ハンス・J・クワイサー
名誉所長
マックスープランク固体物理(ソリッドステート)研究所
シュトゥットガルト、ドイツ
1.序文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
当報告書は科学技術振興事業団(JST)の財政援助の基で行われる基礎研究に対する評価及び提言である。当事業団は日本における基礎研究の14%の資金提供を行っている。この度科学者から構成される国際チームが日本に招聘され、数カ所の基礎研究施設を視察し、又JST経営陣及び専門家との詳細議論の機会を得て、それら事業の調査結果を纏めるよう要請された。視察団の訪問は2001年2月下旬全8日間の日程で行われた。 JSTは物理科学及び生命科学の分野における多数の基礎研究に独自で明確な基準を持った事業を通じて日本の資金提供を行っている。これらの事業は顕著なほど政府の制約から独立して行われており、又研究者の間では高い評価を得ている。しかし、最近日本の研究環境は大幅な方針変更が切迫している様である。コスト削減の名目で省庁の合併が計画されている。その様な状況下、国内外の専門家によるこれまでの方針を分析し最も適切な組織的変更を目指す評価を行う必要が生じたのである。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
2.当報告書の構成 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
まず、背景を明確にする目的で短い主観的な歴史及び経緯を述べる。次にそれぞれの視察先の印象とそれらの限られた体験から得られた全般的な観察の要約、様々な研究支援事業の評価及び個々の内容、JSTの経営スタイルのあり方に対するコメント、最後に報告書全体のまとめという構成とする。付録に来日したメンバーの名簿、日程、及び筆者の経歴を述べる。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
3.歴史的観点 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
欧米諸国は日本の科学技術活動を非常に注意深く見守ってきた。世界第二次大戦後日本とドイツは同様な宿命を負った。しかし両国の経済復興のあり方は異なっていた。ドイツは早急に工業を再編成し、特に機械工具、化学薬品、及び自動車等の伝統的工業製品輸出に成功したが、工業用研究開発による新案製品の分野では徐々に弱体化していった。一方、日本は活路を輸出用家庭用エレクトロニクス、コンピューター・ハードウエア、先端光学系などの新分野に見出す事を余儀なくされていった。企業は迅速な開発を手がけ、その展開にあわせてアプリケーション志向の研究開発が確立されて行った。 一方日本の大学は財政的に恵まれず、近代的研究機材も充実していなかった。それに対して、ドイツではフンボルト理念の伝統が受け継がれ、研究と教育の融合は一種の使命として考えられた。国家によって大学及び多くの国立研究所が設立される一方で企業は研究費を最小限に抑えることを行った。特に日本と比較して、ドイツの情報技術、先端計測機器、光学系、ソフトウエア等の先端分野での劣勢はこの風潮に由来していると説明がつく。日本企業は伝統的に若い技術者及び科学者を雇用し、社内で専門技術の教育を行ってきた。ドイツの企業はより年齢の高い高度な特殊技術を要した専門家を好み、高額な高等技術者の育成を国家財源に依存してきた。私の学生の多くは設備の整った日本企業の研究所をポスドク研究先として選択している事に注目したい。日本からシュトゥットガルトへ研究に来たほとんどのポスドクは企業から特定の戦略的研究課題のため派遣されていた。 この最も興味深い例として記述されるのが日本の半導体マイクロエレクトロニクス及び半導体チップの縮小に必要な高度なリソグラフィー等周辺技術の企業を強固なものにする目的で通産省が推し進めてきた強力なプログラムである。周到に計画されたVSLI(Very Large Scale Integration)キャンペーンの名の基で企画、国内協力及び競争、そして膨大な研究開発が行われ、日本を他の追従を許さぬマイクロエレクトロニクス及び関連アプリケーション技術大国として確立して行った。日本はこの分野において真に世界的に優位な地位を確保する事に成功している。その基盤は学術研究ではなく、非常に調整され、統制のとれた企業の研究開発努力にある。 米国は世界における半数以上の半導体デバイスが日本で生産される事に危機感を募らせた。 高度な高周波計測機器、又特にリソグラフィーデバイス、X線機器、電子顕微鏡等の大多数の半導体生産用機材が日本企業により生産されている事に注目した。この事により米国の戦略的地位が脅かされてきたと感じ始めたのである。この問題は大統領府で取り上げられる重要課題として発展して行った。米国において政府指導によるコンソーシアムが設立され、半導体生産の共同事業が展開された。それがテキサス州オースティン市に設立されたSEMATECH研究所である。又カーラ・ヒルスやマイケル・カンターなどを団長とする使節団が日本に押し寄せ、強力な圧力を日本政府に掛け方針変換を迫った。 米国が最も強力に主張したことは、日本は米国の基礎研究の成果に「タダノリ」し、工業力をつけてきており、世界の宝である基礎科学知識に貢献していないという点である。米国は日本の基礎研究、特に学術分野の研究を増やし、特定の割合まで世界における日本の半導体のシェアを削減し、日本で使用される半導体デバイスの20%を輸入する等の一連の政策を日本に強制した。日本政府及び日本企業は最大の同盟国であり又最も重要な顧客である米国の要求を飲むという形で圧力に屈す以外すべが無かった。 この日米摩擦の背景が今日の日本における研究開発方針を大きく支配している。企業の工業開発に対する政府財政支援が大幅に削減している。私の友人のある企業人は過去十年を先端技術開発にとって「失われた十年」であると嘆いている。その上最近のアジアの経済危機に所以する企業の弱体化は工業用研究開発、特に基礎研究的な長期プロジェクトに割り当てられる資金を大幅に減少させている。一方ではこれまで疎かにされていた大学の研究施設が注目され始め、資金援助も以前に比べ増している様である。又研究分野のウエイトも変化してきている。以前に比べ技術関連分野への注目度は減り、生物化学等の新たな分野の優先順位度が拡大している。 これらの政治的環境がJSTの方針に大きく影響してきている。又上記の事柄のみならずJSTの将来の方針に大きく影響を及ぼす傾向として、日本政府の巨額の借金や選挙公約として掲げられた国家公務員の数の削減などにより、将来必要となる政府支出の縮小が挙げられる。研究開発に携わる人間の立場は多くの場合政治的に非常に弱く、真っ先に被害に遭う可能性が高い。 現在検討されているこれまで明確に区分され実績を持つ資金提供機関の合併や、省庁の再編成が日本の科学技術分野に大きなダメージを与えるのではないかと我々が今回話した多くの日本のメンバーが懸念を抱いている。 それらの懸念は道理であり、この度JSTが国内外の専門家から意見を集めている理由の大きな一因であろう。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
4. JSTプロジェクトの視察 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
海外評価委員のグループは現在JSTの事業でスポンサーされている、いくつかの研究施設を訪問した。(添付Bの日程参照)特に成果を挙げているグループが、訪問先として選ばれたであろうことは想像に難くない。 多くは物理/電子系の研究で、生命科学からの例が少なかったと言う偏りが観察されたが、ただ今回のメンバーの構成を考えると致し方なかったと言わざる得ない。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
5. JST事業の構造に対する評価 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
JSTの事業の評価を行うに当たって仔細にわたる現場視察、長時間に及ぶJSTスタッフ、国内評価委員、研究指導者や学生などとの打合せ、細心の注意を持って準備された各事業の資料とのつき合わせ、リプリント及び前刷りの検討、企業界及び学会からの事情に明るい外部オブザーバーとの対話等を通じ、JST事業の評価をする十分な判断材料はそろったと考えられる。 過去から現在に至るまで最も著名な事業はERATO:「創造科学技術推進事業」である。過去十年国際的評価も得られてきている。通常支援期間は5年であり、優秀な研究はポストプロジェクト期間として延長されるか、あるいはいくつかはPRESTOの事業を通じて再編成もしくは拡張され継続される。PRESTOは「個人研究推進事業」の略である。国際協力はICORPと呼ばれる特別のシステムで支援されている。最後にもっとも新しいプログラムがTOREST「若手研究者研究推進事業」及びSORST「基礎的研究発展推進事業」である。これら、特に後者は、日本の社会的ニーズやグローバル市場での競争力を高めるためのアプリケーション開発が主体となっている。 科学分野の選択が非常に重要な要素になっている。JSTは多くのアドヴァイザーの意見を取り入れながら近代的なおかつ先見の明ある選択を行っている。 又それらの選択肢は単に他の国々に追従するものではなくまた流行を追うような形ではない。 又機器及びシステムの保全にも注意が注がれており、ソフトウエア等企業の研究所で開発された技術が生物科学等の近代分野で生かされている。その戦略の良い例が電子顕微鏡の重点活用である。 生命科学が最近のJSTプログラムポートフォリオの大きな部分を構成している。この分野に関しては今回のメンバーには十分で公平な評価を行うだけの専門知識が欠けていた。細胞生物学、遺伝子学、膜組織生理学、脳に関する研究等に最近の事業はウエイトを置いている。近代数学、ソフトウエア原理、科学の哲学や歴史的側面などのより理論的分野や社会的応用を目指した技術に対する注目度は減少している様である。 プロジェクト毎の資金援助額は概ね妥当であり、多くの場合潤沢であると言える。機材費及び人件費の内訳などの裁量はプロジェクトの責任者に与えられており、資金の使用方法の柔軟性が保たれている。この様に5年と言う期限付きのプロジェクトの場合、タイミングが非常に重要になる。我々はこの種のプロジェクトの正式開始日を、主要機材の購入が終了した時点で決定する事で、この問題を合理的に解決できるのではないかと、結論付けた。ほとんどの事業は、競争原理に基づいて、厳しい基準で選定されている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
6. 基礎研究育成に対する姿勢 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
JSTの事業に最も顕著なことは、近代的研究開発に対する姿勢である。官僚主義を最低限に押さえる事に成功している。これはどの国家にとっても大きな成果であるが、日本社会の伝統を考えると画期的な事である。 階層的枠組みはどこの研究社会でも見られるが、当然日本でも同様である。しかしJSTは革新的な概念に挑んだ。例えば魅力的なERATOの紹介パンフレットを開くと、若い研究者たちの大きな写真が、初めに目に飛び込んでくる。彼らの苗字がプロジェクトの題に使われている。[樽茶多体相関場プロジェクト]がその一例である。この様に個人名が前面に出されるのは、他の国では非常に稀である。ドイツの慣習では、題材が強調され、研究者名は控えめで、分相応の匿名性に隠されている。JSTはあえてこの方法を取る事により、若き研究リーダーに自信を持たせ、又同時に研究助成を受ける者の責任を自覚させている。 役割の転換が明確である。 世界共通して言える事は政府援助のプロジェクトの場合、科学者は一受益者として、大組織から施しを受けるような立場に置かれる。しかしその様な常識が通用しないことが、JSTの美しいパンフレットで一目瞭然である。JSTは誇らしげにプログラムの参加者を紹介している。この様な姿勢が一般大衆やマスメディアに認識され評価されている事を望むところであるが、果たしてそうであるかの判断は我々にはできない。 年功序列は、多くの社会において特に重視される概念である。特に儒教思想の強い社会では、年上を敬う姿勢が支配する。JSTの事業では、この点で最も賢明な妥協策が講じられている。若いリーダーが優先的に選択されているが、経験豊富な年上の教授陣が指導者または監督者として選ばれていることがはっきり記載され、焦点が当てられている。従ってそこに責任の分担が可能になる。様々な年齢層の仲間とのディスカッションを通じ、このシステムは若い層からも、年配者層からも一様に好評であると言う印象を受けた。従ってJSTは、学会に既存の地位を築き上げた年配者と、若い研究者との間を、遠ざける事の危険性を十分把握し、それを回避する行動をしていると言える。JSTの潤沢な資金提供の受益者が、それに伴う社会的注目を浴びた後、再度通常の大学社会への復帰に弊害を経験しない様、十分配慮がされている。従って先輩や年長者の妬み、苛立ちなどをかわぬよう、意図的に配慮がなされている。 研究グループの隔離、あるいは情報の共有の拒否は、JSTによって、実にうまく回避されている。チームは年配のメンターにより構成され育成されている。学際的要素はすべての研究テーマに必須であるが、JSTの事業ではこの点が十分考慮され、評価の対象の重要な部分となっている。JSTの情報システムはよく育成されており、非常にオープンである。 男性優先がいまだに観察された。特に初期のJSTはこれが顕著である。これ自体はそれほど大きな驚きではない。日本における科学技術分野への、女性の進出は比較的最近のことと言える。最近の事業に関して言えば、特に生命科学、医療などの分野、また化学および結晶学の分野での、若い女性科学者の台頭が見える。女性だからといって研究の質の面で配慮がなされているとは思えないし、もしその様な方針を取れば裏目に出ると考えられる。 どの社会でも、研究の継続は避けて通れぬ難しい問題であるが、面子が重要な社会での研究の打ち切りは、より難しい問題をはらんでいると推測できる。従って事業の継続期間が明確に設定されている事には、全面的に賛成する。期限切れでプロジェクトが打ち切られても、誰も面子を失わない。特に注目したいのは、JSTがより打ち切りなどに抵抗力が強い大型機関をスポンサーしない事である。 ここでも研究課題だけではなく、個人名が使われる事が、打ち切りを容易にしている一要因である。同時に、そこには限られた確率ではあるが、何らかの継続、ERATOの後続計画としてのCRESTOへの発展、新たな人材で修正され、より拡張されたテーマで、研究が続けられる可能性がある。その一つの例として、「電子波の位相と振幅の微細空間解像」が挙げられる。 国家主義の伝統が科学活動に影響を及ぼし、時としてそれが国際標準への近代化の弊害になる事がある。しかしその様な危険は日本ではあまり無い。他国、特に支配力の強い米国とのコンタクトは、至って健全であり、強力である。出版及び発表は、世界水準で評価される。ネイチャー誌やサイエンス誌への論文の掲載は、高く、かつ正確に評価される。我々が今回会った若い研究者は、一様に優れた英語を口頭でも文章でもこなしたが、その事がJSTの支援を受ける上での必要な基準となっていると考えられる。一部の年配者は科学技術の国際共通語に充分適応していない様に見受けられた。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
7. 科学技術振興事業団の経営スタイル | |||||||||||||||||||||||||||||||||
川崎理事長以下JSTの経営陣は、基礎研究開発に対する資金援助及び支援事業にありがちなリスクや過ち等を、十分認識している。又祖国日本がおかれる現状、即ち日本が疑いも無く経済的に逼迫しており、利用価値の高い特定の分野での優秀な基礎研究開発の成果に活路を見出さねばならぬ事を、明白に理解している。他国での失敗例や成功例にも、注意が払われ、解析されている。 年配の日本の知人の多くは、JST経営陣が、様々な欠陥の弁解に使われる官僚主義のわなに捕らえられず活動をしている事を、敬意を込めたたえている。根強く確立された官僚主義的運用スタイルから逸脱するには、それなりの勇気と経験、そして、国際比較が必要とされる。同時に、納税者や政治家は、資金の用途、及び選択された題材に対する説明義務を課して来る。それらの責任義務を、JSTは非常にうまく果たしている。 直接基礎研究に投資されない、いわゆるJST内の運用経費が、我々に説明されたように、予算の僅か5%であるのなら、これは非常に少ないといわざる得ない。 この驚くほど新鮮で勇敢な経営スタイルは、自由な憲章及び特定の範囲に絞った研究開発への助成が、基盤となっている。我々は至る所で、又多くの人から、現在提案されている科学技術に関連する省庁の合併及び再編で、この類を見ないほど優秀で成功を収めているスタイルが、永遠に失われるのでは、との懸念の声を聞かされた。 もしその様な事態になれば、日本国はもっとも効率的で近代的な研究開発助成制度を失う事になる! |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
8. まとめ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
我々に与えられた評価のための時間も、対象も限られていた。しかしながらJSTが非常に優れた研究開発振興のための戦略を持っている事は、充分立証することができた。事業団の使命は、日本の研究開発を横断的にカバーするような広いものではない。その事が却ってJSTが、より選択的に斬新で相乗的又学際的研究開発の、スポンサーになる事を可能にしている。題材の選抜は注意深く、かつ厳密に行われている。学会及び政界のトップから末端までの意見が汲み取られ、反映され、活用されている。明確に定義された非官僚的な様々な種類の事業を用意した結果、JSTは疑いなく新しい(革命的とまでは言えないかも知れないが)戦略を日本に導入することができた。これまでスポンサーされた研究は一様に優秀であり、明らかに国際標準に到達している。意義ある工業用研究開発が継続され、効率よく拡張されている。強力な国際的絆も築かれている。可能な限り大学院生を研究に参加させることにより、重要かつ特殊な教育の場が創られている。将来に対する計画も適切に調整されている。我々が見た限り、無駄も無く、大きな戦略的過ちも観測されなかった。一言申し上げるなら、大学に関しては、まだまだ建物、より安全な研究施設、近代的なインフラストラクチャ等の面に緊急な必要性が見られる。 |
添付 A 海外視察団のメンバー |
||||||||||||||||||||
Prof.Per Carlsson ストックホルム、スウェーデン王立学院物理学科長 Dr. George Gamota, マサチューセッツ州レクシントン、サイエンス&テクノロジー・マネージメント・アソシエーツ社長 Prof.Colin Humphreys イギリス、ケンブリッジ大学材料科学 (Dr. Arnold J. Levine ニューヨーク、ロックフェラー大学学長−欠席) Prof.Guy Ourisson ストラスブルグ、ルイ・パスツール大学;フランス科学院院長 Prof.Hans J. Queisser シュトゥットガルト、ドイツ、マックス・プランク固体研究所 |
||||||||||||||||||||
添付 B H.J. Queisser来日スケジュール |
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
Hans J. Queisser経歴 | ||||||||||||||||||||
ハンス・ヨアキム・クワイサー: ドイツベルリンにて1931年7月6日に生まれる。
(西)ベルリン自由大学、カンサス大学(米国)及びゴッティンゲン大学で学ぶ。1958年ゴッティンゲン大学でソッリドステート物理で博士号を取得する。 1959年、今や「シリコンバレーのゆりかご」と呼ばれるカリフォルニア州マウンテン・ヴィューにあるショックリー・トランジスター社に入社。著名なノーベル賞受賞者でトランジスターの発明家、William B. Shockleyの指導の元でシリコンの研究を手がける。シリコンの結晶生成原理、欠陥構造、プロセス技術、及びp−n結合の基本特性などである。ショックリーと連名で太陽エネルギー変換の基本研究論文を出版。1963年「優秀賞」受賞。 1965年、ニュー・ヨーク州マレーヒルにあるベル・テレフォン研究所のテクニカルスタッフになる。ここでは特に砒化ガリウムの電気光学アプリケーションを含む半導体用化合物素材の研究を行う。現在もテレビのリモコンなどに多く使われている、高性能赤外線発光ダイオードの発明で基本パテントを取得。1966年、ドイツフランクフルト大学の教授に任命される。半導体研究及び教育のための新研究所を設立。1970年マックス・プランク・基礎科学研究所の要請で、ドイツシュトゥットガルトに新たに設立されるソリッドステート研究所の所長になる。又この研究所はフランスの研究機関C.N.R.S.と共同でグレノーブルに磁場に関する研究施設を運営している。この研究所の同僚、クラウス・フォン・クリッツィングが初めてクアンタムホール効果を発見し、後その研究でノーベル賞を受賞する。クワイサーの担当の大学院生、ホースト・ストーマーが論文のための研究をここで行っている。後、彼もノーベル物理学賞を受賞。 クワイサーは米国物理学協会の特別会員であり、ドイツ物理学協会の会長を勤めた経験もある。ヒューレット・パッカード社(米国)、サイエンティフィック・アメリカン(米国)、ワッカ−(ドイツ)、ボッシュ社(ドイツ)等の役員を歴任。又歴代ドイツ政府の科学技術大臣のアドバイサーを勤め、多数の学会の会員でもある。彼の著書、「Kristallene Krisen」は賞を受賞しており、ハーバード・ユニバーシティー・プレスから英語版題名「The Conquest of the Microchip」(マイクロチップの征服)で出版されている。 クワイサーはマックス・プランク・協会(MPG)の評議員を勤め、又企画委員会のメンバーでもあった。MGPの科学審議会の会長も勤めた。 マックス・プランクに所属する機関は積極的に科学の国際交流を推進する義務がある。クワイサーはベル研究所及びカリフォルニア州サン・ホゼおよびニューヨーク州ヨークタウンにあるIBM研究所で客員科学者を務めた。引退後スタンフォード大学の客員教授を務め、バークレー大学で「Miller Professorship」を受賞。又シンガポール国立大学の名誉客員教授も勤めた。 クワイサーは1962年の訪日以来日本との強力な関係を築いており、多くのポストドックの学生や客員の交流が日本とシュトゥットガルドの間で盛んに行われている。又宮沢元総理大臣とコール首相との間で設立された日本ドイツ協力審議会のメンバーである。かつてつくばのETL及びNAIRの顧問も勤めた事もある。ソニーの横浜研究所で4ヶ月研究した経験もあり、ドイツと日本との科学協力の功労に対し「シーボルト賞」を受賞。 ハンス・クワイサーは妻インゲ(旧姓シェ−ベン)と暮らしており、二人の間に3人の子供がいる。1998年1月から引退。 |
This page updated on August 22, 2001
Copyright(C) 2001 Japan Science and Technology Corporation.
www-pr@jst.go.jp