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平成27年7月22日

東京大学
科学技術振興機構(JST)

匂いで摂食や警戒のモチベーションが生じる神経メカニズム
~大脳のモチベーション領域を発見~

ポイント

東京大学 大学院医学系研究科の村田 航志 特任助教(研究当時)、山口 正洋 講師、森 憲作 教授(研究当時)らの研究グループは、マウスが学習によって同じ匂いに対して摂食モチベーション行動もしくは忌避モチベーション行動という異なる行動を示すとき、嗅結節注1)では異なる領域が活性化されることを明らかにしました。

美味しいものを食べたときの匂いは記憶され、後日、食べたいというモチベーション(摂食モチベーション)を引き起こします。ところが同じ匂いでも、危険な目に遭ったときに嗅いだ場合には、後日、避けたいというモチベーション(警戒モチベーション)が生じます(図1)。しかし脳のどの神経回路が、過去の匂いの経験にもとづいて適切なモチベーション反応を引き起こすのかは全く不明でした。

本研究グループは、ある匂いをマウスに嗅がせる際、同時に砂糖報酬を経験させるマウスと、同時に足に痛みを生ずる危険を経験させるマウスを作りました。後日マウスにその匂いを提示すると、マウスは過去の経験に応じて砂糖を探す行動(摂食モチベーション行動)もしくは警戒する行動(警戒モチベーション行動)を示しました。このとき嗅結節全体で活性化の様子を最初期遺伝子注2)の発現を指標にして比較したところ、摂食モチベーション行動を示したマウスでは嗅結節の前内側部領域(前内側ドメイン)が、警戒モチベーション行動を示したマウスでは外側部領域(外側ドメイン)が活性化しました(図2)。この結果は、嗅結節の前内側ドメインに、匂いにより摂食モチベーション行動を引き起こす神経回路が備わり、外側ドメインに、匂いにより警戒モチベーション行動を引き起こす回路が存在することを示しています。この嗅結節モチベーション領域の発見は、嗅覚情報によってモチベーション行動が誘起される神経メカニズムを解明する大きな手がかりとなることが期待されます。

<研究の背景>

美味しい食べ物を「食べたい」と感じ、危険を「避けたい」と思う脳の働きは、ヒトが生きていくうえでもっとも重要なものの1つです。ところが、何かを見たり、聞いたり、嗅いだりしたときに、脳のどのような神経回路が適切な摂食モチベーションや警戒モチベーションを引き起こすのかは、よくわかっていませんでした。本研究グループは、匂いの感覚がモチベーションを強く誘起する感覚であると考え、匂いによりモチベーションを生じる神経回路メカニズムを調べました。

匂いを鼻に吸い込むと、嗅上皮にある感覚細胞で受け取られ、その信号は嗅球を経由して大脳の嗅皮質へと伝えられます。しかし、嗅球より上位の領域で匂いの情報がどのように処理されて、適切なモチベーション行動に変換されるのかは不明でした。

<研究内容>

哺乳類の大脳の奥底に腹側線条体という部位があり、「自分のまわりの状況に応じて、適切なモチベーション行動を選ぶ」のに重要な働きをすると考えられています。本研究グループは、嗅皮質の一部であり、かつ腹側線条体の一部でもある「嗅結節」に着目しました(図1)。

匂いと食べ物との関連学習もしくは、匂いと危険との関連学習をさせることにより、同じ匂いでも摂食モチベーション、警戒モチベーションという異なる行動をマウスに獲得させました。匂いと食べ物との関連学習をしたマウスは、その匂いを嗅ぐと食べ物を探す摂食モチベーション行動を示しますが、同じ匂いでも危険との関連学習をさせると、匂いを避ける警戒モチベーション行動を起こします。そして、学習した匂いを嗅いだときに、嗅結節内で活性化される領域を最初期遺伝子の1つであるc-Fosの発現を指標にして調べ、摂食モチベーション行動を起こすマウスと警戒モチベーション行動を起こすマウスとで比較しました。

本実験により、摂食モチベーション行動を示したマウスでは、嗅結節の前内側ドメインが活性化され、警戒モチベーション行動をおこしたマウスでは、嗅結節の外側ドメインが活性化されることを発見しました。また、嗅結節のそれぞれの活性化ドメインは、解剖学的方法で見出したドメイン区分とよく一致しました(図2)。この結果は、嗅結節の前内側ドメインに、匂いにより摂食モチベーション行動を引き起こす神経回路が備わり、外側ドメインに、匂いにより警戒モチベーション行動を引き起こす回路が存在することを示しています。また、匂いによってどのモチベーション回路が活性化されるかは、それぞれの動物個体の経験に基づいて学習、獲得されうることを示しています。

<社会的意義・今後の展開>

今回の発見から、嗅結節が匂い情報を適切なモチベーション行動へと結びつける重要なハブ領域であり、嗅結節のモチベーションドメインの選択が、モチベーション行動の選択と結びつくことが示唆されました。今後、嗅結節への入力経路、出力経路の詳細な研究によって、嗅覚情報が経験に応じて適切なモチベーション行動をうながす神経回路の全容解明につながることが期待されます。

私達は、美味しそうな食べ物があれば近寄り食べますが、その隣に怒った人がいると食べずに逃げて、危険を避けます。この「まわりの状況を読む」能力は、生まれつき備わる部分もありますが、多くは学習経験により育ちます。本研究は、「感覚情報によりまわりの状況を読み、適切なモチベーション行動を選択する」私達の重要な脳機能を理解するうえで、重要な第一歩になると思われます。本研究成果は、食生活においては、おいしさや摂食モチベーションをひきだす香りの役割を理解するうえで一般の方々や飲食品産業の方々に役立つことが期待され、医学においては、神経性の摂食障害や薬物乱用の原因究明に役立つことが期待されます。

本報告は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)研究領域「脳神経回路の形成・動作原理の解明と制御技術の創出」(研究総括:小澤 瀞司)における研究課題「匂いで誘起される意欲・情動行動の神経回路機構」(研究代表者:森 憲作)の研究成果です。

<参考図>

図1 匂いの情報による摂食や警戒のモチベーション

嗅覚は摂食や警戒などのモチベーションを強く誘起するが、その神経メカニズムは不明であった。匂いの情報は、鼻の奥にある嗅上皮の感覚細胞に受容されて脳の嗅球に伝えられる。嗅球より上位の領域における匂いによるモチベーションの誘起の神経メカニズムを明らかにするため、本研究では嗅皮質の一部である嗅結節に着目した。

図2 嗅結節のドメイン構造(背側視点)

本研究では嗅結節全体を細胞構築に従って大きく4つの領域(ドメイン)に区分けした。匂い提示で摂食モチベーション行動を示したマウスと、同じ匂いで警戒モチベーション行動を示したマウスの間で最初期遺伝子(c-Fos)を発現する細胞の分布を比較した。摂食モチベーション行動を示したマウスでは、前内側ドメインの皮質様コンパートメント(黄緑)が活性化し、警戒モチベーション行動を示したマウスでは外側ドメインのcapコンパートメント(オレンジ)と皮質様コンパートメント(黄)が活性化した。

<用語解説>

注1)嗅結節
嗅結節は嗅覚一次中枢である嗅球から直接投射を受ける嗅皮質領域の一部であり、同時に側坐核とともに腹側線条体を構成する脳領野である。これまでの研究で、嗅結節の特に内側部が薬物依存の発症に関わることが知られていたが、嗅覚で誘起される様々な行動における役割は不明であった。
注2)最初期遺伝子
最初期遺伝子とは、神経細胞が刺激に対して応答した際に速やかに発現が誘導される遺伝子群である。本研究で解析したc-Fosは最初期遺伝子に含まれる転写因子である。c-FosのmRNAおよびタンパク質の発現は観察時点の数十分前の神経細胞の活性化を反映すると考えられ、神経活動の分子マーカーとして広く利用されている。

<発表雑誌>

雑誌名:「The Journal of Neuroscience」(2015年7月22日 vol. 35 Num. 29)
論文タイトル:Mapping of Learned Odor-Induced Motivated Behaviors in the Mouse Olfactory Tubercle
著者:Koshi Murata, Michiko Kanno, Nao Ieki, Kensaku Mori*, and Masahiro Yamaguchi
doi: 10.1523/JNEUROSCI.0073-15.2015

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

山口 正洋(ヤマグチ マサヒロ)
東京大学 大学院医学系研究科 細胞分子生理学分野 講師
Tel/Fax:03-5841-3469
E-mail:

森 憲作(モリ ケンサク )
東京大学 名誉教授/理化学研究所 脳科学総合研究センター 客員主管研究員
Tel:075-962-7725
E-mail:

<JST事業に関すること>

川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
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<報道担当>

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