神経細胞で正確なゲノム編集を行うことに成功しました。
今後、脳内での遺伝子の機能や、脳神経疾患の病態の理解が進み、将来はレット症候群注2)など遺伝子の変異が原因となっている脳神経疾患の治療法の開発に役立つことも期待されます。
本研究成果は、2017年10月19日(米国東部時間)に米科学誌「Neuron」のオンライン版で公開されます。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)
研究領域 |
「統合1細胞解析のための革新的技術基盤」
(研究総括:浜地 格 京都大学 大学院工学研究科 教授) |
研究課題名 |
脳組織内1細胞での内在性タンパク質の網羅的局在・動態解析 |
研究者 |
三國 貴康(マックス・プランク フロリダ神経科学研究所 リサーチサイエンティスト) |
研究実施場所 |
マックス・プランク フロリダ神経科学研究所 |
研究期間 |
平成28年10月~平成32年3月 |
<研究の背景と経緯>
近年のゲノム編集技術の目覚ましい進歩は、ヒトや動物の生理機能、病気の解明や治療を急速に進めると期待されています。一方で、例えば神経細胞や心筋細胞など、細胞分裂を行わない細胞(非分裂細胞)ではゲノム編集の効率が極めて低く、遺伝子配列の組み換え注3)を通じて正確にゲノムを編集することは困難と考えられてきました(図1)。脳神経細胞のほとんどは出生後は細胞分裂を行わないため、脳神経科学の研究分野では、ゲノム編集技術の応用は著しく限られてきました。
<研究の内容>
本研究グループは、アデノ随伴ウイルス注4)が遺伝子配列の組み換え効率を高める性質に注目しました。そこで、アデノ随伴ウイルスを用いて、CRISPR-Cas9注5)によるゲノム編集に必要な分子をマウス個体に導入することで、分裂を行わない成熟した神経細胞でも遺伝子配列の組み換えを起こすことができると考えました。実際、アデノ随伴ウイルスとCRISPR-Cas9を組み合わせることで、マウス脳内の分裂細胞や非分裂の神経細胞において、最大30パーセントの高い効率で正確に任意の配列を挿入するゲノム編集を行いました。この技術を用いることで、胎生期から成熟期までのあらゆる発達段階において、生きているマウス個体の脳内のさまざまな細胞種や領域で、遺伝子配列の組み換えを正確に起こすことに成功しました(図2)。
<今後の展開>
本研究では主にマウスを使用しましたが、この技術は他のさまざまな哺乳類にも適応できる可能性があります。遺伝子機能を個体レベルで調べたり、脳神経疾患モデルマウスに適応したりすることで病態の解明が進み、将来は脳神経疾患の遺伝子治療法の開発につながることも期待されます。
<参考図>
図1 CRISPR-Cas9を用いて正確にゲノム編集を行う技術
ゲノムの特定の場所をCRISPR-Cas9が認識して切断し(①)、挿入したい配列を含む鋳型DNAをもとに遺伝子配列の組み換えを誘導する(②)ことで、正確にゲノムを編集できる。これにより、目的のたんぱく質の可視化などの応用(③)が可能になる。従来の方法では、非分裂細胞では②の段階の効率が低いことが問題であった。
図2 任意の発達段階、狙った脳領域、脳全体で正確にゲノム編集を行う技術
ゲノム編集により特定のたんぱく質を緑色で標識している。任意の時期の脳にゲノム編集に必要な分子を発現するウイルスベクターを注入することで、生後2週~2か月の脳全体でβアクチン注6)(左)、大脳皮質と海馬でERK2注7)(中)、海馬でCaMKIIα注8)(右)を効率良く標識している。
<用語解説>
- 注1) ウイルスベクター
- 遺伝子を導入するための運び屋として作成された組み換えウイルス。
- 注2) レット症候群
- MECP2遺伝子の変異で引き起こされる進行性の神経疾患。
- 注3) 遺伝子配列の組み換え
- 遺伝子情報を持つDNA鎖を鋳型をもとに組み換えて再編成する現象。
- 注4) アデノ随伴ウイルス
- パルボウイルス科ディペンドウイルス属に分類されるウイルス。分裂細胞と非分裂細胞の両方に感染でき、非常に弱い免疫反応しか引き起こさず、病原性は現在のところ確認されていないため、ウイルスベクターとして遺伝子治療やヒトの疾患モデル細胞の作成などに広く用いられている。
- 注5) CRISPR-Cas9
- ゲノムの特定の場所でDNA二重鎖を切断し、遺伝子配列の任意の場所を削除、置換、挿入することができるゲノム編集技術。
- 注6) βアクチン
- 細胞骨格に重要なたんぱく質。
- 注7) ERK2
- 何らかの刺激を受けて活性化される「分裂促進因子活性化たんぱく質キナーゼ」に属するたんぱく質。
- 注8) CaMKIIα
- カルシウムカルモジュリン依存性たんぱく質キナーゼの1つで、シナプス可塑性に不可欠なたんぱく質。
<論文情報>
“Virus-Mediated Genome Editing via Homology-Directed Repair in Mitotic and Postmitotic Cells in Mammalian Brain”
(ウイルスを用いた哺乳類脳内での分裂、非分裂細胞における正確なゲノム編集)
doi: 10.1016/j.neuron.2017.10.004
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
三國 貴康(ミクニ タカヤス)
マックス・プランク フロリダ神経科学研究所 リサーチサイエンティスト
One Max Planck Way Jupiter, FL 33458, USA
Tel:+1-561-972-9000 Fax:+1-561-972-9001
E-mail:
安田 涼平(ヤスダ リョウヘイ)
マックス・プランク フロリダ神経科学研究所 ディレクター
One Max Planck Way Jupiter, FL 33458, USA
Tel:+1-561-972-9202 Fax:+1-561-972-9001
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科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
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