JST トップ戦略的創造研究推進事業 > 評価 > 戦略的創造研究推進事業における平成24年度研究領域評価結果について > さきがけ「生命現象の革新モデルと展開」事後評価

さきがけ「生命現象の革新モデルと展開」
研究領域事後評価報告書

総合所見

 生命はミクロからマクロに至るまで複雑極まりない精妙な仕組みを備えている。すなわち、ミクロな遺伝子とその発現、細胞と発生、免疫と脳、個体、集団と社会など、マクロに至るまでのあらゆるレベルで巧妙な機能を発現している。生命の仕組みを解明する生命科学は、これまでの大きな流れとして、事実の観察と実験による探求、特に機能を担う物質を特定し、物質の間の関係を調べ、さらにそこからシステムとしての働きを理解する実証的な研究が主導してきた。しかし研究が進み多くの事実が明らかになり、大量のデータが蓄積されるにつれ、生命現象の本質的側面をモデルとしてとらえ、数理解析やコンピュータシミュレーションを通じて理論的に解明する研究の必要性が痛感されるようになった。
 これが実証的な研究と一体となれば、生命科学に飛躍的な発展がもたらせるのではないかという期待が高まってきた。数理モデルを通じてこれらに「横串」を通し、理論を用いて現象の仕組みに迫る方法が必要であり、また有効性であることが認められ、新しい大きな流れとして現われてようとしている。しかし、残念なことに日本の現状は数理生物学を担う人材の供給が十分でなく、理論研究者間でも、また実験研究者との連携も十分ではない。さらに大きな視野でみて数学界との連携も欠いているのが現状であった。
 さきがけの本研究領域「生命現象の革新モデルと展開」は、時代の期待に応えて、この新しい流れを支援し定着させ、さらに次の時代を担うリーダーたちを育成することを意図したもので、誠に時宜を得たものであった。
 特に、数理モデルは分野やスケールを超えて方法としての共通性があり、ここから異分野にまたがる新しい共同研究が生まれることで、数理モデルによる探求と実証的な研究が一体となって、若い「異分野」間の人的交流を図る試みは高く評価されて良い。
 研究総括は本領域のねらいを正しく理解し、アドバイザーの強力な支援のもと、ミクロからマクロに至る研究課題を適切に選定した。さらに、領域会議における討論と指導を通じて、研究者を鼓舞激励支援し、結果として数々の優れた業績を生み出しただけでなく、多くの共同研究を育み、次世代のリーダーを生み出すことに成功した。
 しかし、これは新しい流れの端緒にすぎない。生命現象は極めて精妙で複雑であり、これを解明するには実証研究のさらなる進展、数理科学との協調、人材の育成と、これからの永きにわたる大きな努力が必要である。本領域は確かにさまざまな成果を挙げ成功したといえるが、それは新しい潮流に向けて各所で狼煙を上げただけのものとも言える。これが大きく燃え広がるのはこれからの努力にゆだねられている。

1.研究領域のマネジメントについて

(1) 研究総括のねらいと研究課題の選考
 数理的手法を活用して生命現象の本質を理解するためには、実験技術の格段の向上(定量的・時系列的計測の実現)と大量のデータの蓄積が必要であったが、今まさしくその時宜を得て、この分野が本当の意味で必要となっている。細分化された生命科学の諸分野に数理生物学と言う「横串」通し、若い世代の研究者の「異分野」間の人的交流を促進する研究総括のねらいは高く評価される。  研究課題の選考においては、生命のミクロからマクロまで様々なスケールの現象に対して、特にミクロ(分子生物学周辺)に偏ることなく、マクロな生体コミュニティを含めて広く公平に選考されている点、さらに革新的なねらいを持つ野心的な研究を含めた点で、研究総括の視野の広さを感じさせる。
 領域アドバイザーには、十分な見識を持つアドバイザーを、分野的にもバランスよく選んでいるが、より多方面の実験研究者を含める選択もありえた。 領域会議では非常にシビアな批判が飛び交ったという。適切できびしい批判こそが、最も研究を前進させる。多忙にもかかわらず高い出席率で、厳しい批判を浴びせ続けたアドバイザー諸氏の熱意に敬意を表したい。
 上記の研究対象のスケール的なバランスもさることながら、採択された課題の構成は、研究者のバックグラウンドも広く分布している。優れた提案を選んだ結果、そうなったのかもしれないが、これが研究領域を活気のあるものとした大きな要因と考えられる。また、性別・地域性・研究機関などに関してもバランス重視で選考したとのことであるが、これは方針通り達成されたといって良いだろう。

(2) 研究領域の運営
 研究総括は、研究者の創意を最大限に導くための、きめ細かい配慮をしていた。個人研究を字句通りに厳密にとることはせず、本人のイニシアチブが貫かれていれば、共同研究をむしろ奨励した柔軟な対応が功を奏した。実験研究者との共同作業をもっと強調してもよかったかもしれない。
 領域アドバイザーを交えての実りある領域会議が行われていたことで、進捗状況の把握や評価は十分に行われたと考えられる。これが多くの優れた成果につながったものと考えられる。数理的方法は一般性が高く、異分野の研究も共通の言語で理解しあえる利点がある。そのため、研究者たちが若く柔軟で、研究交流が盛んであったことは、この領域の大きな特徴である。このように課題間での連携を可能にしたことは高く評価できる。また、CRESTの関連領域およびさきがけの数理科学の領域との交流も、良い効果をもたらした。
 さらに、研究の進捗状況に応じて臨機応変に研究費の配分額を増減させるような措置が取られており、現実的な対応がなされている。

2.研究成果について

(1) 研究総括のねらいに対する成果の達成度
 研究対象を特定の範囲に絞ることなく、様々な生命現象を広く取り上げ、異分野研究者の交流を通して、複雑な生命システムを理解するという、研究総括のねらいに対して、本領域の研究は、多くの革新的な成果を挙げ、新しい手法、観点、問題を切り拓いたのみならず、生命科学に対する新しい方向の有効性を示すものであった。数理モデルに基づく研究方法はこれからさらに活性化し、生命科学の分野に必要不可欠の要素となると思われる。研究総括のねらいは十分に達成されたと言える。

(2) 科学技術の進歩に資する研究成果
 近藤研究者による「種間相互作用の多様性と生物群集の安定性」、柴田研究者による「イノシトールリン酸脂質反応の自己組織化反応」等を含め、20報を超える論文が、一流の学術誌に掲載されている。このように高く評価されている素晴らしい研究が数多く生まれたことは、予想を超える成果であった。ここから、従来の学説の転換、統合、新しい視点に立つ解析など、多くの成果が生まれている。もちろん、生命科学を揺るがす画期的な成果が数理モデルからそう簡単に生まれるものではないし、またそれを評価すること自体に永い時間がかかる。しかし、ここでの研究成果がこの領域への高い期待に十分に応えるものであったことは間違いない。これらは研究者自身の昇進や表彰につながり、何人かの研究者は狭い分野の枠を超える活躍を見せている。次世代のリーダーを育てるという点で、大きな成功を収めた。

(3) 科学技術イノベーション創出に資する研究成果
 多くの研究が理論だけに偏するのではなく、現実の実証データと結びついていることも特筆に値する。西浦研究者によるウイルス感染の統計学的推定に関する研究は、非特異的感染症の対策の効果を定量的に推定し、現実世界への応用という面でも、イノベーションにつながる見るべきものがあった。
 また、若本研究者はバクテリアの抗生物質への応答を1細胞レベルで測定することに成功し、70年もの間信じられてきた「ドーマント細胞仮説」が否定された。この研究は、感染症治療の効率化、投薬設計の改良につながることも期待されている。

3.評価

(1) 研究領域としての研究マネジメントの状況
十分なマネジメントが行われた。

(2) 研究領域としての戦略目標の達成に資する成果の状況

(2-1) 研究総括のねらいに対する達成状況
十分な成果が得られた。

(2-2) 科学技術上の進歩や科学技術イノベーション創出への期待
十分な成果または萌芽が認められた。

(3) 総合評価
十分な成果が得られた。

4.その他

 さきがけ研究は、革新的な研究領域を設定してここに重点的な投資を行うことによって、研究推進とともにこれを担う若手研究者を育成することを目的とする。これまでは、ある程度成熟した分野でさらなる革新を求めるものが多かったが、本研究領域は生命科学において数理的なモデルを主体として新しい理論研究のパラダイムを求めるという、未だ成熟していない重要な分野を育てるこれまでにない性格のものであった。
 20世紀を振り返れば、純粋数学が勃興し飛躍的に発展した一方、これが諸科学と乖離して孤立する傾向が生じた。諸外国はこれを克服すべくいち早く手を打ったが、わが国ではこれが大幅に遅れた。現在、純粋数学一辺倒を脱して数理的思考と諸科学とを直接に結びつける数理科学の振興が緊急の課題となり、心ある数学者もこれに応えようとしている。このような時代背景のもとで、本領域が採択されたこと、それが成果を挙げ成功裏に終了したことは、慶賀すべきである。
 しかし、ことはこれで終わったわけではない。生命科学の分野でも、ゲノム、免疫、脳、生態系、生物集団などの各分野で数理的な方法が強く求められている。これはもっと広く、環境学、農林水産や食品科学にも言えることで、さらに生命科学に限らず、理学、工学の各分野で数理科学との融合が必要となっている。このためには、さきがけ、CRESTなどにおいて、数理的な手法の主導のもとに現実の諸現象を解明する研究領域が、多くの分野で相次いで設立されるべきものと考える。これが時代の要請である。
 一方、数理科学的研究は大きな予算を必要としないので、従来通りの一律的な基準に合わせる必要はない。これには、短期決戦ではなくて長期にわたる交流が必要であり、金額、期間などにおいて柔軟な対応が望まれる。理論研究というものは、極端にいえば、9が外れで1当たれば良いとしたいものである。ただ、外れもそれなりに有用である。
 わけのわからないしかし熱気のある研究を支援し、フルスイングで三振を気にしない土壌を作れば、ホームランも生まれるとしたものである。
 重定さきがけと西浦さきがけ・CREST に続く、理論(数理科学)が主役の領域を、ぜひ継続的に立ち上げていってもらいたい。特にミクロ分野は、要素還元主義が未だに中心とも言える。実験が主体のところに「数理も含む」という考えも良いが、それだけでなく数学の力を信じる人が中心となって実験家と組む領域を考えることも必要である。これにより本さきがけのようなおもしろい展開が開けるものと思う。
 本研究領域への期待は非常に大きいが、そう簡単に画期的な数理モデルが生まれるものではないし、それを評価する事自体も非常に難しい事を、良く認識しなければならない。Turingの反応拡散理論も、まともに評価されたのは50年後であり、それに比肩するような発生の理論は、その間でてこなかった。理論とはそういったものである。研究を支援する側にできるのは、種をまき続ける事である。本領域とほぼ同時に、より数学に近い領域も立ちあがっていたが、重複する点が多いので、できれば前後して行い、全体として1つの理論領域が長期間続くようにするべきであったと思う。同時に、多くの領域を立ち上げても効率は悪くなり、他の領域にしわ寄せが行ってしまう。これは、本領域の領域総括やアドバイザーの問題でなく、領域設定をおこなうJSTの問題であるので、今後改善してほしい。
 また、さきがけ、という制度とその目的からして、領域終了時に評価をすることが難しい。
 優秀な人たちを集めているので、個々の領域に価値が有ったか、という点においてはよほどの事が無い限り「失敗」という結論は出ないと思う。そこで、どこかのステージで、「他の領域と比較してどうだったか」「他の分野でさきがけをやった場合に比べてどうだったか」という視点の評価が必要であると考える。

■ 戻る ■