平成25年2月22日
京都大学 iPS細胞研究所(CiRA)
長崎大学
科学技術振興機構(JST)
近藤 孝之 大学院生(京都大学 大学院医学研究科 脳病態生理学講座臨床神経学(高橋 良輔 教授)/CiRA リサーチアシスタント/JST CREST)、井上 治久 准教授(京都大学 CiRA/JST CREST/JST 山中iPS細胞特別プロジェクト)、岩田 修永 教授(長崎大学 薬学部/JST CREST)の研究グループは、山中 伸弥 教授(京都大学 CiRA/JST 山中iPS細胞特別プロジェクト)らの研究グループと協力し、複数のアルツハイマー病(AD)の患者さんごとに存在する病態を明らかにして、iPS細胞を用いた先制医療への道筋を示しました。
筆者らは、若年性(家族性)ADの原因遺伝子であるアミロイド前駆体タンパク質(APP)に遺伝子変異を持つ患者さんと、家族歴のない高齢発症(孤発性)ADの患者さんの皮膚からiPS細胞を作製し、大脳の神経系細胞に分化誘導させました。解析の結果、APP-E693Δと呼ばれる変異があると、アミロイドベータ(Aβ)というタンパク質がオリゴマーと呼ばれる凝集体となって細胞内に蓄積し、小胞体ストレス注8)と酸化ストレス注9)を引き起こし、細胞死を生じ易くすることが分かりました。また、ドコサヘキサエン酸(DHA)によって、これらの細胞内ストレスは軽減され、神経細胞死も抑制されました。さらに高齢発症の孤発性AD患者さんの中にもAPP-E693Δ変異と同様の細胞内Aβオリゴマーおよび細胞ストレスが見られるケースがあることが分かりました。
これらの研究結果は、iPS細胞技術応用は、疾患の病態解析や創薬研究に留まらず、孤発性を含めた患者さんごとの病態を事前に把握し適切な治療介入を行う「先制医療」にも用いることができることを示しています。この研究成果は2013年2月21日(米国東部時間)に米国科学誌「Cell Stem Cell」のオンライン版で公開されます。
アルツハイマー病(AD)は、老年期認知症の中で最も多い疾患であり、その病理特徴としては、脳内に老人斑といわれるタンパク質の蓄積が見られます。この老人斑の主成分がAβであり、Aβの過剰な蓄積がアルツハイマー病の発症に深く関わっていると考えられていましたが、病態への関与の仕方は、ヒトの脳の細胞では良く分かっていませんでした。
1)アルツハイマー病患者さんからiPS細胞を作製し病態を再現
健常人(コントロール)3名と、APP-E693Δ変異もしくはAPP-V717L変異を持つ若年発症の家族性AD患者2名、さらに家族歴のない高齢発症の孤発性ADの方2名からiPS細胞を作製しました(図1)。
そしてヒトiPS細胞から神経系細胞(大脳皮質神経細胞やアストロサイト注10))に分化誘導する技術を開発し、患者さんの神経系細胞群をin vitro(生体外)で作製しました。するとAPP-E693Δ変異を持つiPS細胞由来の神経系細胞で、細胞内にAβオリゴマーが蓄積し、小胞体ストレスを引き起こしていることが分かりました(図2)。さらに、マイクロアレイチップを用いた網羅的な遺伝子発現解析により、酸化ストレスに応答する遺伝子群の発現が増加していることが明らかになりました。また、活性酸素(reactive oxygen species:ROS)注11)が増加していたことから、細胞内Aβオリゴマーを持つADの神経系細胞内部では細胞内酸化ストレスが引き起こされていますが、それに対して細胞が対抗措置を取り、細胞内環境を正常化しようとしていることが考えられました。
これらの細胞内ストレスはAβの合成阻害剤であるβセクレターゼ阻害薬(β-secretase inhibitor:BSI)によりAβを取り除くと改善されました。
2) Aβによる細胞内のストレスは、適切な濃度のDHAで改善する
APP-E693Δ変異を持つiPS細胞由来の神経系細胞に対して、3種の化合物(活性酸素の生成阻害剤や小胞体ストレスを軽減する試薬など)を添加し、小胞体ストレスに対する治療効果を調べました。すると、低濃度のDHAを添加した時のみ、小胞体ストレスに応答するタンパク質(BiP、Caspase-4)や酸化ストレス(peroxiredoxin-4、活性酸素種)を減らしましたが、残り2種の化合物や高濃度のDHAでは逆に小胞体ストレスを増強してしまいました。さらに、低濃度のDHAを添加することで、APP-E693Δ変異を持つiPS細胞由来神経細胞の自然細胞死を、改善させることができました。この結果は、適切な有効濃度が存在することを示しています(図3)。
3) 一部の孤発性ADにおいても細胞内Aβオリゴマーと細胞ストレスが観察された
若年発症型の家族性ADのみでなく、家族歴のない高齢発症の孤発性ADの患者さんにおいても解析を進めると、一名の方においてはAPP-E693Δ変異と同様に細胞内Aβ蓄積や細胞ストレスが見られ、低濃度DHAで細胞ストレスを除去することができました。
この結果は、DHAによる処置が有効であるアルツハイマー病の集団と有効でない集団が存在する可能性を示しています。つまり、一見同じに見えるADも、背景にひそむ病態は多様であり、病態特性に応じた治療戦略が必要であるということです。そして、iPS細胞技術による疾患を先制的に治療制御する医療への道筋を提示しています。
本研究では、若年発症型および高齢発症の孤発性アルツハイマー病患者さんの神経細胞・アストロサイト内にAβオリゴマーが蓄積し、種々の細胞ストレスを引き起こしているケースがあることを明らかにしました。
より表現型の強い若年発症型アルツハイマー病患者さんのiPS細胞を用いて、病態解析や創薬研究のプラットフォームを開発し、孤発性アルツハイマー病患者さんのiPS細胞をそのプラットフォーム上で解析することで、患者さんの大部分を占める孤発性アルツハイマー病治療開発を推進する新たな方向性を示しました。
これらの成果を推し進めることで、従来の均一な疾患概念に対する画一的な治療を超えて、先制的な病態診断に基づき適切な治療を行う「先制医療」の開発が今後の課題であり、そのためには、iPS細胞技術のさらなる進展が必要であると考えられます。
緑色(または黄色)が蓄積したAβオリゴマー、青が細胞の核、赤が神経細胞を示す。コントロールの神経細胞ではAβオリゴマーは検出されない。
健常人(青色線)ではiPS細胞から分化誘導した神経細胞の自然細胞死は見られなかったが、APP-E693Δ変異を持つ家族性AD(黄色線)では、二週間程度の培養で細胞死が見られた。適切な量のDHAを添加して培養すると、細胞死が改善された。
研究領域 | 「人工多能性幹細胞(iPS細胞)作製・制御等の医療基盤技術」 (研究総括:須田 年生 慶應義塾大学 医学部 教授) |
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研究課題名 | 「iPS細胞を駆使した神経変性疾患病因機構の解明と個別化予防医療開発」 |
研究代表者 | 井上 治久(京都大学 iPS細胞研究所 准教授) |
研究期間 | 平成21年10月~27年3月 |
○論文名
“Modeling Alzheimer's disease using iPSCs reveals stress phenotypes associated with intracellular Aβ and differential drug responsiveness”
doi: 10.1016/j.stem.2013.01.009
○ジャーナル名
Cell Stem Cell
○著者
Takayuki Kondo,1,2,7 Masashi Asai,7,9,10 Kayoko Tsukita,1,7 Yumiko Kutoku,11 Yutaka Ohsawa,11 Yoshihide Sunada,11 Keiko Imamura,1 Naohiro Egawa,1 Naoki Yahata,1 Keisuke Okita,1 Kazutoshi Takahashi,1 Isao Asaka,1 Takashi Aoi,1 Akira Watanabe,1 Kaori Watanabe,7,10 Chie Kadoya,7,10 Rie Nakano,7,10 Dai Watanabe,3 Kei Maruyama,9 Osamu Hori,12 Satoshi Hibino,13 Tominari Choshi,13 Tatsutoshi Nakahata,1 Hiroyuki Hioki,4 Takeshi Kaneko,4 Motoko Naitoh,5 Katsuhiro Yoshikawa,5 Satoko Yamawaki,5 Shigehiko Suzuki,5 Ryuji Hata,14 Shu-ichi Ueno,15 Tsuneyoshi Seki,16 Kazuhiro Kobayashi,16 Tatsushi Toda,16 Kazuma Murakami,6 Kazuhiro Irie,6 William L. Klein,17 Hiroshi Mori,18 Takashi Asada,19 Ryosuke Takahashi,2 Nobuhisa Iwata,7,10,* Shinya Yamanaka,1,8 and Haruhisa Inoue1,7,8,*
*) 責任著者
○著者の所属機関
本研究は、下記機関より資金的支援を受けて実施されました。
京都大学 iPS細胞研究所(CiRA)
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