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平成28年8月25日

京都大学
科学技術振興機構(JST)

ヒト、サル、マウスにおける多能性“発生座標”の解明
~ヒトES/iPS細胞の実態を特定~

ポイント

京都大学 大学院医学研究科の斎藤 通紀 教授[兼 科学技術振興機構(JST) ERATO斎藤全能性エピゲノムプロジェクト 研究総括、京都大学 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス) 主任研究者、京都大学 iPS細胞研究所 研究員]と同研究科の中村 友紀 特定研究員、滋賀医科大学の共同研究グループは、カニクイザル注1)胚を用いた単一細胞遺伝子発現解析注2)により、霊長類多能性細胞の発生過程における網羅的な遺伝子発現動態を明らかにしました。それらをマウス、ヒトと比較し、ヒトES注3)iPS細胞注3)の多能性状態の実態を明らかにしました。

マウスES細胞は、着床前胚から樹立され広い分化能を持つナイーブ型注4)を示すことが知られています。しかしヒトを含む霊長類ES細胞は、着床前胚から樹立されるにもかかわらず、着床後胚由来のマウスエピブラスト幹細胞注5)に似た形態や挙動を示すことから、プライム型注4)多能性に限定される可能性が示されていました。近年iPS細胞の開発もあり、多能性幹細胞注6)の医療や創薬への応用が強く期待されていますが、霊長類ES/iPS細胞の多能性状態の実態は、技術的および倫理的観点から霊長類着床後胚の知見が存在せず、未解明のままでした。

本研究では、単一細胞遺伝子発現解析法を用い、カニクイザル着床前後胚の全遺伝子発現解析を行いました。その結果、霊長類では、原腸陥入注7)を起こしながらも安定して多能性状態を維持することを解明しました。また、これらのデータを用い、サル発生過程に伴う多能性状態の変化を特徴づける遺伝子セットを同定しました。この遺伝子セットの発現を調べることで、ヒトiPS細胞は着床後約1週間程度のサルの多能性細胞と同等であること、さらに原腸陥入前のマウス胚と相同な状態であることが分かり、ヒト、サル、マウス三種における多能性細胞の発生座標上での位置関係が明確になりました。またこの遺伝子セットは、これまでナイーブ型として報告されてきたヒトES/iPS細胞の実態を診断するのに有用であることが分かりました。この研究は、霊長類多能性状態の包括的な分子動態を明らかにするものです。今後の霊長類発生学や多能性幹細胞を用いた医療において、多くの研究の基盤となる知見であると期待されます。

本研究成果は、JST 戦略的創造研究推進事業の一環として行われ、2016年8月25日午前2時(日本時間)に英国科学誌『Nature』のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)

研究プロジェクト 「斎藤全能性エピゲノムプロジェクト」
研究総括 斎藤 通紀(京都大学 大学院医学研究科 教授)
研究実施期間 平成23年度~平成28年度

<研究の背景>

哺乳類の初期胚研究、特に着床後胚を対象としたものは、技術的および倫理的な問題からほぼ全てマウスを用いて行われています。ヒトを含む霊長類の着床後胚は、円錐型のマウス胚とは異なり、円盤状の形態を示すことが知られています。しかし霊長類に関してはこれ以上の知見はなく、特に分子生物学的な知見は皆無です。ES細胞といった多能性幹細胞は着床前胚から樹立され、マウスES細胞やそれと同等のマウスiPS細胞はナイーブ型状態といわれる広い分化多能性を示すことから、ヒトも多能性幹細胞も同様であると考えられ、再生医療への応用が期待されています。しかしヒトES/iPS細胞は、その形態といくつかの特徴から、いわゆるプライム型という、より分化能の制限された状態にある可能性が示されており、初期胚との比較によるその実態の解明が待たれてきました。

<研究手法・成果>

研究グループは、独自に開発した単一細胞全遺伝子発現解析法であるSingle-cell mRNA 3’sequence法(SC3-seq法注8))を用いて、カニクイザル初期胚における遺伝子発現動態を調べました。カニクイザルは、オナガザルの一種であるアカゲザルやニホンザルの近縁種で、ヒトとは約2500~3000万年前に分離したと考えられています。また、ヒトでは受精後6~7日で着床が起こりますが、カニクイザル胚は受精後約9~10日に着床します。研究グループは着床前後の6日齢から17日齢までにおける胚の状態を調べました。その結果、カニクイザルでは7日齢頃から将来体の全ての細胞に分化するエピブラストが形成され、着床後原腸陥入が起こりつつも、マウスに比べ1週間以上も安定して多能性状態を維持していることが分かりました。マウスとサルのエピブラストは、どちらも広範な多能性を維持していますが、それぞれの発生段階において似た挙動を示す遺伝子と異なる挙動を示す遺伝子があることも明確になりました。また、サルエピブラストの多能性状態はマウスにおける原腸陥入前の多能性状態に近いにもかかわらず、一部神経分化に特徴的な遺伝子の発現が観察されました。さらに、これらのデータを用いてカニクイザルエピブラストの発生に特徴的な遺伝子群を抽出し、それらの発現をサルES細胞やヒトES/iPS細胞において調べたところ、どちらの細胞も着床後約1週間のサル胚と同等な遺伝子発現を示すことが判明しました。これによりヒト、サル、マウスの三種における発生座標の位置関係が明らかになり、霊長類ES/iPS細胞はマウスにおけるナイーブ型とプライム型多能性の中間の状態に位置することが分かりました。この結果は、霊長類のES/iPS細胞がマウスプライム型多能性幹細胞より広範な分化能を持つ可能性を示しています。

<波及効果、今後の予定>

本研究では、霊長類多能性状態の包括的な分子動態を明らかにし、ヒトES/iPS細胞の実態を特定することに成功しました。学術的な観点からは、ヒト胚発生学において大きく欠落した知見を補完し、さらには哺乳類種間の違いに対する進化学的研究の発展に寄与すると期待されます。また応用面では、着床前後の不妊症発症メカニズムの解明への貢献、多能性維持機構の解明や制御、分化誘導のより精密な制御を目指す研究などの基盤が形成され、ヒト多能性幹細胞を用いた医療や創薬の促進が期待されます。

<参考図>

図1 カニクイザル14日齢の着床後胚

スケールバー 100マイクロメートル

図2 カニクイザル初期胚における単一細胞遺伝子発現解析の主成分分析の結果

E; Embryonic day, 日齢

図3 サル初期胚とサルES細胞(ESC)、ヒトiPS細胞(iPSC)における、
サルの発生に特徴的な遺伝子群(cyEPI ontogenic genes)の発現を現したヒートマップ図

サルES細胞とヒトiPS細胞はサル16、17日齢胚のエピブラスト(薄緑)に酷似している。

図4 図3における遺伝子発現データを用い、相関係数を計算し、ヒートマップにして表現した図

図5 ヒト、カニクイザル、マウスにおける多能性の発生座標モデル図

ヒト、サル、マウスどれにおいてもES細胞は着床前胚から樹立される。しかし、ヒトiPS細胞、サルES細胞の多能性状態は、 サル16、17日齢胚のエピブラスト(E16,17)に酷似していた。また、サル16、17日齢胚のエピブラストはマウス原腸陥入前5.5日齢(E5.5)付近のエピブラスト、または、ナイーブ型のマウスES細胞とプライム型のエピブラスト幹細胞(EpiSC)の中間であるエピブラスト様細胞(EpiLC)に最も近かった。これらの結果より、霊長類のES/iPS細胞がマウスプライム型多能性幹細胞より広範な分化能を持つ可能性が示されるとともに、初めて霊長類多能性幹細胞の実態が明らかとなった。

<用語解説>

注1) カニクイザル(Macaca fascicularis, 英名Cynomolgus macaque、Crab-eating monkey)
哺乳綱霊長目オナガザル科マカク属に分類される旧世界サルの一種。主にフィリピンなど東南アジアに生息している。同属にはアカゲザルやニホンザルが含まれ、ヒトやチンパンジー、オランウータンといったヒト科の霊長類とは約2500~3000万年前に分離したと考えられている。現在ヒトを含む霊長目発生機構のモデル生物として使用され、ヒトの初期発生や生殖細胞に関わる新たな知見が得られると期待される。
注2) 単一細胞遺伝子発現解析法
1細胞由来の転写産物を増幅し、発現している遺伝子をマイクロアレイや次世代シークエンサーを用いて全ゲノムレベルで解析する手法。従来の全遺伝子発現解析では数十万個以上の細胞数が必要であったが、近年の目覚ましい技術発展により単一細胞においても全遺伝子レベルで解析可能になった。一言に単一細胞遺伝子発現解析法といっても様々な方法があり、後述のSC3-seq(注8参照)は単一細胞遺伝子発現解析法の一種である。
注3) ES細胞、iPS細胞
胚性幹細胞(Embryonic Stem Cells)と人工多能性幹細胞(induced Pluripotent Stem Cells)のこと。どちらも様々な細胞に分化する能力を持つ多能性幹細胞(注6参照)の一種であり、無限増殖能や広範な分化能を持つ。ES細胞は受精卵より作り出され、iPS細胞は体細胞に特定の因子を導入することで作り出される。マウスにおいてES/iPS細胞は、生殖細胞を含む成体全ての細胞に分化する能力を持つことが知られている。
注4) ナイーブ型、プライム型
多能性の状態を示す。プライム型の多能性とは、EpiSC細胞(注5参照)に代表される細胞の持つ多能性で、三胚葉[内胚葉(消化管など)、中胚葉(血液、筋肉、骨、腎臓など)、外胚葉(神経、表皮など)]系統に分化する能力は持つが、生殖細胞分化能は低い、もしくは無いとされる。ナイーブ型の多能性とは、現在のところ、げっ歯類(マウス、ラット)のES細胞やiPS細胞でのみ報告されている多能性で、三胚葉系統に分化する能力に加え、生殖細胞分化能も持つ多能性のこと。
注5) エピブラスト、エピブラスト幹細胞(EpiSC、Epiblast stem cell)
エピブラストは、胚体外胚葉もしくは胚盤葉上層とも呼ばれる。胚発生初期に一過的に出現し、成体を形成する全ての細胞に分化する多能性を持った細胞。エピブラスト幹細胞は、マウス着床後のエピブラストから樹立された多能性幹細胞の一種。形態やその他の特徴がマウスES/iPS細胞とは大きく異なり、生殖細胞分化能は低い、もしくは無いが、三胚葉分化能は持つ。
注6) 多能性幹細胞
ES細胞やiPS細胞を含む多能性を持つ幹細胞。幹細胞とは分裂して自分と同じ細胞を作る自己複製能と、分化した細胞を作る能力を有する細胞であり、特に多能性幹細胞は体を構成するすべての種類の細胞に分化する能力を持つ細胞と定義される。
注7) 原腸陥入
胚発生初期において三胚葉を形成するための重要なイベント。哺乳類では、エピブラスト(注5参照)後方より腹側へ細胞が陥入する。陥入した細胞は主に中胚葉と内胚葉に寄与し、背側に残る細胞は主に外胚葉を形成する。カニクイザルでは12日齢前後に、マウスでは6日齢頃に起こることが知られている。
注8) Single-cell mRNA 3’sequence法 (SC3-seq法)
単一細胞遺伝子発現解析法(注2参照)の一種。従来の方法では転写産物の全長を検出しようと設計されていたが、単一細胞由来の極微量サンプルではなかなかうまくいかなかった。SC3-seqでは全長ではなく、転写産物の末端部分のみを検出するよう設計した。これによって検出精度と再現性の上昇、またコストを抑制することが可能となった。

<論文情報>

タイトル A developmental coordinate of pluripotency among mice, monkeys and humans
著者名 中村 友紀、岡本 郁弘、佐々木 恒太郎、薮田 幸宏、岩谷 千鶴、土屋 英明、清田 弥寿成、中村 紳一朗、山本 拓也、斎藤 通紀
掲載誌 Nature
doi 10.1038/nature19096

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

斎藤 通紀(サイトウ ミチノリ)
京都大学大学 院医学研究科 生体構造医学講座(機能微細形態学) 教授
Tel:75-753-4335(直通) Fax:075-751-7286
E-mail:

<JST事業に関すること>

大山 健志(オオヤマ タケシ)
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
Tel:03-3512-3528 Fax:03-3222-2068
E-mail:

<報道担当>

京都大学 企画・情報部広報課国際広報室
Tel:075-753-5727 Fax:075-753-2094
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科学技術振興機構 広報課
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
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(英文)“Mapping pluripotency differences between mice, monkeys, and humans