科学技術振興機構報 第118号
平成16年10月26日
東京都千代田区四番町5-3
科学技術振興機構(JST)
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細菌べん毛フックの立体構造から
ナノサイズのユニバーサルジョイントの構造設計・構築原理・動作機構を解明

 JST(理事長・沖村憲樹)の戦略的創造研究推進事業、総括実施型研究ICORPタイプの「超分子ナノマシンプロジェクト」(研究総括:大阪大学大学院 生命機能研究科教授、難波啓一氏、及びエール大学分子生物物理・生化学部主任研究員、メイ・マクナブ氏)は、ブランダイス大学のデービッド・ドロジエ教授グループおよび、東京大学分子細胞研究所の北尾彰朗助教授との共同研究により、ナノサイズのユニバーサルジョイントである細菌べん毛フックの立体構造を解明し、さらにその構造設計、構築原理、動作機構の解明に成功しました。これは超分子ナノマシンプロジェクトのファデル・サマティ研究員らによるもので、X線結晶解析法、電子顕微鏡像の画像解析法(ドロジエ教授グループ)、分子動力学計算シミュレーション法(北尾彰朗助教授)を相補的に用いることにより実現しました。ナノマシン設計のお手本として、ナノテクノロジーへの貢献が期待されます。なお、この成果は、10月28日付けの英国科学誌ネイチャーに発表されます。
1.背 景
  生体超分子ナノマシンの立体構造と動作機構の解明は、医学・生命科学にとってもナノテクノロジーにとっても、重要な知識基盤を与える大切な研究分野である。今回の研究対象の細菌べん毛フックも超分子ナノマシンの一つである。
  多くの細菌はアミノ酸や糖などの栄養物質や良好な温度環境を求めて、べん毛と呼ばれる運動器官で粘性媒体中を泳ぎ回る(図1)。細菌べん毛は約25種類の蛋白質が、それぞれ数コピーから数万コピーが自己集合して構築される超分子ナノマシンで、細胞膜を貫通する直径約40nmの基部体は高速回転モータとして、細胞外に細長く10数ミクロンにも伸びるべん毛繊維はらせん型プロペラスクリューとして(図1右上)、そして両者をつないでモータの発生する回転トルクをらせん型プロペラに伝達するフックはユニバーサルジョイントとして働く(図1右下)。べん毛繊維はフラジェリンと呼ばれるタンパク質(分子量51kDa)がらせん状に重合した比較的堅いチューブ構造で、すでに同グループが2003年8月に原子レベルの構造を解明し、英国科学誌ネイチャーに発表した。今回構造が解明されたフックは、長さ55nm、直径18nmで、フックタンパク質(別名FlgE、分子量41kDa、アミノ酸残基数402)が約120個、らせん状に重合したチューブ状構造である(図1右下)。プロペラスクリューとして働くために比較的堅いべん毛繊維とは違って曲げには柔らかいが、ねじれに対しては強い構造を持ち、べん毛繊維がどのような方向を向いていても回転トルクを忠実に伝えることができるため、細菌は自由自在に直線的な泳ぎや方向転換ができる。フックの名前から容易に想像できるように、普段はきつく曲がった構造をしており、俵型の菌体から生えた数本のべん毛繊維が菌体の後ろで束を形成し、同期回転によって推進力を発生するのに必須であるが(図1右上)、モータが反転すると束がほどけてべん毛繊維が様々な方向を向き、推進力にアンバランスが生じて菌体の向きが変化する際(図1左上)に、フックの曲率が柔軟にかつダイナミックに変化することも重要な機能である。このナノサイズのユニバーサルジョイントは、構成タンパク質の自己集合によって構築されるために大量生産が容易で、ナノマシン設計の良いお手本として、ナノテクノロジー分野にとっても興味深い対象である。しかし、その立体構造と動作機構は長い間謎であった。
2.今回の研究成果
  今回の研究成果は、大阪大学の難波啓一教授が研究総括を担当するICORP超分子ナノマシンプロジェクトのファデル・A・サマティ研究員を中心として、大阪大学生命機能研究科、米国ブランダイス大学のデービッド・J・ドロジエ教授グループ、および東京大学分子細胞生物学研究所の北尾彰朗助教授の共同研究によるものである。
○べん毛フックの立体構造を解明
 べん毛フックの構造解析のため、まずフックタンパク質のX線結晶構造解析を行った。ただし、フックタンパク質そのものはチューブ構造に重合する性質が強く、その結晶化は不可能であった。そこで、フックタンパク質のうち、チューブ構造への重合に重要な役割を果たし、結晶化を困難にしていた領域を同定し、それを除いたフラグメントを作成した。この領域は、モノマーでは固定した立体構造を持たないことから、酵素限定分解法によってN末端70残基、C末端33残基と同定した。そして、この両末端部分を除いた、全体の約75%にあたるフラグメント(アミノ酸402残基の内の71-369)を、大腸菌を用いて大量発現、精製、結晶化し、X線結晶解析法によって2.0Å分解能でその構造を解き、こうしてフックを構成するタンパク質の構造が明らかになった(図2)。X線回折データ収集にはSPring-8供用ビームラインBL41XU等を用いた。
 同時期に、ブランダイス大学のドロジエ教授のグループにより、低温電子顕微鏡像の画像解析によって直線の状態のフック(直線型フック)の3次元密度マップが得られた。15 Å程度の低い分解能であったが、X線結晶解析によって得られたフックタンパク質の原子モデルにわずかの変更を加えてはめ込み、モデルを精密化することにより、直線型フックの原子モデルを構築することができた(図3)。この原子モデルから、曲げに柔らかくねじれに強いフックの構造設計について、明確な手がかりを得た。

○フックのねじれに強く、曲げに柔らかい性質の原因を解明
 ねじれに強い構造は、フックの表面に並ぶD2ドメインが、右巻き6重らせん方向に強く結合していることによる(図3)。曲げに柔らかいのは、後述のように、フックのチューブ構造を構成する11本の素繊維(軸方向のタンパク質分子配列による繊維構造)に沿ったタンパク質間相互作用が、比較的弱く作られていることが原因であった。
 直線型フックの原子座標をもとに、通常の機能状態である曲がったフックの原子モデルをコンピュータにより構築したところ、直線型ではフックの表面に並ぶD2ドメインどうしが軸方向に大きな隙間をあけている(図3)が、曲がったフックでは、それらのドメインがフックの内側で軸方向に密に相互作用することによって、曲がった構造を安定化させていることが明らかになった(図4)。フックの素繊維に沿ったサブユニットタンパク質の繰り返し周期長は、直線型フックではすべての素繊維で同じ4.6nmであるのに対し、曲がったフックの内側では3.9nm、外側では5.4nmと、1.5nmにもおよぶ伸縮をする。これは周期長の30%にあたり、べん毛モータが300Hzで回転すると、この伸縮も毎秒300回起こる。このダイナミックな各素繊維の構造変化を実現する要因は、各タンパク質サブユニット分子を構成するドメイン間結合部の柔軟性にもよるが、最も大きな要素は、素繊維に沿って並ぶ分子間の相互作用様式が大きく変化することであった。
 曲がったフックの原子モデルを眺めると、この30%にもおよぶ素繊維の伸縮を実現する分子間相互作用が、フックタンパク質のD1ドメインから外側に突き出て、下側のサブユニットのD2ドメインと向き合う特殊なループ構造部分にあることがわかる(図4b)。素繊維の伸縮に応じてこの結合部の構造が大きく変わることがモデルから予想されたため、東京大学分子細胞生物学研究所の北尾助教授との共同研究で、分子動力学法による素繊維伸縮のコンピュータシミュレーション実験を行った。その結果、このループを介したD1-D2間の結合位置のずれとともに水素結合をする相手のアミノ酸残基が次々と代わり、分子間に滑りがおこり、分子間距離が変わっていくことを確認した。これが曲げに柔らかいフックの構造を産み出しており、ユニバーサルジョイントとして働くために必須の要素である。
3.今回の研究成果による社会的影響
  今回、立体構造と動作の仕組みが明らかとなった、ナノサイズのユニバーサルジョイントであるべん毛フックは、構成タンパク質の自己集合によって構築されるために大量生産が容易で、人工ナノマシン設計の良いお手本として、ナノテクノロジー分野にとっても興味深い対象である。
  一般に堅い材料では、複雑な構造の自己組織化を実現することが難しいために、産業応用に向けては量産技術が最も高いハードルである。原子を一つ一つ見て操作することでナノデバイスやナノマシンが構築できたとしても、量産技術が確立しない限り産業応用には展開できない。
  一方、生体超分子を構成するタンパク質などの分子は、その精密な立体構造を自ら作り上げる能力が非常に高く、設計情報であるDNAの塩基配列を変えるだけで、さまざまな立体構造を持つナノマシンを量産することが容易であり、できた生体分子ナノマシンは結合すべき相手を正確に見つけて自己集合し、超分子ナノマシンとなる。更に、これらのナノマシンは構造自体が柔らかいため、機能制御が大変柔軟に行える特徴を持つ。
  今回の研究により明らかになったべん毛フックの構造設計と動作の仕組みは、将来の人工設計ナノマシン製作にも役立つ重要な基盤的知識であり、今後のナノテクノロジーの産業応用に寄与するものと思われる。
4.研究計画など今後の取り組み
  生体超分子のすばらしい特徴を活かしてナノテクノロジーを発展させ、工学や医療分野での応用を図るためにも、生体の構造と仕組みに深く学ぶことがますます重要になってきている。
  ICORP超分子ナノマシンプロジェクトでは、今後も、細菌べん毛を中心とした生体超分子ナノマシンの構造と機能の解明を進め、特に回転モータやタンパク質輸送装置に関する研究を推進し、生体分子が自ら精密な立体構造を作りあげるといったナノマシンの自己構築や、効率100%に近いエネルギー変換システムの仕組みを解明し、将来のナノテクノロジーの基盤づくりを行っていく。
5.問い合わせ先
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大阪大学大学院生命機能研究科 教授
 難波啓一(なんば けいいち)
   TEL:0774-98-2543
   FAX:0774-98-2575

科学技術振興事業機構 国際室
 山口 憲(やまぐち けん)
   TEL:03-5214-7375
   FAX:03-5214-7379
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6.【資料】用語解説・図・写真
     図1  図2  図3  図4  図5  
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