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平成28年3月18日

東京大学
理化学研究所
日本医療研究開発機構(AMED)
科学技術振興機構(JST)

なぜ私たちは眠るか

~眠りの素は細胞内カルシウム?~

ポイント

ヒトをはじめとする哺乳類の睡眠時間・覚醒時間は一定に保たれていることが知られていますが、その本質的メカニズムはよくわかっていませんでした。東京大学(五神 真 総長)と理化学研究所(理研、松本 紘 理事長)は、神経細胞のコンピュータシミュレーションと動物実験を組み合わせることで、睡眠・覚醒の制御にカルシウムイオンが重要な役割を果たしていることを明らかにしました。さらに、カルシウムイオン・カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII(CaMKII)注1)をはじめとするカルシウムイオン依存的な経路の遺伝子をノックアウトすることで、睡眠時間が恒常的に増減する複数種類の遺伝子改変マウス(睡眠障害モデルマウス)の作製に成功しました。同睡眠障害モデルマウスは、睡眠障害だけでなく睡眠障害を合併するさまざまな精神疾患や神経変性疾患(統合失調症、うつ病、アルツハイマー病、パーキンソン病など)に対する診断法や治療法の開発に繋がることが期待されます。本研究は、東京大学 大学院医学系研究科 機能生物学専攻 薬理学講座 システムズ薬理学分野の上田 泰己 教授(理研 生命システム研究センター(柳田 敏雄 センター長) 細胞デザインコア長 兼任)、東京大学 医学部の多月 文哉 学部学生6年生、理研 生命システム研究センターの砂川 玄志郎 元研究員(研究当時、現 理研 多細胞システム形成研究センター 網膜再生医療研究開発プロジェクト 研究員)、東京大学 大学院医学系研究科の史 蕭逸 博士課程3年生、洲崎 悦生 助教(理研 客員研究員 兼務)、理研 生命システム研究センターの幸長 弘子 基礎科学特別研究員、ディミトリ・ペリン 研究員(研究当時、現 理研 客員研究員)らの共同研究グループの成果です。本研究成果は、「Neuron」3月17日オンライン版に掲載されます。

<研究の背景>

不眠や過眠などの睡眠障害は現代社会における重大な疾患の一つであり、精神疾患や神経変性疾患の重要な合併症でもあります。睡眠障害に対する診断法、治療法の開発には、睡眠覚醒のメカニズムを理解することが必要不可欠です。

睡眠はヒトを含む多種の生物で観察される基本的な生理現象であり、睡眠を制御する因子は主にハエを用いたフォワードジェネティクス注2)による探索で、体内時計に関係した遺伝子を中心に複数特定されてきました。しかしながら、体内時計とは別の睡眠時間を直接制御している遺伝子(睡眠時間制御因子)注3)は未解明のままでした。表現型から遺伝子に遡るフォワードジェネティクスに基づいた睡眠時間制御因子の探索は、遺伝子と睡眠表現型の結びつけに多くの時間とコストを要します。更に、従来の睡眠測定は、脳波を取得するための電極を手術によって頭蓋骨に装着する必要があり、侵襲が大きく、多くの時間とコストが同様にかかります。近年、本研究グループは、遺伝子と表現型を直接結びつけることができるリバースジェネティクス注4)に注目し、この手法を迅速に行うために、高速に遺伝子改変動物を作製することができる技術(トリプルCRISPR法)注5)を開発し、さらに、高速に睡眠表現型を解析することができる手法(SSS)注6)を開発しました。

今回、本研究グループは神経細胞のコンピュータシミュレーションにより睡眠時間制御因子を絞り込み、トリプルCRISPR法とSSSを組み合わせることで、カルシウムイオン・カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII(CaMKII)をはじめとするカルシウムイオン関連経路が睡眠時間制御因子の役割を担うことを明らかにしました。

<研究手法と成果>

(1)コンピュータシミュレーションを用いた睡眠時間制御因子の絞り込み(図1

睡眠時には余波と呼ばれる特徴的な脳波が観察されます。本研究グループは、徐波形成に必要な遺伝子を特定するために、平均場近似注7)を施した神経細胞のコンピュータモデルを作製して解析しました。その結果、カルシウムイオンの流入に伴う神経細胞の過分極が徐波形成に極めて重要であることが示され、その経路に含まれる、電位依存性カルシウムチャネル注8)NMDA型グルタミン酸受容体注9)カルシウム依存性カリウムチャネル注10)カルシウムポンプ注11)が徐波形成に必要な遺伝子群として予測されました。

(2)ノックアウトマウスを用いた睡眠時間制御因子の同定(図2

(1)の予測を実証するために、本研究グループは、カルシウムイオン依存的な過分極経路に含まれる遺伝子をマウスのゲノム情報をもとにすべて同定し、トリプルCRISPR法によりそれぞれのノックアウトマウスを作製し、SSS法を用いて睡眠の測定を行いました。その結果、Cacna1g、Cacna1h(電位依存性カルシウムチャネル)、Kcnn2、Kcnn3(カルシウム依存性カリウムチャネル)、Camk2a、Camk2b(カルシウムイオン・カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII)ノックアウトマウスが顕著な睡眠時間の減少を示す一方で、Atp2b3(カルシウムポンプ)ノックアウトマウスは顕著な睡眠時間の増加を示し、これらの遺伝子が睡眠時間制御因子であることが明らかとなりました。

(3)全脳イメージングを用いた神経細胞の興奮性解析(図3

本研究グループは(1)で予測されたカルシウムイオンの流入に必要なNMDA型グルタミン酸受容体を、薬理学的に阻害することで詳細な解析を行いました。その結果、マウスの睡眠時間が減少することを明らかにしました。さらにCUBIC注12)を用いて、睡眠が減少したマウスの脳を透明化し、一細胞解像度で観察しました。その結果、NMDA受容体の阻害(すなわちカルシウムイオンの流入阻害)によって、大脳皮質の神経細胞の興奮性が上昇することを示しました。

(1)~(3)の結果から、カルシウムイオンの流入に伴う神経細胞の過分極が睡眠を誘導することを世界で初めて明らかにしました。

本研究グループは、単一の遺伝子(Kcnn2、Kcnn3、Cacna1h、Cacna1g、Atp2b3、Camk2a、Camk2b)をノックアウトすることで、安定した表現型を示す睡眠障害モデルマウスを作製することに成功しました。さらに睡眠障害と精神疾患、神経変性疾患との密接な関係から、今後、これらの睡眠障害マウスをより深く研究していくことにより、精神疾患や神経変性疾患の原因解明、治療薬探索への貢献が期待されます。

本研究は、日本医療研究開発機構 革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)の研究開発領域「生体恒常性維持・変容・破綻機構のネットワーク的理解に基づく最適医療実現のための技術創出」(研究開発総括:永井 良三)における研究課題「睡眠・覚醒リズムをモデルとした生体の一日の動的恒常性の解明」(研究代表者:上田 泰己)の一環で行われました。なお、本研究開発領域は、平成27年4月の日本医療研究開発機構の発足に伴い、科学技術振興機構から日本医療研究開発機構へと移管されています。

<参考図>

図1 睡眠時・覚醒時の脳波およびカルシウムイオン関連経路の働き

脳波が徐波を示す睡眠時は、電位依存性カルシウムチャネル、NMDA型グルタミン酸受容体を通じてカルシウムイオンが細胞内に流入し、カルシウム依存性カリウムチャネルが開きカリウムが細胞外へ流出する。一方、覚醒時はカルシウムポンプを通じてカルシウムイオンが細胞外へ流出する。

図2 Kcnn2, Kcnn3, Cacna1g, Cacna1h, Camk2a, Camk2b, Atp2b3 遺伝子のノックアウトマウスにおける睡眠時間の変化

トリプルCRISPR法によってカルシウムイオン関連経路に含まれる21個の遺伝子を、それぞれノックアウトしたマウスを作製した。そのマウスにSSSを用いて睡眠解析を行ったところ、そのうちのCacna1g、Cacna1h(電位依存性カルシウムチャネル)、Kcnn2、Kcnn3(カルシウム依存性カリウムチャネル)、Camk2a、Camk2b(カルシウムイオン・カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII)をノックアウトしたマウスの睡眠時間が、野生型のマウスと比べて顕著に短いことが、Atp2b3(カルシウムポンプ)をノックアウトしたマウスの睡眠時間が、野生型のマウスと比べて顕著に長いことがわかった。グラフ中の破線は野生型マウスの睡眠時間を示す。

図3 NMDA型グルタミン酸受容体の阻害による神経細胞の興奮性の上昇

NMDA型グルタミン酸受容体の阻害剤をArc-dVenusマウスへ投与したところ、神経活動の上昇(緑シグナル)が観察された。

※Arc-dVenusマウス:神経細胞の活性化の指標であるArc遺伝子の発現に伴い、緑色蛍光タンパクVenusを発現する遺伝子改変マウス。

<用語解説>

注1) カルシウムイオン・カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII(CaMKII)
カルシウムイオンの流入に伴い活性化するリン酸化酵素、脳の多く存在し、記憶や学習に重要な役割を果たすことが知られている。
注2) フォワードジェネティクス
特定の生命現象を示す動物のゲノムの変化を詳細に調べることによって関係している遺伝子を同定していく従来の遺伝学。
注3) 睡眠時間制御因子
遺伝子改変やノックアウトによって睡眠時間を変化させる遺伝子。
注4) リバースジェネティクス
特定の遺伝子を改変し、生命現象がどのように変化するか観察することで遺伝子機能を解析する手法。遺伝子から生命現象を関連付けるため、フォワードジェネティクスとは解析法が逆向きであり、リバース(=逆方向の)ジェネティクスと呼ばれるようになった。
注5) トリプルCRISPR法
CRISPR法(CRISPR/Cas系を用いたゲノム編集技術の1つ)を改良し、3種類のガイドRNAを用いて、1世代目で極めて高い確率(ほぼ100%)で大量の遺伝子ノックアウトマウスを作製できる手法。

2016年1月8日理化学研究所プレスリリース
『次世代型逆遺伝学による睡眠遺伝子Nr3aの発見
-交配不要で解析も簡便かつ低コストな新しい逆遺伝学を確立-』
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160108_1/

注6) SSS法
Snappy Sleep Stager法。呼吸パターンを指標として用いることで非侵襲かつ高効率に睡眠表現型解析を行う手法。

2016年1月8日理化学研究所プレスリリース
『次世代型逆遺伝学による睡眠遺伝子Nr3aの発見
-交配不要で解析も簡便かつ低コストな新しい逆遺伝学を確立-』
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160108_1/

注7) 平均場近似
多数の要素が相互作用しているような集団を解析するために用いられる数学的な近似手法。
注8) 電位依存性カルシウムチャネル
細胞外から細胞内へカルシウムイオンを通過させるイオンチャネル。てんかんや自閉症スペクトラム障害との関連が知られている。
注9) NMDA型グルタミン酸受容体
グルタミン酸受容体の1つ。シナプスの可塑性や記憶に関連する受容体として知られる。多くの精神依存性のある薬物(覚せい剤など)の作用部位としても知られ、NMDA受容体の状態を乱すことで鎮静状態や興奮状態を誘導できる。
注10) カルシウム依存性カリウムチャネル
カルシウム存在下でカリウムイオンを選択的に通過させるイオンチャネル。
注11) カルシウムポンプ
細胞内から細胞外へカルシウムイオンを通過させるイオンチャネル。
注12) CUBIC
Clear, Unobstructed Brain Imaging Cocktails and Computational analysisの略。2014年4月に理研の上田 泰己 グループディレクター、洲崎 悦生 元基礎科学特別研究員(研究当時)らが発表した脳透明化と全脳イメージングのための透明化試薬(化合物の混合溶液)とコンピュータ画像解析を合わせた方法。サンプルを試薬に浸すだけの効率的で再現性の良い方法で、複数のサンプルを同等な条件で透明化することが可能。1細胞解像度の全脳蛍光イメージングと、情報科学的解析によるサンプル間のシグナル比較を実現。

2014年4月18日理化学研究所プレスリリース
『成体の脳を透明化し1細胞解像度で観察する新技術を開発』
http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140418_1/

<論文情報>

タイトル Involvement of Ca2+-Dependent Hyperpolarization in Sleep Duration in Mammals
著者名 Fumiya Tatsuki, Genshiro A. Sunagawa, Shoi Shi, Etsuo A. Susaki, Hiroko Yukinaga, Dimitri Perrin, Kenta Sumiyama, Maki Ukai-Tadenuma, Hiroshi Fujishima, Rei-ichiro Ohno, Daisuke Tone, Koji L. Ode, Katsuhiko Matsumoto and Hiroki R. Ueda
掲載誌 「Neuron」(2016年3月17日オンライン版)
doi 10.1016/j.neuron.2016.02.032

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

上田 泰己(ウエダ ヒロキ)
東京大学 大学院医学系研究科 機能生物学専攻 薬理学講座 システムズ薬理学 教授
Tel:03-5841-3415 Fax:03-5841-3418
E-mail:

<事業に関すること>

日本医療研究開発機構 戦略推進部 研究企画課
Tel:03-6870-2224 Fax:03-6870-2243
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科学技術振興機構 戦略研究推進部
Tel:03-3512-3524 Fax:03-3222-2064
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<報道担当>

東京大学 大学院医学系研究科 総務係
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科学技術振興機構 広報課
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
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