本研究グループは、脳の「視覚野」注2)と呼ばれる部分に注目。視覚野が損傷を受けたサルは一時的に目が見えなくなりますが、トレーニングやリハビリテーションによって、見えないながらも目の動きなど視覚機能は数ヵ月かけて回復することが判明しました。その間、不十分な視覚情報をもとに何とか目を動くようにするために、普段とは違う脳の仕組みを使い、目の運動をコントロールする仕方を変えていることも分かりました。また、それによって目を動かしはじめるタイミングは早くなり、目の動きの微調整はできなくなっていました。このことから、障害を受けた視覚野を“バイバス”して中脳注3)からの情報を頼りに目を動かすことができるようになっているものと考えられます。
このように、脳は傷ついてもその機能をなんとか補おうと、普段は使われていない別の仕組みを動員して問題を解決していることが明らかになりました。ヒトの脳の大脳皮質の障害による視覚欠損でも、トレーニングやリハビリテーションによって、機能は回復させることができます。
本研究は、視覚障害患者のリハビリテーションやQOL向上において(1)視野計注4)では見逃されるような、「見える」とは意識できないながらも視覚機能が回復するということが起こりうること、(2)そのような一部機能回復が数ヵ月のトレーニングによって起こりうること――を示すものです。これまで「視覚欠損」と診断され諦めていた患者も、トレーニングによっては視覚機能を回復させることができるかもしれません。意識にはのぼらない視覚機能を評価し役立てることが、新しいリハビリテーションの方策と効果判定に役立つと思われます。
本研究成果は、10月15日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「The Journal of Neuroscience」に掲載されます
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 | : | 「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」 (研究総括:津本 忠治 (独)理化学研究所脳科学総合研究センター グループデイレクター) |
研究課題名 | : | 神経回路網における損傷後の機能代償機構 |
研究代表者 | : | 伊佐 正(自然科学研究機構 生理学研究所 教授) |
研究期間 | : | 平成16年10月~平成22年3月 |
<研究の背景と経緯>
これまで臨床的には、脳の視覚野と呼ばれる部位(脳の中で視覚情報をはじめて処理する部位)、が障害を受けた場合に、「見えると意識はできないが見えている」状態にある患者がいることが知られていました。これは、脳の視覚野の障害でみられる「盲視(ブラインドサイト)」現象と呼ばれています。この際、物を目で追うなどの視覚機能は、視覚野が障害を受けていても回復できることが知られていました。しかし、それがどういった脳内メカニズムで回復するのかについては、明らかとなっていませんでした。
<研究の内容>
本研究チームは今回、脳の視覚野に障害を追ったサルを用いて、リハビリテーションやトレーニングによって、視覚機能がいかに回復するかを調べました。その結果、(1)リハビリテーションを数ヵ月にわたって繰り返し行うことで、目の動きなど視覚機能を改善させることができること(図1、図2)、(2)ただ、目の動きは通常と異なり、目を動かし始めるタイミングは早くなり、目の動きの微調整はできなくなってしまい、目の動きが直線的になること(図3)――を発見しました。これは、回復に伴って、目を動かす脳の中の仕組みが変わっており、普段は使われていない中脳から視覚野をバイパスする経路によって目の動きが調整されていると考えられました。
<今後の展開>
考えられる社会的意義は、以下の通りです。
大脳皮質障害による視覚欠損でも、トレーニングやリハビリテーションによって、目の動きなどの視覚機能を回復させることができることが判明しました。また、こうした視覚機能回復にはサルでも数ヵ月という時間がかかるため、粘り強いリハビリテーションが重要であることがわかりました。これまで大脳皮質障害による「視覚欠損」と診断され諦めていた患者も、トレーニングによっては視覚機能を回復させることができるかもしれません。
本研究から、脳の視覚野の障害の急性期から回復して再び見えるようになった患者では、目を動かす仕組みがまだ回復していない可能性が示されました。視野計など通常の視覚検査では測定することができない視覚機能を評価することが重要だと考えられます。具体的には、目の動きをモニタリングすることで、リハビリテーションの効果や回復の判定に役立つと思われます。また、退院後の生活で事故を起こさないように目の動きなどをモニターしておくことが重要になるかもしれません。
<参考図>

図1 脳の視覚野の片側に障害を負ったサルのリハビリテーション後の目の動き

図2 目の動きは、数ヵ月をかけて回復する

図3 目の動きの軌跡は、回復しても正常とは異なる(結果の模式図)
<用語解説>
注1)盲視(ブラインドサイト)
「見えていると意識できないのに見えている」という現象と定義できる。
1973年、視覚野に障害をもった患者であるD.B.が、その見えないはずの視野にあるものの位置を当てることができることに医師は気付いた。たとえば、スクリーンに光点を点灯させて当てずっぽうでいいから位置を当てるように指示すると、D.B.はそれが見えないにもかかわらず、光点を正しく指差すことができた。また、棒が縦か横かを当てるテストでもほとんど間違いがなく答えることができた。
このように本人は見えていると意識できていないにもかかわらず、眼球運動など一部の視覚機能は損傷から回復させることができる。この現象を「盲視」と呼ぶ。
詳細は、日本神経回路学会 オータムスクール ASCONE2007 吉田 正俊 講義概要「盲視(blindsight)の神経機構」(http://www.nips.ac.jp/~myoshi/blindsight.html)を参照。

提供:鯉田 孝和(生理学研究所 助教)

脳の後頭葉にある脳の部位。一次視覚野とも呼ばれ、目の網膜からの情報が集まり「視覚」を脳の中で最初に作る。
左と右の脳半球にあり、右の視野の情報は左の脳へ(右図の赤色)、左の視野の情報は右の脳へ向かう(右図の青色)。

脳の一部だが、大脳とは異なる。目の網膜からの情報も一部この中脳の上丘と呼ばれる部位に入ってきており(右図)、瞳孔反射などを起こす。
注4)視野計
眼科における視覚検査の1つ。一点を注視した時に周囲に見える範囲を計る装置。「見えている」範囲を判別する。
<論文名および著者名>
"Striate cortical lesions affect deliberate decision and control of saccade: implication for blindsight"
Masatoshi Yoshida, Kana Takaura, Rikako Kato, Takuro Ikeda, Tadashi Isa
doi: 10.1523/JNEUROSCI.1973-08.2008
<お問い合わせ先>
伊佐 正(イサ タダシ)教授、吉田 正俊(ヨシダ マサトシ)助教
自然科学研究機構 生理学研究所
〒444-8585 岡崎市明大寺町字西郷中38
瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
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