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平成20年4月30日

科学技術振興機構(JST)
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東北大学
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転写調節因子Pax6がグリア細胞の発生を制御することを発見

(脳で一番多い細胞の発生機構の解明に向けた第一歩)

 JST基礎研究事業の一環として、東北大学 大学院医学系研究科の大隅 典子 教授と櫻井 勝康 博士研究員らは、脳で最も多い細胞であるアストロサイト注1)の発生を、転写調節因子Pax6(パックス・シックス)注2)が制御することを突き止めました。
 グリア細胞注3)の1種であるアストロサイトは、ニューロン(神経細胞)の働きを助ける細胞として知られていますが、それだけにとどまらない多彩な機能を持つことが近年明らかにされ、重要性が注目されています。アストロサイトは脳に存在する細胞の中で最も数が多いにもかかわらず、どのように生み出されるのかという発生のメカニズムについては、これまでほとんど知られていませんでした。
 研究チームは今回、脳の発生における重要な働きが知られている転写調節因子Pax6が、アストロサイトに発現していることをマウスの研究で発見しました。また、Pax6 遺伝子の機能が失われた変異型マウスでは、アストロサイト前駆細胞の増殖や分化に異常をきたし、アストロサイトの形成が未熟になりやすいことを見いだしました。さらに、Pax6変異型マウス由来のアストロサイトは神経膠腫こうしゅ(グリオーマ)注4)の細胞に似ていることが判明しました。本研究成果により、未知の点の多かったアストロサイト発生の分子メカニズムの一端が明らかとなり、Pax6が神経膠腫の発生に関わることも示唆されました。このように、本成果は脳の大半を占めるグリア細胞の発生機構の解明への一歩となるとともに、神経膠腫の発生メカニズムの解明にもつながることが期待されます。
 本研究成果は、平成20年4月30日発行(米国東部時間)の北米神経科学会誌「The Journal of Neuroscience」の表紙を飾り、掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」
(研究総括:津本 忠治 (独)理化学研究所脳科学総合センター ユニットリーダー)
研究課題名 ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明
研究代表者 大隅 典子
研究期間 平成16年10月~平成21年3月
 JSTはこの領域で脳機能発達と学習メカニズムに関する独創的、先進的研究がこの領域で進展し、その結果、教育や生涯学習における諸課題解決に対する示唆を提供することによって、研究成果を社会に還元することを目指しています。上記研究課題では、脳の細胞を産み出す遺伝子プログラムや、神経機能についての基礎研究を通じて、健やかな脳や心を育むことに貢献します。

<研究の背景と経緯>

 脳は大きく分けてニューロン(神経細胞)とグリア細胞から構成されます。グリア細胞はニューロンの10倍程度の数存在すると言われ、いくつかの種類がありますが、そのうちアストロサイト(図1)は最も数が多いとされています。神経線維を支えたり、血液から栄養分をニューロンに供給するなどの役割を担うことは以前から知られており、長い間、単なるニューロンの支持細胞にすぎないと考えられてきました。
 しかし近年、アストロサイトが多くの機能をもつことが解明され、神経活動における重要性が明らかとなってきました。例えば、アストロサイトはニューロンから放出された神経伝達物質の回収や、シナプス形成制御、脳内毛細血管の血流の調節などに関わることが分かってきました。さらに、さまざまな脳の細胞に分化しうる神経幹細胞と、アストロサイトには共通の性質があることがここ数年で明らかになってきました。ある種のアストロサイトは多能性のある神経幹細胞として振る舞い、ニューロンを生み出します。このように、アストロサイトの多様な機能や性質が次第に明らかにされてきましたが、神経幹細胞からアストロサイトへの発生機構に関する分子的知見はほとんど得られていませんでした。
 研究チームは今回、アストロサイトの初代細胞培養法注5)を用いて、ニューロン新生に関わる転写調節因子Pax6がアストロサイトの増殖・分化をも制御していることを突き止めました。

<研究の内容>

 本研究では、正常なマウス脳を用いて免疫染色を行い、アストロサイト前駆細胞およびアストロサイトがPax6を発現していることを明らかにしました。まず、正常なマウス脳においてアストロサイトのマーカーとPax6の免疫染色により、Pax6の発現パターンの解析を行いました。その結果、アストロサイトがPax6を発現していることが判明しました(図2)。次にアストロサイトにおけるPax6の機能を明らかにするために、Pax6に変異があるマウス(Sey/Sey )を用いて調べました。胎齢18日の野生型とPax6変異マウスの大脳皮質原基を用い、アストロサイトの初代細胞培養を行いました。その結果、アストロサイトはPax6に変異があるSey/Sey マウスから取り出した脳組織でも産生され、Pax6はアストロサイトの発生そのものには必須でないことが分かりました(図3)。また、Pax6変異マウス由来のアストロサイトは野生型に比して細胞増殖が有意に増加していました(図4)。このことから、Pax6変異マウス由来のアストロサイトは未分化状態のアストロサイトである可能性が考えられたので、分化マーカーの発現を解析しました。その結果、Pax6変異マウス由来のアストロサイトにおいて、成熟アストロサイトのマーカーであるGFAPの発現は野生型に比して低く、未分化マーカーであるnestinおよびprominin-1(CD-133)の発現は増加していました(図5)。これらアストロサイトの初代細胞培養の実験において認められたPax6変異マウスにおけるアストロサイト前駆細胞の増殖および分化異常は、胎生期の脊髄においても認められました。このようなSey/Sey アストロサイトで観察された、未分化状態および細胞増殖の亢進 こうしん という性質は、神経膠腫に似ています。悪性神経膠腫は高い移動能および浸潤性を示すことから、培養アストロサイトを用いて移動能を解析したところ、Pax6変異マウス由来のアストロサイトは野生型に比べ高い移動能を示すことが明らかとなりました(図6)。
 以上のことから、Pax6はアストロサイトの発生において、アストロサイト前駆細胞の増殖を抑制し、分化を促進している可能性が示唆されました。さらに、Pax6の機能が失われることにより、アストロサイト前駆細胞が神経膠腫に形質転換し、神経膠腫の悪性度が高まる可能性も示唆されました。このためPax6は抗腫瘍因子として機能し、神経膠腫幹細胞の増殖を抑制することによって悪性神経膠腫への転化または悪性度の亢進を抑制している可能性が考えられます。アストロサイトの発生にPax6が関与することが判明したことで、これまでほとんど分かっていなかったグリア細胞の発生のメカニズムの解明が今後進んでいくものと思われます。

<今後の展開>

 アストロサイトの発生研究は、ヒト脳の機能発達とさまざまな精神神経疾患との関連を考える上で極めて重要な意義を持っています。今回明らかになったアストロサイトの発生における転写調節因子Pax6の役割は、アストロサイトおよび神経膠腫の発生の理解に大きな一石を投じるものと考えられます。
 今後は今回の研究から得られた知見をもとに、Pax6の下流因子の探索をマイクロアレイなどによって行うことにより、アストロサイトの発生や神経膠腫の発生のメカニズムが解明されるものと期待されます。

<参考図>

図1

図1 アストロサイト、ニューロンとその他のグリア細胞

 グリア細胞は主に、アストロサイト、ミクログリア、オリゴデンドロサイトからなる。アストロサイトはグリア細胞の中で最も多く、脳の中でニューロンを支える役割をもつとされてきた。近年、神経伝達物質の回収や血液脳関門の機能維持など、他にも重要な役割を担っていることが明らかになってきた。

図2

図2 野生型マウスのアストロサイトでのPax6の発現

 野生型マウスのHippocampus(海馬)およびCerebral Cortex(大脳皮質)におけるPax6の発現様式。Pax6はほぼすべてのアストロサイト(GFAPまたはS100βを発現している細胞)の核に局在していた。

図3

図3 初代培養アストロサイトにおけるPax6の発現

 野生型(WT)、Pax6変異ヘテロ接合(動物のもつ2本1組の染色体のうち、一方にあるPax6遺伝子に変異がある場合。Sey/ +)、およびPax6変異(双方の染色体のPax6 遺伝子に変異がある場合。Sey/Sey )マウス由来の初代培養アストロサイトにおけるPax6の発現様式。Pax6はWTおよびSey/ +マウス由来の初代培養アストロサイトにおいても、核に局在している。Sey/Sey マウス由来の初代培養アストロサイトではPax6の発現はみとめられない。アストロサイトはPax6変異マウスからも産生された。

図4

図4 Pax6変異マウス由来の初代培養アストロサイトの細胞増殖

 野生型(WT)、Sey/ +、およびPax6変異(Sey/Sey )マウス由来の初代培養アストロサイトにおいてBrdU標識による細胞増殖の判定。本方法は、増殖する細胞がBrdUという化学物質を取り込むことを利用し、BrdUを取り込んだ細胞の割合(縦軸)を計測することで、細胞増殖能を測定する方法である。Sey/Sey マウス由来のアストロサイトは野生型と比べ細胞増殖が著しく増加していた。

図5

図5 Pax6変異によるアストロサイトの成熟の変化

 野生型(WT)およびPax6変異(Sey/Sey )マウス由来の初代培養アストロサイトにおける成熟アストロサイトのマーカー(GFAP)および未成熟アストロサイトのマーカー(nestinおよびprominin-1)の発現様式。Pax6変異マウス由来のアストロサイトは野生型に比して成熟アストロサイトのマーカーの発現が弱く、逆に未成熟アストロサイトのマーカーの発現が強かった。

図6

図6 Pax6変異による初代培養アストロサイトの細胞移動能の変化

 野生型(WT)およびPax6変異(Sey/Sey )マウス由来の初代培養アストロサイトの細胞移動能の判定。細胞培養皿の中央に細胞の存在しない領域を作り、そこに移動する細胞の移動の速さを判定した。Pax6変異マウス由来のアストロサイトは野生型と比べて移動能が高かった。

<用語解説>

注1)アストロサイト
 脳や脊髄にあるグリア細胞の中で最も数が多く、概算でニューロンの数の約4・5倍の数が存在する。

注2)転写調節因子Pax6(パックス・シックス)
 転写調節因子は遺伝子のスイッチをオン・オフしたり、発現量を増減させたりすることで、遺伝的プログラムで中心的な役割を果たす因子である。Pax6はとくに脳の発生の最も初期から成体まで働く重要な因子である。

注3)グリア細胞
 神経系を構成する細胞の中で神経細胞(ニューロン)ではない細胞の総称。脳や脊髄などの中枢神経系では、アストロサイト、オリゴデンドロサイト、ミクログリアの3種が存在する。それらの働きは、主にニューロンに栄養を与えること、またニューロンをとりまく環境の整備をすることでニューロンの活躍を助けることとされてきたが、近年、さらに多様な機能を持つことが明らかになってきた。

注4)神経膠腫(グリオーマ)
 グリア細胞から発生する腫瘍の総称。神経膠腫の多くは脳内・脊髄内に広がって発育する(浸潤)のが特徴で、治療が困難であるとされる。

注5)初代細胞培養法
 臓器・組織・胎児から得た細胞を培養する方法。生体の状況を反映している。

<論文名>

 "The neurogenesis-controlling factor, Pax6, inhibits proliferation and promotes maturation in murine astrocytes"
 (神経新生調節因子Pax6はマウスのアストロサイトにおいて、増殖を阻害し、成熟を促進させる)
 doi: 10.1523/JNEUROSCI.5074-07.2008

<お問い合わせ先>

大隅 典子(おおすみ のりこ)
東北大学 大学院医学系研究科 教授
〒980-8575 宮城県仙台市青葉区星陵町2-1
Tel:022-717-8201 Fax:022-717-8205
E-mail:

瀬谷 元秀(せや もとひで)
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究領域総合運営部
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