神経芽腫は小児で最も頻度の高い固形腫瘍の1つですが、中でも進行期神経芽腫は、さまざまな治療法に対して難治性です。骨髄移植を含む強力な治療を行っても、救命できるのは患児の4割にも達しません。仮に治癒したとしても、強力な抗がん剤による長期的な副作用は大きな問題です。一方、このような進行期神経芽腫の原因としては、従来MYCNという遺伝子の増幅が神経芽腫の一部で認められることが知られていましたが、この発見以来、本疾患の原因遺伝子の究明は困難を極め、有効な治療に結びつく可能性のある原因遺伝子の解明は進んでいませんでした。
本研究グループは、「SNPアレイ注3)」と呼ばれる解析装置を用いてがんゲノムの異常を高精度に検出する技術を開発し、この技術で200例以上の神経芽腫のゲノム異常を詳細に解析しました。その結果、神経芽腫の約10%の症例で、ALK遺伝子に異常が生じていることを見いだしました。これらの神経芽腫ではALKの酵素の機能が過剰に働くことが細胞のがん化につながっていると考えられます。つまり今回の発見は、ALKの酵素活性を抑える薬剤が、難治性神経芽腫に対して有効で副作用の少ない特効薬となる可能性を持つことを示唆しています。また、こうしたゲノム解析の手法を用いた研究は、他のがんの原因遺伝子の解明にも有用であると思われます。
本研究成果は、群馬県立小児医療センター、千葉県がんセンター、自治医科大学、埼玉県立小児医療センターの協力によって得られ、2008年10月16日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature」のオンライン速報版で公開されます。
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 | : | 「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」 (研究総括:笹月 健彦 国立国際医療センター 名誉総長) |
研究課題名 | : | Whole Genome Association解析によるGVHDの原因遺伝子の探索 |
研究代表者 | : | 小川 誠司(東京大学医学部附属病院 キャンサーボード 特任准教授) |
研究期間 | : | 平成16年10月~平成22年3月 |
<研究の背景と経緯>
神経芽腫(神経芽細胞腫)は神経を作るもとになる細胞ががん化する病気です。子供の代表的ながんの1つで、日本でも年間約1000人の子供たちが、このがんに罹患します。神経芽腫の一部は無治療のまま自然に退縮して消失することが知られていますが、症例の3割を占める進行期の神経芽腫は、種々の化学療法剤(抗がん剤)に抵抗性を示し、骨髄移植のような強力な治療を行っても最終的に救命できるのは患児の4割未満です。また、たとえ強力な抗がん剤による治療で治癒に至ったとしても、抗がん剤が発達途上にある子供たちに及ぼす長期的な副作用は大変深刻です。
近年、がんの原因となっている分子に直接作用してその働きを抑える薬剤を投与することにより、劇的な治療効果が得られる場合があることが明らかになってきました。例えば、肺がんの一部では上皮成長因子受容体(EGF受容体)注4)の遺伝子に異常が生じ、その機能の異常な亢進が認められますが、EGF受容体の機能を抑さえるゲフィニチブ注5)という薬剤がこれらの異常を有する肺がんに有効であることが示されています。また、慢性骨髄性白血病注6)の特効薬ともいえるメシル酸イマチニブという薬剤は、この疾患の原因となっているBCR/ABLキナーゼという酵素の機能を抑えることを目的として開発されたものです。がんの原因となっている分子に直接働きかけることのできる薬剤は、分子標的治療薬と呼ばれ、その有効性は肺がんや慢性骨髄性白血病、乳がんで証明されています。神経芽腫についてはこれまで、このような分子標的治療薬を開発するために利用できる原因分子の同定がほとんど進んでおらず、神経芽腫の治療成績の改善を図るという観点から、そうした原因分子の同定が待たれていました。
<研究の内容>
本研究グループは、SNPアレイと呼ばれるマイクロアレイを用いて一試料あたり数十万個のSNPを同時に解析し、多数の試料について得られた膨大なSNPの情報を分析することにより、ヒトの疾患の原因となっているSNPを探索する研究を進めています。この研究を進める過程で、SNPアレイを用いてがん細胞のゲノムを詳細に解析することを可能にする技術・ソフトウェア「CNAG」(http://www.genome.umin.jp)を開発し、東京大学医学部附属病院が推進している「がんの大規模ゲノミクスによるオーダーメイドがん診療技術の開発」事業(文部科学省特別教育研究推進経費、研究代表:武谷 雄二 病院長)、および同院 小児科(五十嵐 隆 教授・科長)と共同してさまざまながんゲノムの解析を進めています。
本共同研究チームは今回、この技術を用いて239例の神経芽腫のゲノムを解析し、2番染色体短腕に多くの神経芽腫で遺伝子数の増加を認める領域を発見しました(図1)。この領域には唯一ALKキナーゼに対応する遺伝子があることから、神経芽腫ではALKキナーゼの遺伝子数が増加することにより、その機能が過剰になっていることが推定されました。
さらに、神経芽腫におけるALK遺伝子の塩基配列の解析から以下の から
を実験的に示すことによって、突然変異によって生じた過剰な機能を有するALK遺伝子が神経芽腫の発症の原因の1つとなっていることを明らかにしました。
神経芽腫の約6%の症例では、ALK遺伝子の塩基配列が突然変異により異常をきたしていること(図2)。
これらの遺伝子変異のほとんどは、進行期の神経芽腫に認められること。
これらの異常は、ALKの酵素としての活性に重要と考えられる部位に集中的に生じていること(図3)。
この異常によって、ALKキナーゼの酵素の働きが過剰となること(図4)。
正常なALK遺伝子を細胞に導入してマウスに接種しても腫瘍はできないが、異常をきたしたALK遺伝子を導入した細胞をマウスに接種すると腫瘍を形成すること(図5)。
ALK遺伝子に異常を持った神経芽腫の細胞で異常なALK遺伝子の発現を抑制することにより、神経芽腫の細胞の増殖が抑制されること(図6)。
<今後の展開>
今回の研究によって、ALKの遺伝子変異が進行期神経芽腫の原因遺伝子の重要な原因の1つであることが明らかになりました。EGF受容体キナーゼ阻害剤やABLキナーゼ阻害剤が、これらのキナーゼの過剰活性を持つ肺がんや白血病に対して著しい効果を示すことから、ALK阻害剤が開発されれば、ALK変異を有する進行性神経芽腫に対する有効な治療薬剤となる可能性があります。ALK遺伝子を破壊したマウスは正常に成長することから、ALK阻害剤はヒトに重篤な副作用を引き起こさないのではないかと思われます。また、今回用いたゲノムのスクリーニング系を他のがんに応用することで、別のがんでも新たながん遺伝子を発見することが期待されます。
<付記>
本研究は、群馬県立小児医療センターの林 泰秀 院長、千葉県がんセンターの中川原 章 研究局長、自治医科大学の間野 博行 教授、埼玉県立小児医療センター研究チームの協力を得て行われました。
<参考図>

図1 ゲノム解析によるALK遺伝子増幅の検出

図2 ALKキナーゼの構造と神経芽腫で認められた変異部位の分布

図3 ALKの立体構造予測と神経芽腫における変異したアミノ酸の位置

図4 変異ALKキナーゼの酵素活性の上昇

図5 変異ALKの導入による造腫瘍性の解析

図6 変異ALKキナーゼの破壊による神経芽腫細胞の増殖の抑制
<用語解説>
注1)ALK遺伝子
ALK遺伝子は当初、anaplastic large cell lymphomaと呼ばれる悪性リンパ腫の一種において、NPM遺伝子と融合してNPM-ALKがん遺伝子を作る遺伝子として発見されました。ALKたんぱくはEGFRと同様に、細胞膜貫通ドメインを1つだけ持ち、細胞内領域にはチロシンキナーゼドメインがあります。細胞外ドメインで何らかの成長因子と結合すると予想されていますが、生理的な結合因子はまだ不明です。ALKはNPM-ALK以外にもある種の肺がんに見られるEML4-ALK融合遺伝子をはじめとして、悪性リンパ腫や一部の稀な腫瘍で、細胞内キナーゼドメインが他のパートナーと融合して活性型がん遺伝子となることが報告されています。
注2)チロシンキナーゼ
たんぱく質はいくつかのアミノ酸が結合してできていますが、このうちチロシンと呼ばれるアミノ酸をリン酸化・修飾する酵素です。キナーゼにはその他、基質たんぱく質のセリン、トレオニン残基などをリン酸化するものが知られています。たんぱく質リン酸化の特徴は、生体中でのリン酸の付加と脱離が比較的容易に行える点であり、この点を活かして生理機能などの調節が行われます。また、しばしば複数のキナーゼが順に働き、シグナルを伝達することがあります。なお、脱リン酸化反応を司る酵素として、たんぱく質フォスファターゼが知られています。
注3)SNPアレイ
SNPは一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism)を略したものです。個人によって異なるヒトゲノムの配列は多型と呼ばれますが、SNPはヒトゲノムの多型の中で最も普通に認められる多型です。SNPはある程度共通に認められるものに限っても1000万個以上あることが知られていますが、こうしたSNPを解析することによって、個々人における病気のかかりやすさなどを予測することができるようになります。国際HapMap計画は、このSNPのカタログを作ることによって、SNPの研究基盤を構築する一大プロジェクトです。近年のゲノム解析の技術の格段の進歩によって、マイクロアレイと呼ばれる微小なチップを用いて1回の解析で百万個以上のSNPを解析することができるようになりました。こうしたチップはSNPアレイと呼ばれますが、その測定原理からSNPだけではなく、がんのゲノムに生じているゲノムのコピー数を解析することができます。正常のゲノムではどの遺伝子も通常2コピーですが、がんのゲノムでは、しばしばコピー数に変化が生じます。これががんの重要な原因となっていることから、ゲノムのどの部分が変化を起こしているかを調べることによって、がんの原因となっている遺伝子を見いだすことができます。私たちは、CRESTの一連の研究を通じて、がんゲノムのSNPアレイ解析から得られるデータを用いてがんゲノムにおけるコピー数の変化を高精度に解析することを可能にするソフトウェアを開発しました。これは現在世界的にも汎用されているプログラムの一つですが、今回の研究はこの解析技術を用いて神経芽細胞腫のゲノムを解析することによって得られた研究成果です。
注4)上皮成長因子受容体(EGF受容体)
皮膚など上皮系の細胞に働いて細胞増殖を促すたんぱくを上皮成長因子と言いますが、その細胞側の受容体がEGF受容体です。EGF受容体たんぱくは細胞内領域にチロシンキナーゼ酵素活性(基質たんぱくのチロシン残基をリン酸化する)を有しており、上皮成長因子が結合するとそのキナーゼ活性が誘導されます。一部の肺がん症例において、EGF受容体の遺伝子異常が見つかりました。これら異常はEGF受容体たんぱくのキナーゼ活性を亢進させ、上皮成長因子が結合していない状態でもEGF受容体の酵素活性を上昇させて肺がん発症を誘導するとされています。
注5)ゲフィニチブ
EGF受容体選択的にそのチロシンキナーゼ活性を阻害する薬剤として開発され、市販されています(イレッサ®、アストラゼネカ株式会社)。EGF受容体の変異を有する肺がんに有効ですが、不用意に用いると重篤な間質性肺炎を生じることが知られています。
注6)慢性骨髄性白血病
染色体転座の結果、BCRという遺伝子とABLという遺伝子が融合したBCR-ABLがん遺伝子が作られた結果生じる白血病の一種です。ABLたんぱくはチロシンキナーゼですが、BCRと融合することで活性化されがん遺伝子となります。
<論文名>
"Oncogenic mutations of ALK kinase in neuroblastoma"
(進行神経芽腫におけるALKキナーゼの新規遺伝子変異)
doi: 10.1038/nature07399
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
小川 誠司(オガワ セイシ)
東京大学医学部附属病院 キャンサーボード 特任准教授
〒113-8655 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-3815-5411 Fax:03-5804-6261
E-mail:
※取材申し込みは、下記<報道担当>の東京大学医学部附属病院 パブリック・リレーションセンターまでお願いします。
<JSTの事業に関すること>
瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究領域総合運営部
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<報道担当>
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東京大学医学部附属病院 パブリック・リレーションセンター
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