本研究成果のポイント
○ショウジョウバエで細胞外グルコースに応答する細胞膜受容体を発見
○細胞(組織)がエネルギー状態を制御し、恒常性を維持する新しい機構が存在
○糖尿病、メタボリックシンドロームの発症メカニズム解明へ一歩
生体の重要なエネルギー源であるグルコースと脂質の代謝の恒常性維持は、成長と生命活動に不可欠です。特に、激しい運動や飢餓時におけるエネルギー産生は、貯蓄した脂質に多く依存しています。生物は、体内に貯蔵しているエネルギー状態を感知し、エネルギー消費とのバランスを保ちながら、エネルギーが枯渇状態に陥らないような機構を備えていると考えられています。しかし、そのようなエネルギー(栄養)センサー注4)やエネルギー恒常性を維持する機構の詳細はわかっていませんでした。
一般に、細胞外の化学的情報を細胞内に伝達する機能を有するタンパク質として知られるGPCRは、ホルモンや神経伝達物質などの細胞外のシグナル物質(リガンド)を細胞膜上で受容し、細胞内にその情報を伝える機能性膜タンパク受容体ファミリーとして知られています。多様なリガンドに対応するため数多くのGPCRが存在し、自然界に存在する最大のタンパク質ファミリーを構成しています。GPCRは、特に医科学研究の領域で重要で、実際に臨床応用されている薬剤の50%以上がGPCRを標的として作られています。しかし、いまだリガンドや生理的役割が不明な、いわゆるオーファン受容体が数多く残されています。
研究グループでは、オーファン受容体GPCRに属しているBOSS受容体が、細胞外グルコース濃度の応答に関与するエネルギー(栄養)センサーであることを、ショウジョウバエを用いて証明しました。boss遺伝子は、線虫からヒトに至るまで広く保存されていることから、動物一般に共通した、生存に必須な機能を有していると予想できます。このことは、現在私たちが抱えている肥満や糖尿病などの疾患の理解と新たな治療法の開発に貢献すると期待されます。
本研究成果は、JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)の研究領域「糖鎖の生物機能の解明と利用技術 」における研究課題「糖修飾システムによる神経機能の発現・制御」(研究代表者:平林 義雄 ユニットリーダー)によって得られ、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences』9月22日の週にオンライン掲載されます。
1.背景
細胞は体のエネルギー状態を感知して、血中にある過剰エネルギー成分を細胞内に取り込み、中性脂肪(トリアシルグリセロール)の脂肪滴として貯蔵します。そして、空腹時や血糖低下時にこれを分解o放出して、体のエネルギー補充に活用します。エネルギーが枯渇するということは、生物にとっては死を意味するため、エネルギーを供給するときには、体の貯蔵エネルギーが枯渇しないようにバランスを保つ必要があります。従って、細胞には、体のエネルギー状態を感知するエネルギー(栄養)センサーが存在し、エネルギー恒常性を保つ機構が備わっていると考えられます。
ブドウ糖として知られるグルコースは、生物にとって極めて重要なエネルギー源であると同時に、体のエネルギー状態を伝えるシグナル分子として重要な働きをしていることがわかってきました。血糖値の異常は、糖尿病の原因となるだけでなく、肥満などを含むメタボリックシンドロームの発症につながります。また、グルコースの枯渇は、特に神経細胞では細胞死に直結します。そのため、細胞外のグルコース濃度を感知して、エネルギー恒常性を維持する機構にかかわる細胞膜受容体の存在が示唆されてきました。しかし、これまでの研究では、このような働きをする細胞膜受容体は単細胞生物の酵母でしか見つかっておらず、多細胞生物では候補すらわかっていませんでした。一方で、多細胞生物にも同様な機能を持つ受容体の存在が、神経細胞や消化器系組織にも存在するのではないかと予想されていました。
一般に、ホルモンや神経伝達物質などの細胞外のシグナル物質(リガンド)を細胞膜上で受容し、細胞内にその情報を伝える機能性膜タンパク受容体ファミリーとして、GPCRが知られています。多様なリガンドに対応するために、数多くのGPCRが存在し、自然界に存在する最大のタンパク質ファミリーを構成しています。しかし、いまだリガンドや生理的役割が不明な、いわゆるオーファン受容体が数多く残されています。研究チームは、このオーファン受容体GPCRの中に、エネルギー(栄養)センサーの役割を果たしている受容体があると予測しました。
2.研究手法と成果
研究チームは、オーファン受容体の進化系統樹を調べ、エネルギー恒常性維持にかかわる細胞膜受容体の候補受容体を検索しました。具体的には、オーファン受容体の中から、糖輸送体や糖転移酵素などと相同性があり、かつ、さまざまな生物種間で保存されているGPCRを候補受容体として選択、解析しました。その結果、グルコース応答受容体として機能する新規の遺伝子「BOSS/GPRC5B」を同定しました。
エネルギー恒常性維持機構は極めて複雑ですが、哺乳動物より単純なショウジョウバエにおいても共通した機構が存在しています。さらに、ショウジョウバエは、遺伝的解析が容易で、ライフサイクルも短く、研究対象として適しているという長所を持っています。そこで、今回の研究では、この受容体の基本的な生理機能を理解するために、ショウジョウバエを用いて解析しました。
BOSS受容体は、グルコース依存性の高い脳・神経系のほか、エネルギーセンサー器官である脂肪体(ヒトの脂肪組織に相当)に存在していたことから、エネルギー(栄養)センサーとして機能する可能性が強く示唆されました。そこで、BOSS受容体を培養細胞に発現させ、グルコース刺激に対する応答性を調べたところ、BOSS受容体がグルコース濃度変化に反応して、細胞内にシグナルを伝えることを見いだしました(図1A)。BOSS/GPRC5B受容体はグルコース刺激に応答し、そのシグナルを細胞内へ伝えるために、細胞膜表面から細胞内へ取り込まれました(図1B)。
次に、BOSS受容体の機能を欠く突然変異を持つBOSS欠損ショウジョウバエ(BOSS欠損体)のエネルギー代謝状態を調べました。BOSS欠損体では、グルコース刺激に応答できないことから、エネルギー代謝状態が異常になることが予想できました。実際に、血リンパ液(ヒトの血液に相当)中の糖と脂肪の量が上昇(図2)し、インスリンシグナル注5)の低下が起こることが明らかとなりました(図3)。興味深いことに、BOSS欠損体では個体のエネルギー消費バランスを維持することができず、絶食条件環境に置かれると短時間で個体死に至ることも発見しました(図4A)。これは、脂肪体に貯蔵されていた脂質が、野生型のショウジョウバエに比べて急速に減少することが原因であることがわかりました(図4B)。
3.今後の期待
今回の成果により、多細胞生物であるショウジョウバエにもエネルギー恒常性を維持する機構が存在し、BOSS受容体が細胞外グルコース濃度に応答し、エネルギー恒常性維持にかかわる受容体であることが明らかとなりました。boss遺伝子は、ショウジョウバエ以外にも、線虫からヒトに至るまで広く保存されていることから(図5)、動物一般に共通した生存に必須な機能を持つと考えられます。BOSS受容体は、脂肪組織に加え、脳・神経系でも強く発現しており、今回の成果は、個体としてエネルギー代謝の恒常性を維持する機構の解明だけでなく、グルコース依存性の高い神経細胞でのBOSS受容体の機能の理解につながると注目されます。さらに、ヒトのBOSS受容体を同定し、その機能メカニズムを解明できると、現在、私たちが抱えている肥満や糖尿病などの代謝疾患の理解が進み、新しい治療法の開発に貢献することが期待できます。
<報道担当・問い合わせ先>
<問い合わせ先>
平林研究ユニット チームリーダー
平林 義雄(ひらばやし よしお)
Tel:048-467-6372 Fax:048-467-6372
Tel:048-467-9596 Fax:048-462-4914
瀬谷 元秀(せや もとひで)
Tel:03-3512-3524 Fax:03-3222-2064
<報道担当>
Tel:048-467-9272 Fax:048-462-4715
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
<補足説明>
注1)GPCR(Gタンパク質共役型受容体)
細胞外側のリガンド結合部位、細胞膜内の7回膜貫通ヘリックスドメインからなる特徴的な共通構造を持ち、細胞外の化学的情報を細胞内に伝達する機能を有するタンパク質。初期に発見されたGPCRが、細胞内側にGタンパク質が結合する部位を有していることから、このように命名された。ヒトゲノム全体でGPCRは700~800近く存在するとされているが、リガンドや生理的役割がわかっていない、いわゆるオーファン受容体が100以上存在する。
注2)BOSS(bride of sevenless遺伝子がコードするタンパク質)
複眼形成過程にかかわる遺伝子として、1990年代にショウジョウバエで最初に発見された遺伝子。GPCRの1つで、細胞外側で隣接する細胞表面に発現している受容体(sevenless遺伝子)と結合する領域を持ち、この領域が複眼形成過程などに関与している。しかし、これまでに、GPCR構造領域の機能については知られていなかった。この領域は、多くの動物によく保存されている。
注3)エネルギー恒常性(ホメオスタシス)
エネルギー恒常性(ホメオスタシス)とは、生物の持つ重要な性質で、体の中の変化や外部環境の変化に影響されずに、生体のエネルギー状態が一定に保たれる性質のこと。
注4)エネルギー(栄養)センサー
近年の研究により、グルコース・脂質・アミノ酸などの栄養成分が、生体構成材料やエネルギー源であるのみならず、細胞機能制御においてシグナル分子として作用していることが明らかとなってきた。細胞は、細胞内外に、エネルギー(栄養)状態を感知するセンサーを持ち、エネルギーバランス(エネルギー恒常性)を調整していると考えられている。
注5)インスリンシグナル
インスリンは、哺乳類では膵臓に存在するβ細胞から分泌されるペプチドホルモンで、エネルギーの代謝調節に重要な機能を果たす。インスリンは肝臓や脂肪、骨格筋、中枢神経やインスリン分泌細胞である膵β細胞自身への作用を通じて、エネルギー代謝を制御する。インスリンシグナルとは、インスリンがこれらの組織で発現しているインスリン細胞膜受容体と結合し、その情報を細胞内に伝えることを指す。
<参考図>
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図1 BOSS受容体は細胞外グルコース濃度変化に応答する
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図2 BOSS欠損変異体ではエネルギー代謝制御が異常となっている

図3 BOSS欠損変異体ではインスリンシグナル活性が低下している
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図4 BOSS欠損変異体は飢餓ストレスに脆弱である
