科学技術振興機構報 第101号
平成16年8月23日
東京都千代田区四番町5-3
独立行政法人科学技術振興機構
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巻貝の左右巻型形成に新発見

―初期発生で非鏡像関係―

 独立行政法人 科学技術振興機構(JST,理事長:沖村憲樹)創造科学技術推進事業(ERATO)黒田カイロモルフォロジープロジェクト(総括責任者:黒田玲子)は、巻貝の巻型決定に、細胞の形を決める分子が関わっていることを発見した。
 今回、黒田らは左右両巻貝のいる種を使い、右巻と左巻貝の受精直後の卵の細胞分裂の様子が、互いに鏡像関係にないことを世界で初めて発見した。これは現在の通説を覆すものである。一方、左巻優性種の左巻貝は、右巻優性種の右巻貝と鏡像対称に細胞分裂することを実証したが、これら非鏡像・鏡像関係は巻貝の進化について示唆を与えるものである。
 さらに黒田らは、細胞分裂時における優性右巻胚特有の細胞形態や紡錘体の傾き、劣性左巻胚特有の細胞のくびれは、アクチンという細胞骨格を形成している分子の重合を阻害すると失われることを初めて見いだした。そして本研究で発見された左右巻貝の卵割様式が、実は巻型決定遺伝子と強い関連があることを世界で初めて発見した。これは未だに同定されていない巻型決定遺伝子を突き止めるための重要な鍵となる発見である。
 巻貝以外の様々な動物種の左右決定メカニズムの解明にも、ここで見いだされた細胞骨格のダイナミクスが重要な切り口になることが期待される。
 これらの研究成果は8月24日発行の「カレント・バイオロジー(生物学系総合国際学術誌)」(セル・プレス発行)に掲載される。
東京大学大学院総合文化研究科教授
 私たちの体は一見左右対称に見えるが、体内では心臓が左側にあり大腸が右に巻いているなど左右非対称であり、左右逆配置の人類は存在しない。ところが、巻貝には内臓の配置も貝殻の形も互いに鏡像関係にある右巻と左巻の両方が存在する。1920年代の交配実験から巻貝の巻型は母性遺伝(用語説明1)を示す一個の遺伝子によって決定されることが知られていたが、その巻型決定遺伝子が何であるかは全く分かっていなかった。黒田らは左右両巻貝のいる種を使い、巻型決定には細胞の形を決めている分子が関係していることを初めて明らかにした。
 巻貝が将来、右巻、左巻どちらの巻型の貝へと発生するかは、受精後まもなく始まる受精卵の細胞分裂の方向で決まっている。巻貝を含む軟体動物などではらせん卵割(用語説明2)と呼ばれる様式の細胞分裂を行うが、左右の差がもっとも顕著に現れるのは4細胞から8細胞になる第三卵割過程においてである。第三卵割では、それまでの2度の卵割で生じた大きさの等しい4つの割球それぞれから一つずつ、小さな割球が生じてくる。将来右巻になる貝は、この際、4つの小割球のセットが、胚を動物極側(用語説明3)からみた場合に右巻の方向に捩じれて生じる右旋性らせん卵割をおこなう。一方、左巻きになる貝は、小割球が左巻に捩じれて生じる左旋性らせん卵割をおこなう。これまで、右巻、左巻貝の初期胚の卵割はこのように鏡像的に進むと信じられ、発生学の教科書にも記載されてきた(図1)
 しかし、黒田らは、モノクローナル抗体や蛍光標識などで可視化し共焦点レーザー顕微鏡などで卵割過程を詳細に観察することで、実は鏡像関係が成り立っていないことを世界で初めて明らかにした。実験材料として右巻、左巻両方が存在するLymnaea stagnalis(タケノコモノアラガイ)を用いた。第三卵割において、優性右巻の胚では紡錘体(用語説明4)の傾き(SI:用語説明5)と、小割球が生じる方向への右巻らせん的な細胞形態の変化(SD:用語説明5)が起きている(図2)。一方、劣性左巻の胚ではSIやSDが全く観察されず、このため、小割球はいったん大割球の真上に生じ、その後、細胞質分裂の進行とともに左旋的に捩じれていく(図2)。これまで言われてきた左旋性らせん卵割様式とは異なるものであった。つまり、右巻貝では細胞が2つにくびれ始める細胞質分裂の開始前に既に小割球が生じる方向が決められているのに対し、左巻貝の胚ではそれ以降である。このように同一種の右巻と左巻貝のらせん卵割では、左右性が生じる時期もその生じ方も全く異なり、互いに鏡像関係になく進行することが明らかとなった(図2)
 一方、左巻優性種Physa acuta(サカマキガイ)の左巻個体の第三卵割の細胞骨格(用語説明6)ダイナミクスは、右巻優性種タケノコモノアラガイの右巻個体の場合の鏡像対称であり、逆方向のSDとSIが観察された(図3)。このことは、これまで単一遺伝子(注)の変異で生じたことが示されている同一種内での左右巻貝の場合と、交配実験が不可能な種間の左右巻貝の場合とでは、卵割の過程が共通ではないことから、単一遺伝子が左右巻貝の進化(用語説明7)に関係しているとはいえないことを示唆するものであり、新たな問いを投げかけるものである。
 ところで、右巻と左巻においてらせん性が生じる過程は、どちらも細胞骨格を形成しているアクチンの重合阻害剤によって阻害されることを初めて見いだした。つまり、右巻きの胚はSDやSIを示さなくなった。左巻の胚も細胞分裂の終期に薬剤処理をすると 左巻に小割球が生じなくなった(図4)。このことより、らせん卵割における左 右性の形成には、アクチン細胞骨格系が関わっていることが明らかになった。面白いことに、紡錘体の形成を阻害しても右旋性卵割に特徴的なSDは顕著に起き、紡錘体の向きが小割球の生じる方向を規定していない可能性が示唆された(図4)。これは一般の細胞分裂にも参考となる知見であろう。
 さらに黒田らは、この左右巻貝の卵割様式の違いが、単なる細胞分裂の仕方の違いにとどまらず、長らく探索されてきた巻型決定遺伝子と強い関連があることを世界で初めて見出した。実験は、右巻貝のゲノムを1/16, 左巻貝のゲノムを15/16遺伝しているF4個体群を、連続戻し交配法(用語説明8)によって作成して行った(図5)。1/16の右巻貝のゲノム中に右巻決定遺伝子を受け継いでいれば、そのF4世代の個体は右巻の子供を産み、受け継いでいなければ左巻の子供を産む。同一の母親(純系左巻)が産んだF4個体であっても、父親の右巻決定遺伝子を受け継いだ場合は100%、SIとSDを生じる右旋性卵割を行う卵を産み、受け継がない場合は100%、SIとSDを生じない左旋性卵割を行う卵を産むことを、多くの個体で確認した(図5)。このことは、細胞骨格ダイナミクスが関与する現象であるSIとSDの有無が、貝の巻型形質と遺伝的に強い相関があることを示す。未だに同定されていない単一巻型決定遺伝子を突き止める上で重要な鍵となる。ここで見いだされた細胞骨格のダイナミクスは、巻貝以外の様々な動物種の最も初期の胚の左右性決定メカニズムの解明にも重要な切り口となることが期待される。
[論文名]
Body Handedness Is Directed by Genetically Determined Cytoskeletal Dynamics in the Early Embryo
(和訳)遺伝的に決まる初期胚の細胞骨格ダイナミクスが体の左右性を支配する
doi :10.1016/j.cub.2004.08.018
注: 巻型決定が単一遺伝子によって決まるのではなく、強く連鎖する複数の近接遺伝子である可能性が1982年Freemanらの実験で示唆された。
図1
図2
図3
図4
図5
用語解説
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<本件問い合わせ先>
黒田 玲子(くろだ れいこ)
東京大学大学院総合文化研究科 教授
〒153-8902東京都目黒区駒場3-8-1
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古賀 明嗣(こが あきつぐ)
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戦略的創造事業本部 特別プロジェクト推進室
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