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平成23年7月6日

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固体核磁気共鳴(NMR)量子コンピューターの新しい操作原理を発見

-大規模なNMR量子コンピューターの実現に一歩-

独立行政法人 物質・材料研究機構(理事長:潮田 資勝) 極限計測ユニット(ユニット長:藤田 大介) 強磁場NMRグループ(グループ長:清水 禎)の後藤 敦 主幹研究員らは、強磁場共用ステーション(ステーション長:熊倉 浩明)の設備および独自に開発した装置を用い、未来のコンピューターと期待される「量子コンピューター注1)」の有力候補の1つである「固体核磁気共鳴(NMR)注2)量子コンピューター」の新しい操作原理を発見しました。

量子コンピューターとは、「量子力学」の原理を利用した新しい計算機の概念で、その実現により、現在の計算機では極めて長時間の計算が必要なため事実上解けないような問題を解くことが可能になると期待されています。固体NMR量子コンピューターは、固体(主として半導体)中の原子核スピンで量子ビットを構成する方式で、現在、最も有望な「大規模」量子コンピューター方式の1つと見なされていますが、その実現にあたっては、量子ビット間の情報伝達を担う「核スピン間相互作用」を操作する手法の開発が課題となっていました。本成果は、半導体中の核スピン間相互作用が、光のオン・オフという単純な方法で操作できることを見出したもので、固体NMR量子コンピューターの実現に貢献するものと期待されます。

なお、本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「物質と光作用」研究領域(研究総括:筒井 哲夫 九州大学 名誉教授)における研究課題「光ポンピング法を偏極源とした固体超偏極技術の開発」(研究者:後藤 敦)の一環として行われました。

本研究の成果は、2011年7月5日(英国時間、日本時間:2011年7月6日)に英国オンライン科学雑誌「Nature Communications」で公開されます。

<研究の背景>

物質内の安定原子核の自転運動に起因する核スピンは、NMRや磁気共鳴画像診断(MRI)などにおける観測プローブとして、物理、化学、生化学、医療など様々な分野で活用されています。近年、その核スピンを用いて、未来の超高速計算機「量子コンピューター」を創成する研究が進んでいます。この方式はNMR量子コンピューターと呼ばれています。NMR量子コンピューターはこれまでで最も進んだ量子コンピューターの1つとして知られており、化学分析に用いられる通常のNMR装置と既知の有機分子の溶液を用いて、これまでに数量子ビットの量子計算が実現しています。しかし、量子コンピューターがその実力を発揮するためには、さらに多くの量子ビットでの計算が必要です。この大規模化は「スケーラビリティ」と呼ばれ、量子コンピューターの重要な性能の1つとされています。

現在、スケーラブルなNMR量子コンピューターは、高度に発達した半導体テクノロジーとの組み合わせで実現されると考えられており、これまでにいくつかの方式が検討、提案されています。しかし、現在の高度な半導体加工技術を用いてもその実現は大きなチャレンジです。その課題の1つが、量子ビットを構成する核スピンと核スピンの間の相互作用を制御する操作の実現です。この相互作用は、計算操作を行う間だけ働き、操作を行わない時は切られている、即ち、スイッチングができなくてはなりません。しかし、これまでに知られている核スピン間相互作用はスイッチングに煩雑な操作が必要であるか、技術的に難しい点がありました。

<今回の研究成果>

本研究において、後藤主幹研究員らは、光のオン・オフという単純な操作により核スピン間の相互作用をスイッチ操作できることを示しました。さらに、光の照射強度を増強すると、この相互作用の到達距離を長くできることがわかりました。従来から知られている短距離相互作用を想定した方式では、相互作用の確保のために量子ビットを互いに近接させる必要がありましたが、今回発見された相互作用は離れた核スピン間にも作用することから、量子ビットの配列に自由度をもたらす可能性があります。

今回発見された原理は、代表的な化合物半導体の1つである砒化ガリウム(GaAs)の中に含まれる2種類の核スピン、71Gaと75Asを対象に行った、光照射下での交差分極測定において見出されました。「交差分極」とはNMR分析で用いられる手法の1つで、今回の場合、71Ga核と75As核のそれぞれに作用する2種類の周波数の電磁波を試料に同時に照射することで、75As核スピンの磁気モーメント(核磁化)を71Ga核に移動させることができます。その移動にかかる時間スケール(特性時間)は、2つの核スピン間に働く相互作用の大きさで決まるため、光照射による特性時間の変化を調べることで、核スピン間相互作用の大きさの変化がわかります。

図1は、75As核から71Ga核への核磁化の移動過程の光照射強度による変化を示しています。ここで、非照射(照射強度0mW)時の磁化移動過程については、75Asに近接する71Gaへの既知の相互作用による磁化移動であることがわかっています。次に、光照射強度を0mWから次第に増加させると、50mW付近から新しい磁化移動過程(αで示した尾根状の部分)が現れます。これは、光照射により新たな71Ga核への磁化の移動が発生していることを示しています。すでに非照射時において、近接する71Ga核への移動は完了していますので、次に現れる磁化移動はもう少し遠方の71Gaへの磁化移動と同定できます。また、光の照射強度の増加に伴い、尾根状の部分が磁化移動時間の短い方向に移動しますが、これは磁化移動にかかる時間が短くなること、すなわち、その71Gaとの相互作用が増大していることを示しています。さらに光強度を増加させると、βで示される別の新たな尾根が現れるとともに、その磁化移動時間が短くなりますが、これはさらに遠方の71Gaへの磁化移動が発生し、その相互作用が次第に増大することを示しています。

以上の測定から、「光照射により、空間的に離れた2つの核スピンの間に新たな相互作用が発生し、その相互作用は光照射強度の増加に伴い増強される」ということがわかりました。

この原理を、核スピンを適切に配置した構造に適用できれば、核スピン間のスイッチ操作が実現できると考えられます。図2は、この原理により将来実現が期待される「スイッチ操作」の概念図を表しています。光照射がない時、数原子間隔離して置かれた2つの核スピン間の相互作用は、(既知の短距離相互作用を含めて)オフの状態にあります。ここで光を照射すると、今回発見された原理により、相互作用がオンの状態となります。この切り替えにより、相互作用のスイッチ操作が実現されます。

<社会への波及効果>

核スピンや電子スピン、超伝導磁束量子など、様々な量子状態を利用した「量子情報処理」は、将来のIT技術として大きな期待を集めています。中でも、核スピンはその情報を保持する時間が極めて長いという、他のスキームと比較して明らかな利点があります。このため、核スピンは、NMR量子コンピューターとして、または他のスキームと相補的に用いられることにより、将来の量子情報処理の重要なコンポーネントになると考えられます。今回の成果は、現時点では「原理の発見」の段階であり、その実用化にあたっては克服すべき課題が数多くありますが、今後の技術の進展により、将来の核スピンの制御技術として、核スピンによる量子情報処理、ひいては量子情報技術全体の発展に貢献することが期待されます。

<その他>

本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)、および科学研究費補助金(日本学術振興会)による支援を受けて行われました。

<参考図>

図1

図1 GaAsにおける、75As→71Ga間の核磁化移動過程の光照射強度依存性

照射強度の増加に伴い、α、βなどの尾根状の部分が順次現れると共に、尾根の位置が次第に磁化移動時間の短い方向へと移動します(点線矢印)。より後に発生する尾根は、より遠方の71Gaへの磁化移動に対応します。また、尾根の位置の移動は磁化移動速度の上昇を表しています。

図2

図2 今回発見された原理を用いることで将来実現が期待される「スイッチ操作」の概念図

赤矢印は核スピン、青球は核スピンを持たない原子を表します。光(赤円)により相互作用(緑線)がオン状態となります。

<用語解説>

注1) 量子コンピューター
「量子力学」の原理を利用した新しい計算機の概念で、2準位状態である「量子ビット」の「重ね合わせ」を利用することにより超高速計算を行うものである。この性質により、現在の計算機では事実上解けない問題を短時間で解くことが可能であり、これにより、通信における「暗号」の概念を根本的に変革させる可能性を持つ。NMR量子コンピューターでは、この量子ビットを磁場中におかれた安定核の磁気モーメントで実現しており、核磁気モーメントの外界からの隔離性の良さや高度に発達したNMR技術の存在から、現在最も有望な量子コンピュータースキームの1つと見なされている。
注2) 核磁気共鳴(NMR)
安定原子核の自転運動(磁気モーメント)の磁場中での共鳴現象を利用して、その原子核を含む分子や固体の性質を調べる物質の分析手法。周期律表にある元素のうち約90%の原子核がNMRにより観測可能であることから、極めて広範囲の物質を守備範囲としており、物理、化学、生化学、医療など様々な分野で不可欠の研究手法となっている。特に、有機化学の分野では、炭素や水素などの結合や分子の立体的な構造に関する情報が非破壊的に得られるため、構造解析の切り札として重用されている。また、文字通り原子の大きさでの分解能を持つため、ナノ構造物質の特性の分析技術としての期待も高い。近年ではMRIの基本原理としても知られている。なお、本手法は主として安定核の基底状態を対象としており、核分裂や放射性と直接の関係はない。

<お問い合わせ先>

<研究内容に関すること>

後藤 敦(ゴトウ アツシ)
独立行政法人 物質・材料研究機構 極限計測ユニット 強磁場NMRグループ(強磁場共用ステーション併任) 主幹研究員
Tel:029-863-5513
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

原口 亮治(ハラグチ リョウジ)
独立行政法人 科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究推進部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2067
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<報道担当>

独立行政法人 物質・材料研究機構 企画部門 広報室
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