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平成23年11月8日

株式会社島津製作所
Tel: 075-823-1110 (広報室)

科学技術振興機構(JST)
Tel: 03-5214-8404 (広報ポータル部)

質量分析システムを用いた 「血液1滴からの疾患早期診断」につながる
画期的基礎技術を開発

(抗体の「抗原と結合する能力」を飛躍的に高める基礎技術を開発)

株式会社島津製作所 田中最先端研究所(所長:田中 耕一、京都市中京区)の佐藤 孝明 グループリーダーらは 米国のDaniel J.Capon(ダニエル・J・カポン)氏らと共同で、抗体が持つ「抗原との結合能力」を100倍以上向上させる基礎技術を開発しました。

抗体は、生物を疾病等から防備する免疫反応の中で重要な働きをしているタンパク質としてよく知られていますが、タンパク質研究の分野では多種多様な生体物質が含まれる血液や細胞から、ある種の生体物質だけを高純度で選択する「フィッシング」という技術にも応用されています。質量分析装置注1)を用いてタンパク質の構造解析を行う際も、抗体による「フィッシング」を組み合わせることで、感度の向上を図っています。しかし、これまで用いられていた抗体は、生体が作り出したものや、マウス・ヒトのキメラ抗体注2)等が大部分で、抗体のモデル構造を表すためによく用いられるY字型のくびれ部分(ヒンジ部)に自由度がほとんど無く、抗原を捕捉できる位置が「点」であり、抗原と結合する能力が限られていました。

本研究グループは今回、抗体のヒンジ部に人工関節のようなバネ状構造を挿入することで、抗原結合部位に大幅な自由度を与える「可変抗体」を、化学合成により作成する方法を確立しました。これにより、抗原であるタンパク質やペプチド等に結合する能力が100倍以上向上できることを世界で初めて確認しました。

この技術により、「フィッシング」機能の大幅向上が期待され、「フィッシング」等の前処理法と最先端質量分析装置との組み合わせで、血液1滴から がんや成人病等を早期発見できる画期的診断システムの構築に貢献することが期待されます。

さらには、最近注目されている「抗体そのものを薬として用いる」抗体医薬の原料として使用することで、抗体医薬の能力向上等に役立つことが期待されます。

本研究成果は、2011年11月11日(金)に日本学士院発行の英文学術誌「Proceedings of the Japan Academy,Series B」のオンライン版で公開されます。

本成果は、以下の研究課題によって得られました。

最先端研究開発支援(FIRST)プログラム/日本学術振興会

研究課題名 「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献」
中心研究者 田中 耕一
研究期間 平成22年3月~平成26年3月

JSTはこのプロジェクトで、研究支援担当機関の役割を果たしています。

<研究の背景と経緯>

世界の体外診断薬市場は 年間2兆2000億円に上り、日本は米国に次いで約15%の市場を占めています。その中でも、ゲノミクス、プロテオミクス、グライコミクス、メタボロミクス等「オミクス(Omics)注3)」分野のバイオマーカー注4)を用いた分子診断市場は、近年2ケタ成長で発展しています。最近では、米国を中心とする巨大製薬企業は、新規バイオマーカーを用いた診断機器システムと新薬の開発を同時に推進しています。

最先端研究開発支援(FIRST)プログラムの1テーマである本研究課題では、世界最高性能の次世代質量分析システム開発の一環として、臨床検体等を用いてタンパク質等の構造解析を行う際に必要となる前処理法の開発も行っています。特に、多種多量に存在する分子の中から、抗体を用いて微量ターゲット分子のみを特異的に選択する「フィッシング」(図1)を行い、次世代質量分析システム全体の感度を1万倍に向上させるための革新的前処理法の開発を目指しています。しかし、これまで使われていた抗体は、生体が作り出したものや生体関連物質を用いて構造を多少変化させたものが大部分でした。この場合、抗体のヒンジ部に自由度がほとんど無いため、抗原を捕捉する能力が限られていました。また、すでに株式会社島津製作所では、抗体ビーズ注5)と質量分析装置を用いた高感度測定法の開発に成功していますが、その感度はターゲット分子への抗体結合能力に依存するため、従来法による抗体作成法ではなく、より高感度の抗体を得るための画期的試験管内抗体合成法の開発が望まれていました。

<研究の内容>

質量分析システムを用いて、生体試料中のペプチドを高感度で効率良く検出するためには、革新的前処理法の開発が極めて重要です。例えば生体試料中の目的ペプチドを濃縮するためには、リン酸化ペプチドに注目したモノクローナル抗体注6)を用いる濃縮精製法があります。また、安定同位体注7)を用いて発現タンパク質を標識し、ディファレンシャル解析(サンプルごとのデータ比較解析)を行うことで、より定量的に解析する方法等もこれまでに開発されてきました。

今回の研究では、抗体のFab領域(Y字型の“V”の部分)に相当するペプチドとして 化学合成したベータアミロイド注8)を用い、動物細胞で作成したFc領域(Y字型の“I”の部分)との間を、人工関節に相当するバネ状構造を持つ非ペプチドをリンカー(ヒンジ部に相当する)として試験管内で結合させました。合成された「ベータアミロイド/非ペプチドリンカー/動物細胞で作成したFc領域」という合成化合物を質量分析装置(MALDI-TOF-MS)注9)で確認した結果、「Fab領域/ヒンジ部/Fc領域」という抗体の化学構造を備えていることが確認できました。

その後、ベータアミロイドに特異的に結合するモノクローナル抗体(6E10)との結合能力を表面プラズモン共鳴法注10)で調べると、結合能力が飛躍的(100倍以上)に向上していることが判明しました。ヒンジ部の自由度が増すことによって抗原を幅広い「面」で捉えることができ、捕捉効率が飛躍的に高まった結果と考えられます。

すなわち、「抗体のヒンジ部を非ペプチドに置き換える」ことにより、抗体のFab領域を伸張性も含むフレキシビリティーの高い「可変抗体」(図2)に変換することに世界で初めて成功しました。また、その化学構造は質量分析装置(MALDI-TOF-MS)によって評価できることも明らかとなりました。

<今後の展開>

本研究成果は、将来的には、新たな「可変抗体」を用いた前処理法と最先端質量分析装置との組み合わせで、血液1滴から がんや成人病等を早期発見できる画期的診断システムの構築に貢献できると考えています。さらに、最近注目されている「抗体そのものを薬として用いる」抗体医薬の原料として使用することで、すでに医薬品や診断キットとして用いられている抗体の「抗原に対する結合能力」を飛躍的に向上させることが期待されます。

<参考図>

図1

図1 「フィッシング」の概念図

上図は、抗体と抗原の関係を「フィッシング」に例えている。すなわち、多くの雑多な魚(タンパク質等の化合物)の中から、特定の注目する魚(抗原)のみを釣り上げるため、特別な釣り針とエサ(抗体)を用いる。

図2

図2 従来の抗体と 今回開発した「可変抗体」との違い

従来の抗体(左側)は ヒンジ部に自由度がほとんど無く、抗原を いわば「点」で捕まえていた。それに対し「可変抗体」(右側)は、ヒンジ部にバネ状の人工物を挿入することにより、ヒンジ部を頂点とした回転運動(と伸縮)が可能になり、抗原を面(立体)で捕捉できるため、捕捉効率が飛躍的に向上できる。

<用語解説>

注1) 質量分析装置
試料から見たい化合物を選び出してイオン化し、分離・検出・測定・データ解析を行う装置のこと。
注2) キメラ抗体
ヒト抗体の可変部(Fab領域の先端に近い半分)のみをマウス由来にした抗体。
注3) オミクス
ゲノミクス(遺伝子解析)、プロテオミクス(タンパク質解析)、グライコミクス(糖鎖解析)、メタボロミクス(細胞の代謝物解析)等の総称。オミクスは、ギリシャ語の「すべて・完全」等を意味する(ome)に「学問」を意味する接尾辞(ics)を合成した言葉である。
注4) バイオマーカー
尿や血清中に含まれるタンパク質等の物質で、疾病の存在や進行度を把握するための指標(マーカー)となるもの。
注5) 抗体ビーズ
抗体をビーズ(微粒子)表面に結合させて固定化したもの。ターゲット分子と抗体が結合した抗体ビーズを、ビーズの特徴(重さや磁力)を用いて遠心力で沈降させたり、磁力で引き寄せたりすることで、ターゲット分子を効率的に集めることができる。
注6) モノクローナル抗体
単一のクローン細胞集団が作る、構造が均一な抗体。
注7) 安定同位体
物質を構成する元素には「質量の異なる原子」が存在するものがあるが、これらの原子を同位体と呼び、中でも半永久的に存在量が変わらず存在するものを安定同位体と呼ぶ。
注8) ベータアミロイド
タンパク質の一種であり、脳内で過剰に蓄積されると「老人斑」と呼ばれる凝集体が形成される。アルツハイマー病の患者の脳に、多数の老人斑が見られることから、アルツハイマー病の原因タンパク質と考えられている。
注9) 質量分析装置(MALDI-TOF-MS)
マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI:Matrix Assisted Laser Desorption Ionization)と飛行時間型質量分析法(TOF-MS:Time Of Flight Mass Spectrometry)の組み合わせで質量を分析する装置。MALDIは、生体高分子イオン化において主要な方法となっており、本最先端研究開発支援プログラムの中心研究者が発明したSoft Laser Desorption(2002年ノーベル化学賞受賞)の発展形である。
注10) 表面プラズモン共鳴法(Surface Plasmon Resonance:SPR)
金属中の電子が光と相互作用を起こす現象のこと。表面プラズモン共鳴が起こっている表面の領域は、わずかな分子が結合しただけで敏感に共鳴状態が変化することから、微量のタンパク質を高感度に検出するバイオセンサの検出原理として使われている。

<論文名>

“Flexible Antibodies with Nonprotein Hinges”
(非タンパク質ヒンジ部を持つ可変抗体)
doi: 10.2183/pjab.87.603

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

谷垣 哲也(タニガキ テツヤ)
島津製作所 広報室 室長
〒604-8511 京都府京都市中京区西ノ京桑原町1
Tel:075-823-1110 Fax:075-823-1348
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

金子 博之(カネコ ヒロユキ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究プロジェクト推進部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
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