JSTの外国人評価委員からの提言

ジョージ・ガモタ博士
サイエンス&テクノロジー・マネージメント・アソシエーツ社長
米国マサチューセッツ州レクシントン(郵便番号02420)


序文
 科学技術振興事業団(JST)の川崎雅弘理事長の招待を受け、5人の著名な外国人科学者1が訪日し、JSTの基礎研究事業の評価に参加した。海外の研究者社会によるこのようなJSTの基礎研究事業の徹底的な評価を開始することが賞賛すべきことであるのは、日本国内だけでなく国外も含めたさまざまな研究者の声を聞きたいというJSTの経営陣の強い思いがそこに現れているからである。国外にまで手を広げるというこの姿勢自体が、日本では非常に重要でありほかに例を見ない。日本の政府系研究機関にとっては非常に重要かつ大胆な一歩であり、賞賛に値する。

 外国人評価委員はそれぞれ、自分の意見を提供することを要請された。評価委員の間である程度のディスカッションは行ったが、提出する報告書は各評価委員が個別に執筆したものであり、ほかの委員の見解を表しているとは必ずしもいえない。

 本報告書では、JSTから示された4つの要点項目に沿って、評価対象の4つの研究プログラム(ERATO、ICORP、PRESTO、CREST)に関する私個人の意見と助言を述べる。

我々が検討を要請された4つの項目を、次に示す。

 1. 各研究事業の重要性と独創性。
 2. 研究成果 - 科学分野の業績を上げるための活動、研究成果が産業界と社会に与える影響、日本の研究制度への影響、有能な研究者の育成および研究者のキャリアの確立という面での研究プロジェクトの貢献。
 3. 研究プロジェクトの管理的側面。たとえば、研究目標の設定方法と研究テーマの選考方法、研究プロジェクトの管理、期間を限った研究者の雇用、完了したプロジェクトのフォローアップ。
 4. 基礎研究制度が十分に確立している欧米諸国の視点からの日本の基礎研究事業に対する一般的な意見と助言。

これらの任務を遂行するために、外国人評価委員に対し、評価対象の各研究事業に関する詳しい資料、JSTとその運営の概要、日本の研究インフラの概要、国内の評価委員からの予備的意見が提供された。その後外国人評価委員は日本に1週間招待され、研究プロジェクトを訪問し、4つの研究プロジェクト(ERATO、PRESTO、CREST、ICORP)のそれぞれの代表的研究者たちと交流した。

日本の科学技術事業全体に起こっている構造的変化と財政的変化を的確に評価するために、これらの変化の背景を簡単にまとめておく。これが重要なのは、JSTのプログラムの多くは、これらの変化の一部の直接的要因であるか、あるいは日本政府からの追加資金を受けているからである。

 
1 スウェーデンのパー・カールソン教授、米国のジョージ・ガモタ博士、英国のコリン・ハンフリーズ教授、フランスのガイ・ウリソン教授、ドイツのハンス・ヨアヒム・クワイサー教授。
 
背景
日本における基礎研究の支援とより多くの中核的研究者の養成が必要なことを認識して、日本政府は1995年科学技術基本法を制定し、これに基づき内閣は科学技術基本計画を決定した。第1期科学技術基本計画は、1996年4月1日に実施され、2001年3月31日に終了する。第2期科学技術基本計画は2001年3月に内閣により策定されて、2001年4月1日に実施、2006年3月31日に終了の予定である。第1期基本計画は、日本における研究開発への投資を(1992年比で)倍増することを約束するもので、そのために17兆円の予算を計上している(2001年2月の為替レートで約1,350億米ドル)。国内総生産(GDP)に占める民間の研究開発投資額の割合は日本が従来より第1位であるが、この資金のほとんどは企業が自社の研究(主として応用研究)の支援に費やしたものである。国立大学などの公的機関での基礎研究に向けられた資金は、比較的少ない。第1期基本計画のもう一つの重要目標は、ポスドクの増員で、5年で10,000人の増員が目標に据えられた。第1期基本計画がJSTに与えた影響は驚くほど大きく、その予算も新規事業数も著しく増加した。ERATOやPRESTOなどの既存の事業に対する研究資金も多少増額された。

このような追い風を受けて、JST2はERATOやPRESTOなどの既存の事業で成功し、ほかの省による新たな研究プログラムの策定でも大役を果たし、プロジェクトへの研究資金提供は競争原理とピアレビューにより重点を置いて実施されるようになり、その結果、文部省が国立大学で採用している従来の日本の講座制度の明らかな欠点がいくらか克服された。

この講座制度は基本的には古参職員の人数を基に研究資金を分配するというもので、したがって先輩格の教授や研究員には有利で、後輩格の研究員は犠牲にされている。大学での基礎研究に対する資金の増額のほかに、大学はこの間に1兆円の交付を受け、これは資金が大幅に不足していたインフラの整備に投資された。

ポスドクの増員への要求は4年という短期間で満たされたが、これは難題だった。国立大学の研究助手は国家公務員に分類され、日本政府が第1期基本計画を策定した際には、国家公務員の定員を2010年までに25%削減するという政府目標もあったためである。この問題は国立大学が独立行政法人化する2003年には解消するはずだが、しかしそのときまでは問題として残る。幸いJSTは、大学に勤務し、JSTのさまざまな事業の支援を受けているポスドクをJSTの契約者と分類するように計らって、この問題を巧みに克服した。


第2期科学技術基本計画には、次の3つの主要目標がある。

 ・ 科学知識を通した世界への貢献に重点を置いて科学を振興する。
 ・ 日本国民に対し安全で健康な生活を保障する。
 ・ 技術革新を通し持続可能な経済発展を達成する。

この第2期基本計画に対応するのが日本政府の主な行政改革であり、これは研究開発に関与するすべての政府機関に影響する。公表されたこの行政改革の目的は、中央政府の管理の分散、経費削減、効率化、研究事業の合理化である。この行政改革は10年間で、中央省庁の数を33から11に、官房と局の数を128から96に、審議会の数を211から 90に削減することと、国家公務員の定員を20%削減することを要求している。

日本政府内での科学技術の役割は、総理大臣に報告する総合科学技術会議(CSTP)の創設によって著しく増大する。当初の見通しでは、この新組織は大統領科学技術諮問委員会(PCAST)の事務局も兼ねる米国の科学技術政策局と似た役割を演じるようになる。研究支援の責任は、現在の文部省を母体とする新しい省が担うことになる。この新しい省は文部省という名前を受け継ぐと思われるが、本報告書では暫定的にMEXTと呼ぶことにする。MEXTは、科学技術に関する責任を文部省とJSTから引き継ぐ。2001年度の政府の予算は総額6兆5780億円(2001年2月の為替レートで522億米ドル)である。再編が行われたが、明らかな点は、日本の科学技術事業を改善する好機が存在する一方で、過去の政策が支配する場合には科学技術事業が終焉する危険性もあることだ。10年間に及ぶ経済問題にもかかわらず日本は基礎研究事業の活性化で好スタートを切り、国際舞台で重要な役割を果たすようになりつつあるが、今後も引き続きその政策を強化して、実証済みのピアレビュー方式を用い競争原理に基づいて基礎研究プログラムを支援するとともに、世界中の科学者を起用してプログラムの質を評価しなければならない。従来の(言語や文化に関する)理由を、支援対象の科学研究の質を正しく評価できない口実として使うことはできない。トップクラスの若手研究者たちは変革を要求している。現状維持の姿勢が今後も蔓延し、年齢でなく質や工夫が報われる競争的雰囲気でアイデアを追求する機会がほとんどないと感じれば、彼らは日本を去るだろう。
   
科学技術振興事業団(JST)
 
JSTは新技術事業団(JRDC)と日本科学技術情報センター(JICST)の合併の結果、1996年に創設された特殊法人である。JSTは現在、次の6つの活動を主に行っている。
  • 科学技術情報の流通
  • 基礎的研究
  • 技術移転
  • 研究交流
  • 研究支援
  • 科学技術理解増進
JSTの2001年度(2001年4月1日から開始)の予算は1,210億円、現在の職員数は455人である。この総予算の財源は、日本政府が1,030億円、特許とライセンス料からのサービス収入が5億5,800万円、そのほかが170億円である。支出先は計画では、515億万円が基礎研究事業、497億円が科学技術インフラの整備、129億円が新興企業設立支援である。

JSTの基礎研究事業を表1にリストする。この表には、事業名、進行中のプロジェクトの数とプロジェクトの規模、総予算が示されている。

表1
事業名
(設立された会計年度)3
(新規開始プロジェクト数/年)4
進行中のプロジェクトの数
完了数
プロジェクトの規模
事業の
2001年度予算
CREST
1995年度
42/年
287
完了数0
5年間で合計2億〜10億円
317億円
PRESTO
1991年度
60/年
182
完了数200
3年間で合計3000〜4000万円
48億円
TOREST
2000年度
42/年
42
完了数0
3年間で合計7,000〜
      8,000万円
27億
ERATO
1981年度
4/年
20
完了数41
5年間で合計15〜20億円
78億円
ICORP
1989年度
1または2/年
12
完了数6
5年間で合計7億〜10億円
19億円
SORST
2000年度
約7/年
予定では約7
完了数0
3年間で合計1億3,500万円
3億円

 
2 ここでは、JSTの仕事には、その前身組織であり1961年に設立された新技術事業団(JRDC)のものも含めている。JSTは1996年に創設された。
3 日本政府の会計年度は各年の4月1日から始まる。従って、2001年会計年度は2001年4月1日から始まる。
4 新規開始プロジェクト数は2000年会計年度のもの。この数はプログラムの実施期間中、予算、優先度、政策により変化している。
 
議論
1. 各研究事業の重要性と独創性
JSTはこれまでに5つの新規事業を開始し、今年度はSORSTという名前の新規事業を開始する。最も古い事業であるERATO (1981年開始)は日本における先駆的事業であり、若手研究者たちを競争原理に基づいて支援するというニーズに対処しようとした。ERATOはまた、日本は基礎的知識に関する世界のデータベースに十分に貢献していないという国内外の批判にも答えた。ERATOは社会的実験でもあり、事業実施時には危険性が非常に高いとみなされたが、結局は大成功を収めた。危険性が高いといわれたのは、過去の日本の研究慣行を特徴づける年功序列と人脈を土台とする非常に硬直した官僚制度を変革しようとしたからである。JSTの任務は、大規模研究事業を管理できるトップクラスの研究リーダーを見つけ、若手研究者を誘致し、5年の期間彼らに十分な研究費を提供し、監督下で好き勝手に研究させて持てる力を最大限に発揮させることだった。プロジェクトチームは、大学や企業、政府系研究所、外国の組織から起用された10〜20人の研究者から構成されていた。ほとんどのチームは学際的であり、この点も硬直した日本の大学の研究コミュニティでは斬新だった5。ERATOから研究資金を提供されたプロジェクトの数は日本全体の基礎研究予算から見れば少ないが、ERATOは日本における研究プロジェクトへの資金提供の先導的モデルであることが実証され、このモデルは日本のほかの組織の良い手本となった。ERATOは日本の研究文化に変革が必要なことを知らしめる一助となり、PRESTOはこの必要性を再確認した、と私は確信している。ERATOは日本で十分に認知される以前に国際的認知を受けた。というのも全米科学財団(NSF)が米国商務省と共同で著名な米国人科学者からなる2つのグループを1988年6と1996年7に日本に派遣し、ERATOを評価するとともに、そのどの部分が米国の手本となりえるかを調べたからである。

ICORP事業はERATO事業と大変よく似ている。違う点は、日本国内に拠点を置く日本の研究チームのパートナーとして共同研究する外国の研究チームを見つけることである。このような国境を越えた「実質上の」研究者の融合は、世界的コミュニティへの日本の研究者の本格的参加を促進する非常に重要な一歩である。私が話をした米国人研究者は全員、ICORP事業とその管理を絶賛していた。

ERATOとICORPへの大学院生の参加は大変望ましく、国立大学の教授と協力することが可能になった現在、すべての事業で必要条件にすべきである。
大学院生がさまざまな事業に参加するのを見ることは私にとって大きな喜びであり、これが例外的でなく日常的な風景になることを期待する次第である。

ERATOの多くのプロジェクトは新しい研究分野を切り開き、一部はJSTが生み出した可能性を完全に実現させるために、明らかにプロジェクトのフォローアップを必要としている。産業分野への応用が可能だが、さらなる研究が必要なプロジェクトについては、SORST事業を研究継続の手段として使うことを私は提案したい。一例は北野プロジェクトで、このプロジェクトには商業化技術としての非常に大きな可能性と、研究継続の必要性の両方が存在する。このプロジェクトを終わらせてしまうのは大変残念なことになるだろう。経験からいえるのは、商業分野への応用の可能性がある研究で成果を出そうとするときは、企業のパートナーの起用が肝要なことだ。研究者は技術移転に関する経験やノウハウを持っていないことが多く、実際の市場に結びつかないアイデアに対し労力と資源を浪費してしまいかねない。

ERATOのプロジェクトはどれも、研究の便宜を図って特に設立された研究室(ビジネスセンターに近い貸しスペースに設けられることが多い)で5年間実施される。1989年には、研究室の一つは国外にあった。カナダのオタワで実施された池田ゲノム動態プロジェクトである。現在までにERATOの8つのプロジェクトが、その一部、ときには大部分を、海外で実施された。海外での研究室設立を決定する理由はさまざまだが、通常は各プロジェクトの特殊事情を基に決定が下される。たとえば、山本量子ゆらぎプロジェクトは米国スタンフォード大学の近くで実施されたが、これはスタンフォード大学教授になった山本氏がプロジェクトディレクターだったためである。

PRESTOもまたJSTによる社会的実験であり、その目的は、才覚のある個々の研究者を刺激して、日本において新たな研究分野を切り開かせることができるかどうかを調べることである。PRESTOは、多額の研究費や大学または企業での地位を獲得できる段階にまで研究プロジェクトを推進しようとする個々の研究者を助成するニーズから必然的に生まれた事業である。当初は意図されなかったが、PRESTOは若手研究者のための事業となり、依然として多数の研究者を引きつけている。PRESTOでは、研究者は生まれかかったアイデアを育てることができる。これは、資金提供元を見つけることが難しいことが多い。本質的に危険性が高いためと、大学の古参教授からの支援を得ることが必要なためである。後輩格の研究者にも自分の興味と研究資金を追求する自由がかなりある米国とは違い、日本の国立大学では正教授でない限り、自由にあるいは自主的に行動することはたいしてできない。米国でPRESTOの助成金に相当するのは、個々の研究者を対象にしたNSFの助成金だろう。PRESTOの助成金の対象者は、1人の教授によってではなく複数の研究者によるピアレビュー方式で選考される。PRESTOのピアレビュープロセスは日本の研究事業ではたぐいまれであり、ほかの政府機関が模範とすべき手本になりつつあることは間違いないが、若手研究者の研究の優先度の決定を左右する権力を、最古参の教授から奪う結果になるため、積極的にこの選考方式を採用するところは少ない。

個人研究者にとってリスク8があるのは明らかであるにもかかわらず、PRESTO事業は多数の優秀な提案を集めることに大成功を収め、選択されたプロジェクトは全般的には非常に優れたものばかりだった。PRESTOに参加する若手研究者の充実ぶりと、PRESTOに対する彼らの支持は、印象的だった。何人かの研究者は、PRESTOを利用できなかったら海外に機会を求めただろうと話した。我々が会ったPRESTOを代表する研究者たちは、全員が流暢に英語を話し、海外で同種の分野の研究をしている同僚がいるということだった。また、海外の同僚たちとネットワークなどを通して頻繁に連絡を取ることによって、最新情報を逃さないようにしていた。全員が、与えられた予算に十分満足していた。

TORESTはかなり新しい事業で、発足してから1年少々しか経過していない。この事業の目的は、個人研究者のプロジェクトとERATOやCRESTに必要なチームプロジェクトとの橋渡しをすることである。
通常は、2、3人の研究者が力量を結集してTORESTに応募するための提案を作成する。TORESTは、37歳以下で過去10年以内に博士号を取得した研究者を典型とする若手研究者の支援に焦点を当てている。PRESTOには年齢制限がないが、採択された応募者の多数は若い研究者でもある。PRESTOもTORESTも非常に競争的な事業であり、助成金取得者はピアレビュー方式で選考される。

CREST事業は、第1期基本計画の結果、JSTに与えられた追加資金から生まれた。ERATOに似たタイプの事業だが、ERATOのプロジェクトが大学のキャンパスの外で設立されるのに対し、CRESTのほうは大学のキャンパス内で設立されることが多い。CRESTのプロジェクトは全国規模で募集されピアレビュー方式で選考されるが、これに対しERATOのプロジェクトは後述するように上意下達に近い形で選択される。1998年からは、CRESTは企業の研究者にも門戸を開いている。CRESTによく似ているのは、技術畑出身者をチームリーダーとする研究者グループに対し5年間供与される米国の一括助成金だ。これらの事業は、政府主催のほかの研究事業にはない自由と柔軟性を特徴とするため、応募者が非常に多い。しかし、心配もある。ここ数年、応募者が減少していることだ。依然として競争率は高く、最新のデータでは応募数は700件に近いのだが、CRESTの初年度には約1400件の応募があったのである。この減少はいささか問題であり、JSTはその原因を徹底的に調査すべきだ。応募できるだけの能力を備えた人材が不足していることが考えられるが、成功率の低さを見てどうせ採用されないのなら提案書の作成は時間の無駄と思う人が多いのかもしれない。後者が原因なら、審査過程を2段階にするという手がある。1回目の審査ではトップクラスの提案に絞り込み、1回目の審査を通過した応募者に対してだけ完全な提案書の作成を要求するのである。

成功率が10〜15%にすぎない場合、もっと確実な資金提供元がほかにあるのなら、優秀な人たちは長い提案書の執筆に時間を割きたいとは思わないであろうことも考えられる。

これに対し原因が優秀な研究者不足の場合には、問題の解決はより困難であり、組織化されたアプローチで研究者を育てることが必要である。そのためには、学校における科学技術のカリキュラムを小学校から充実させなければならない。他方、トップクラスの人材を誘致するためには、良い職に就けるという見込みを研究者に示すことも必要である。

ICORPは小規模ではあるが他に類を見ない事業で、プロジェクトの半数は国外で実施されていることから、内外で幅広い支持を得てきた。ICORPのプロジェクトは、JST内部の同意だけでなくJSTに匹敵する外国の資金提供機関の同意も得なければならないため、開始がさらに困難である。政策や評価プロセス、文化、目標の違いは、克服すべき問題の一部にすぎない。プラスの面は、ICORPが非常に魅力的な事業であることで、プロジェクトがひとたび発足すれば、革新的研究にとって絶好の機会になるだけでなく、日本の研究者と外国の研究者の融合にも資することは明らかである。米国側の代表研究者数人と話して私が気づいたことは、彼らがICORPでの経験に満足していることと、ICORP事業が非常に優れた研究を刺激し日米間の良好な関係を築く上で大成功を収めていると彼らが感じていることだった。これと似た感想は、米国側で実施されているICORPプロジェクトへの資金提供機関であるNSFの幹部からも聞いた。以上を要約すれば、発足は難しいが、私個人としてはもっと多くのICORPプロジェクトに研究資金を出すべきだと思う。日本の研究コミュニティーに対し大きなインパクトを与える可能性があるからである。
   
2. 研究成果の影響
ERATOは特にそうだがPRESTOもある程度までは、その影響を実際に評価可能な数多くの業績を上げている。素晴らしい研究成果の例はあまりに多すぎてここにはリストできず、外国人評価委員は現在進行中のプロジェクトの一部についてしか概要説明を受けていない。とはいえ、ERATOの研究者が上げた成果は権威あるピアレビュー審査方式の学術誌で何年にも渡って報告されており、私個人としてはERATOのプロジェクトを15年間評価してきた9

よく知られ文書にも掲載された例としては、高真空・高解像度電子顕微鏡の開発10;電子ホログラフィーを使った磁束の表示・測定、生体分子の動的振る舞い、それに特殊環境微生物(スーパーバグ)プロジェクトの成果として生み出された世界的な海上科学技術センターの建設がある。1996年のERATO調査に参加した現NSF長官のリタ・コルウェル博士は、この海上センターを肯定的に評価すると同時に同センターがERATOプロジェクトに依存していることを認めている。吉田ナノ機構プロジェクト(1985〜1990年)も初期のERATOプロジェクトであり、NIKONが新技術を生み出すのに一役買い、当時同社の常務取締役だった総括責任者は社長に昇進した。初期のプロジェクトの中には、研究に対してだけでなく総括責任者の進路にも大きな影響を与えたものがある。科学的にも商業的にも成功を収めた林超微粒子プロジェクト(1981〜1986年)である。飯島澄男博士は米国アリゾナ州立大学を辞職して林プロジェクトに参加し、高真空・高解像度電子顕微鏡を開発した。そして、研究成果を活かしてNECに入社し、1991年にカーボンナノチューブを発見した。世界的に認められた科学史上の大発見である。より最近のERATOプロジェクトの中では北野共生プロジェクト(1998〜2003年)が、まだ進行中だが、科学を発展させるだけでなく1つあるいはいくつかの営利事業を生み出すものとして、大きな将来性を示している。北野博士とスタッフは世界中のトップクラスの研究者と競い合っていける精力的な研究者グループであり、このような行動的なリーダーを選出したのはJSTの真の功績である。難波プロトニックナノマシンプロジェクト(1997〜2002年)も最近のERATOプロジェクトであり、このプロジェクトで大変興味深いのは、日本で実施されているナノプロジェクトのほとんどが半導体分野で実施されているのに対し、生物機械分野でナノテクノロジーを調べようとしている点である。難波博士は米国ブランディーズ大学でポスドク時代を過ごし、ERATOの初期のプロジェクト(宝谷超分子柔構造プロジェクト(1986〜1991年))に参加した。この経験が役立ち、このナノマシンプロジェクトの総括責任者になったほか、現職の松下電器産業(株)先端技術研究所リサーチディレクターの地位も得た。

ERATO事業は、日本の研究支援・実施制度の変革を加速する「触媒」として大成功を収めてきた。ERATO、CREST、ICORPなどのJSTの事業は理化学研究所(理研)における日本の「フロンティア研究システム」のモデルとして使われた。ERATOは直接的・間接的に日本で新しい研究分野を生み出し、科学のインフラに影響を及ぼし、トップクラスの日本人研究者を居住先まで追いかけることによってJSTの海外展開を拡大した。

PRESTOの事業は1991年から研究資金を受けている。資料を調べたり、PRESTOの4人の研究者に会ったり彼らのプレゼンテーションを聞いたりという便宜を得て感じたことは、研究の質が高く、助成金は研究者に高く評価されており、選出された若手研究者たちは第一級であること(彼らの多くは外国の大学院を出たかポスドク期間を外国で過ごした)が明らかなことだった。日本の国立大学出身のこれまでの研究者たちとは違い、これらの研究者たちは競争心が非常に旺盛で、外国の同等の地位の研究者たちと彼等自身で張り合うことが出来る。日本政府にとって非常に重要なことは、このような研究者が日本で知的に成長し、大学か企業で満足のいく職を見つけられるような風土が生まれるように支援することである。このような研究者は非常に優秀であり、機動性にも優れているため、成功の機会が存在するところがあれば、たとえそれが日本国内でなくてもそこへ行く。PRESTOは研究者が自分の研究プランを追求することを許す事業であり、研究者は官僚的な拘束から解放され、自由に国内外の会議に出席でき、研究費も十分に得られる。

PRESTO事業の質の高さと間口の広さは、いくつかの例を見れば分かる。笹井芳樹教授は京都大学の正教授だが、(日本では)前代未聞の35歳という若さである。笹井教授は海外経験があり、現在は神経分化を起こす分子を見出すプロジェクトに従事している。中小路久美代博士は若い女性研究者で、ソフトウエア工学研究所で主任研究員という権威ある地位に就き、ソフトウエアデザインプロジェクトに従事している。海外経験のある中小路博士は、日本での研究生活を選んだ。中小路博士が、研究者になることに関心のある日本の女性にとっての役割モデルであることは明らかである。

前述したように、PRESTOの助成金は個人研究者にとり大変貴重なものだが、応募者が多くピアレビュープロセスが厳しいため、助成金の取得は容易ではない。

たとえば、運営開始後の最初の5年間(1991〜1995年)では、1,715件の応募のうち132件が助成を受けた。次の5年間(1996〜2000年)では、4058件の応募のうち250件が助成を受けた。

CRESTはかなり新しい事業であり、したがってその効果を評価するのは難しいが、参加者たちの質と研究の方向性については良いイメージがある。応募者選考のための厳格なピアレビュープロセスは、事業の質を試す試金石でもある。注意すべき点は、基礎研究の効果が出るまでには長い時間がかかり、ERATOの事業の場合でも成果が実感されるまでに何年もかかったことである。1988年に米国主導のJTEC委員会は、ERATOは1981年から活動を開始したが、その効果が実感されるようになったのはつい最近のことであり、評価はいまだに困難である、と結論した。このようなわけで、CRESTで実施されている研究の質について包括的に語るのは私にとって困難だが、私がいえることは、研究テーマと研究グループの選考プロセスは傑出していて、米国のNSFが助成金の提供先を決める方法と酷似していることである。

CRESTの事業の成行きを注視することは非常に重要であり、私がお勧めするのはそのための系統的方法を考案することだ。ピアレビュー審査方式の学術誌に発表された論文や国際的に認知された会議での招待講演を調べることから始めるのがよい方法だが、ほかの要因についても調査・報告すべきである。検討が必要なほかの要因には、実施中の研究に対する企業の関心、日本の研究機関への外国のポスドクの招致、海外のポスドクを起用する日本人研究者の数などである。CRESTの一部のプロジェクトを企業で実施できるようにすることは良い考えだ。残念ながらNSFは今のところこれを実践していないが、幸いにも米国ではNIST(国立標準技術研究所)やDARPA (国防総省高等研究計画局)などの政府機関が、企業の研究所で実施されるプロジェクトに研究資金を提供している。

ICORPのプロジェクトはERATOやCRESTよりもはるかに少ないが、日本人研究者が国際的認知を得たり、彼らが日本へアイデアを持ち込んだり日本のアイデアを外国へ持っていったりするのを支援するという点で重要な役割を演じている。ICORPのプロジェクトを発足させることは多少複雑である。共同研究を行いたい2つの研究チームが必要なだけでなく、2つの資金提供機関、すなわちJSTとほかの国の同等機関がプロジェクトへの資金資金提供を承諾することも必要になるからだ。官僚主義もプロジェクト開始の障害だが、いったん走り出せば努力は報われる。米国側の2人の代表研究者と話して分かったことは、ICORPのプロジェクトは太平洋の両側で大成功を収め、プロジェクトの終了後も協力関係が継続していることだ。キーポイントは研究者全員の間の良好なコミュニケーションリンクであり、電子メールを交換したり時々訪問し合ったりするだけでなく、海の両側の研究スタッフが本当によく知り合えるように定期的な膝を交えた会合も必要である。私が強くお勧めするのは、各プロジェクトの研究費の一部をビデオ会議設備に充当し、これを定期的に利用することによって2つの研究グループ間の交流を改善することである。
   
3. 研究プロジェクトの管理的側面
柔軟にかつ積極的に変革を行おうというJSTの姿勢には、拍手を送るべきである。ERATOの管理は20年の継続期間中、進歩を続け、現在と過去のERATOの研究者からの意見や、米国の調査団などによる事業評価、研究コミュニティからの意見をたびたび考慮しながら、漸次的な変革が定期的に行われていった。ERATOのプロジェクトのピアレビュープロセスをもっとオープンにすべきだという批判を聞いたことがあるが、私個人としては、この事業が成功していることは現在のプロセスのままで問題ないことの証明であり、このままで行くべきだと思う。研究テーマと総括責任者の選考を慎重に行うことで、JSTは文句をつけられる余地がほとんどない立派な仕事をしてきた。プロジェクト期間をどのプロジェクトについても5年にすることにも私は同意するが、いつから数えて5年にするかについては柔軟に取り決めるべきだと思う。一部の研究分野については装置をすべて取得して研究室を整備するのにほかの分野よりも時間がかかり、装置が納入されるまでの時間やセットアップされるまでの時間が5年のうちのかなりの割合を占める場合には、研究のための時間が不足してしまう。

ほとんどのプロジェクトについて半年の猶予期間が設けられているが、この期間はケースバイケースで決定すべきであり、場合によっては最長1年まで認めるべきだと思う。見直しが必要なもう一つの問題は、5年の期間を通しての研究資金の配分方法である。会計士であればキャッシュフローとそれに伴う支出にムラがないことを好むが、研究ではお金をどっと使う時期とまったく使わない時期があることが多く、また特にプロジェクトの終盤には極端な資金不足に陥る。したがって、プロジェクト実施期間を通しての資金の配分についてはより柔軟に対処できるようにすべきであり、機会が実現すれば何らかの方法で資金を増額可能なようにすべきである。以上をまとめれば、JSTはERATOに対する資金提供を現在のやり方で継続すべきであり、またできる限り優秀な総括責任者を見つけて、海外からの研究者も含む最優秀スタッフを彼らが起用できるように支援すべきである。その意味では、黒田玲子教授が黒田カイロモルフォロジープロジェクトの総括責任者に選任されたことは非常にうれしかった。

黒田教授はこのような権威ある地位を与えられた最初の女性研究者であり、私がJSTに対しお勧めするのは、このような起用の機会を、求める先がたとえ海外であっても、引き続き探すことである。黒田教授は科学に興味を抱く日本の若い女性にとってうってつけの役割モデルであり、減少しつつある中核研究者を増やすために女性層から人材を獲得する仕事で一役買うことができる。JSTは、科学技術分野の女性会議の開催を検討するかもしれない。この会議にはJSTから支援を受ける女性研究者全員が招待されるだろうが、MIT(マサチューセッツ工科大学)のミルドレッド・ドレッセルハウス教授のような外国の女性科学者数人をゲスト講演者として招待することを検討すべきである。

PRESTOの管理は、2、3人の研究者からなる研究チームを支援するための手段としてのTORESTをPRESTOに統合した上で、現状のまま継続すべきである。PRESTOの基本的な欠点は、研究資金が個人研究者だけを対象としていることだった。多くのプロジェクトでは複数の研究者が必要であり、複数の研究者がいれば複数の分野が結びつくことが多く、成功の可能性が生まれる。TORESTはこの欠点を補うもので、私が思うにはTORESTは多様な研究支援を提供するための1歩として適切である。成功したPRESTOプロジェクトは、より大きな影響を与えるために研究活動の増加を必要とし、TORESTプロジェクトにとってはアイデアの供給源になるはずである。

ただし、質を保つためには、ほかの応募と同様にTORESTのプロジェクトを、引き続きピアレビューにかけるべきである。PRESTOやTOREST、CRESTでは、テーマを見出すことはピアレビュープロセスの非常に重要な部分である。新分野(特に、開発中の分野)がすべて確実にカバーされるように、世界中の研究社会を巻き込むことを、私は提案する。

PRESTOの研究者の何人かは、潤沢な研究資金に感謝しつつ、研究費を翌年に持ち越す点での柔軟な処置を取れるようにすることを提案した。研究の観点からは最適ではない時機に研究費が出て、その時点で使わなければならないことが多いからである。研究者は特殊な研究装置の購入にもっと関与すべきだ、という提案もあった。装置が既製品でなく研究者が特注したものの場合は、必要な装置が確実に取得されるように調達プロセスに関与しなければならない。

CREST事業はJSTが実施する最大の事業であり、管理にはかなりの時間を要する。JSTの役割は、その親組織である科学技術庁(STA)が設定した戦略的目標の枠内で研究領域を選択することである。このような研究領域の多くは新領域であり、提案を評価する研究者が日本に不足している懸念がある。この点に関し私がお勧めするのは、前述したように外国人評価委員を起用することだ。これは米国を始め多くの国々で普通に行われている。従来の障壁を、外国人科学者を参加させない口実として用いるべきではない。目的は最高の科学を見出すことであり、これは研究者人口が過密でない分野に存在することが多いからである。科学には世界的なコミュニティがあり、日本はこのコミュニティを活用すべきである。

外国には多くの事例があるように、新技術の多くは大企業に吸収されるよりも新興企業によってまず実用化される。一部の研究者は、JSTの幹部には新興企業出身者がいないため、JSTの幹部は新興企業の文化を理解していない、との懸念を表明していた。技術移転の多くはこのように起こるため、JSTはこのような小企業のニーズを理解する人をコンサルティング契約で採用することを検討すべきかもしれない。

研究を増強するために複数の資金提供源から研究資金を得るという問題も浮上している。研究能力を高めるために研究チームが別の研究資金を見つけることができるのであれば、それを奨励すべきと私は考える。JSTからの研究資金が活きてくるからである。

複数の資金提供源から研究資金を得ることは、米国などの国々では一般的な慣行である。そのような追加資金は、当初の研究費ではかなわなかった新しい方向に研究を向かわせる刺激になる可能性がある。
   
4. 一般的な意見と助言
我々は、進行中のJSTの事業、ERATO、PRESTO、ICORP、CRESTの評価を要請された。JSTは新たに2つの事業、TORESTとSORSTを発足させたが、これらは非常に新しい事業であるため、目的は十分に理解されたということ以外にはこれらについて語りえることはほとんどない。

ただし、前述したように私の観点からは、TORESTはPRESTOに非常によく似ており、2つの事業を一緒にして1つの事業として管理することがおそらく必要と思う。PRESTOのプロジェクトは研究者が1人、TORESTのプロジェクトは研究者が2、3人という事実は、管理上の重大な違いはないことを物語っている。資金のすべてが複数の研究者からなる研究チームに渡らないという懸念があれば、JSTは事業のタイプ別に資金配分することを検討し、最も優れたものが助成金を受け取るようにするべきだろう。もう一つの一般的な意見は、JSTは、プロジェクトの多様性(プロジェクトの内部でプロジェクトが実施されることさえある)を考慮に入れながら、もっと融通を利かせてさまざまな事業を管理する必要があることだ。21世紀を迎えるに当たって、日本にとって重要なのは、起業家精神をもっと高めて、まったく新しい事業を発足させるという手段に頼らなくても、世界的に競合し好機を素早くつかめるようになることである。そうすれば覇気に満ちたトップクラスの研究者は日本に留まり、より大きな自由が得られる国へ向けて出発することはなくなる。JSTは研究環境と研究文化の変革を支援する先駆者であり、今後も引き続き、スタッフの保守化を食い止め、素晴らしい成果が得られずにその逆の結果になるとしても手続には従わなければならないと彼らが主張することがないようにしなければならない。

JSTに対しもう一つお勧めしたいことは、実務に携わっている研究者を事業の管理に参加させることだ。このような人たちはNSFではrotator (交替者)と呼ばれていて、職場を2年間離れ、ワシントンに来て事業の管理を手伝い、元の大学や研究所に戻る。JSTも研究者も、このような制度から得るものがあるだろう。

外国人評価委員は、企業の研究所と大学の研究所の安全基準の違いにショックを受けた。大学の研究室の中には、事故の発生を待ちわびているように見えるところもあったからだ。空のダンボール箱で一杯の廊下、通り抜け不能な非常口、装置に触れずには通れないほど狭い通路。事故はいつ起きてもおかしくない。外国人評価委員は全員、JSTは早急に是正処置を取る必要があることを痛感している。ほとんどの大学には安全規則があるが、軽視されているようだ。この点は日本だけに限らないが、日本の場合には問題が多すぎる。

1995年はJSTにとって非常に大きな挑戦の年だった。日本政府がJSTなどの日本の科学技術政府機関に対する予算を大幅に増額し、1996年から使うように要請したのだった。JSTは進行中の2つの事業、ERATOとPRESTOの質を伝えるという戦略を打ち出し、CRESTを手始めにいくつかの新事業を開始した。CRESTは非常に競争的な事業であり、多くの関心を引いたことは評価されてよい。1,350件の提案が出され、初年度には54件に研究資金が提供された。今年度は、602件の提案中42件に研究資金が提供された。興味深い点は、提案のうちの16件は以前からCRESTで資金提供を受けていたプロジェクトの継続だったが、研究資金を新たに得たのはそのうちの4件しかなかったことだ。

CRESTは競争率が非常に高いことと、以前に資金を受けていても継続して助成を受けられる保証はないことが、これによって分かる。JSTの管理が活発に力強く行われていることの証明である。

実施中の事業のすべてに対しJSTが一定の期間を設定していることは、賞賛に値する。一部のプロジェクトだけを選択的に終了させほかは終了させないようにすることは、難しいと思われるからだ。一部の人々の感情を損なう恐れがあるし、面子を失わせるような選択をすることは非常に困難であろう。

最後になるが、前述したERATO事業の女性総括責任者を始め、さまざまなJST事業に女性の参加を見るのは、明るい材料である。この傾向は支持すべきであり、さらに積極的な計画を実施していっそう多くの優秀な女性研究者を発掘し、さまざまなJST事業で支援していくことが必要である。日本の女性たちにとって必要なのは、科学技術分野で成功した女性を知り、彼女たちを役割モデルとすることである。これと同じ路線だが、在留外国人 - たとえば、日本に永住する韓国人や中国人 - をさまざまな研究プロジェクトのリーダーに起用するのも得策だろう。日本人男性研究者の予備軍が減る中で、日本にとって肝要なのはその住民を最大限活用しきることであり、日本人女性と在留外国人はこの研究者不足を補いえる最大の人材供給源である。

日本と外国の特許出願数がかなり着実に増加していることがわかった。かかる努力を認めた上で私が提案したいのは、追跡調査を実施して商業的応用の観点からそのような特許の価値を定量化することである。特許の価値を定量化できれば、研究投資がもたらす収益を直接示す良い方法になるだろう。これを行うのは難しく慎重を要するが、潜在的な重要性を考えれば有益である。

JSTは日本の科学者への支援の面で素晴らしい仕事をし、変革の実践が困難な国で事業を行う新しい道を先頭に立って切り開いてきた。科学分野の競争の糧は変革であり、日本が科学分野のリーダーの一員になるためには、速やかに変革を行って新しい状況に適応していくことが必要である。JSTは変革の役割モデルであることが立証されたが、その立場を今後もとり続け日本が提供しなければならない最高のものを支援していくことを私は期待する。

最後に指摘したい点は、日本の研究コミュニティの強化に対してはかなり注意が払われているが、人材を作り出すことに関してはほとんど注意が払われていないことである。ポスドクを増員することは非常に意欲的で価値ある目標だが、私が見る限りではポスドク期間後の研究者の進路という問題については十分な取り組みがなされていない。大学内のポジションを新人研究者を十分吸収できるだけどんどん増やすことは不可能だから、このような人材の大多数は企業界が吸収する必要がある。

米国のライフサイエンスは長年に渡ってこの問題を経験していて、既婚で家族持ちの40代のポスドクが目的なくポスドクの職を転々と変えるのを見受ける。この状態がこのような専門的職業にとって健全でないことは明らかであり、長期的には最優秀の若手が科学分野の職業に魅力を感じなくなるという事態をもたらす。

 
5 米国の大学もこの問題に取り組んでいて、多くの学部は学際的な研究を賞賛してはいるものの、そのような研究に対し研究者に報いることは少ない。学部で実施されている研究の主流から外れるからである。
6 JTECH Panel Report on the Japanese Exploratory Research for Advanced Technology (ERATO) Program (12/88), NTIS Report #PB89-133946/XAB
7 Japan's ERATO and PRESTO Basic Research Programs, NTIS Report # PB96-199591
8 ここで挙げたリスクの中には、自主的に行動し独力で研究資金を調達する若手研究者の雇用に、古参研究者が消極的なことがある。
9 NSFと米国商務省から委託された1996年度日本ERATO/PRESTO基礎研究プログラム調査の委員長を務めたほか、私はJTEC調査団の一員として何度も訪日しERATOプロジェクトを評価した。これらの調査は全部、次のウェブサイトに掲載されている。http://www.itri.loyola.edu
10 初期の研究はERATOの外村位相情報プロジェクト(1989〜1994年)で実施された。この研究の成果がその後、新しい1MVホログラフィー電子顕微鏡の提案に使われた。これはCREST事業から研究資金を提供され、費用は日立製作所も負担した。東京大学の北沢教授はCRESTの研究代表者である。
 
結論
私を日本に招待しJSTの基礎研究事業を評価する栄誉を与えてくださった川崎理事長とJSTのスタッフの方々に、個人的に感謝の意を表したい。JSTは外国人評価委員会に対し、研究者を訪問する機会や、JSTの事業について以前にJST事業に参加した経験を持つ研究者と討論する機会を与えてくれた。また、全事業に関する大量の資料を用意し、我々の質問のすべてに答えてくれた。「基礎研究事業に関する評価報告書の中間要約」と各事業の詳細報告書は今回の評価に非常に役立ち、これらがすべて英語に翻訳されていたことはありがたかった。JST (JRDCも含む)の20年の歴史は業績達成の記録であり、日本と日本の研究コミュニティはJSTの成果から多くの利益を得ている。

ジョージ・ガモタ

連絡先はTel:781-863-1320、e-mail: ggamota@gis.net

 ジョージ・ガモタはミシガン大学で物理学博士号を取得し、技術の商業化に関しては30年間の経験がある。彼は産、官、学界で要職につき、研究、技術評価及び大学院教育において大きな責任を負ってきた。彼は国内外の研究・技術評価の専門家であり、新しい重要技術や科学政策を網羅した話題に関して幅広く著述している。彼は以下の多くの書籍、雑誌論文及びレポートの著者或いは寄稿者である。

国防総省の研究プログラム
確実な地歩を得つつある(Gaining Ground):日本の科学技術の進歩
ソビエトの民間科学の現状
進歩する日本の技術力ー米国経済に対する意味合い
ウクライナの科学、技術及び転換
日本のERATO及びPRESTO基礎研究プログラム
日本の主な技術センターのプログラム

 彼は国内会議や国際会議のゲスト・スピーカーとして、優先研究課題、重要技術、テクノロジー企業の経営、科学者や技術者に対する補習教育に関して講演してきた。ガモタ博士は全米科学財団(NSF)その他の米国政府機関が支援するJTEC(Japanese Technology Evaluation Center)のプログラムにおいて重要な役割を果たしてきた。JTECは1983年以来、日本の科学技術に関して50件以上の報告書を刊行してきた。
 ガモタ博士はマサチュセッツ州レキシントンのサイエンス&テクノロジー・マネージメント・アソシエーツ(STMA)社長であり、メリーランド州ボルチモアのロイオラ大学国際技術研究所(ITRI; International Technology Research Institute)の副所長である。STMAの専門分野は

 彼はかつて、マイター(MITRE)コーポレーションのマイター研究所長であった。1989年に就任する以前は、多くの企業のシニア・アドバイザーを歴任、重役会の役員を務めた。ガモタ博士はNSF、NASA、防衛高等研究企画庁(DARPA)等の政府機関の顧問を務め、NSFや国防総省(DOD)が特に興味を持つ技術プログラムの開発にあたっていた。彼は海外応用科学評価センター、NSFによる「日本と世界の技術の評価プログラム」及びDODの新技術プログラムを始動させる手助けをし、それぞれに関わってきた。
 彼はこの10年間、旧ソビエト連邦の研究学界に対する支援に深く関わってきた。彼は、旧ソビエトの科学者と技術者を支援する米国の専門調査団の委員を務めた。1994年には米国科学アカデミー国際安全・軍備管理委員会の顧問にも任命された。1997年9月から2000年3月までは米国国際開発局(USAID)が支援するウクライナのビジネス インキュバータ開発(BID)プログラムの国内マネージャーと最高司令官を歴任した。BIDプログラムによって、今日までに565社のハイテク中小企業がウクライナで設立された。
 1986年から1989年まで、ガモタ博士はサーモ・エレクトロン・テクノロジーズ・コーポレーションの社長であった。同社は、レーザー、光学、特殊コンピューター、宇宙パワー マテリアル及び新型器具を専門とする資本金1700万ドルのハイテク企業である。彼の重要な成果として、大規模な買収を指揮したことや新しいレーザー会社を設立したことなどが挙げられる。
 1981年から1986年までは、ミシガン大学物理学部の教授であり、同大学科学技術研究所の所長を務めた。彼はまた、大学から企業にスピン・オフする発明を鑑定し、出資するための民間ベンチャー企業であるミシガン・リサーチ・コーポレーションを設立した。
 1976年から1981年までは、国防長官局の研究局長であった。彼の主な任務としては、研究局の設立、軍事用の新技術の開発、最も有望な技術を明らかにすることによる優先事項の設定及び軍部、ホワイトハウス、議会間の予算管理などが挙げられる。彼はDODにおける功績に対し、米国国防長官Meritorious Civilian Service Awardを受賞した。
 1967年から1976年までは、ニュージャージー州マレーヒルにあるAT&Tベル研究所に勤務していた。先ず最初はテクニカルスタッフの一員からスタートし、徐々に責任のある地位に昇進した。彼の最後の役職はベル研究所社長の特別補佐であった。彼は固体・低温物理学で幾つかの画期的な発見をし、審査を通った雑誌や書籍にそれらを大々的に発表している。
 ガモタ博士が授与した様々な認証や賞として、Presidential Management InternsからのCertificates of Appreciation、ミシガン技術審議会、米国在郷軍人会賞、米国科学振興協会(AAAS)の特別会員、米国物理学協会(APS)の特別会員、電気電子技術者協会(IEEE)のシニア会員などが挙げられる。彼は2000年4月にウクライナの科学アカデミーの会員に選出された。


This page updated on August 22, 2001

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