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平成21年12月10日

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I-VII族半導体薄膜の超高品質化で光応答速度を3桁向上

(室温動作する超高速光ゲートデバイス実現に道)

JST目的基礎研究事業の一環として、元 大阪大学の一宮 正義 研究員(現 大阪歯科大学 助教)、大阪府立大学の保田 英樹 研究員らは、I-VII族化合物半導体薄膜を高品質化することにより、従来に比べ3桁以上も高速な光応答速度を実現できることを明らかにしました。

光で光信号を制御するための高いスイッチ効率と高速応答は一般にトレードオフの関係にあるため、特に室温でこれらが両立するデバイスの実現が難しく、新しい材料や物理機構がこれまで探索されてきました。

本研究グループは、真空蒸着法の1つである分子線エピタキシー法注1)でI-VII族化合物半導体であるCuCl(塩化第一銅)の高品質薄膜を作製、さらに電子線ビームを用いて表面改質を行い、励起された電子状態の波と光の波が数波長の距離にわたって相互作用できるようにしました。その結果、特定の膜厚で光と電子励起状態注2)の相互作用が特異的に強くなり、励起状態が素早く光となって緩和する、新しいタイプの超高速現象を明らかにしました。

この機構では、室温の熱擾乱ねつじょうらん注3)で電子励起の波が乱されてしまうより速く光スイッチ動作を完了することが原理的に可能であるため、将来室温で効率的に動作する超高速光ゲートデバイスの実現が期待されます。

本研究は、大阪大学の実験グループ(伊藤 正 教授、芦田 昌明 准教授)と大阪府立大学の理論グループ(石原 一 教授)が共同で行いました。

本研究成果は、2009年12月18日(米国東部時間)発行の米国物理学会誌「Physical Review Letters」に受理され、オンライン版で近日中に公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

研究領域 「新しい物理現象や動作原理に基づくナノデバイス・システムの創製」
(研究総括:梶村 皓二 (財)機械振興協会 副会長/同協会技術研究所 所長)
研究課題名 光電場のナノ空間構造による新機能デバイスの創製
研究代表者 石原 一(大阪府立大学 大学院工学研究科 教授)
研究期間 平成14年11月~平成20年3月

JSTはこの領域で、量子系の新しい物理現象や動作原理、および、それを用いた新しいデバイス・システム等の実現を目指しました。上記研究課題では、固体内部の「光電場のナノ空間構造」が主役となる特異な光学過程を積極的に利用した非従来型光デバイス開発の可能性を追求し、これまでにない高い非線形性を有する超高速光ゲートや量子位相ゲートの動作実証を目指しました。

<研究の背景と経緯>

光を照射した瞬間だけ物質の性質が変わり、さらに別に照射する光に対する応答特性が変化することを非線形光学効果と呼びます。効率の良い非線形光学効果は、光信号を光で制御する光ゲートデバイスや、各種計測、物性研究などさまざまな分野で応用が可能です。特に光通信などにおける光信号のオン・オフや経路変化を、別の制御光を照射することにより行う全光型光ゲートデバイス注4)は電気的制御より圧倒的に高速かつ省エネルギーであるため、将来の大容量光情報処理技術を加速させるキーデバイスとしてその実現が期待されています。

しかし、実用に足る程度に非線形光学効果を大きくするためには、照射する光のエネルギーを物質の電子を励起するエネルギーに共鳴注5)させることが望ましく、そのため物質が得た励起エネルギーが緩和するための時間が必要となり、高速応答が阻害されるというトレードオフが生じます。これまで、このようなトレードオフを回避しつつ、高効率高速な光ゲートデバイスを実現するさまざまな材料、構造、新しい物理機構の研究が行われてきました。

<研究の内容>

本研究グループは、高品質な試料中では電子励起による波動が散乱されず数百ナノメートルの厚さの試料全体にわたって波として広がり、これが試料内で光の波と位相を揃えて数波長にわたって合わさる条件の時、(1)光と電子励起状態の相互作用が特異的に強くなること、(2)その時、励起状態が超高速に光を放射して緩和(輻射緩和)すること――に注目しました。高品質試料中の励起状態の波が光の波とうまく合わさる時、高速輻射緩和することは本研究グループの石原 一 教授が理論的に予言していましたが、実験的に観測可能なものかどうかは明らかになっていませんでした(図1)。

今回、CuClという元来、光との相互作用が強いが成膜の難しいI-VII族化合物を真空蒸着法の1つである分子線エピタキシー法で高品質に成膜する技術を開発し、さらに電子ビーム照射で表面の改質を試みました。この試料の光学特性を理論解析したところ、励起状態の波が数波長にわたって広がる高品質な膜ができていることが確認できました。さらに輻射緩和時間を計測する過渡回折格子分光法注6)を用いて応答時間特性を調べたところ(図2)、その緩和時間や干渉によるビート構造が、理論で予想された励起状態の特性から見積もられたものと極めて良く一致することが分かり、電子励起波動・光波動の重なりによる超高速応答が起きていることが確認できました(図3)。

結果として得られた輻射緩和時間は100フェムト秒(1秒の1000兆分の1)程度で、従来高速な輻射緩和と考えられてきたデータよりさらに2から3桁程度速いものでした。また理論の予言から、条件が揃えば、20から30フェムト秒程度まで短縮できると考えられていますが、これは室温の熱擾乱で電子励起の波が乱されるより短い時間です。

本結果の応用上の意義は、次のようにまとめることができます。

  1. (1) 共鳴効果を使った高い非線形効率を持ちながら、エネルギー緩和の超高速性が両立する新たな現象を実証した。
  2. (2) 通常、室温では熱擾乱で励起の波が乱されてしまい、高効率な非線形性が得られないが、実証された機構では室温で励起の波が乱される前に高速に応答を完了することも可能であるため、室温での効率よい光ゲート動作実現に道を開いた。

また、基礎物理学的には次の点が評価されています。

  1. (3) 本来波長スケールが異なり、光と電子励起の波は空間的に波動同士の相互作用とはならず、光は波とは扱わないというのが量子力学の教科書に書かれている従来の理解であるが、今回、ミクロ、マクロの階層を越えて両者が波動対波動の相互作用をするという、新しい物理機構を実証した。

さらに、単純な薄膜構造を高品質化するだけで全く新しい物理機構と光機能を引き出した点は、材料工学的にも注目すべき成果です。

<今後の展開>

本成果は、極低温ヘリウム温度(約-270℃)環境での原理検証ですが、現在までに窒素温度(約-200℃)付近まで同じ機構による高速な非線形信号が本研究グループにより確認されています。今後、さらに室温付近でも効率良く非線形効果が生じると予想される膜厚での高品質試料作製を行い、室温での検証を行います。また、CuClは潮解性があるため、デバイス使用に工夫が必要ですが、現在表面のコーティングなどで繰り返し使用を可能にする方法の検証を行っており、またこのような問題がなく、もともと室温近辺でも共鳴効果が得やすいZnO薄膜を用いて同様の効果の検証を行うことも予定されています。これらの研究が進めば、室温で動作する半導体非線形光学デバイスの実用化に近づくものと期待されます。

<参考図>

図1

図1 固体中の励起波動と光波動の相互作用

  1. 左図:通常、物質励起波動の広がりに比べ、光の波長はずっと長いため、励起波動は光波動の空間的変化をほとんど感じません。相互作用の強さはおおむね両者の積で決まるため、波動として正や負の値を取る上位の状態より、空間構造のほとんどない、一番下位の波動状態(黄色の波)が光と良く相互作用すると考えられています。
  2. 右図:高品質薄膜の場合、ある程度厚くなっても励起波動は全体に広がります。屈折率の高い物質内では光波長が短くなるため、お互いに波動としての空間変動を感じ、波動として形の合うもの同士が強く相互作用します(図の場合は黄色で表した下から4番目の波動が光と強く相互作用)。本研究成果はこのような物理機構に基づいています。
図2

図2 非線形光学効果により生じる光信号

  1. a: K、Kの2つの光(赤い矢印)を物質に照射した際に非線形効果により、2K-Kや2K-Kなどの光(青い矢印)が新たに生じます。この機構は光信号を制御光でオン・オフするデバイスに用いることができます。
  2. b: 3つの光を照射した場合、過度回折格子分光法になり、励起光のグレーティング(スリット)による回折でK-K+Kなどの光(青矢印)が新たに生じます。本研究ではこれらの手法で生じる非線形信号(青矢印)を計測し、特に過度回折格子分光法により、超高速輻射緩和を明らかにしました。
図3

図3 過度回折格子分光法により観測された非線形信号の緩和時間

各励起状態の緩和と、それらの間の干渉効果が理論解析と非常に良い一致を示しています(点が実験値、実線が理論計算によるもの)。

<用語解説>

注1) 分子線エピタキシー法
真空蒸着法の1つで、半導体の結晶成長技術として用いられます。成長層厚を原子層レベルで精密に制御することが可能で、III-V族半導体(ガリウムヒ素など)では技術が良く成熟していますが、I-VII族半導体で高品質な薄膜を安定的に作製するにはまだ多くの課題があります。
注2) 励起状態
量子力学の原理により、物質が持つことのできるエネルギーは離散的になっている場合があります。物質が何らかのエネルギーを得て最低エネルギーの状態より高いエネルギーを持つ時、この物質を「励起状態にある」と言います。通常、励起状態は光や熱としてエネルギーを放出し、基底状態へと緩和します。特にひかりを放出して緩和する過程を「輻射緩和」と呼びます。
注3) 室温の熱擾乱(ねつじょうらん)
通常、励起状態は環境(固体の場合なら格子振動など)によって擾乱され、そのマクロな位相関係やエネルギーが失われたりします。特に位相関係が失われる、すなわち波が乱される現象は、長い時間がかかるエネルギーの緩和に比べて圧倒的に高速に起こります。この励起の擾乱は温度が高いほど速く起こり、室温では典型的に数十フェムト秒でそのような擾乱が起こります。励起の擾乱が速いと、それより遅い応答速度を持つ現象はスイッチングデバイスには有効に用いることができません。
注4) 全光型光ゲートデバイス
制御光の入出力によって信号光のオン・オフや経路などを制御するためのデバイスで、将来の100Gbit/sを超える大容量光通信システムのキーデバイスの1つと考えられています。全て光だけで信号処理する超高速なスイッチング素子で、電気的に光信号の制御を行うより圧倒的に高速である利点がありますが、高い効率の確保に難があり、実用化は光エレクトロニクス技術での挑戦的課題となっています。
注5) 共鳴
振動体が、固有振動数に近い周期を持つ外力によって刺激を受けた時、振動の振幅が増強し、これを共鳴現象と言います。物質の励起エネルギーに近いエネルギーを持つ光を照射すると、同様の機構で光エネルギーが強く散乱されたり、吸収されたりします。この時、光学非線形性も大きく増強します。
注6) 過渡回折格子分光法
2つの励起光を試料に照射して干渉縞を生成し、それを回折格子として散乱されるプローブ光の回折強度を観測する非線形分光の1つです。干渉光の強度の減少とともにプローブ光の回折強度が減少していくため、励起光とプローブ光のパルスの時間差をつけることによって励起が緩和していく速度を計測することができます。

<論文名>

“Observation of superradiance by nonlocal wave-coupling of light and excitons in CuCl thin films”
(CuCl薄膜における光と励起子の非局所的波動相互作用による超放射の観測)
doi: 10.1103/PhysRevLett.103.257401

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

石原 一(イシハラ ハジメ)
大阪府立大学 大学院工学研究科 教授
〒599-8531 大阪府堺市中区学園町1-1
Tel:072-254-9268 Fax:072-254-9268
E-mail:

伊藤 正(イトウ タダシ)
大阪大学 大学院基礎工学研究科 教授
〒560-8531 大阪府豊中市待兼山町1-3
Tel:06-6850-6506 Fax:06-6850-6509
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<JSTの事業に関すること>

廣田 勝巳(ヒロタ カツミ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究領域総合運営部
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