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平成29年6月2日

筑波大学
量子科学技術研究開発機構(QST)
科学技術振興機構(JST)

超極微量試料の化学構造を決定できる量子センシングNMR

ポイント

国立大学法人 筑波大学 知的コミュニティ基盤研究センター 磯谷 順一 名誉教授、国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 高崎量子応用研究所(以下「QST高崎研」という)小野田 忍 博士、住友電気工業株式会社 アドバンストマテリアル研究所 角谷 均 博士らは、シュツットガルト大学・マックスプランク研究所(ドイツ) Jörg Wrachtrup 教授のグループとの共同研究により、ダイヤモンドの単一のNVセンター(図1)という室温動作・ナノ空間分解能を持つ量子センサ注1)を用いた量子センシングNMRを開発し、20ゼプトリットル注2)の検出体積から、Hおよび19FのNMRのそれぞれにおいてケミカルシフト注3)の観測に成功しました。

NMRは化学構造同定の有用な手法として化学・生物学・医学・物質科学に用いられていますが、感度が低く大量の試料を必要とするという難点がありました。一方、ダイヤモンドの単一NVセンターの電子スピンを1量子ビットの量子センサとして用いることにより、室温でナノスケールの空間分解能を持つナノNMRが示されています[参考文献1, ]。しかし、NVセンターを用いるナノNMRは水素かフッ素かというような核種の区別がつくのみで、本来NMRが得意とする化学構造同定には程遠い周波数分解能(~2kHz)にとどまっていました。本研究では、3T(テスラ)の高磁場を用い、15核スピン注4)をメモリに用いることによりセンサの周波数分解能を1mHzへと改善しました。さらに、量子コンピューティングへの応用に開発されてきた量子操作技術・量子アルゴリズムを駆使し、ケミカルシフトの観測に成功し、通常のNMRが必要とする試料より11桁も少ない超極微量の試料の化学構造同定という革新的手法(量子センシングNMR)の開発に成功しました。

本研究成果は、6月1日付「Science」誌(オンライン版)に掲載される予定です。

本研究の一部は、科研費基盤(A)「ダイヤモンド中のNVセンターのナノ配列作製による数量子ビット量子レジスタの作製」(研究代表者:磯谷 順一 筑波大学 名誉教授)、科研費基盤(S)「ダイヤモンド表面キャリアによる電子スピン制御とその生体分子核スピン観測への応用」(研究代表者:川原 田洋 早稲田大学 教授)の支援のもとに実施されました。また、実験に用いたダイヤモンド(111)薄膜は、科学技術振興機構(JST) 戦略的国際科学技術共同研究推進事業 (戦略的国際共同研究プログラム)日独共同研究(ナノエレクトロニクス)「ダイヤモンドの同位体エンジニアリングによる量子コンピューティング」(研究代表者:磯谷 順一 筑波大学 名誉教授、Fedor Jelezko ウルム大学 教授)において合成したダイヤモンド結晶から切り出したものです。

<研究の背景>

ダイヤモンド中のNVセンターは、1997年に単一分子に相当する単一欠陥の検出、単一欠陥のESRスペクトルの観測が報告[参考文献3]されて以来、室温・常圧動作のスピン量子ビットとして、量子コンピューティングへの応用の研究が行われてきました。

NVセンターの電子スピンの共鳴周波数は磁場・電場・温度・圧力によって変化しますので、これらを検出するセンサとして利用できます。ここで量子センシングを導入すると、変化の検出感度が大幅に向上します。NVセンターは室温・常圧で、コヒーレンス時間(重ね合わせ状態という位相情報を保つ時間)が長く、高感度の量子センサです。単一欠陥という小さなセンサであるためナノスケールの分解能が得られます。また、光による初期化・読み出しなど、光によってアクセスできるセンサであることも特長です。ダイヤモンドが化学的に安定であり、生体親和性を持つことも長所になっています。

ダイヤモンドの単一のNVセンターを量子センサとするナノNMRについては、(5nm)=~0.1ゼプトリットルの検出体積中の10,000個のH核スピンのうち100個の分極したH核スピンの検出[]、さらに、ダイヤモンド表面に堆積したSiO膜中の4個の29Si核スピンの検出[参考文献4]が報告されています。ナノスケールのイメージングも示されました[参考文献5]が、NMRが本来得意としてきた化学構造同定の情報は得られませんでした。NVセンター電子スピンの短いスピン格子緩和時間(数ms)で分解能が制約されること、液体試料では分子が拡散により検出体積から逃げていくためにNMRシグナルの線幅が広がる(分解能が低下する)こと、低磁場を用いるためケミカルシフトが分離されない、などのことから、得られる分解能は12000ppmに相当し、構造決定・化学的同定の要件である1ppm以下の周波数分解能からは程遠い状況でした。

<研究の内容と成果>

本研究では、ダイヤモンド表面においた試料の核スピンをラジオ波パルスで駆動して得られるNMRシグナルを、表面から浅い位置にある単一のNVセンターを量子センサに用いて検出しました。

その結果、水素(H)核においては、ダイヤモンド表面に置いたポリブタジエン油((-CHCH=CHCH-)n,n~90)のアルカン水素(-CH-)とアルキン水素(=CH-)とのケミカルシフトを検出しました。磁化の減衰(T=5.4 ms)と拡散係数から検出体積を(28nm)=~22ゼプトリットルと見積もることができました。これは、通常のNMRが必要とする量(~1ナノリットル=(100μm))よりも、11桁も少ない超極微量の試料で、NMRが得意とする化学構造決定の情報を引き出す革新的な手法であることを示しています。また、フォンブリン油(PFPE、perfluoropolyether)では、フッ素(19F)核においてケミカルシフトを検出しました。これら2つの事例のシグナルの線幅(分解能)は1.3~1.4ppmであり、今までの室温ナノNMRの12000ppmから4桁も改善されました。このような、室温ナノNMRにおける画期的な高分解能化を成し遂げた要因として以下の4つの技術が挙げられます。

(1)3T(テスラ)の高磁場

ケミカルシフトの異なる核の共鳴周波数の差は磁場に比例します。したがって、ケミカルシフトを観測する量子センシング高分解能NMRでは高磁場で測定することが必須です。従来のナノNMRでは0.03T付近の磁場を用いてきたのに対して、本研究では超伝導磁石による3Tの高磁場(H-NMR周波:128MHz)でのナノNMRを実現しました。この高磁場ではNVセンターの窒素の核スピン(15N)のスピン格子緩和時間が室温で260秒にまで長くなることにも注目しました。

(2)窒素の核スピンをメモリ部分、電子スピンをセンサ部分とするハイブリッド型のナノNMRプローブ

NVセンターの持つ窒素の核スピン(T,メモリ=260秒)をメモリ部分、電子スピンをセンサ部分とするハイブリッド型のナノNMRプローブ(図3)とすることで、時間に対して変化するNMRシグナルの長時間にわたる追跡が可能となりました。センサ自身は1mHz(3TのH核に対して10-5ppm)の周波数分解能を達成しました。

(3)ナノNMRの検出体積の拡大

単一NVセンターをセンサに用いるナノNMRでは、検出体積が小さいために、液体分子の拡散が周波数分解能を低下させるという難題がありました。本研究チームが開発した12C99.995%濃縮高圧高温合成ダイヤモンド結晶(不純物窒素濃度11ppb)の薄膜を使用することで、深さ30~50nmの単一NVセンターをセンサに用いることが可能になりました。これは従来のナノNMRで常識とされていた深さ2~10nmを覆すものであり、これによって~1ppmの分解能が達成されました。

(4)量子アルゴリズムの活用

量子センシングNMRでは、「量子もつれ注5)」や「量子非破壊測定」など、NVセンターの量子コンピューティングへの応用の研究で培われた量子操作を盛り込んだ量子アルゴリズムを活用しています。これにより、高速操作が可能になり、精度も大幅に向上します(図4)。

<今後の展開>

本研究で開発した量子センシングNMRでは、通常のNMRで用いるコイルの代わりに、単一NVセンターをセンサに置き換えてNMR信号を検出します。したがって、2次元NMRや固体試料の高分解能化の多重パルス法など任意のパルス系列を用いて豊富なNMRの手法を適用することができます。これにより、固体試料など、さまざまな試料の測定が可能になると考えられます。また、超極微量の試料の化学構造決定を可能としたことは、細胞のナノスケールのMRIイメージングや、超微細化が進んでいる電子デバイスの表面付近の内部構造評価などの分野において、革命的な変化をもたらすことが期待できます。

<参考図>

図1 ダイヤモンドのNVセンター

ダイヤモンド中のNVセンターは、隣接する2個の炭素原子を窒素と原子空孔のペアーが置き換えた構造で、電荷-1、スピンS=1を持つ。単一NVセンターの単一電子スピンは、室温で、光による初期化(M=0にする)、光によるスピンを読み出し、マイクロ波パルスによるコヒーレント操作ができ、コヒーレンス時間が長いなどの特性を持つ。

図2 本研究に用いたダイヤモンド結晶

  • (左)核スピンを持たない同位体12Cを99.995%濃縮した高圧高温(HPHT)合成ダイヤモンド結晶
  • (中)左の結晶からレーザーで切り出し研磨した(111)基板
  • (右)(111)薄膜作成例(1mm×1mm×90μm)
  • 本研究では2mm×2mm×88μmの薄膜を使用した。

図3 ハイブリッド型ナノNMRプローブと検出体積

量子センシングNMRでは、超伝導磁石の径10cmのボア(室温)内に、レーザー走査型共焦点蛍光顕微鏡を置く。ナノNMRプローブは量子センサ(電子スピン)と量子メモリ(15N核スピン)で構成される。本研究では、量子センサの感度の改善により、NVセンターの深さを、従来の2~10nmから30~50nmへと大きくした。検出体積が大きくなったため、液体試料の分子拡散による線幅の広がりが小さくなり、ケミカルシフトの検出が可能となった。

図4 量子センシング高分解能NMRのアルゴリズムと制御パルス系列

センサ(電子スピン)とメモリ(15N核スピン)の2量子ビットの量子プロセッサとして機能する量子アルゴリズムを構成している。初めに試料の磁化を測定し(符号化)、NMRパルス系列の時間t後に、変化した磁化との相関をとる(復号化)。量子情報を壊さずに繰り返し読み出すことができる量子非破壊測定を用いて読み出す。量子回路として示されたアルゴリズムは一連のパルス系列として実装される。NMRパルス系列の間はメモリに保存される。センサは分離されており、NMRシグナルの追跡時間(tの範囲)はセンサ(T)に依存しない。

<用語解説>

注1) 量子センサ
量子系に特有の現象を利用することにより高感度・高選択性のセンサが実現します。NVセンターでは電子スピンの重ね合わせ状態という量子現象を利用して交流磁場などを高感度に検出します。通常の1ビットが0か1しかとれないのに対して、1量子ビットのセンサは位相の蓄積(重ね合わせの割合の変化)として検出できます。そのため、単一欠陥を使えるので、ナノスケールの空間分解能が得られます。
注2) ゼプトリットル
1ゼプトリットル(zL)は10-21L(=1000nm)の体積。1zLの水(HO)は、約3万個のHO分子からなります。
注3) ケミカルシフト
同じ原子でも、分子中の配置や結合などの化学的環境の違いによって、核スピンの共鳴周波数(エネルギー差)がわずかに異なります。これをケミカルシフトと呼び、基準物質(テトラメチルシラン)からの共鳴周波数のずれ/基準物質の共鳴周波数を用いてあらわします(単位ppm)。ケミカルシフトの値は結合により固有のため、化学構造決定の重要な情報となる。
注4) 核スピン
原子核はミクロの磁石の性質(核磁気モーメント)をもっており、これと磁場との相互作用のエネルギーの遷移を観測するのがNMRです。核磁気モーメントは核スピンにともなうもので、H、14N、15Nなど核種によって、原子核を構成するプロトン、中性子の数が異なりますので、核スピンおよび磁気モーメントの大きさが異なります。
注5) 量子もつれ
2個以上の量子ビットの重ね合わせ状態のうち、量子ビットの間に特別の相関を持つ状態。この関係にある2つの粒子では、一方の状態が観測できれば、もう一方の状態は遠くに離れていても、測定せずに瞬時にわかります。本研究では、電子スピンと核スピンとの量子もつれ状態を用いました。電子スピンがセンシングした試料のNMRシグナル(磁化)が、量子もつれを解くと、核スピンにセンシング情報として記録されます。

<参考文献>

<論文情報>

タイトル Nanoscale nuclear magnetic resonance with chemical resolution
(化学的同定の高分解能を持つナノスケール核磁気共鳴)
著者名 Nabeel Aslam, Matthias Pfender, Philipp Neumann, Rolf Reuter, Andrea Zappe, Felipe Fávaro de Oliveira, Andrej Denisenko, Hitoshi Sumiya, Shinobu Onoda, Junichi Isoya, Jörg Wrachtrup
掲載誌 Science

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

磯谷 順一(イソヤ ジュンイチ)
筑波大学 知的コミュニティ基盤研究センター 名誉教授
〒305-8550 茨城県つくば市春日1-2
Tel: 029-859-1594
E-mail:

小野田 忍(オノダ シノブ)
量子科学技術研究開発機構 高崎量子応用研究所 主幹研究員
〒370-1292 群馬県高崎市綿貫町1233
Tel:027-346-9186
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