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平成30年10月25日

東京大学
科学技術振興機構(JST)

光を巧みに操ることで新しい分子分光法の開発に成功

~光の波形制御で分子の同定を高速・簡便化~

ポイント

物質に当てた光の吸収を測定することで物質を構成する分子種を同定する化学分析法は、20世紀後半以降の科学と産業の発展に大きく寄与してきました。その中でフーリエ変換分光法注2)と呼ばれる手法は原理がシンプルであるため、化学分析の標準手法として過去50年間にわたり広く利用され続けてきました。しかし、この手法は計測に時間がかかるため、短い時間内に起こる現象を計測することや、統計データを取るために一定時間内に多くの計測をするという、現代科学の要請に応えることができていませんでした。そこで光科学の研究者たちは、この問題を解決する手法を開発してきましたが、複雑で特殊なレーザーが必要などの問題を抱えており、誰にでも使える簡便な計測器を実現するには至っていません。

東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻の井手口 拓郎 講師らの研究グループは、最先端の光技術の知見を基にこれまでのフーリエ変換分光法を見直し、その計測装置に高速に角度変化する鏡を利用した波形制御技術を導入する工夫を施しました。その結果、従来手法を約1,000倍高速化できることを見いだし、1秒間に1万回以上の計測をすることに成功しました。今後、短時間のうちに複雑な化学反応を経る燃焼過程の解析や、リアルタイムの環境モニタリング、食品、生物試料の分析などに利用されることが期待されます。

本研究成果は、2018年10月25日(英国夏時間)に国際科学誌「Nature Communications」のオンライン版で公開されます。

なお、本研究は、科学研究費若手研究(A)(研究代表者:井手口 拓郎)、科学研究費挑戦的研究(萌芽)(研究代表者:井手口 拓郎)、光科学技術研究振興財団研究助成(研究代表者:井手口 拓郎)、村田学術振興財団研究助成(研究代表者:井手口 拓郎)先端光量子科学アライアンス(APSA)、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「量子技術を適用した生命科学基盤の創出」研究領域、課題名「超高感度ラベルフリーイメージング法の開発」平成29年度採択(研究者:井手口 拓郎)からの支援を受けて行われました。

<研究の背景>

分子は私たちの身の回りの物質を構成する単位として身近なものです。空気は複数の気体分子から、飲食物は液体や固体の分子から構成されています。また、私たちの身体を構成する細胞もさまざまな分子で構成されています。それら分子の種類や量、さらにはその動態を観測するツールは、私たちの身の回りで起こる現象を科学的に理解するために非常に大きな役割を果たします。数ある分子を計測する手法の中で、光を用いた方法は、対象物を壊すことなく元の状態を保ったまま計測できるという優れた特性を持っています。この特性を活かし、身の回りの物質、例えば大気中の環境ガスの計測や、生物の細胞や組織の計測などに利用されています(図1)。

分子を構成する複数の原子は、外部からエネルギーを与えられると各々固有の周期で振動する性質を持っています。この振動のエネルギーと同じエネルギーを持つ光を分子に当てると、分子は光を吸収して振動し始めるため、この光の吸収を計測することで分子を同定することができます。この手法は一般に分子分光と呼ばれますが、その中で最も広く利用されているのがフーリエ変換分光法です。約50年前に発明されたこの分光法は、現在においてもなお化学分析の標準法として利用されています。さまざまな周期で振動する分子振動を1回で同時計測できるため、あらゆる分子の同定が可能ですが、計測速度が遅いため、1秒間に10回程度の計測が限界でした。この問題に対して、近年、極めて緻密に制御された最先端レーザーを用いて同等の計測を高速化する手法(デュアルコム分光注3))の研究が盛んに行われ、光計測科学の一大トピックとなっています。しかし、この手法には複雑な実験装置が必要であるため、実用的な計測機器には向きません。

<開発した手法の概要>

東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻の橋本 和樹 大学院生と井手口 拓郎 講師は、最先端の光技術の知見を基に従来型のフーリエ変換分光法を再考し、わずかな工夫を施すことで1秒間に12,000回の広帯域分子分光計測ができることを見いだし、その実証に成功しました。従来のフーリエ変換分光法の計測速度を律速していたのは、マイケルソン干渉計注4)の一軸方向に動く鏡の動作速度でした。著者らは、この鏡の持つ機能を光の波形制御技術注5)で代替することができる点に着目し、波形制御機構を持つマイケルソン干渉計を導入しました(図2)。高速に角度変化する鏡を波形制御機構に組み込むことで、従来型に対して1,000倍の高速性能を実現するに至りました(図3)。波形制御で光の干渉波形を最適化することにより、データサンプリングの周波数で決まる最高速度の計測を実現したことがこの技術のポイントです。これにより、デュアルコム分光法と同等の機能を実現しました。また、本手法は光源に高い時間コヒーレンスを要求しないため、デュアルコム分光法のようにコヒーレントなレーザー光源を用いる必要がありません。そのため、太陽光やLEDなどの身近な光(インコヒーレント光注1))による高速計測が可能であることもこの手法の利点です。

<社会的意義>

今回開発した技術は科学技術の基盤をなす汎用的な計測技術であるため、さまざまな分野への応用が想定されます。具体的には、これまで計測が困難であったパターン化していない高速現象、例えば、製造現場などで複数分子が複雑に入り乱れて化学反応を起こす燃焼過程の計測などが可能となります。また、単位時間あたりに多くの計測が可能となるため、広い範囲の大気中環境ガスのモニタリングや、食の安全を守る食品検査、生命科学のための生物試料の計測などへの利用が期待されます。

<参考図>

図1

図1

身の回りのモノを構成する分子の振動による光の吸収。吸収が現れる光の周波数は分子振動に固有であるため、吸収スペクトルから分子の同定が可能である。

図2

図2

従来型のフーリエ変換分光法(左)と開発したフーリエ変換分光法(Phase-controlled Fourier-transform spectroscopy)(右)の概略図。

図3

図3

開発した手法で計測した分子吸収スペクトル。(左)シアン化水素(HCN)の吸収を含む広帯域スペクトル。(右)毎秒12,000スペクトルの速度で計測したアセチレン(C)の吸収スペクトル。

<用語解説>

注1)コヒーレント光、インコヒーレント光
空間的あるいは時間的に光の波の位相が揃っている場合、その光をコヒーレント光と呼び、具体的にはレーザー光が挙げられる。本技術では、時間に関するコヒーレンスを対象としている。一方、太陽光やランプ、LEDなどの光は位相が揃っておらず、インコヒーレント光と呼ばれる。
注2)フーリエ変換分光法
光の干渉を利用した分光法。はじめに、入力光を2つに分割・再結合して出力するマイケルソン干渉計に広いスペクトルを持つ光(一般には白色光)を入力し、出力光を光検出器に導入する。次に、干渉計で分割された光の相互遅延量を変えながら光の強度を計測することで、白色光の自己相関干渉波形を得る。最後に、得られた波形をフーリエ変換することで入力光のスペクトルを得る手法。
注3)デュアルコム分光
光周波数コム(2005年ノーベル物理学賞の対象技術)と呼ばれる極限制御された広帯域レーザーを2台用いることで実現するフーリエ変換分光。繰り返し周波数のわずかに異なるパルスレーザー2台から出射されるビームを空間的に重ね合わせて光検出器で干渉光の強度を計測する。パルス間の相互遅延量が自動的に増加(または減少)するため、高速なフーリエ変換分光が可能である。
注4)マイケルソン干渉計
半透過鏡に入射し、空間的に2つに分けられた光をそれぞれ鏡で跳ね返し、同じ半透過鏡でそれらの光を再度重ね合わせ、光検出器でその干渉強度を計測する干渉計。フーリエ変換分光法の基幹部であるのみならず、重力波検出器(2017年ノーベル物理学賞の対象)などにも利用されている。
注5)光の波形制御技術
広帯域光を空間的にスペクトル分解し、空間分解された光スペクトルの位相を変化させることで、光の波形を任意に変化させる技術。

<論文情報>

タイトル Phase-controlled Fourier-transform spectroscopy
著者 Kazuki Hashimoto, and Takuro Ideguchi* *責任著者
DOI 10.1038/s41467-018-06956-x

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

井手口 拓郎(イデグチ タクロウ)
東京大学 大学院理学系研究科 物理学専攻 講師
Tel:03-5841-1026
E-mail:

<JST事業に関すること>

川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
Tel:03-5214-8404
E-mail:

<報道担当>

武田 加奈子(タケダ カナコ) 特任専門職員

大越 慎一(オオコシ シンイチ) 教授・広報室長
東京大学 大学院理学系研究科・理学部
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