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2008年11月25日

独立行政法人 理化学研究所
独立行政法人 科学技術振興機構(JST)

動植物などすべての生体の代謝経路全体を鳥観する新解析法を開発

13C安定同位体標識や異種核多次元NMR計測、代謝経路全体の粗視化法など統合-

<本研究成果のポイント>

○動植物にとって無害な安定同位体13Cで標識化し、代謝過程をNMR法で追跡
○モデル動植物のシロイヌナズナ、カイコの代謝解析で新解析法の性能を確認
○生体内の代謝バランス、例えば健康など、生理状態の評価への応用に期待

 独立行政法人 理化学研究所(野依 良治 理事長)と独立行政法人 科学技振興機構(以下JST、北澤 宏一 理事長)は、動植物をはじめとしたさまざまな生体内の代謝経路全体を網羅的に観察する、13C安定同位体標識技術注1)異種核多次元NMR計測注2)、さらに代謝経路全体の粗視化法を組み合わせた新しい解析法を開発することに成功しました。これは、理研植物科学研究センター(篠崎 一雄 センター長)、先端NMRメタボミクスユニットの菊地 淳 ユニットリーダー、近山 英輔 技師らの研究チームの成果です。
 生命活動の根幹として存在する、さまざまな生物を育む個々の代謝反応と、そのつながりである代謝経路は、半世紀もの永きにわたる年月をかけて解明されてきました。しかし、生命の特徴である、循環的で変動的な代謝反応の全体像をとらえることは、計測・解析の技術が不十分なため、これまで成し得ていませんでした。生物には100種を超える代謝経路が存在します。研究チームは、核スピンの相違で目印となる13C安定同位体で、これら代謝経路中の炭素原子を幅広く標識化し、自然界に安定に存在する水素原子(1H)と13C安定同位体炭素、さらにこの同位体炭素が2つ結合した炭素分子(13C-13C )の様子を核磁気共鳴(NMR)法注3)で追跡しました。さらに、その結果得た情報を1つの平面内に粗視化してレイアウトし、描画する新手法を開発しました。実際に、モデル植物のシロイヌナズナ培養細胞とモデル無脊椎動物のカイコにこの手法を適用し、生体での代謝反応の全体像を描画することに成功しました。
 今回開発した13C安定同位体標識技術、異種核多次元NMR計測、代謝経路全体の粗視化法を組み合わせた新しい解析法は、生活習慣病の予備症候群の検知、環境変動に伴う植物生長の異常判断など、動植物を問わず広い生物の生理状態の評価に適応可能です。例えば“健康”といった漠然とした生理状態の評価手法へも応用することが期待できます。
 本研究成果は、JST戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)の研究領域「生命現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」における研究課題「磁気共鳴法による生体内分子動態の非侵襲計測」(研究代表者:白川 昌宏 京都大学大学院工学研究科 教授、研究分担者:菊地 淳)の一環として行ったもので、米国の科学雑誌『PLoS ONE』オンライン版(11月25日付け)に掲載されます。

1.背景

 地球上の全生命活動は、地上に降り注ぐ太陽光エネルギーをエネルギー源として、植物などの生物が光合成を行いながら旺盛な生命活動を続けるとともに、人間やほかの動物などがこれら植物を多種多様な形で摂取し、再分配し、変換することで維持されています。このエネルギー変換の実体は、1個体あたり数百種から数千種も存在するとされている代謝産物が織り成す循環的な化学反応、つまり“代謝”です。生命の特徴の1つには、この代謝によるエネルギー利用の多様性があげられます。その極端な例は植物です。植物は、太陽エネルギーを利用して二酸化炭素や水などの無機物から有機物を生合成し、やがてデンプンやセルロースといったバイオマスを大量に蓄積することができます。一方、人間、動物、微生物は、これら植物などが蓄えたバイオマス(高分子)を食糧として摂取し、体内の多様でさまざまな代謝反応を通して分解・合成し、成長や移動のエネルギー源として活用しています(図1)。個々の代謝反応と、そのつながりである代謝経路は、半世紀もの年月をかけて解明され続けてきましたが、生命の根幹となっている、循環的、変動的な代謝反応の全体像をとらえることは、計測・解析の技術が不十分でこれまで成し得ていませんでした。

2.研究手法と成果

 研究チームは、生体由来の複雑な代謝産物を、未精製な混合物のまま、核磁気共鳴(NMR)により一斉に計測する手法を開発するとともに、理研横浜研究所が整備してきた世界最大のNMR施設を展開し、メタボローム解析注4)を本格的に推進してきました。(2007年5月18日 理研によるプレス発表 http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2007/070518/index.html)。NMR法は、生体分子の構造を原子レベルで解析できることや、さまざまな無機・有機などの物性の計測が可能で、非常に幅広い情報を抽出できます。研究チームの手法の特徴は、従来のNMR法で用いられる精製された物質の構造・物性解析のみならず、生体由来の代謝混合物のような、未精製で複雑な化合物群を一斉解析できることです。今回、13C安定同位体標識化の手法を、植物のみならずに動物(カイコ)にも適用し、代謝混合物の異種核多次元NMR計測を行いました。その結果、カイコの代謝混合物試料中に450個以上の13C原子由来の代謝産物のピークを検出しました。さらに、独自開発し整備した140種以上の標準代謝産物のNMRデータベースと、その自動アノテーションシステム(代謝産物解析ソフト)による解析から、シロイヌナズナとカイコそれぞれから50種以上の代謝産物を一斉検出することができました。さらに、これらの代謝混合物を経時的にNMR解析し、13Cで標識化された代謝産物が多様な化合物に巻き込まれながら代謝反応していく様子を網羅的に観察する新手法を開発しました。

(1)動植物にとって無害な13C安定同位体標識物質の追跡
 研究チームらが開発してきた動植物個体に対する13C安定同位体標識技術を、モデル植物のシロイヌナズナ培養細胞とモデル無脊椎動物のカイコに適用し、知りたい代謝物の炭素原子を幅広く13C安定同位体で置換しました(特許出願中)。その結果、動物や植物個体でも代謝産物の大部分の炭素原子を13Cで標識化することに成功し、今回、異種核2次元NMR計測※2により、核スピンの相違で目印となる13C と自然界に安定に存在する1H水素の異種核を同時に識別し、50種以上の代謝産物の一斉検出が可能になりました。さらに、従来はタンパク質の立体構造解析で用いられてきた13C-13C結合を、代謝産物内で観測することができる異種核3次元NMR計測※2に、世界で初めて成功しました(図2)。つまり、異種核2次元NMR計測では1H-13C結合までしか観測できませんでしたが、異種核3次元NMR計測により1H-13C-13C-1H結合まで観測することが可能となり、化学構造の多様な代謝混合物の解析に新しい道を拓きました。

(2)代謝経路全体を網羅的に観察する新手法
 生物には100種を超える代謝経路が存在します。研究チームは、この代謝経路すべてを多変量解析手法の1つである主成分分析注5)と、最適化手法の1つであるシミュレーテッドアニーリング注6)法を用いて1つの平面内に粗視化してレイアウトし、描画する新手法を開発しました。この方法を、13C安定同位体標識したカイコの成長過程の代謝変動を追跡する実験で適用しました。その結果、カイコ体液の代謝混合物に含まれる50種以上の代謝産物の強度の同時変動を検出し、その情報を代謝経路全体図に描画、代謝経路レベルで現れる変動パターンのマップを得ることができました。すなわち、動植物を含むさまざまな生物の生理的変動が、代謝経路の全体レベルで粗視化して表現し、分類できることを明らかにしました。さらに、この結果を代謝産物レベルで解釈すると、炭素/窒素バランス注7)を保つために重要なアスパラギン、グルタミンなどの代謝産物群が、5齢カイコの脱皮直後から蛹(さなぎ)への変態直前で代謝されてほかの物質へと循環するために、大きく変動していることがわかりました(図3)。
 多くの哺乳動物は、さまざまな栄養源となる窒素源を、尿や糞として大量に排泄してしまいますが、カイコを含む昆虫は体内でリサイクルする機構も備えています。この機構を持つことで、昆虫は栄養飢餓に強く、高いエネルギー効率を有し、4億年の進化の過程のなかを生き抜いてきました。代謝経路全体を網羅的に観察する新解析法は、この生命の神秘を、粗視化図という形で表現することに成功したものです。

3.今後の期待

 今回開発した13C安定同位体標識技術、異種核多次元NMR計測、代謝経路全体の粗視化法を組み合わせた新しい解析法は、生活習慣病の予備症候群の検知、環境変動に伴う植物生長の異常判断など、動植物を問わず広い生物の生理状態、例えば“健康”といった漠然とした生理状態の評価手法として応用できると期待できます(図4)。例えば昨今、“メタボリック・シンドローム”という言葉をよく耳にしますが、代謝変動という内的要因を知ることが重要なのは、ヒトに限らず多くの動物、植物、微生物でも同様です。動物実験で用いたカイコは、生育が早く、コストの安いモデル無脊椎動物で、創薬や健康食品開発の際、マウスやラットのような哺乳類を用いる前段階として、代謝研究に用いられている注目の生物です。ほかの線虫やゼブラフィッシュといったモデル無脊椎動物も含めて、研究チームが開発した新解析法を脊椎動物、哺乳類へと応用することで、創薬・健康食品の開発が加速化すると期待されます。
 また、NMRは国内シェアが最も多い分析装置のうちの1つで広く流通しているため、裾野の広い普及が期待できます。理研でもイノベーション創出事業(2008年10月16日 理研によるお知らせ http://www.riken.jp/r-world/info/info/2008/081016/index.html)により、世界最大のNMR施設を公開しています。本解析法を物質生産に関わる植物・微生物の生産性増大や動物の健康評価に活用することで、重化学工業、農産業、食品産業、医薬関連産業に広く貢献できると期待されます。

<参考図>

図1 図1

図1 生体物質の循環的な化学反応・代謝(Metabolism)


図2
図2

図2 動植物異種核多次元NMRメタボローム解析のスキーム

異種核2次元NMR計測では1H-13C結合までしか観測できなかったが、異種核3次元NMR計測で1H-13C-13C-1H結合を観測することが可能となり、化学構造の多様な代謝混合物の解析に新しい可能性を開いた。
図3
図3

図3 安定同位体13Cの代謝過程を追跡し、代謝経路全体を網羅的に観察する

下部の代謝経路全体図のように、5齢カイコの脱皮直後から蛹(さなぎ)への変態直前で体液の生理状態が変化する。言い換えれば代謝経路の役割が交代する様子を、1つの平面内で色分けしてレイアウトし、描画できることになる。1つ1つの記号は代謝経路を表しており、例えば、 図3 は解糖系を表す。 活性化された代謝経路は中心に集まるようにレイアウトされており、脱皮直後と脱皮後6日目で比較すると、解糖系(青色)は脱皮直後で、一方で窒素循環系(黄色)は蛹(さなぎ)への変態直前(6日目)で中心にレイアウトされている。
図4

図4 代謝バランスの乱れを検知することで、健康の維持、環境の維持などへ応用し得る

細胞、個体、生態系のような階層の大きく異なる計測対象でも、今回の代謝経路全体を粗視化する新手法により、異常・破綻をきたした物質の流れを1つの平面内に粗視化してレイアウトし、描画することができる。

<補足説明>

注1)安定同位体標識化技術
13C、15N、17Oといった原子核は天然存在比が低いものの、生体には安全な同位体核であるため、これら含んだ化合物を生物に取り込ませ、標識化して検出を容易にする方法のこと。NMR法では陽子数、原子番号とも偶数でない核(核スピンを有する核)が観測対象であり、安定同位体標識化が極めて有効である。

注2)異種核多次元NMR計測、異種核2次元NMR計測、異種核3次元NMR計測
少なくとも1つの次元に1H以外の核種を用いたNMR法。例えば、異種核2次元NMR計測では1H-13C結合を観測し、今回導入した異種核3次元NMR計測では1H-13C-13C-1H結合を観測することができる。

注3)核磁気共鳴(NMR)法
化学分析機器としては最もシェアの多い分析手法のうち1つであり、試料の前処理が不要、不溶試料でも計測が可能といった利点があるものの、低感度という欠点も同時に有する。化学構造に応じて、磁場中での共鳴吸収が異なることを利用した分析法で、代謝混合物の構造の違いを反映して、シグナルが分離する。

注4)メタボローム解析
計測可能な代謝産物群の一斉解析法のこと。検出法の感度限界や化合物の溶解性などの問題で、計測可能な代謝産物群の数は限られてしまい、メタボローム解析1つの技術課題となっている。

注5)主成分分析
多変量解析手法の1つ。サンプル間で最も変動の大きい軸を主成分として抽出することに用いられる。

注6)シミュレーテッドアニーリング
焼きなまし法ともいわれ、最適化手法の1つ。組み合わせが膨大であるものの中から最適なものを選び出すために用いる。組み合わせの全パターンの計算が計算量的に不可能である場合に用いられることが多い。

注7)炭素/窒素バランス
生物の体内では炭素と窒素は単独で代謝されるだけでなく、互いの存在比(バランス)を制御しながら成長の各段階、各組織での適応をしている。従って、栄養飢餓などにより炭素/窒素バランスが崩れると、代謝全体のバランスも乱れ健康状態を悪くする。ただし動物の中でも、恒温動物である哺乳類と違い、変温動物である昆虫は窒素リサイクルが可能な機構を有しており、栄養飢餓に強い特徴を有する。

<報道担当・問い合わせ先>

 <研究に関する問い合わせ先>

独立行政法人 理化学研究所 植物科学研究センター 先端NMRメタボミクスユニット
ユニットリーダー 菊地 淳(キクチ ジュン)
Tel:045-503-9439 Fax:045-503-9489
技師 近山 英輔(チカヤマ エイスケ)
Tel:045-503-9490 Fax:045-503-9489

横浜研究推進部 企画課
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