本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「生命システムの動作原理と基盤技術」研究領域(研究総括:中西 重忠)における研究課題「RNAサイレンシングが司る遺伝子情報制御」(研究代表者:塩見 美喜子)などのもとに行われました。
この研究成果は、2008年5月7日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature」のオンライン速報版で公開されます。
<1.「レトロトランスポゾン」について>
通常の生物では、遺伝情報は細胞核のなかにあるDNAに保存されており、その情報に従って細胞は機能し増殖します。「レトロトランスポゾン」とは、細胞内のゲノム上を動き回る遺伝子で、RNAを鋳型としてDNAを作り、それを宿主細胞のゲノムに組み込ませることにより、自身の複製を作る性質を持ちます。レトロトランスポゾンは細胞外に出て感染する能力はありませんが、ゲノム中に元の遺伝子を残しながらコピーが他の場所に入り込むため、侵入部位によっては病気の原因になることもあります(図)。細胞は、このレトロトランスポゾンの異常な侵入を防ぐための機構を保有しています。
<2.背景>
細胞は、DNAを鋳型としてRNAを合成し、そのRNA情報に従ってたんぱく質を合成します。RNA干渉(RNAi)とは、たんぱく質を作るRNAを、20塩基程度の小さなRNAであるsiRNAによって分解し、たんぱく質の合成を抑える仕組みです。ショウジョウバエは、体内に侵入したウイルスRNAからsiRNAを作り、ウイルスRNAを分解するというRNA干渉によってウイルス感染から身を守ります。実際に、siRNAを人為的に用いることによってRNA干渉を引き起こす実験は、特定の遺伝子の機能を探る実験手法としても広く用いられています。
RNA干渉において中核的な役割をするたんぱく質Argonaute(AGO)は、RNA干渉のトリガー(反応開始因子)となる小さなRNA分子(siRNA)に直接結合します。さらに、そのsiRNAの塩基配列に相補的な配列を持つRNAを標的として選別して結合し、そのRNAを分解します。RNA干渉による遺伝子発現抑制の効果および標的選択性は非常に高く、生体内高分子の1つであるRNA分子をトリガーとすることもできる点から、この仕組みを利用して、病気を引き起こす特定の遺伝子の働きだけを抑えることが可能になると思われます。これらの研究は各国で精力的に進められ、実際に多くの領域で利用されています。
しかし、RNA干渉の仕組みとして、常に外からのRNA侵入を待ち受けているのか、あるいは通常状態の細胞(例えばウイルス感染していない細胞)においてもRNA干渉は起こっているのか、もし起こっているとしたら、細胞内で生成されるsiRNAとは一体どういったRNAなのかなどの重要課題は解明されていませんでした。
<3.研究手法と成果>
ショウジョウバエのRNA干渉において中核的な役割をするたんぱく質AGO2は、siRNAとの結合によって正しい標的RNAを選別し、そのRNAの切断・分解を導きます。塩見グループでは、自前で作製した抗AGO2抗体を用いてAGO2を細胞から単離精製する方法をすでに確立していました。この手法により、本研究ではショウジョウバエSchneider2体細胞からAGO2を精製し、まず、AGO2に結合する小さなRNAが存在するかを検討したところ、21塩基長のRNAが見つかりました。続いて、これらRNAをパイロシーケンシング法(塩基配列の大量解析)によって解析したところ、それらの多くが「レトロトランスポゾン」遺伝子から作られたRNAを由来とすることも分かりました。これら小さな内在性RNAは、endogenous siRNA(esiRNA)と名付けられました。
これまでの解析から、ショウジョウバエ生殖巣(生殖細胞)においては、「レトロトランスポゾン」の発現の抑制は、PIWIたんぱく質群がpiRNAと呼ばれる一群の24から30塩基長のRNAによって行われていることが判明していましたが、本研究によって、体細胞では、AGO2とesiRNAが関わることが分かりました。生殖細胞のpiRNAも体細胞のesiRNAもレトロトランスポゾンより生じますが、いずれの生合成経路もそれぞれ異なることも明らかとなりました。
<4.今後の期待>
RNA干渉は、疾患治療法としてすでに人体で用いられています。しかし、RNA干渉機構分子動態の全体像は全て理解された訳ではなく、よりよい結果を得るために試行錯誤が繰り返し行われている状態です。RNA干渉を疾患治療法として用いる場合には、大量のsiRNAを組織に導入する必要がありますが、siRNAを導入する方法もまだ十分に確立されていないのが現状です。
本研究によって、ウイルスに感染していない通常の状態の細胞においても、esiRNAを介してRNA干渉が効率よく起こっていることが判明しました。この仕組みをうまく利用すれば、大量のsiRNAを組織に強制的に運ぶといった人体への負担をかけることなしに、効率良くRNA干渉を生じさせることができるものと期待されます。また、siRNA導入の効率が非常に悪い、あるいは不可能である組織においてもesiRNAによって効率良くRNA干渉を生じさせることが期待できます。
<参考図>
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
慶應義塾大学 医学部 分子生物学教室 教授 塩見 春彦(シオミ ハルヒコ)
Tel:03-5363-3754 Fax:03-5363-3266 E-mail:
慶應義塾大学 医学部 総合医科学研究センター 准教授 塩見 美喜子(シオミ ミキコ)
Tel:03-5363-3498 Fax:03-5363-3266 E-mail:
<JSTの事業に関すること>
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究領域総合運営部 金子 博之(カネコ ヒロユキ)
Tel:03-3512-3531 Fax:03-3222-2066 E-mail: