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平成29年3月7日

高エネルギー加速器研究機構
科学技術振興機構(JST)

光で強誘電体中の水素原子を動かし、分極を高速に制御
~理論と実験の発展的融合~

ポイント

クロコン酸結晶(図1)はクロコン酸分子同士が水素結合によって結びつけられた有機強誘電体注1)であり、特に、常誘電から強誘電への転移温度(400ケルビン以上)が高いことや、強誘電分極の値が大きいことからキャパシターなどの有機デバイスの材料として注目を集めている。

今回、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所の岩野 薫(いわの かおる) 研究機関講師、東京大学 大学院新領域創成科学研究科の岡本 博(おかもと ひろし) 教授(兼産業技術総合研究所 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ 有機デバイス分光チーム ラボチーム長)、宮本 辰也(みやもと たつや) 助教、産業技術総合研究所 機能材料コンピュテーショナルデザイン研究センターの下位 幸弘(しもい ゆきひろ) 研究チーム長らの研究グループは、同物質にフェムト秒パルス光注2)を照射すると、強誘電分極が1ピコ秒(1ピコ秒=1/1,000,000,000,000秒)以内という極めて短時間で減少し、その後、10ピコ秒の時間スケールで回復する現象を見出した(図2)。さらに、理論的な解析により、この現象が、水素原子の移動とクロコン酸分子のπ電子注3)系の変化による微視的な分極反転に基づくことを明らかにした(図3)。

本研究は、光誘起による強誘電分極反転を実験と理論の両面から解明したものであり、有機強誘電体を利用した高速の光スイッチ、光変調素子、光メモリーなどの開発につながると期待される。

本成果は、米国物理学会誌「Physical Review Letters」のオンライン版で3月13日(米国東部時間)公開予定である。

<研究の背景>

強誘電体は、エレクトロニクスにおいてさまざまな用途があり、特に、キャパシターとして広く使われている。最近では、有機分子から構成される有機強誘電体が、折り曲げたり畳んだりできるフレキシブルな特性や化学修飾によって変化する性質(例えば分極値や抗電場など)の多様性から、高性能薄型デバイスなどへの応用が期待され、注目を集めている。

本研究の対象であるクロコン酸結晶は、有機強誘電体の一種で、図1に示すように、水素結合中の水素原子核(プロトンまたは陽子)がある特定の方向(図では左右)へ移動し、それと同時にクロコン酸分子内のπ電子が偏ることで分極が生じる。その常誘電-強誘電転移温度(400ケルビン以上)が高いことや、分極の値が既存の酸化物系の強誘電体に匹敵することから、スイッチングデバイスやメモリーなどへの応用も期待されている。しかし、通常の強誘電体では、電場をかけた時に起こる電気分極の変化や反転にはマイクロ秒程度の時間を要し、高速の分極制御を実現することは難しいと考えられていた。

<研究内容と成果>

本研究では、まず、フェムト秒パルス光を強誘電体に照射し、その後の分極の時間変化を第二高調波発生(SHG)注4)という手法を用いて観測した。その結果、例えば、光子エネルギーが3.2eV(エレクトロンボルト)のパルス光を照射した場合、強誘電分極が1ピコ秒以内という極めて短時間で減少し、その後、約10ピコ秒という短時間で回復することを確かめた(図2)。次に、そのような分極変化がどのような機構によって引き起こされるかを解明するために、密度汎関数理論注5)に基づいたクラスター計算注6)を行い、光が照射される前の電子状態(基底状態)と光が照射されたあとの電子状態(励起状態)を調べた。

その結果、光照射によって、まずクロコン酸分子中のπ電子が励起され(図3中段)、次にそのπ電子励起が引き金となってプロトンが移動、それが次々と連鎖することで1光子あたり10分子以上にわたる領域でプロトンが直線的に連なって移動することが分かった(図3下段)。この連なった移動の方向は元々の強誘電分極の方向と逆となるので、全体としては分極値が減ることになり、上記の実験結果を説明できる。

<本研究の意義、今後への展望>

本研究では、光照射による分極の減少・回復が、微視的な分極反転によって起こることを理論と実験の両面から明らかにした。この分極反転は、大きなエネルギーを注入して全体を乱雑にする現象と異なり、熱などのエネルギーロスを抑えながら高速に起こすことが可能である。今回の光照射による分極変化現象は、強誘電体の高速分極制御の可能性を強く示唆するものであり、将来の高速の光スイッチ、光変調素子、光メモリーなどへの応用が期待される。 また、この微視的な分極反転は、水素結合を持つ強誘電体(水素結合型強誘電体)のプロトンの自由度と電子(クロコン酸分子のπ電子)の自由度の間の強い結合に基づくものであり、このようなプロトンと電子の間の強い結合を光励起動力学注7)の観点から明らかにする研究は、これまでほとんど行われて来なかった。今回の成果は、そのような学術的意味においても新しい結果であり、今後、研究の展開が期待される。

<補足>

本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」(研究総括:雨宮 慶幸 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授)における研究課題「強相関系における光・電場応答の時分割計測と非摂動型解析」(研究代表者:岡本 博 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授)(研究期間:平成28~33年度)の一環で実施された。今回の成果は、上記プロジェクトにおいて目指している計測と情報処理の融合のための第一歩である。すなわち、今回の成果によって分極変化の本質的な部分が大まかではあるが解明できた。今後は、これを適切にモデル化した上でデータ同化注8)などの情報理論の最新手法を適用し計測と理論を融合させる事を予定しており、π電子系とプロトンの複雑に絡み合ったダイナミクスの全容が明らかになるものと期待される。

<参考図>

図1 クロコン酸結晶の強誘電分極の概念図とクロコン酸分子

本文中で言及しているπ電子の偏りはここでは表示されていない。Phys. Rev. Lett.より改変の上転載。

図2 光子エネルギー3.2eVのパルス光励起後の第二高調波発生(SHG)強度の時間変化

強度の減少は、強誘電分極()の減少を意味する。Phys. Rev. Lett.より改変の上転載。

図3 理論計算により得られたクロコン酸結晶における光励起後の変化の模式図

光照射前(上段)では、プロトンが左に移動しており、また、各クロコン酸分子中のπ電子はプロトンに引き寄せられて右に偏っている。ポンプ光が中央の分子に吸収された後、その分子でπ-π励起注3)が起こり、それが引き金となって分子に付いているプロトンが右に動き始める(中段)。さらに、このようなプロトンの移動とπ電子の偏りの組み替えが連鎖的に起こり、あるサイズの空間的領域で1次元的な分極反転が起こる(下段)。このような分極反転は、要するエネルギーの計算により10分子程度まで及ぶことも分かった。

<用語解説>

注1) 有機強誘電体
物質中に電気分極(正負の電荷の対)があまねく存在し、それが一定方向に揃った状態のうち、外部電場をゼロにしてもその分極が全体として残り、また、電場の反転によって分極反転する、すなわち正負の位置が入れ替わる状態が強誘電状態であり、その物質を強誘電体、さらに、その揃った分極を強誘電分極と呼ぶ。一方、これとは対照的に、電場によって強制的には分極が揃うが、電場をゼロに戻した時に分極が保持されない状態が常誘電状態である。強誘電体では揃った分極の揃い方の程度を分極値という量で示すが、特に強い電場をかけた時に得られる最大の分極値が性能の1つの指標である。強誘電体のもう1つの指標は抗電場であり、これは揃った状態から逆向きの電場をかけた場合、どこまでそれに抗って最初の分極が保持されるか、という程度である。強誘電体の具体的な物質としては、無機物質からのみなるもの、有機分子が使われているものなどさまざまであるが、有機強誘電体は後者を指す。
注2) フェムト秒パルス光
フェムト秒(1フェムト秒=1/1000ピコ秒)のオーダーで持続するパルス光(瞬間的なストロボ的な光)であり、本研究では物質を最初に励起する光として用いられている。
注3) π電子
分子を構成する電子軌道のうち、特に原子間の結合方向と垂直に伸びている軌道を言う。原子間の結合と平行の場合のσ結合と比べ、結合に寄与する割合が小さく、そのために光励起などによって比較的動きやすい性質がある。なお、これとほぼ同様の性質を持つが、電子が入っていない軌道も存在し、π電子と呼ばれる。π電子軌道からπ電子軌道に例えば光によって遷移が可能であり、それをπ-π励起と呼ぶ。
注4) 第二高調波発生(SHG)
物質中の反転対称性が破れていると、図2に示すように、プローブ光として角周波数ωの光を照射した場合2ωの光が発生する。強誘電体では反転対称性が破れているので、SHGを強誘電分極の検出に利用することができる。
注5) 密度汎関数理論
物質中の電子状態をその電子密度から求める方法である。特に、密度分布を関数の変数とする関数(汎関数)として全エネルギーが記述でき、それの最小化によって基底状態が求まる。また、密度分布の微小振動を扱うことによって電子励起状態やそのスペクトルも計算可能である。
注6) クラスター計算
サイズ的に広がった物質(例えば固体)を対象にその一部分を十分大きく切り取って計算する手法。
注7) 光励起動力学
物質に光照射をした場合の、その後に起こる物質の時間的な変化を調べる研究分野。基本的には光によって到達した励起状態から基底状態へ戻る過程であるが、その途中で特異な状態を経るなどの複雑な挙動を示すことがあり、興味の対象となっている。
注8) データ同化
物質を含めた自然界で起きるさまざまな時間変化を解釈・予測する際、従来はただ理論モデルに基づいて解析してきた。しかしながら、実際の現象をできるだけ現実的に記述するためには、測定(観測)データを計算の途中で用いながら、計算を随時更新していく手法が最近注目されている。このような実験と理論を融合させた最新の手法をデータ同化という。

<論文情報>

タイトル Ultrafast photoinduced electric-polarization switching in a hydrogen-bonded ferroelectric crystal
著者名 K. Iwano, Y. Shimoi, T. Miyamoto, D. Hata, M. Sotome, N. Kida, S. Horiuchi, and H. Okamoto
掲載誌 Physical Review Letters
doi 10.1103/PhysRevLett.118.107404

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

岩野 薫
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 研究機関講師
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<JST事業に関すること>

鈴木 ソフィア沙織
科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
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<報道担当>

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