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平成21年1月19日

九州大学
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科学技術振興機構(JST)
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がん抑制遺伝子p53の新しい制御機構を発見

(がんの病因解明と治療応用に期待)

 JST基礎研究事業の一環として、九州大学 生体防御医学研究所の中山 敬一教授らは、がん抑制遺伝子注1)p53によって誘導される細胞死を抑える新たな仕組みを発見しました。
 p53は、多くのヒトがん患者で機能が喪失している「がん抑制遺伝子」の最も代表的なものです。p53はアポトーシス注2)と呼ばれる細胞死プログラムを活性化し、がん細胞を根絶することによって、がんに対する主要な防御機構として作用します。近年、染色体の構造変化によってp53の活性化が調節されている可能性が示唆されていましたが、その仕組みと生物学的役割についてはほとんど不明のままでした。
 本研究チームは今回、染色体構造を変化させる分子CHD8がp53の機能発現に極めて重要な役割を担っており、p53によって起こるアポトーシスを強力に抑制することを明らかにしました。つまり、CHD8はクロマチン注3)上でp53に結合して、そこにヒストン注4)H1を呼び込むことによって染色体構造を変化させ、p53の機能を抑制します。従ってCHD8は、既に染色体上に結合している活性化p53すらも抑制できる“抗p53最終抑制機構”と考えられます。
 CHD8は胚発生注5)早期に高発現しており、CHD8のないマウスは、胚発生期にp53の暴走によるアポトーシスが起こり、死亡します。p53の機能が喪失するとがんになるリスクが高まりますが、一方でp53の過剰な活性化は生存にとって危険であり、適度なp53の活性を調節するのがCHD8の重要な役割だと考えられます。
 また、CHD8が増加するとがんになることが予想され、今回の成果はがんの発症機構の解明につながると同時に、その治療への応用が期待されます。
 本研究成果は、2009年1月18日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Cell Biology」のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域「生命システムの動作原理の解明と活用のための基盤技術の創出」
(研究総括:中西 重忠 (財)大阪バイオサイエンス研究所 所長)
研究課題名「ユビキチンシステムの網羅的解析基盤の創出」
研究代表者中山 敬一(九州大学 生体防御医学研究所 教授)
研究期間平成19年10月~平成25年3月
 JSTはこの領域で、生命現象をシステムとして捉えて生体情報の相互作用や制御機構を統合的に解析し、動的な生命現象の基本原理の解明とそれに必要な基盤技術の創出を目指しています。上記研究課題では、細胞分裂、DNA修飾、たんぱく質の品質管理など重要な生命現象を調節するユビキチンシステムについて、遺伝学とプロテオミクスを組み合わせた新しい方法によって網羅的に解析し、システムの全体像を解明することを目指しています。

<研究の背景と経緯>

 がん抑制遺伝子p53は細胞の生死を制御する多数の情報を統合しています。p53は細胞内情報の極めて複雑なネットワークの集積点に位置し、がん遺伝子の異常活性化やDNA損傷、酸化ストレスなどの異なった入力情報に応答して、DNA修復や細胞増殖停止、老化、アポトーシスなどの適切な出力プログラムを開始します。特に、細胞ががん化するとp53によるアポトーシスが起こり、がん細胞は死滅します。
 p53はクロマチンに結合する転写活性化因子です。p53による転写活性化注6)は、その大部分がp53の発現量と翻訳後修飾注7)によって制御されていると信じられてきました。しかし最近になって、染色体の立体構造を変化させるいくつかのたんぱく質がp53と結合することによってp53の転写活性を調節していることが明らかとなってきました。これらの知見は、染色体の立体構造がp53の転写活性に影響する可能性を示唆しますが、染色体構造が変化する仕組みと、それによってどのような結果が起こるのか、そしてそれらが生物にとってどのように大切なのかについてはほとんど不明のままでした。

<研究の内容>

 本研究チームは、CHD8を培養細胞に強制的に発現させると、p53によるアポトーシスが起こらないという現象を発見しました。逆に、CHD8を減少させると、p53によるアポトーシスが増加しました。CHD8はp53に結合しますが、さらにヒストンH1とも同時に結合することが判明しました。つまりCHD8の存在下では、p53-CHD8-ヒストンH1という三量体がp53の標的遺伝子上に形成されるのです。このヒストンH1の呼び込みは、クロマチンを凝縮させ、p53の転写活性化能を強く抑制します(図1)。
 この三量体形成ができないと、p53が必要以上に活性化され、強いアポトーシスが起こります。例えば、CHD8遺伝子を人工的に破壊したマウス(CHD8ノックアウトマウス)では、胎仔は胚発生初期に広汎なアポトーシスを起こして死亡しますが、p53を同時に欠損させるとこの胚発生停止は著明に改善されます(図2)。
 このように、本研究はCHD8による新たなp53制御のメカニズムを解明しました(図3)。今までp53については、p53たんぱく質の翻訳後修飾による制御がその研究のほとんどを占めていましたが、CHD8-ヒストンH1による強力な抑制は、最終的にp53が活性化するような修飾状態でもその活性をなくしてしまう新しいタイプの制御であり、アポトーシスに対する“最終抑制機構”と言えます。
 胚発生早期において、細胞は高速に増殖します。そのためp53はこの時期に容易に活性化し、結果としてアポトーシスが誘導される危険を伴います。CHD8の発現量は胚発生初期から中期にかけて非常に高く、それ以降は発現量が激減します。またCHD8ノックアウトマウスが胚発生初期にp53依存的なアポトーシスを起こして死亡することは、CHD8の生物学的役割が胚発生初期において有害なアポトーシスを抑制することであるというモデルを支持します(図4)。一方、アポトーシスは器官形成に重要で、これは主にCHD8の発現レベルが低下する胚発生中期から後期にかけて起こります。このように、CHD8は胚発生段階特異的にアポトーシス誘導の境界線を制御しているものと考えられます。

<今後の展開>

 今回CHD8による“抗p53最終抑制機構”が胚発生段階で必須であることが判明しましたが、p53の重要な機能として、アポトーシス制御による「抗がん作用」が挙げられます。CHD8はp53による抗がん経路に重要な役割を果たしていることが予想され、特にCHD8が異常に高まると発がんにつながることが予想されます。つまりCHD8機能を阻害するような物質の探索により、新たな抗がん剤の開発が期待できます。

<参考図>

図1

図1 CHD8の機能モデル

 CHD8はp53と結合し、ヒストンH1を呼び込むことによって染色体構造を変化させ、p53の転写活性を抑制します。それによってアポトーシスを抑制し、細胞を生存へと向かわせることが可能になります。

図2

図2 CHD8とp53を共に欠損させたマウスの表現型

 胚発生3.5日目のマウス胎仔(胚盤胞)を採取し、6日間培養後の形態を示します。CHD8のみを欠損させた胚盤胞はアポトーシスを起こして消失しますが、CHD8とp53を共に欠損させた胚盤胞は正常の胚盤胞と同様に生存しているように見えます。

図3

図3 p53を制御するメカニズム

 p53たんぱく質が翻訳後修飾を受けるとDNAに結合して転写が開始され、アポトーシスが引き起こされます。しかしCHD8とヒストンH1(HH1)がそこへ結合すると、p53の活性は抑制され、細胞は生存へ向かいます。このように、今までp53の活性化はp53たんぱく質の翻訳後修飾によって主に制御されていると考えられてきましたが、今回の研究で、それ以後のレベルでもCHD8/HH1複合体によって制御されていることが明らかとなりました。
図4

図4 CHD8機能の生物学的役割

 CHD8の発現が高い胚発生早期にはp53機能は抑制されており、中期以降CHD8の発現が低下するとアポトーシスが誘導され、器官形成が起こります。CHD8/ヒストンH1複合体はp53機能を抑制することにより、胚発生初期における高速な細胞増殖によって誘導される有害なアポトーシスを防ぐために機能しています。

<用語解説>

注1)がん抑制遺伝子
 がん抑制遺伝子は細胞の増殖速度を正しく調節するのに必要です。ちょうど車のブレーキがそのスピードを制御するように、がん抑制遺伝子は細胞増殖サイクルのブレーキとして働きます。これらの遺伝子が正常に機能できないと、細胞増殖は制御不能となり、がん化が起こると考えられています。

注2)アポトーシス
 軽度の細胞傷害はしばしば修復可能ですが、広汎な細胞傷害は発がんの危険があります。このように修復不可能な傷害の場合、細胞はアポトーシスと呼ばれる自爆プログラムによって自分自身を殺し、がん化を防ぎます。

注3)クロマチン
 クロマチンとは、真核細胞内に存在するDNAとたんぱく質の複合体のことを表し、ヒストンというたんぱく質にDNAが巻きついたものが、さらに高度に折り畳まれ、繊維状になって核内に収納されています。

注4)ヒストン
 ヒストンはクロマチンを形成する主要なたんぱく質であり、DNAを巻き付けてコンパクトに核内に収納する役目を担うと同時に、いろいろな遺伝子の発現制御に関わることが知られています。ヒストンはコアヒストン(ヒストンH2A、H2B、H3、H4から構成される)とリンカーヒストン(ヒストンH1)に分類されます。最近、特にコアヒストンの役割が遺伝子発現制御との関係で注目されていますが、リンカーヒストンであるH1の役割は今まであまりわかっていませんでした。

注5)胚発生
 受精卵が成体になるまでの胚発生過程では、あらかじめ決まった時期、決まった場所で細胞死(アポトーシス)が起こり、それによって器官が形成されます。例えば、胚発生期にオタマジャクシの尻尾がなくなってカエルに変態したり、指の間の水かきがなくなって指が形成されたりする過程もアポトーシスによるものです。

注6)転写活性化
 種々の細胞ストレスに応答して、がん抑制たんぱく質p53は細胞の生死に関わる多数の遺伝子領域に結合します。これらの遺伝子は転写と呼ばれる過程で発現誘導され、活性化することによって、細胞の運命が決定されます。

注7)翻訳後修飾
 p53たんぱく質は、リン酸化、アセチル化、ユビキチン化などのさまざまな化学的な修飾を受けることによって、その安定性や転写活性が調節されていることが分かっています。

<論文名>

“CHD8 suppresses p53-mediated apoptosis through histone H1 recruitment during early embryogenesis”
(CHD8は初期発生においてヒストンH1のリクルートを介してp53依存的なアポトーシスを抑制する)
doi: 10.1038/ncb1831

<お問い合わせ先>

<研究内容に関すること>
中山 敬一(ナカヤマ ケイイチ)
九州大学 生体防御医学研究所 分子発現制御学分野
〒812-8582福岡市東区馬出3-1-1
Tel:092-642-6815 Fax:092-642-6819
E-mail:

<JSTの事業に関すること>
金子 博之 (カネコ ヒロユキ)
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究領域総合運営部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3531 Fax:03-3222-2066
E-mail:

<報道担当>
福島 泰(フクシマ ヤスシ)
深堀 成吾(フカホリ セイゴ)
九州大学 総務部 広報室
〒812-8581 福岡県福岡市東区箱崎6-10-1
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科学技術振興機構 広報・ポータル部 広報課
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