JSTトッププレス一覧 > 共同発表

平成28年6月17日

筑波大学
科学技術振興機構(JST)

交尾刺激が卵子の幹細胞増殖を促進する

~卵子を作り出す過程を制御する新しい神経内分泌メカニズムの発見~

ポイント

国立大学法人 筑波大学 生命環境系 丹羽 隆介 准教授と同生命環境科学研究科 天久 朝恒 大学院生(日本学術振興会 特別研究員)は、メスの生殖幹細胞注1)の増殖を制御する新しいメカニズムをキイロショウジョウバエで発見しました。

有性生殖には配偶子(卵子と精子)の生産というエネルギー投資が不可欠です。特に卵子は、精子よりもエネルギー投資が多いため、生殖の成功には配偶子の生産と消費のバランスがうまく保たれることが必要です。しかし、配偶子を生産するプロセス(配偶子形成過程)が、配偶子を消費するプロセス(交尾)によって制御されるのか、また制御されるのであればそのメカニズムはどのようなものであるか、これまでほとんど研究されてきませんでした。

本研究では、卵子を作り出すために必要な生殖幹細胞は、交尾によってその増殖が促進されることを、モデル動物であるキイロショウジョウバエで発見しました。さらに、交尾後のメス生殖幹細胞の増殖には、オスの精液に含まれる「性ペプチド注2)」と呼ばれる成分がメスに受容されること、そしてその後に起こる卵巣内でのステロイドホルモン注3)の生合成が必要であることを示しました。本研究は、生殖幹細胞の増殖の制御に、交尾刺激およびそれを伝達する神経内分泌システムが関与することを示す初めての成果です。

交尾による生理機能の変化は幅広い動物で知られていることから、今回の成果は卵子を効率よく生産するための動物共通のメカニズムの解明に貢献することが期待されます。

本研究の成果は、米国西海岸時間2016年6月16日付で米国科学誌「PLOS Genetics」で公開される予定です。

本研究は、文部科学省 科学研究費補助金(新学術領域研究「配偶子幹細胞制御機構」公募研究)(研究期間:平成23〜24年度)、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「生体における動的恒常性維持・変容機構の解明と制御」の研究課題「個体の発育の恒常性を調節する器官間液性因子ネットワークの解明」(研究期間:平成24〜27年度)、日本学術振興会 科学研究費補助金(特別研究員奨励費)(研究期間:平成27〜29年度)の一環で実施されました。

<研究の背景>

交尾はメスの様々な生理機能の変化を引き起こします。例えば、ネコの排卵の促進、マウスの妊娠の維持や昆虫のフェロモン合成の誘導などです。これら多くの事例は、交尾が生殖活動を活発化することにより生殖の成功率を高めるという点で、動物種を問わず共通して見られる現象といえます。

生殖において重要な役割を担うもう一つのプロセスとして、卵子や精子を作り出す過程、すなわち配偶子形成過程があります。特に卵子は、精子よりもエネルギー投資が多いため、生殖の成功には卵子の生産と消費のバランスがうまく保たれることが必要です。しかし、卵子を消費するプロセスである交尾が、卵子の形成過程に細胞レベルでどのような影響を及ぼすのかは、不明な部分が多く残されています。

<研究の内容と成果>

本研究では、配偶子形成過程を細胞レベルで解析するために、キイロショウジョウバエの卵巣内に存在する生殖幹細胞に着目しました(図1)。一般にショウジョウバエのメスは羽化後すぐに交尾し、精子を貯精器官に保存しておいて、産卵時に受精させます。交尾後のメスは、自身の体重の約40%にも相当する平均60個もの卵を1日で産むようになります。この卵を作り出す大本の細胞がメスの生殖幹細胞であり、この細胞が失われると卵子を作り続けることができなくなります。今回丹羽准教授の研究グループは、未交尾のメスと交尾後のメスが持つ生殖幹細胞を比較した結果、交尾後のメスの卵巣では生殖幹細胞の細胞分裂が促進され、細胞数が増加することを発見しました。これは交尾が卵子形成過程を細胞レベルで活発化させることを示唆しています。

交尾の刺激を卵子形成へと反映させる経路として、性ペプチドシグナル経路注4)に着目しました。性ペプチドは、オスの精液中に含まれるタンパク質で、交尾後のメスに起こる様々な生理機能の変化を引き起こす活性を持つことが知られています。また、性ペプチドのメスに対する効果は、メスの神経で発現している性ペプチド受容体注5)に働きかけることにより引き起こされます。こうした先行の知見を踏まえて、性ペプチドシグナル経路が交尾に伴う生殖幹細胞の増殖に関わるかどうかを調べました。その結果、性ペプチドの機能を持たないオスと交尾をした場合や、遺伝子組換え技術を用いてメスの神経でのみ性ペプチド受容体の機能を阻害した場合では、交尾後の生殖幹細胞の増殖が抑制されることがわかりました(図2)。

交尾の刺激でメスの生殖幹細胞の増殖を制御するためには、性ペプチドシグナル経路が卵巣の中に何らかの変化をもたらすことが予想されます。そこで、性ペプチドシグナル経路の制御の下に卵巣で働く分子として、昆虫のステロイドホルモンであるエクジステロイド注6)に着目しました。エクジステロイドは卵巣で非常によく生合成されていること、また卵子発達の様々な局面に関与することが知られているからです。丹羽准教授の研究グループは、エクジステロイド生合成の研究で先駆的な業績を挙げており、機能解析のための様々なツールが整っています。解析の結果、交尾後の卵巣内ではエクジステロイド量が増加すること、そしてエクジステロイドの生合成を阻害したメスでは生殖幹細胞が増殖しないことを明らかにしました(図2)。

最後に、性ペプチドシグナル経路とエクジステロイド生合成の関係に迫りました。興味深いことに、性ペプチド遺伝子をメスの神経で強制的に発現した場合には、未交尾メスであっても、通常の交尾後に見られるようなエクジステロイド量の増加と生殖幹細胞の増殖が起こりました。さらに、性ペプチド受容体の機能を阻害した際に見られる生殖幹細胞増殖の抑制は、メスにエクジステロイドを食べさせることによって回復することがわかりました。これらの結果は、交尾に伴って働く神経と内分泌のシステムが生殖幹細胞の増殖を制御していることを強く示唆しています(図3)。

これまでの多くの研究では、交尾後メスの産卵行動や交尾行動といった行動レベルでの変化に焦点が当てられてきました。今回の研究成果は、交尾後メスの生殖活動の変化を幹細胞増殖という細胞レベルでの変化として捉えた世界初の成果です。また、性ペプチド受容体神経の重要性はこれまでも広く認められていましたが、神経の下流でどのような分子が働くことで交尾後の変化が制御されるのかは不明な点が多く残されています。今回の研究成果は、少なくともメスの生殖幹細胞の増殖においては、卵巣でのエクジステロイドの生合成は、性ペプチドシグナル経路の下流で促進されることを示しました。今回の研究は、行動—神経—内分泌—幹細胞という異なる階層をつなぐ新規メカニズムを明らかにした点で重要な意義があります。

<今後の展開>

今回の発見で、性ペプチドシグナル経路と卵巣内のエクジステロイド生合成に密接な関係があることがわかりました。しかし、性ペプチド受容体神経はその神経突起を卵巣に直接延ばしているとは考えにくく、性ペプチドシグナルの下流でどのような分子が卵巣に働きかけるのかを解明することが今後の重要な課題です。現在、神経伝達物質や生体アミンといった生理活性物質の中で、今回報告したシステムに関与するものがあるかどうかを調べることで、この問題にアプローチしようとしています。

交尾はヒトを含む多くの動物で見られる行動です。また、ヒトを含む多くの生物において、性成熟や生殖のプロセスにはステロイドホルモンが重要です。哺乳類における生殖器官でのステロイドホルモン生合成もまた、神経系からの制御を受けることがよく知られています。今回の成果を受けて、ヒトを含む幅広い動物にも交尾刺激による生殖幹細胞の増殖メカニズムが存在するのかどうか、またステロイドホルモンが他の動物の生殖幹細胞の増殖制御に関わるかどうか、今後の重要な検討課題です。将来的に解明されれば、卵子を効率よく生産するための動物共通のメカニズムの理解へとつながることが期待されます。

<参考図>

図1 配偶子の元となる生殖幹細胞

ショウジョウバエの腹部には房状の構造を持つ卵巣が存在します。卵巣を構成する複数の管(卵巣小管)は、発生途中の卵が数珠状に連なった構造を持ちます。この構造の先端部には卵の元となる生殖幹細胞が複数存在します(白の破線が生殖幹細胞、その中の丸い緑のシグナルは幹細胞特有の核膜構造)。生殖幹細胞は卵子や精子へと分化する分化能を持つ一方、自己と同じ幹細胞を複製する自己増殖能を持ちます。生殖幹細胞の分裂を制御するためには隣接したニッチ細胞からのシグナルが必要ということがよく知られていましたが、個体外からのシグナルが幹細胞を制御するメカニズムについては不明な点が多く残されていました。

図2 交尾前後の生殖幹細胞の変化における性ペプチドシグナル経路とエクジステロイド生合成の役割

卵巣の生殖幹細胞の数は、交尾後に有意に増加しました(左図)。一方で性ペプチドシグナル経路を阻害した場合、交尾後の生殖幹細胞の増殖が抑えられました(中央の図)。この結果と同様に、卵巣でのエクジステロイド生合成を阻害した場合でも、交尾後の生殖幹細胞の増殖が抑えられました(右図)。

図3 交尾後の生殖幹細胞増殖を制御する神経内分泌システム

交尾によって送り込まれた精液中の性ペプチドが、性ペプチド受容体を発現するメスの神経で受容された後、その下流で卵巣でのエクジステロイド生合成が促進されます。交尾依存的なエクジステロイド生合成は生殖幹細胞の増殖に必須の役割を持ちます。本研究によって、行動—神経—内分泌—幹細胞をつなぐ新しいメカニズムが明らかとなりました。

<用語解説>

注1) 生殖幹細胞
卵巣または精巣に存在する、配偶子の元となる細胞。卵子や精子へと分化する分化能を持つ一方、自己と同じ幹細胞を複製する自己増殖能を持つ。ショウジョウバエの他にマウスなどの生物でも確認されている。
注2) 性ペプチド
性ペプチドシグナル経路のリガンドとして働くタンパク質。ショウジョウバエ属昆虫のオスの精液中に含まれる。性ペプチドの機能を欠損したオスと交尾をしたメスでは交尾後の行動変化が起こらない。
注3) ステロイドホルモン
化学構造的にステロイド核を持つホルモンの総称であり、細胞膜を透過して細胞内での遺伝子の発現を直接制御する性質を持つ。ヒトを含む哺乳類においては性ホルモンであるテストステロンやエストラジオールが有名である。
注4) 性ペプチドシグナル経路
キイロショウジョウバエの交尾後の行動変化を引き起こすシグナル経路。交尾後のメスの神経で性ペプチドシグナル経路が働くことで、オスとの再交尾の拒否や産卵数の増加といった行動レベルのスイッチングが起こる。この変化は、精子の効果が続く約1週間程度持続する。
注5) 性ペプチド受容体
性ペプチドシグナル経路の受容体として働くタンパク質。メスの神経系で発現し、精液中の性ペプチドを受容することで神経の抑制化が起こることが知られている。一方、その下流の経路には未解明な部分が多い。
注6) エクジステロイド
昆虫における主要なステロイドホルモンの総称。昆虫発生過程での脱皮変態の誘導や、変態後の生殖過程を制御する。

<論文情報>

タイトル “Mating-Induced Increase in Germline Stem Cells via the Neuroendocrine System in Female Drosophila”
(キイロショウジョウバエメスにおける神経内分泌機構を介した交尾によって誘導される生殖幹細胞増殖)
著者名 Tomotsune Ameku, Ryusuke Niwa
doi 10.1371/journal.pgen.1006123

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

丹羽 隆介(ニワ リュウスケ)
筑波大学 生命環境系 准教授
〒305-8572 茨城県つくば市天王台1-1-1
Tel:029-853-6652
E-mail:

<JST事業に関すること>

川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2064
E-mail:

<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
E-mail: