国際共同研究「エントロピー制御プロジェクト」

代表研究者 井上 佳久(大阪大学大学院工学研究科 教授)
共同研究相手機関 浦項科学技術大学(POSTECH) スマート超分子センター(CSS) (韓国)
研究実施期間 2002年3月~2007年3月

1. 研究の概要
 エントロピーは、系の秩序・規則性を表す物理量です。化学反応の速度と平衡がエンタルピーとエントロピーの両者によって決まることは周知ですが、従来の化学ではエンタルピー項の方に力点が置かれ、エントロピー項の寄与は小さいと考えられてきました。それは、長い歴史をもつ均一系における熱的な化学反応の収率や選択性の多くがエンタルピー項で説明できたからです。ところが私たちは、温度の支配を受けにくい電子的な励起状態を経由する光化学反応や内部に秩序構造をもっている超分子系など従来の化学が対象としてこなかった領域において、エントロピー関連因子が化学反応の速度や平衡に対してエンタルピー項以上に大きな影響を及ぼすことをこれまでの研究で明らかにしてきました。現在、さらに広範な化学反応系における「エントロピー制御」の可能性とその機構の解明、ならびにそれを用いた生成物の組成や収率、立体構造などの積極的制御を目指して研究を続けています。
 本共同研究では、とくに光化学と超分子化学の分野に焦点を絞り、さまざまな系におけるエントロピー因子の役割を解明し、それを積極的に反応と平衡の制御に利用する研究を行っています。それは、これらの系では非共有結合性の「弱い相互作用」が重要な働きをすると考えられるからです。そのために、日本側が得意とする光化学(光エネルギーの吸収により反応が進行する励起状態化学)と、韓国側が得意とする超分子化学(分子間力によって形成される分子組織体ではじめて発現する基底状態化学)の分野で「エントロピー制御」化学の創成を目指して研究を進めています。

 さらに、共同研究の利点を活かして、両分野の融合領域である「超分子光化学」の開拓にも取り組み、キラル化合物の光化学的合成、キラルナノ空間の創出、高度の構造制御された超分子錯体の創成、天然あるいは人工超分子の低エントロピー環境を利用したキラル光反応の自在なコントロールや、超分子キラリティー発現の原理の発見、ならびに超分子の自由度の変化を利用した高感度キラリティーセンサーの開発などに結びつく成果を得ています。
 将来、エントロピー制御が効果的な穏和な条件での反応設計、キラル化合物などの新しい有用資源の開発、超分子ナノ機能材料の創成をはじめ、エントロピー因子の寄与が大きい水や超臨界流体を反応媒体とする環境調和型反応システムの構築などへの展開が期待されます。
 
2. 研究体制と参加研究者
○研究体制
外部エントロピー制御グループ
内部エントロピー制御グループ

○参加研究者(中間評価時までの累計人員)
  代表研究者研 究 員技 術 員合   計
日本 18 110
韓国 132 235
 
3. 研究成果の概要
○特許出願件数(中間評価時まで)
  件 数
日本側 国内2
国外2
共同 国内0
国外0

○外部発表件数(中間評価時まで)
   論  文 総説・書籍 学会発表 合  計
日本側 国内 013122135
国外 681184163
共同 国内 0000
国外 1045


○発表主要論文誌
J. Am. Chem. Soc./Angew. Chem., Intl. Ed/J. Org. Chem./J. Phys. Chem.

主な研究成果
生命進化における究極のエントロピー制御ともいえる、地球上の生体機能関連物質におけるホモキラリティー(L-アミノ酸のように片方の鏡像異性体しか存在しないこと)の起源に関するBonner仮説の、円偏光シンクロトロン放射を用いる宇宙環境下(極低温、高真空)での、実験的検証に成功した(新聞各紙で報道、ドイツ化学会機関誌でも紹介)。
外部エントロピー関連因子(温度、溶媒、濃度)の多次元的制御により、光増感不斉異性化反応において、初めて光学収率100%を達成した。
エントロピー的に特に興味深い"ゆらぎ"のある超臨界二酸化炭素中での不斉光極性付加反応を初めて行い、亜臨界から超臨界に移る圧力領域で飛躍的な光学収率の向上を確認した。この結果を報告したJ. Am. Chem. Soc.掲載論文が英化学会発行のGreen Chemistry誌のハイライトに選ばれた。
韓国側と共同で合成した有機-無機複合キラルホストPOST-1を用いる超分子不斉光増感反応を行い、そのキラルなナノポア内部に突き出ている芳香環が超分子不斉光増感場として機能することを初めて明らかにした。
シクロデキストリン、血清アルブミン、DNA、ゼオライトなどをキラルホストとする超分子不斉光化学反応を行い、これらの超分子が提供する低エントロピー環境下では均一溶媒中とは全く異なる温度依存性を示すことを初めて実証し、それを用いて最高50%の光学収率を達成した。
韓国側とともに合成・精製したタル型のホストcucurbiturilと、日本側が以前より研究を続けているシクロデキストリンを組み合わせることにより、2級アミンと1:1:1の錯組成をもつ新規な三体錯体のみが選択的に生成することを明らかにした。また、cucurbiturilは特定の鎖長を有するN-アルキルピペラジンとのみ、従来全く未知の特異的1:2ホスト・ゲスト錯体を形成することを見いだした。
マグネシウムポルフィリン二量体ならびに亜鉛フリーベースポルフィリンが、現在市販されている我々が開発した亜鉛ポルフィリン二量体よりも高感度で適用範囲も広い汎用キラリティーセンサーとして機能することを見いだした(国内・国際特許)。
「エンタルピー・エントロピー補償則」に基づく分子認識の定量的理解に関する理論をさらに発展させ、化学から生物にいたるさまざまな超分子相互作用の解析と、より効率的な新規ホストの分子設計に用いられることを示した。
分子集合体の中がどれくらい低エントロピーの環境となっているかを不斉光増感反応を用いて定量的に明らかにした。
「キラル光化学」に関する初めての成書"Chiral Photochemistry"をMarcel Dekker社から2004年8月に刊行。
「不斉光化学のエントロピー制御」に関する業績で2003年10月「モレキュラー・キラリティー・アウォード」を受賞。
 
4. 今後の研究の進め方
外部エントロピー制御」では、系の秩序がより大きく変化するような反応系や媒体を用いることにより、遷移状態でのダイナミックな変化を誘導する動的エントロピー制御の適用範囲と限界を明らかにしていく。
内部エントロピー制御」では、逆にpre-organized, pre-orientedされた低エントロピー環境を実現することによる静的エントロピー制御により、超分子光不斉反応と超分子錯体平衡の選択性の向上、さらには階層的構造の構築を目指す。
日韓両グループの共同研究により、エントロピー制御が効果的な穏和な条件での反応設計、超分子ホストの構造最適化指針の確立、キラル化合物などの新しい有用資源の開発、超分子ナノ機能材料の創製、超分子階層構造の構築、エントロピー因子がよく効く水や超臨界流体を反応媒体とする環境調和型反応システムの構築などへの展開を視野に入れて研究を進める。
さらに、関連分野の学会開催などを通じて、「エントロピー制御」の概念のより幅広い周知とその活用の促進を図っていく。
本プロジェクトは、残る2年余で研究としては収束を目指すが、「エントロピー制御化学」は、エンタルピー中心の化学を変えていく一つのキー概念として、より幅広い化学および生物学関連分野への展開が可能で、例えば今後重要性を増すと考えられる「自然共生化学」においても重要な役割を演じるものと考えられる。

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This page updated on March 18, 2005

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