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平成26年7月18日

東京大学 大学院理学系研究科
科学技術振興機構(JST)

認知症に関わる遺伝子の機能を解明
~インスリン受容体をシナプスに運んで記憶学習を実現する~

発表のポイント

カルシンテニンと呼ばれるタンパク質は、アルツハイマー病やレビー小体型認知症注1)、パーキンソン病といった神経疾患に関与することが示唆されています。また、カルシンテニンの遺伝子に存在する個人差(一塩基多型注2))は記憶能力と相関することが報告されています。しかし、カルシンテニンがどのような機能を持っているのかについては不明でした。

今回、東京大学 大学院理学系研究科の富岡 征大 助教と飯野 雄一 教授らは、線虫C.エレガンス注3)を用いた実験により、線虫においてもインスリン受容体にはアミノ酸の数が異なる2種類のタイプ存在することを明らかにしました。また、このうち大きいタイプが、カルシンテニンが関与する輸送系により神経細胞内でシナプス注4)領域へ運ばれることが、飢餓経験と環境情報(場所の塩濃度)を結びつける学習に必要であることを見出しました。今回の発見は、体内の血糖値を下げることで知られているインスリンが、多様な機能を発揮するメカニズム、さらに記憶・学習や認知症に関わるカルシンテニンが神経細胞内でどのように働くかを明らかにするものです。今後の研究の進展により、今回の成果が認知症の治療や記憶・学習能力の向上に役立つことが期待されます。

<研究の背景>

C.エレガンスと呼ばれる線虫は体長1mmほどの小さな生き物ですが、簡単な記憶学習を行える能力を持っています。例えば、外界の塩濃度と餌の有無を関連づけて記憶し、餌を得られず飢餓を経験した塩濃度の場所を避けるように移動する学習ができます。このような線虫の学習には、神経系で働くインスリンやカルシンテニンと呼ばれるタンパク質が重要であることが知られています。

一方、私たち人間でもインスリンやカルシンテニンが記憶学習に関与する可能性が指摘されています。例えばこれまでに、インスリンの鼻腔投与が記憶力を上昇させること、カルシンテニンの遺伝子に存在する一塩基多型が記憶力と相関することが報告されています。他にも、アルツハイマー病の原因とされるアミロイドベータの産生にカルシンテニンが関与するという知見や、レビー小体型認知症やパーキンソン病の患者の脳脊髄液でカルシンテニンの量が変化するという知見があります。しかしながら、インスリンやカルシンテニンが神経系でどのように働いているのかについてはよくわかっていませんでした。

<本研究の内容>

今回、東京大学 大学院理学系研究科の富岡 征大 助教と飯野 雄一 教授らは、線虫C.エレガンスを用いて、インスリンやカルシンテニンが学習を制御するメカニズムを詳細に調べました。

まず、インスリンを受け取るタンパク質(インスリン受容体)について調べ、線虫のインスリン受容体は選択的スプライシング注5)により、アミノ酸の数が異なる大きいタイプと小さいタイプのものが合成されることを明らかにしました。加えて、大きいタイプのインスリン受容体は、小さいタイプのものに比べて82アミノ酸分だけ大きく、飢餓を経験するとシナプス領域へと移動する性質を持っていることがわかりました。

また、この大きなタイプのインスリン受容体を運ぶ際にカルシンテニンが必要であることを明らかにしました。具体的には、カルシンテニンがキネシン注6)と呼ばれるモータータンパク質とインスリン受容体を橋渡しして、微小管と呼ばれるレールに沿って大きなタイプのインスリン受容体がシナプス領域へと輸送されることに必要であることがわかりました(図1)。さらに、この輸送は餌の有無を伝えるMAPキナーゼシグナル伝達経路注7)によって調節され、学習に必要なシナプス領域のインスリン受容体の量を変化させていることも明らかとなりました。

インスリン受容体はPI3キナーゼ注8)と呼ばれるタンパク質の働きを調節することが知られていますが、このPI3キナーゼをシナプス領域で人為的に働かせると、餌が豊富に存在するにもかかわらず経験した塩濃度の場所を避けるような異常な学習行動を示しました。

以上の結果により、飢餓状態を感知したMAPキナーゼシグナル伝達経路がカルシンテニンを介して大きなタイプのインスリン受容体をシナプス領域へと輸送する手助けをし、これによりシナプス領域における活性が上昇したPI3キナーゼが経験した塩濃度の場所を避けるような学習行動を引き起こしていることが明らかとなりました。

<今後の展開>

私たち人間においても、選択的スプライシングにより大きなタイプと小さなタイプのインスリン受容体が合成されることがわかっており、人間と線虫で共通の分子メカニズムが記憶や学習の基盤となっている可能性があります。今後の研究の進展により、本研究成果が認知症の治療、記憶や学習の基本的な仕組みの解明に寄与することが期待されます。

なお、本研究の一部は、JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「生命動態の理解と制御のための基盤技術の創出」研究領域の研究課題名「神経系まるごとの観測データに基づく神経回路の動作特性の解明」(研究代表者:飯野 雄一)の一環として行われました。

<参考図>

図1 カルシンテニンによるインスリン受容体の輸送メカニズム

カルシンテニンがキネシンタンパク質と大きいタイプのインスリン受容体を結びつける。キネシンタンパク質は微小管と呼ばれるレールに沿って移動して、大きいタイプのインスリン受容体をシナプス領域へと輸送する。この輸送が線虫の学習を成立させるのに重要である。

<用語解説>

注1) レビー小体型認知症
アルツハイマー型認知症や脳血管性認知症と並んで三大認知症の1つに数えられる認知症。
注2) 一塩基多型
人間や生物集団の中に一定の割合で存在する、ゲノムDNA配列中のある部分の塩基(A、T、C、G)が1つだけ異なるような個人差。
注3) C.エレガンス
正式な学名は「Caenorhabditis elegans」。非寄生性の小さな土壌性線虫で、発生生物学や神経科学において広く用いられるモデル生物の1つ。
注4) シナプス
神経細胞が他の細胞との間に作る、電気的・化学的なシグナルを伝えるための接合部位。
注5) 選択的スプライシング
遺伝子発現の過程において、メッセンジャーRNA前駆体を切り貼りすることで1つの遺伝子から異なる構造を持つタンパク質を合成するための機構。
注6) キネシン
微小管と呼ばれる繊維上の構造に沿って動く機能を持ったタンパク質。
注7) MAPキナーゼシグナル伝達経路
細胞外からのさまざまな刺激に応答して他のタンパク質にリン酸基を付加する機能を持った、MAPキナーゼと呼ばれるタンパク質を中心とする一連のタンパク質群。
注8) PI3キナーゼ
細胞膜に存在するイノシトールリン脂質と呼ばれる物質にリン酸基を付加する機能を持ったタンパク質。

<発表雑誌>

雑誌名 「Science」(2014年7月18日号)
論文タイトル “Role of synaptic phosphatidylinositol 3-kinase in a behavioral learning response in C. elegans
著者 大野 速雄、加藤 紳也、内藤 泰樹、國友 博文、富岡 征大、飯野 雄一
doi 10.1126/science.1250709

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

東京大学 大学院理学系研究科 附属遺伝子実験施設 助教
富岡 征大
Tel/Fax:03-5841-4404
E-mail:

<JST事業に関すること>

科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
川口 貴史
Tel:03-3512-3531
E-mail:

<報道担当>

東京大学 大学院理学系研究科・理学部
特任専門職員 武田 加奈子、広報室副室長(准教授) 横山 広美
Tel:03-5841-8856
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科学技術振興機構 広報課
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