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平成24年5月16日

科学技術振興機構(JST)
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東京女子医科大学
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末梢神経損傷後に生じる脳の中の神経回路の「つなぎ換え」機構を解明

ポイント

JST 課題達成型基礎研究の一環として、東京女子医科大学 医学部の宮田 麻理子 教授らは、末梢感覚神経を切断すると、脳の中のニューロン(神経細胞)同士の配線(神経回路)が従来考えられてきた時期よりはるかに早い時期に大きく「つなぎ換え」られることを明らかにしました。これは、今までの学説を覆す発見です。また、この研究で新しく「つなぎ換え」られた神経回路の物質的変化と機能が世界で初めて明らかになりました。

脳には身体部位に応じて身体感覚を知覚する機能局在(脳地図注1))が存在し、脳地図は神経細胞同士の配線である神経回路によって構成されています。交通事故などにより手足を切断した患者(年間5000人)の50~80%は、失った手足があたかも存在するように感じ、激しく痛む病態「幻肢痛」に悩まされます。幻肢痛は末梢神経切断後の「脳地図」の変化が原因とされますが、脳の中の複雑な神経回路から特定回路の変化を解析することは難しく、メカニズムの詳細は不明でした。

宮田教授らは、マウスの髭の感覚神経を完全切断して、その投射先である視床という脳地図が存在する場所で、ニューロンに何がおきるのかを独自に確立したスライス標本を用いて神経回路を同定しながら、時間を追って詳細に調べました。その結果、通常の視床のニューロンは1本の内側毛帯線維から感覚入力を受けますが、切断した動物では、わずか一週間以内に複数本の線維から入力を受けるようになり、予想よりはるかに早期に内側毛帯線維の回路の配線が「つなぎ換え」られることが分かりました。さらに、新しくできた配線には、発達期にしか観察されないGluA2という神経伝達物質の受容体が発現しており、ゆっくり情報を伝達する配線になることも分かりました。

幻肢痛は、患者によって痛みの種類、程度、期間が異なり、リハビリ治療は従事者の経験則に基づいています。また、運動障害に対するリハビリと比較して、幻肢痛のような麻痺やしびれなどの感覚障害に対するリハビリは積極的に行われておらず、リハビリ施設はごく限られています。今後本研究を進めることで、幻肢痛の原因を解明し、より効果的な治療法、時期を提示できると考えられます。

本研究成果は、2012年5月16日(米国東部時間)発行の米国神経科学学会誌「The Journal of Neuroscience」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「脳情報の解読と制御」
研究総括:川人 光男 (株)国際電気通信基礎技術研究所 脳情報通信総合研究所 所長/ATRフェロー
研究課題名 「末梢神経損傷によって誘導される上位中枢神経回路の改編と動作原理」
研究者 宮田 麻理子(東京女子医科大学 医学部 教授)
研究期間 平成22年10月~平成26年3月

JSTはこの領域で、運動や判断を行っている際の脳内情報を解読し、外部機器や身体補助具などを制御するブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)を開発し、障害などにより制限されている人間の身体機能を回復するための従来にない革新的な要素技術の創出に貢献する研究を支援しています。

<研究の背景と経緯>

脳には身体部位に応じて身体感覚を知覚する機能局在(脳地図)が存在します(図1)。脳地図は、ニューロン同士の配線である神経回路によって形成されます。手足を切断するなどして、末梢の感覚神経が切断されると、脳地図が再構築されることが知られています。例えば、腕を切断した患者さんの脳を機能的MRI画像計測 (fMRI)で計測すると、失った腕に対応する脳領域が縮小し、腕の隣に位置する顔面領域が拡大してきます。サルやネズミの実験でも同様な変化が観察されています。(図1)。このような変化は、脳自体が持つ補償能力ですが、外界環境との不適合も引き起こすことが知られています。手足を切断した後に失ったはずの手足があたかも存在するように感じ、激しく痛むという幻肢痛という難治性の痛みがそれで、手足の切断患者(年間5000人)の50~80%が幻肢痛を体験します。

幻肢痛発症には、脳地図変化が中心的な役割を果たしていると考えられていますが、その変化のメカニズムは多くの謎に包まれています。そもそも成体の脳では神経回路は安定しており、簡単には「つなぎ換え」られないと長年考えられてきました。神経損傷研究においても、霊長類やアライグマを用いた研究では、損傷後何年も経った動物で大規模な神経回路の配線の変化が認められています。このため、損傷直後は、新たに配線ができるのではなく、脳の中に潜在していた配線が顕在化し、回路におけるニューロンの機能が可逆的に変わる、その後何年という長期間を経て新たに配線ができて回路のつなぎ換えが不可逆的に生じるという仮説(図2)が受け入れられていました。そして、幻肢痛の発症には、潜在していた配線の顕在化の仕方が影響していると考えられていました。

一方、神経回路やニューロンより小さな、スパインと呼ばれるニューロンの情報を受け取る微細部位では、最近の解析技術の進歩により、神経損傷後数日以内に形が変化することが分ってきました。従って、従来の仮説に基づく神経回路レベルの変化ではスパインレベルの変化とは時間的に大きなズレがありました。

このような時間的ズレの背景には、技術的な理由から今まで末梢神経損傷後の脳の中の神経回路の変化を詳細に時間を追って調べた研究がなかったことが原因にあげられます。脳地図は、視床と、視床から投射を受ける大脳皮質の感覚野に存在しますが、視床はそもそも観察のための標本作成が技術的に難しく、また大脳皮質は神経回路がとても複雑で、いままでの研究ではその変化がどの神経細胞から入力している神経回路なのか同定することはできませんでした。また、末梢神経切断後、神経回路においてニューロン同士の情報伝達の仕方がどのように変化するのかも不明でした。

幻肢痛に対しては、現在のところ有効な薬物療法はありません。近年、脳地図を再び正常地図に戻すような触覚の訓練をすることによって、鎮痛効果を図るリハビリが行われていますが、このようなリハビリ法の多くは臨床の現場での経験則で開発されたものが多く、最適で効率化されているとは言い難い状況です。いつリハビリを開始し、どのようにリハビリ効果を測定評価していくかは十分に確立していないことから、幻肢痛のリハビリを行う施設は、国内では極めて少ない状況となっています。効果的な治療法の開発のためにも、脳地図変化の詳しいメカニズムを明らかにすることが急がれていました。

<研究の内容>

マウスの髭は、探索行動をするための、ヒトでいうならば手のような役割をしています。マウスの髭の感覚はまず三叉神経核というニューロンの集団に伝達されます。三叉神経核のニューロンからは、軸索という長い突起が出て内側毛帯線維という束になって、視床と呼ばれる中継場所のニューロンにシナプス(ニューロンとニューロンの接合部)を作ります。そこで、感覚情報が一旦伝達されて、最終的に大脳皮質に送られます。視床や大脳皮質には髭や顔、手足に対応した脳地図が存在することが分かっています(図3)。

そこで私たちは、マウスの髭の感覚神経を完全切断して、髭の入力を失った視床のニューロンでの神経回路の変化を詳細に解析しました。私たちが独自に確立した視床スライス標本を用いて、スライスパッチクランプ法注2)で神経活動を記録することにより、視床のニューロンに入力している内側毛帯線維のみを選別して、その入力本数と感覚情報の受け渡し方(情報伝達様式)を詳細に解析しました。実験の結果から、通常の視床のニューロンは1本の内側毛帯線維から入力を受けますが、切断した動物では、予想よりはるかに早く切断後6日目には新たな複数本の線維から入力を受けるようになり、視床の神経回路の配線が早期から大きく「つなぎ換え」られることが分かりました(図4図6)。損傷前に存在していた神経配線は損傷後1週間以内に弱くなり、それを補うように新たな内側毛帯線維が視床のニューロンにシナプスを形成することも分かりました。さらに、新しくできたシナプスには、発達期でのみ観察されるGluA2という神経伝達物質受容体が発現しており、「若い」性質を持つことも分かりました(図5図6)。感覚情報の伝え方も、成体に比べて時間的に遅い性質を持つことが分かりました。

本研究の結果は、損傷後の脳地図の変化の初期過程を神経回路の機能レベルでとらえた世界で初めての発見です。近年、損傷早期にスパインなどのニューロンの微細構造レベルで変化することが報告されていましたが、神経回路のレベルにおいても大規模な配線換えが、今までの学説を覆しはるかに早い時期に起きていることが今回の研究ではじめて明らかになりました。

<今後の展開>

これまでの仮説では、幻肢痛に関して神経回路自体が換わるのには数年かかると考えられてきましたが、今回の結果から、損傷後わずか1週間以内にまもなく新しい配線ができはじめ、つなぎ換えが始まることが明らかになりました。成体の脳内でこのような早さで神経回路が変化するという発見は、これまでの学説を覆すものです。この変化がいつまで続くのか現時点では明らかではありませんが、神経回路の変化が終わって安定してしまった後に、治療によって再度正常な状態に戻すことはやはり難しいと考えられます。現在、国内では幻肢痛のリハビリ治療は積極的に行われてはおらず、治療実施施設はごくわずかしかありません。治療自体も、幻肢痛が発症し、患者の訴えが強くなってから行われていました。しかし、この結果を踏まえると、できるだけ早期、幻肢痛の発症以前から、発症そのものの抑制を目的とした治療を開始することが望ましいと考えられます。

また、リハビリの効果を測ることができるバイオマーカー(指標)が存在すると、リハビリをその結果を見ながら進めることができ、いま現在幻肢痛に苦しんでいる患者に対するリハビリ効果を高める工夫を行いやすくなります。今回はGluA2というグルタミン酸の受容体の一種が、つなぎ換えられた神経回路にのみ観察されることから、GluA2自身がバイオマーカーとなる可能性があります。また、GluA2と並行関係を持って増減する血中や脳脊髄液中の成分を検出できれば、バイオマーカーとして利用できる可能性があります。

一方で、成体脳で直接損傷を受けていないニューロン同士の配線が大きく組み換えられるという今回の結果は、大人の脳のニューロンであってもある条件下では柔軟な組み換え能力を持つことを意味しています。今後さらに詳しい神経回路の組み換えのメカニズムが分かれば、アルツハイマー病などの脳の変性疾患や脳梗塞後の神経再生の治療法にも応用できるかもしれません。

<付記>

1.東京女子医科大学 医学部 生理学(第一) 竹内 雄一 助教、南雲 康行 助教(電気生理学実験を中心に行った。)
2.北海道大学 大学院医学研究科 解剖発生分野 山崎 美和子 講師、 渡辺 雅彦 教授(GluA2の免疫染色のデータを提供。)
3.自然科学研究機構 生理学研究所 神経シグナル部門 井本 敬二 教授 (前 所属長。一部のデータは前所属機関である生理学研究所で収集。)

<参考図>

図1

図1 末梢感覚神経切断後の脳地図の変化

手を切断すると、手の感覚入力を受けていた脳領域は縮小し、隣接する顔の領域が広がってくる。脳地図は神経細胞同士の配線(神経回路)によって構成されている。

図2

図2 従来の末梢神経損傷による脳内神経回路の変化の仮説

末梢感覚神経からの入力が切断などによって遮断されると、初めは脳の中に潜在していた配線が顕在化し機能が変わる、その後何年という長期間を経て回路のつなぎ換えが生じるという仮説。

図3

図3 マウスの髭感覚の伝導路

マウス髭の感覚情報は三叉神経核→内側毛帯線維→視床→大脳皮質へと伝わる。三叉神経核、視床、大脳皮質には髭一本一本に対応した脳地図が順序よく並んで存在している。

図4

図4 末梢神経損傷後の内側毛帯線維投射変化

全細胞パッチクランプ法により、視床神経細胞から内側毛帯線維を介するシナプス電流を記録した。神経損傷後には階段状のシナプス電流増加が記録され、複数の内側毛帯線維投射が示唆された。

図5

図5 末梢神経損傷後のGluA2受容体発現増加

影響側(contra)の視床(VPM)においては、内側毛帯線維終末の指標分子であるVGluT2と共存するGluA2の免疫組織化学反応が増加している。

図6

図6 末梢神経損傷による視床神経回路つなぎ換え現象の模式図

末梢神経損傷後わずか1週間以内に視床では内側毛帯線維が1本支配から多重支配に変化する。加えて、新しく作られた神経回路では若い時期にしか存在しないGluA2にいう受容体が出現してくる。

<用語説明>

注1) 脳地図
ペンフィールドに代表される身体部位に応じて身体感覚を感じる脳の機能局在地図。
注2) スライスパッチクランプ法
生きた脳切片内のニューロンにガラス電極を当てて生理現象を記録する方法。シナプスやニューロン自身の微小な電気活動を非常に感度良く観察することができる。

<論文名>

“Rewiring of afferent fibers in the somatosensory thalamus of mice caused by peripheral sensory nerve transection”
(末梢感覚神経切断によるマウス体性感覚視床内求心性線維再配線現象)
doi: 10.1523/JNEUROSCI.5008-11.2012

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

宮田 麻理子(ミヤタ マリコ)
東京女子医科大学 医学部 生理学(第一) 教授
〒162-8666 東京都新宿区河田町8-1
Tel:03-5269-7413 Fax:03-5269-7413
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

原口 亮治(ハラグチ リョウジ)、木村 文治(キムラ フミハル)、稲田 栄顕(イナダ ヒデアキ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
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