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平成20年5月17日

国立大学法人 筑波大学
独立行政法人 科学技術振興機構(JST)

細胞内のエネルギー収支を制御する新規たんぱく質を発見

(がん・生活習慣病の新しい治療法に道)

<ポイント>

(1) 細胞内のエネルギーバランスを制御する新たな分子機構を解明。
(2) 細胞内のエネルギーバランス制御の鍵となるたんぱく質、ヌクレオメチリン(NML:Nucleomethylin)を発見。
(3) がんや生活習慣病の新しい治療薬開発に光明。

 国立大学法人筑波大学(学長 岩崎 洋一) 大学院生命環境科学研究科の柳澤 純 教授と先端学際領域研究センター(TARA)の村山 明子 講師は、新規たんぱく質ヌクレオメチリンを介した、新たな細胞内エネルギーバランス調節機構を発見しました。
 細胞は、糖を燃焼しATP(アデノシン三リン酸)注1)を生産します。細胞内で生み出されたATPは「エネルギー通貨」として、細胞が生きてゆくために使用されます。細胞内のATP量は、細胞外の栄養状態などで変化するため、ATP量を監視してその使用量をコントロールするメカニズムが必要です。このようなメカニズムの破綻は、細胞のエネルギー過剰や枯渇を引き起こし、さまざまな疾患の発症につながるものと考えられます。実際、多くの疾患で、細胞内のエネルギーバランス制御の異常が認められています。しかし、これまで、その詳細な制御機構は明らかにされていませんでした。
 本研究グループは今回、細胞内エネルギー量を感知し、エネルギー消費をコントロールするたんぱく質複合体(ヌクレオメチリン複合体)を見いだしました。この複合体の機能破綻は、エネルギーバランスの崩壊と、それに伴う細胞死を引き起こします。このような結果から、ヌクレオメチリンは、収入に見合った支出を行う、細胞内の「良妻賢母」たんぱく質であると考えられます。本研究成果は、がんや生活習慣病などのエネルギーバランス異常を伴う疾患に対する新たな治療戦略につながるものと期待されます。
 本成果は、JST戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「代謝と機能制御」領域(領域総括:西島 正弘)の研究課題「新規蛋白質NMLによるATP代謝制御ネットワークの解明」(研究者:村山 明子)の一環として得られたのもので、2008年5月16日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Cell(セル)」のオンライン速報版に掲載されます。

<背景>

 細胞はグルコースを取り込み、解糖系とTCAサイクル注2)によってATPとNADH注3)をつくります。NADHはミトコンドリアでNAD注3)へと変換され、それに伴ってさらに大量のATPが合成されます。一方、つくりだされたATPは、エネルギー源として細胞の中でさまざまな過程に使われます。なかでも、最もエネルギーを消費するのは、細胞内小器官の核小体注4)で起こる「リボソーム合成」と呼ばれる過程です。核小体で合成されたリボソームは細胞質へと移行し、たんぱく質合成工場として働いて、さらに多くのATPを消費します【図1】。

図1

図1 ATP産生系とATP消費系のバランス制御

 このように、細胞のATP生産は環境からの栄養分の取り込みによって左右されます。一方、ATP消費は、核小体でのリボソーム合成に大きく依存しています。もし、栄養分が少ない環境に生きている細胞が、リボソーム合成をフル稼働させれば、細胞はエネルギー枯渇に陥る可能性があります。栄養分が豊富なのにリボソーム合成を制限すれば、さまざまな細胞機能に障害が出ることが考えられます。このような不都合を避けるためには、細胞内のATP量をモニターし、リボソーム合成を調節してATPの収支バランスを整えるメカニズムが必要となります。しかし、そのような視点からの研究はあまり行われてきませんでした。

<研究結果>

 本研究グループは今回、細胞内の「ATP産生系」と「ATP消費系」のバランスを制御する新たなメカニズムを見いだしました。さらに、この制御メカニズムの主役となるヌクレオメチリン複合体を同定することに成功しました。

1)細胞のリボソーム合成量は、栄養状態に依存する。
 前述したように、細胞内のエネルギー恒常性を保つためには、ATP量をモニターし、核小体でのリボソーム合成を調節するシステムが必要であると考えられます。そのようなシステムの有無を検証するため、本研究グループは細胞培養液中のグルコースを減らし、リボソーム合成量を測定しました。その結果、リボソーム合成もたんぱく質産生量もグルコースが減少すると低下することが明らかになりました。このことは、細胞内のATP量をモニターし、リボソーム合成を制御するシステムが細胞内に存在することを示しています。そして、細胞のエネルギー状態が低下すると、リボソーム合成に必要なリボソームRNA(rRNA) の量が減少することが判明しました【図2】。
図2

図2 グルコース濃度によるATP産生系とATP消費系の連動

rRNAは、核小体に存在するrDNAから転写されてできます。通常、DNAにはヒストンと呼ばれるたんぱく質が結合しています。DNAとヒストンの結合が強いと転写が抑制され、逆に弱くなると転写が活発になることが知られています。このようなDNAとヒストンの関係は、ヒストンの化学修飾の状態によって決まります。
 一般にヒストンがアセチル化されるとDNAとヒストンの結合が弱くなり転写が促進します。逆に、メチル化される転写は抑制されます。本研究から、細胞を低栄養条件下におくと、rDNA上のヒストンのアセチル基が除去され、メチル基が付加されることも明らかになりました。この修飾によって、rDNAとヒストンとの結合が強まり、rDNAからの転写が抑えられて、その結果rRNA量が低下します【図3】。

図3

図3 培養液グルコース濃度によるクロマチン状態の変化


2)ヌクレオメチリンは細胞内のエネルギー量をモニタリングし、リボソーム合成量を調節する。
 それでは細胞は、どのようにして自分自身のエネルギー量を知り、rDNAのヒストンの状態を変化させるのでしょうか? この疑問に答えるために本研究グループは、ヒストンに結合するたんぱく質を細胞から抽出しました。その結果、新たなたんぱく質ヌクレオメチリンの単離と同定に成功しました。
 ヌクレオメチリンは、核小体に存在し、SIRT1注5) SUV39H1注6)と呼ばれる2種類のたんぱく質と複合体を形成してrDNA上のメチル化されたヒストンに結合します。栄養飢餓になると(グルコースが低下すると)解糖系とTCA回路から産生されるNADH量が低下し、相対的にNADの比率が上昇します。SIRT1はNAD比率が上昇すると活性化し、rDNA上のヒストンからアセチル基を除去します。一方、SUV39H1はアセチル基が除去されたヒストンにメチル基を付加します。メチル基の付加されたヒストンには、新たにヌクレオメチリン複合体が結合し、隣接したヒストンを順次メチル化することによってrRNAの転写を抑制しているものと考えられます【図4】。

図4

図4 ヌクレオメチリンによる細胞内エネルギーモニタリング機構


3)ヌクレオメチリンは消費エネルギーを抑えることによって、低栄養状態での細胞の生存を可能にする。
 さらに、ヌクレオメチリンが低グルコース状態(飢餓状態)での細胞内のATP収支のバランスを制御することによって、細胞死の回避に働いていることも分かりました。通常、細胞を低栄養下で培養するとエネルギーを使い果たして、最終的に死んでしまいます。細胞内のヌクレオメチリン量を増やすと、リボソーム合成が抑制されることによってエネルギー消費が少なくなるため、低栄養状態での細胞の生存期間が長くなります【図5】。

図5

図5 ヌクレオメチリンによる低グルコースでの細胞死からの回避機構


ヒトの体の中では、細胞は血液から酸素と栄養分を受け取ることによって生きています。梗塞などによって血管が詰まると、細胞はエネルギー源の供給が絶たれるため死んでしまいます。このような細胞死が脳で起これば、さまざまな障害が生じる可能性が考えられます。ヌクレオメチリンは、エネルギー供給の絶たれた細胞の生存を助けることによって体を障害から守る働きを担っているのかもしれません。また、がん細胞は腫瘍塊を形成しますが、腫瘍の中心部のがん細胞へのエネルギーの供給は、常に低い状態になっています。それにもかかわらずがん細胞が死なないのは、ヌクレオメチリンを大量に持っているからかもしれません。

<将来展望・応用>

 エネルギーバランスの制御は、すべての生命にとって根本的な課題です。エネルギーを摂取して自己を組織化するのは生命体の特徴の1つです。このようなメカニズムを知ることで生命の本質に近づくことができます。
 ヒトの体が正常に機能するためには、細胞のエネルギー恒常性が維持されていなくてはなりません。エネルギー恒常性の破綻は、さまざまな病気の原因となります。エネルギー枯渇によって、重要な生命機能を担う細胞が欠落すれば、体の機能が損なわれます。逆に、細胞のエネルギーが過剰になればメタボリック症候群となります。ヌクレオメチリン複合体の機能を制御するような薬物は、このような疾患の治療に役立つ可能性があります。
 また前述したように、がん細胞は低酸素および低グルコース状態の中でも比較的容易に生存できることから、正常細胞とエネルギー代謝の制御が大きく異なるものと考えられています。もし、がん細胞のエネルギー依存度を増やすことができれば、がん細胞のみを選択的に兵糧攻めにし、死滅させることも可能となるでしょう。
 さらに、ヌクレオメチリン複合体の構成たんぱく質であるSIRT1は、アンチエイジング機能を持っていることが知られており、赤ワインの成分であるレスベラトロールは、SIRT1を活性化することによって寿命を延ばすことが報告されています。このように、エネルギーバランス制御は寿命とも関連しています。このような研究成果は人類の健康と長寿に貢献するものと期待されます。

<用語解説>

注1)ATP(アデノシン三リン酸)
 ミトコンドリアで作られるエネルギーを電気的に蓄えた物質で、細胞内のすべての活動に必要なエネルギー源。

注2)TCAサイクル(tricarboxylic acid cycle)
 好気的代謝に関する最も重要な生化学反応回路であり、酸素呼吸を行う生物全般に見られる。解糖や脂肪酸のβ酸化によって生成するアセチルCoAがこの回路に組み込まれ、酸化されることによって、ATPや電子伝達系で用いられるNADHなどが生じ、効率の良いエネルギー生産を可能にしている。

注3)NADH(nicotinamide adenine dinucleotide hydrate)およびNAD (nicotinamide adenine dinucleotide)
 全ての真核生物と多くの古細菌、真正細菌で用いられる電子伝達体(エネルギー運搬体)である。さまざまな脱水素酵素の補酵素として機能し、酸化型 (NAD+) および還元型 (NADH) の2つの状態を取り得る。ATPを合成する解糖系、TCA回路、呼吸系などの一般的な代謝で用いられている。

注4)核小体
 真核生物の細胞核の中に存在し、リボソーマルRNA(rRNA)の転写やリボソームの構築が行われる場所。rRNA は、リボソームを構成するRNAであり、RNAとしては生体内でもっとも大量に存在する。RNAポリメラーゼIによって核小体で転写される。
 rRNAはたんぱく質合成の触媒反応の活性中心を形成していると考えられている。
 リボソームは生物の細胞内に存在する構造であり、mRNAの遺伝情報を読み取ってたんぱく質へと変換する機構である翻訳が行われる場である。

注5)SIRT1
 NAD依存性ヒストン脱アセチル化酵素。過剰発現により個体の寿命延長効果を示すことが知られており、長寿遺伝子として注目されている。アポトーシスや細胞周期などにも大きな影響を及ぼすことが知られている。

注6)SUV39H1
 ヒストンH3の番目のリジンのメチル化酵素。ヘテロクロマチン(クロマチンが凝集した領域)形成に関与する。クロマチンは、DNAとDNA を自身に巻き付けてコンパクトにする役目を持つヒストンたんぱくからなる複合体。クロマチンの構造が、遺伝子の発現、複製、分離、修復など、あらゆる機能の制御に積極的な役割を果たしていると考えられている。

<本件に関するお問い合わせ先>

筑波大学 大学院生命環境科学研究科 生物機能科学専攻 教授 柳澤 純
〒305-8572 茨城県つくば市天王台1-1-1
Tel:029-853-6885 Fax:029-853-7076
E-mail:

筑波大学 大学院生命環境科学研究科 生物機能科学専攻 講師 村山 明子
〒305-8572 茨城県つくば市天王台1-1-1
Tel:029-853-6885 Fax:029-853-7076
E-mail:

<JSTの事業に関するお問い合わせ先>

白木澤 佳子(シロキザワ ヨシコ)
独立行政法人 科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究推進部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2067
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<取材に関する窓口>

筑波大学 広報室 報道係
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独立行政法人 科学技術振興機構 広報・ポータル部 広報課
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