磁石は磁化というベクトル量(大きさと方向を伴う量)を持っています。ハードディスクなどの磁気記録デバイスは、微小磁石の磁化の向きを0と1として情報を蓄積しています。情報の書き込みには外部磁界やスピン偏極電流注1)を用いて磁化の向きを制御する必要があります。一方、フラッシュメモリーなどの半導体メモリーでは、電気伝導を担うキャリア濃度の電界制御を利用したスイッチング素子が広く用いられています。
本研究で用いた強磁性半導体(Ga,Mn)Asは磁石でもあり半導体でもある物質で、電気伝導を担うキャリアの電荷とスピンを利用するスピントロニクス分野をリードする材料として積極的に研究されています。(Ga,Mn)Asのさまざまな磁気的特性は、キャリア濃度と密接に関わっています。
本研究では、(Ga,Mn)As薄膜中のキャリア濃度を電界で増減することによって、その磁気異方性注2)を電気的に直接制御することに初めて成功しました。これにより、外部磁界や電流などを使わずに磁化方向の制御が可能であることが分かりました。本成果は全く新しい磁化方向の制御手法を示したものであり、将来的には低消費電力の磁気メモリーへの応用につながる研究として期待されます。
本研究成果は2008年9月25日(英国時間)発行の英国科学雑誌「Nature」に掲載されます。
なお、上記論文中では(Ga,Mn)As薄膜の"面内"と"面"に垂直な両方向成分の磁気異方性が電界で制御できることが報告されています。面に垂直な磁気異方性は、文部科学省の研究開発委託事業「次世代IT基盤構築のための研究開発」の課題の1つである「高機能・超低消費電力スピンデバイス・ストレージ基盤技術の開発」(代表者:大野 英男、共同研究者:松倉 文礼 =東北大学 電気通信研究所 准教授=)の成果です。
戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究
研究プロジェクト | : | 「大野半導体スピントロニクスプロジェクト」 |
研究総括 | : | 大野 英男(東北大学 電気通信研究所 附属ナノ・スピン実験施設 施設長・教授) |
研究期間 | : | 平成14年11月~平成20年3月 |
<研究の背景と経緯>
半導体デバイスは、電界を用いて電気伝導率というスカラー量を制御することによって、情報処理(演算)やメモリーの機能を持たせたものです。一方、磁気デバイスは主に情報蓄積に用いられ、磁化ベクトルの向きにより0と1の情報を記録しています。従って、磁化方向制御はそのキーテクノロジーです。磁気デバイスにおいては、外部磁界印加による磁化方向制御が最もポピュラーな手法です。また、外部磁界を必要としないスピン偏極電流による磁化制御技術も、不揮発性磁気メモリー実現に向けて試験される段階に至っています。さらにその先を行く技術として、半導体デバイスと相性が良く、消費電力が小さいと期待される電界による磁化方向制御技術があり、その技術を利用した素子の実現が待たれています。マルチフェロイクス注3)はこのような要望に応える材料として期待されていますが、今のところ電界による磁化方向の直接制御に関する実験的な報告はありません。また、圧電アクチュエータ注4)に電界を印加することで外部から強磁性薄膜に機械的ストレスを与え、磁化方向を制御する手法が報告されていますが、この報告は間接的な手法に頼ったものでした。
<成果の内容>
強磁性半導体(Ga,Mn)Asにおいては、磁化方向を決める物理量の磁気異方性はキャリア(正孔注5))濃度に依存する可能性が指摘されていました。本研究では、(Ga,Mn)Asへ電界を印加することにより正孔濃度を増減させて、磁気異方性が直接電気的に制御できることを確認しました。これにより、外部磁界や電流を利用しない電界だけでの磁化方向の制御が可能であることが示されました。
本研究で大野 英男 教授と松倉 文礼 准教授らが作製した素子(図1)では、(Ga,Mn)As薄膜をGaAs (001)基板上に作りました。その上に高い比誘電率を有する絶縁膜(ZrO2)/金属ゲート電極を積層し、ゲート電界を印加できる構造を実現しています(図1では上下が逆になっており、基板が省略されています)。(Ga,Mn)Asの磁化方向は薄膜面内にあり、図2に示すように、面内[100]および[010]結晶軸方向を容易軸とする二軸の磁気異方性(B)と、[110](あるいは、それと90°異なる[110])方向を容易軸とする一軸の磁気異方性(U)があります。磁化の方向はこれらの磁気異方性によって決まります。
面内に磁化方向がある(Ga,Mn)Asに電流を印加すると、電流と垂直な方向に配置した端子間にはプレーナーホール抵抗注6)が観測されます。プレーナーホール抵抗からは磁化の角度を知ることができ、一定の外部磁界を試料面内にぐるりと回転させながらこの抵抗を測定すると、膜面内の磁気異方性の情報を得ることができます。図3aは、この方法によって決定した異方性磁界の印加電界依存性です。異方性磁界の大きさは磁気異方性の強さを表しており、その符号変化はそれぞれの容易軸の方向がスイッチすることを示しています(異方性Bの場合は45°、Uの場合は90°)。一軸異方性磁界 μ0HUは印加電界、つまり(Ga,Mn)Asの正孔濃度に依存して変化し、その符号も制御できることが分かりました。図3bには、これらの異方性磁界から求めたゼロ磁界での磁化の角度φ(定義は図2を参照)の印加電界依存性を示しています。このように、外部磁界や電流を必要とせず、電界という半導体デバイスで良く用いられる手段によって磁化方向の直接制御が可能であることが示されました。
<今後の展開>
本研究では磁化方向を電界で制御することに成功しましたが、これをメモリー素子としてさらに発展させるためには、磁化方向のスイッチングを実現させることが必要となってきます。計算機シミュレーションではすでに磁化方向がスイッチできる条件が明らかになっており、今後の実験的観測が期待されます。
<参考図>
図1 電界によって磁化方向を制御するための素子構造の模式図
図2 (Ga,Mn)Asの面内の磁化容易方向と磁化角度φ
図3 (a)一軸、二軸の異方性磁界μ0HUとμ0HB
(b)ゼロ磁界での磁化角度φの印加電界E 依存性
<用語解説>
注1)スピン偏極電流
電子はスピンという小さな磁石の性質を持っており、それは上向きと下向きの2つの状態を取ります。上向きと下向きの電子のスピン量に偏りがある電流のことをスピン偏極電流と言います。高密度のスピン偏極電流を強磁性薄膜に流すことで、その磁化が反転させられることが知られています。
注2)磁気異方性
強磁性体の磁化が向き易い方向(磁化容易軸)を決める物理量のことです。本研究で用いた(Ga,Mn)Asでは薄膜面内に磁化が向いています。本文にも述べているように、面内には主に2つの磁気異方性が存在しており、これらの磁気異方性が競合して磁化の方向を決めています。
注3)マルチフェロイクス
強磁性と強誘電性を併せ持つ物質のことです。電気磁気効果により、磁界によって電気分極が変化する振る舞いが報告されています。その逆の効果である、電界によって磁化を制御することが期待されている材料です。
注4)圧電アクチュエータ
電圧を加えると微小に伸縮する素子のことです。圧電アクチュエータ上に強磁性薄膜を載せ、機械的歪みを加えることで強磁性体の磁化方向を制御できるという報告がなされています。
注5)正孔
主に半導体中で、プラスの電荷を持つキャリアのことです。(Ga,Mn)AsではMnのドーピングにより価電子帯の電子が不足し、そのためにできた電子の孔(あな)が正孔となります。(Ga,Mn)Asにおける正孔は、局在Mnスピンの強磁性秩序を媒介する役目を担います。電界によって正孔濃度を制御することで強磁性転移温度や反転磁界が制御できることが、これまでに分かっていましたが、本研究ではさらにその磁気異方性を電界制御することに成功しました。
注6)プレーナーホール抵抗
強磁性薄膜が面内に磁化方向成分を持つ時、電流と垂直な方向に観測される抵抗のことです。プレーナーホール抵抗を詳しく解析することで磁化方向を知ることができます。適当な強度の外部磁界を試料の面内にぐるりと回転させると、磁気異方性が存在するため、磁化方向が外部磁界方向へ完全には追従しないことが分かります。このような測定を行うことで、磁気異方性磁界を計算することができます。
<論文名・著者名>
"Magnetization vector manipulation by electric fields"
(電界による磁化ベクトル制御)
D. Chiba, M. Sawicki, Y. Nishitani, Y. Nakatani, F. Matsukura, and H. Ohno
doi: 10.1038/nature07318
<お問い合わせ先>
松倉 文礼(マツクラ フミヒロ)、千葉 大地(チバ ダイチ)
東北大学 電気通信研究所 附属ナノ・スピン実験施設
〒980-8577 宮城県仙台市青葉区片平2-1-1
Tel/ Fax:022-217-5555
E-mail:(松倉)、(千葉)
小林 正(コバヤシ タダシ)
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究プロジェクト推進部
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