JSTトッププレス一覧 > 科学技術振興機構報 第1168号
科学技術振興機構報 第1168号

平成28年2月26日

東京都千代田区四番町5番地3
科学技術振興機構(JST)

グラフェンによる超潤滑現象の観察とメカニズム解明に成功

~超低摩擦表面コーティング技術の実現に期待~

ポイント

JST 戦略的創造研究推進事業において、バーゼル大学 物理学科の川井 茂樹 シニアサイエンティストは、炭素原子一層の薄膜であるグラフェンナノリボン(帯状構造)と金の表面間に生ずる超潤滑現象の観察ならびにそのメカニズム解明に世界で初めて成功しました。

通常、材料間の接触面ではそれぞれの材料を構成する原子が互いに吸着する方向に動いて位置合わせを行い、それが摩擦力の増加となります。しかし、炭素薄膜は構成している炭素原子間の結合力が非常に高く、原子は殆ど動きません。このため接触面での原子の位置合わせが行われず、炭素薄膜表面では、非常に小さな摩擦しか起きないことが理論上推定されていました。しかし、現象の直接観測と材料双方の原子構造が明らかな試料を得ることが難しいためそのメカニズムはわかっていませんでした。

本研究では、炭素原子同士の結合が直接観察できる新しい顕微鏡技術を確立するとともに、グラフェンナノリボンを原子構造が明らかな状態で金の基板上に作成する技術を開発し、直接観測とそのメカニズム解析に成功しました。グラフェンナノリボンを構成している炭素原子間の結合力が非常に高いため、金と接触している炭素原子はほとんど動かず、摩擦力が極端に低くなることを実験で証明すると共に、その実験結果と“超潤滑現象”を表す計算結果が一致する事を明らかにしました。

将来的に、炭素薄膜を用いたコーティング材の実現により、部品同士の摩擦により発生する熱や磨耗が押さえられる、エネルギー損失を抑えた機械部品の実現につながることが期待できます。

研究成果は、2016年2月26日(米国時間)の科学誌「Science」のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「分子技術と新機能創出」
(研究総括:加藤 隆史 東京大学 大学院工学系研究科 教授)
研究課題 「分子化学構造および機械電気特性の超高分解能測定の実現」
研究者 川井 茂樹(バーゼル大学 物理学科 シニアサイエンティスト)
研究期間 平成25年10月~平成29年3月

<研究の背景と経緯>

通常、物質と物質との接触面(界面)では表面にある双方の原子が柔軟に動いて位置合わせを行うため、強い吸着力が発生し、それが摩擦力となります。しかし、グラフェンは構成している炭素原子間の結合力が非常に高く、原子はほとんど動きません。このため、原子の位置合わせが行われず、界面で発生する吸着力は弱くなります。グラフェン表面コーティングはこの超潤滑現象を利用して、非常に小さな摩擦になると考えられています(図1)。このことから、グラフェンの表面コーティング技術は、エネルギー損失や機械部品の摩耗を抑える働きを持つ超薄膜の固体潤滑剤として、その実用化が期待されています。

グラフェンによる超潤滑現象を解明するためには、基板である物質とグラフェンとの界面でナノ(ナノは10億分の1)メートルスケールでの摩擦特性を測定することが必要でした。この測定では、基板、グラフェンともにその原子構造や結晶面のならび方向(結晶方位)がわかった界面を用意することが重要ですが、今までは原子構造の明らかなグラフェンを基板表面上に配置することが困難でした。本研究では、グラフェンナノリボンを用いることによりこの問題点を回避できる事を見いだし、基板表面上に原子構造が明らかなグラフェンナノリボンを生成し、走査型トンネル顕微鏡注1)原子間力顕微鏡注2)で直接挙動を確認することに成功しました。

<研究の内容>

研究グループは、極低温超高真空中で動作する走査型トンネル顕微鏡・原子間力顕微鏡システムを用いて、グラフェンナノリボンと基板となる清浄な金表面間に働く摩擦現象を測定し、そこに発生する超潤滑現象を解明する事に成功しました。溶液中で化学合成した前駆体注3)分子を超高真空下で金の基板表面に蒸着し、更に多段階の化学反応を経て金基板表面上にグラフェンナノリボンを生成しました。その構造は、幅が炭素7つで一定であり、長さが1ナノメートルから50ナノメートル程度です(図2B)。

走査型トンネル顕微鏡でのグラフェンナノリボン撮像において、試料(グラフェンナノリボン)が動かないように、探針と試料間距離を通常の測定に比べ1オングストローム(Å)(1Åは100億分の1メートル)以上大きくしました。このことにより、探針と試料の相互作用が大変弱くなっているにも係わらず、試料であるグラフェンナノリボンがその長手方向に意図せず動くことを観察しました(図2A)。これは、グラフェンナノリボンと金基板の間の摩擦力が大変低いことを示しています。その摩擦力を原子間力顕微鏡にて定量的に測定したところ、長さが27ナノメートルのグラフェンナノリボンで、たった105ピコ(ピコは1兆分の1)ニュートンであることがわかりました(図3)。その構造では約1,000個の炭素原子が金表面と接していることを考えると、驚くほど低い摩擦力です。室温では熱エネルギーがこの摩擦力に打ち勝ち動いてしまう程の小ささです。

また、さまざまな長さのグラフェンナノリボンに対して生ずる摩擦力を測定したところ、長さに比例して炭素原子1個あたりの摩擦力が低くなることがわかりました。これは、構造による超潤滑現象の典型的な現象を表しています。一方、数ナノメートルより短いグラフェンナノリボンでは、急に摩擦が大きくなることがわかりました。これは、長さが短いため、相互作用が大きくなるようにグラフェンナノリボンが回転し、金表面上の金原子との吸着の場所が変わるためです。

また、走査型トンネル顕微鏡の探針で長さ6.28ナノメートルのグラフェンナノリボンの一端を拾上げ、長手方向に引きずる実験をおこないました(図4A、B)。そのときの摩擦現象を原子間力顕微鏡の力センサー(周波数シフトにて観察)から検出しました(図4C)。その結果、金表面の金原子間距離に相当する0.28ナノメートル周期で摩擦力が変化していることがわかりました。また、摩擦力を示す振幅が大きく変化することもわかりました。へリングボーン(にしんの骨)構造注4)といわれる最密六方格子構造(HCP)と面心立方格子構造(FCC)に伴う金基板表面の凹凸変化の影響です。へリングボーン構造に伴う金表面の凹凸変化は、原子1個の大きさより小さい20ピコメートルほどですが、摩擦現象に大きく影響を与えています。

そこで、実験で観察した摩擦現象が金結晶構造に依存していることを分子動力学法注5)を用いて計算を行いました(図5)。へリングボーン構造が無いと仮定した平坦な金の表面上でグラフェンナノリボンを動かしたものは、金の原子間距離に相当する0.28ナノメートルの周期の中に更に周期的な信号が2つ現れました(図5A)。これは、グラフェンナノリボンが金の1つの格子間を移動する間に、合計3つの安定な場所(状態1、状態2、状態3:図5B内に図示)があることを示しています。一方、現実の系であるヘリングボーン構造がある金表面で同様の計算を行ったところ、グラフェンナノリボンは状態1と状態3のみの場所でとどまることがわかりました(図5B内に図示)。これは観測結果と一致しています。またヘリングボーン構造によって発生した結晶面の境界で摩擦力が大きくなることがわかりました(図5C,D)。これも観測結果と一致しています。このように、分子動力学法で求めたグラフェンナノリボンの動きは、グラフェンの超潤滑現象として一般的に受けいれられている解釈に完全に一致することがわかりました。

このような超潤滑現象を実験と分子動力学計算で明らかにしたことは、世界で初めてです。

<今後の展開>

本研究で解明した超潤滑現象を利用することにより、摩擦を極小に押さえ、摩擦によるエネルギー損失を押さえた界面の実現が可能となります。本研究で用いたグラフェンナノリボンのサイズアップを行うことによりグラフェン薄膜で表面をコーティングした固体潤滑剤が見込まれ、超低摩擦のマシーンで摩擦により発生する熱や磨耗を抑えたり、エネルギー損失を抑えた機械部品の実現などが期待できます。

<付記>

本研究は、ドレスデン工科大学 ベナッシ博士、スイス連邦材料試験研究所 ファーゼル教授、マックスプランク高分子研究所 ニューレン教授、バーゼル大学 メイヤー教授らと共同で行ったものです。

<参考図>

図1 基板表面を動く一次元鎖の超潤滑現象の概念図

基板表面を動く分子鎖の中の原子を緑色の球で、その間の結合をバネのモデルで示し、基板表面のポテンシャル凹凸を赤の波線で、分子鎖内の原子と基板表面の相互作用力を紫色の球で示した。

図2 グラフェンナノリボンの、走査型トンネル顕微鏡と原子間力顕微鏡の観察例

観察用の端子(探針)と試料の相互作用力を非常に低くして観察したのにも係わらず、試料が動いた観察図。矢印先端のところが2重に映像化されているところが動いたことを表している。

  • 《図A》:走査型トンネル顕微鏡によるグラフェンナノリボン移動の観察像
  • 《図B左》:グラフェンナノリボンの原子間力顕微鏡による内部構造直接観察図
  • 《図B右》:グラフェンナノリボンの分子構造図

図3 測定方法の説明と摩擦測定結果

探針を動かしていくとグラフェンナノリボンが有るところで急に動くことを示す(図C)。動く距離はほぼ1ナノメートルで、その時の摩擦力は105ピコニュートンと驚くほど低い(図D)。

  • 《図A》:走査型トンネル顕微鏡像。グラフェンナノリボンが矢印の方向に動いている
  • 《図B》:グラフェンナノリボンと探針との間に働く相互作用力(グラフの色で示す)
  • 《図C》:グラフェンナノリボンが動いた事を示す相互作用力(ΔFで示す)の変化
  • 《図D》:グラフェンナノリボンが動いたときの水平方向への引っ張り力(一番下の曲線(緑))
  • 《図E》:グラフェンナノリボンの炭素原子1個あたりの摩擦力(赤い線)

図4 グラフェンナノリボンを引きずった時の摩擦力変化

6.28ナノメートルのグラフェンナノリボンをZ方向に引き上げたときの摩擦力変化とその振幅変化

  • 《図A》:実験の概略図
  • 《図B》:引きずり実験前と実験後の走査型トンネル顕微鏡像
  • 《図C-E》:そのときの測定した摩擦力変動(周波数シフト信号で表す)

図5 摩擦力の計算結果

ヘリングボーン構造があるときに実験で見られたような摩擦力の振幅変化が現れることを確認した。金の異なる結晶構造が交互に配列し摩擦力に影響を与えている結果は計測値と合っている。

  • 《図A》:金原子間(0.28ナノメートル)周期中の摩擦力変化
  • 《図B》:ヘリングボーン構造の有無による炭素原子と金原子が強く吸着する位置の違い
  • 《図C》:ヘリングボーン構造の有る金基板上を動くグラフェンナノリボの位置破線は、金表面のヘリングボーン構造にあるHCP(最密六方格子構造)とFCC(面心立方格子構造)の境界を示す。
  • 《図D》:ヘリングボーン構造による摩擦力強度変調

<用語解説>

注1) 走査型トンネル顕微鏡
走査型プローブ顕微鏡の一種であり、非常に先鋭な探針と試料表面間に流れるトンネル電流用いて、試料表面の凹凸像を得る装置。
注2) 原子間力顕微鏡
走査型プローブ顕微鏡の一種であり、非常に先鋭な探針と試料表面間に働く原子間力を用いて、試料表面の凹凸像を得る装置。
注3) 前駆体
化学における前駆体(ぜんくたい)とは、ある化学物質について、その物質が生成する前の段階の物質のことを指す。
注4) ヘリングボーン(にしんの骨)構造
金属の表面層と下層のバルク結晶層間の歪みエネルギーを緩和するためHCP(最密六方格子構造)とFCC(面心立方格子構造)が現れ、その配列がニシンの骨状を呈する構造。両者による凹凸が金属表面に現れる。
注5) 分子動力学法
コンピューターシミュレーションを用いて、原子や分子の間に働く力を計算することによりその動きを解明する手法。

<論文タイトル>

Superlubricity of graphene nanoribbons on gold surfaces
(金表面上でのグラフェンナノリボンの超潤滑)
doi :10.1126/science.aad3569

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

川井 茂樹(カワイ シゲキ)
バーゼル大学 物理学科 シニアサイエンティスト
Department of Physics, University of Basel, Klingelbergstrasse 82 CH-4056 Basel, Switzerland
Tel:+41 (0)61 267 30 17 Fax:+41 (0)61 267 30 13
E-mail:

<JST事業に関すること>

鈴木 ソフィア 沙織(スズキ ソフィア サオリ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2066
E-mail:

<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
E-mail:

(英文)“Superlubricity of Graphene Nanoribbons on Gold surfaces