JSTトッププレス一覧 > 共同発表

平成20年4月29日

国立大学法人千葉大学

科学技術振興機構(JST)

植物が自ら作る抗がん物質に対する自己耐性機構を解明

―抗がん物質の効率的生産や抗がん剤耐性機構の解明に手がかり―

 国立大学法人 千葉大学の斉藤 和季 教授、山崎 真巳 准教授、スパート・シリカンタラマス 研究員らは、植物が自ら生産する抗がん物質に対する自己耐性機構を解明しました。
 現在、がん患者の治療のため、カンプトテシンなど植物成分由来の抗がん物質注1)が広く臨床に使われています。このうち、カンプトテシンは植物と動物両方の細胞に共通するDNA複製メカニズムに必須な、DNAトポイソメラーゼI注2)という分子の働きを阻害することによって抗がん作用を発揮します。そのため、カンプトテシンはそれを生産する植物細胞のDNAトポイソメラーゼIも阻害してしまうので、生産植物には自己耐性が備わっていなければなりません。
 研究グループは、カンプトテシンを生産する植物ではDNAトポイソメラーゼIに特異的なアミノ酸変異が起こることで、耐性能を獲得していることを突き止めました。この耐性を与える変異を詳細に調べたところ、カンプトテシン耐性のヒトがん細胞でも見られた変異の他に、ヒトがん細胞では見つかっていない新たな変異も発見されました。これは本物質をヒトのがん治療に用いる際に、臨床の現場で今後見出されるかもしれない新たな耐性変異を予測するための情報を提供するものです。
 また、カンプトテシンを生産しない近縁植物のDNAトポイソメラーゼIについても調べた結果、生産植物の変異による自己耐性能の獲得はカンプトテシンの生産能の獲得と共進化していることが明らかになりました。
 これらの成果は、薬用植物での抗がん物質のより効率的な生産に寄与するばかりでなく、臨床現場での抗がん剤耐性の機構解明への応用が期待できます。将来、より有効な抗がん剤の開発やがん治療を効果的にするために役立つ研究成果です。
 本研究成果は、米国科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)」の電子版で2008年4月28日の週(米国東部時間)に公開されます。

本成果の一部は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 「代謝調節機構解析に基づく細胞機能制御基盤技術」
(研究総括:鈴木 紘一 東レ(株)先端融合研究所 所長・専任理事)
研究課題名 「液胞膜エンジニアリングによる植物代謝システム制御」
研究代表者 三村 徹郎(神戸大学 理学部 教授)
共同研究者 山崎 真巳(千葉大学 大学院薬学研究院 准教授)
研究期間 平成18年10月~

<研究の背景と経緯>

 植物はさまざまな二次代謝産物注3)を生産し、それらは医薬品、農薬、健康食品、化粧品などとして私たちの生活に役立っています。実際に臨床の現場でも、カンプトテシンなどのいくつかの植物成分由来の抗がん物質の誘導体が薬として用いられています。これらの抗がん物質は、いずれもDNA複製やチューブリン(細胞骨格たんぱく質の一種)の重合・脱重合などの細胞分裂に必須な機能を阻害することにより抗がん活性を発揮します。すなわち、これらの抗がん物質の標的となるたんぱく質はヒトなどの動物細胞と植物細胞において共通に、生存に必須の基本的な機能を担っています。従って、抗がん物質を生産する植物(図1)は、自らが生産する抗がん物質の細胞毒性に対し、「自己耐性機構」を備えていなければなりません。従来、植物の自己耐性機構としては、毒性物質を液胞などの細胞内小器官に隔離するものと信じられてきましたが、その詳細が明らかになった例は少なく、植物生化学の分野において長い間の謎でした。

<研究の内容>

 本研究グループは、日本の南西諸島などに原生するチャボイナモリというアカネ科植物におけるカンプトテシン生産を研究する過程で、この植物が発現する遺伝子の網羅的な解析データをヒントに、DNAトポイソメラーゼIの遺伝子解析を行いました。また、その他のカンプトテシンを生産する植物や生産しない類縁植物のDNAトポイソメラーゼIの遺伝子解析も同時に行いました。
 その結果、カンプトテシンを生産する植物であるチャボイナモリやリュウキュウイナモリ、キジュなどのDNAトポイソメラーゼIには複数の特異的なアミノ酸変異が起こっていることが明らかとなりました(図2)。いずれの生産植物にも共通な変異は、臨床で得られたカンプトテシン耐性のヒトがん細胞のDNAトポイソメラーゼIで知られていた変異と同じでした。この変異アミノ酸残基は活性アミノ酸残基の隣に位置し、カンプトテシン―トポイソメラーゼIたんぱく質-DNAの三者複合体の形成に必須なアミノ酸残基の変異でした(図3)。
 加えて、上記の他にヒトがん細胞では見つかっていない新たな変異も発見されました。生産植物でのカンプトテシン耐性獲得の進化に要した長い時間と比較すると、ヒトがん細胞においては非常に短い臨床応用期間でカンプトテシン耐性の出現が見いだされています。今回、見つかった生産植物でのみ特異的に見つかった変異は、臨床現場で将来カンプトテシン耐性がん細胞に見出されるかもしれない新たな耐性変異を予測する際、非常に有益な情報です。
 また、カンプトテシンと同族のインドールアルカロイド注4)は生産しますが、カンプトテシンは生産しない近縁植物のDNAトポイソメラーゼIも調べたところ、カンプトテシンに対する非常に弱い耐性が認められました。このことから、これらのアミノ酸変異による自己耐性能の獲得は、カンプトテシンの生産能の獲得と進化の道筋で互いに相互作用しながら段階的に起こったことが明らかになりました。これは、毒性二次代謝産物の生産とその標的分子の耐性能獲得が共進化するという植物生化学上の新しい概念を提出するものです。

<今後の展開>

 カンプトテシンの生産においては有機合成による方法も提案されていますが、多段階の反応を要するため収率が低く、実用化には至っていません。従って現在は、圃場で栽培したキジュやクサミズキなどの生産植物を収穫し、抽出、精製する方法が一般的ですが、キジュやクサミズキは木本植物であり、急速な繁殖が難しく、収穫までに長期間の年限を要するという問題点を有するため、育種により、これまで以上に生産効率の高い植物の作出が求められています。抗がん物質などを植物で効率的に生産するためには、自らが生産する抗がん物質などの毒性物質に対する自己耐性能がなければなりません。特に、バイオテクノロジーによって異種生物にカンプトテシンを作らせようとしたときには、今回得られたチャボイナモリなどの耐性にかかわるアミノ酸変異をDNAトポイソメラーゼIに導入することで自己耐性能を付与して、生産することが可能となります。
 また、抗がん剤が効かなくなったヒトの耐性がん細胞などの研究やカンプトテシンが有効でないがん細胞を早期に確認する方法などに成果が生きると思われます。さらに、本研究の成果によってカンプトテシンとDNAトポイソメラーゼIの詳細な相互作用の研究が進展し、より効果的な抗がん剤開発の研究にもつながると期待されます。

<参考図>

図1

図1 カンプトテシンを生産する植物

(写真提供 須藤浩博士)

図2

図2 カンプトテシン生産植物のトポイソメラーゼIに見つかったアミノ酸変異

 トポイソメラーゼIにおいて酵素活性とカンプトテシン結合に関与するアミノ酸残基を1文字記号で示した。上部の数字はヒトたんぱく質でのアミノ酸残基の番号を示している。これらのアミノ酸残基は、ヒト(Hs )と植物の間でよく保存されている。ところがカンプトテシンを生産するチャボイナモリ(Op )、リュウキュウイナモリ(Ol )、キジュ(Ca )では、赤字で示したアミノ酸変異が見つかった。このうち722番目のアスパラギン(N)からセリン(S)への変異は、カンプトテシン耐性を獲得したがん細胞でも見つかっている。一方、カンプトテシンを生産しないシロイヌナズナ(At )、ニチニチソウ(Cr )、サツマイナモリ(Oj )ではこれらの変異は存在しない。

図3

図3 DNAトポイソメラーゼIのカンプトテシン結合部位の構造

 ヒト、チャボイナモリ、キジュのトポイソメラーゼIのアミノ酸の連なりをリボン状に重ねて表したものである。トポイソメラーゼI(青色)の活性中心であるチロシン残基 (Tyr723)がDNA分子を切断し結合する。カンプトテシン分子(灰色の棒で示す)は、水分子(赤い丸)を介してチロシン残基の隣のアスパラギン残基 (Asn722)に結合し、反応を阻害する。カンプトテシンを生産するチャボイナモリ(黄色)やキジュ(濃いピンク色)のトポイソメラーゼIでは、このアスパラギン残基 (Asn722) がセリン残基 (Ser722) に置き換わっているため水分子とカンプトテシンが結合できなくなり、トポイソメラーゼの活性は保持しながらもカンプトテシンに対して耐性となる。

<用語解説>

注1)カンプトテシンなど植物成分由来の抗がん物質
 臨床では現在、カンプトテシンのほか4種類の植物成分由来の抗がん物質が用いられている。これらは、いずれもDNA複製や細胞分裂などの細胞の基本的な機構を阻害する。例えば、カンプトテシンはDNAトポイソメラーゼI(注2参照)を阻害し、ポドフィロトキシンはDNAトポイソメラーゼIIを阻害し、ビンクリスチン、ビンブラスチンはチューブリン(細胞骨格たんぱく質の一種)の重合を阻害する。その他にも植物成分由来の成分から誘導されたパクリタキセルはチューブリンの脱重合を阻害する。
 なお、カンプトテシンの誘導体であるイリノテカンは、抗がん剤の主成分として臨床に用いられている。

注2)DNAトポイソメラーゼI
 細胞の核に存在し、二本鎖DNAの一方を切断し超らせん構造が緩和された後に再結合する反応を触媒する酵素で、DNA複製や転写、修復など細胞の基本的な機能に関わっている。カンプトテシンは切断されたDNAとトポイソメラーゼIたんぱく質の3者複合体を形成し、それ以降の反応が進行しなくなり、がん細胞などを致死に至らしめる。

注3)二次代謝産物
 植物の生存に必須でどの植物にも存在するアミノ酸、糖、脂質などの植物成分を「一次代謝産物」と呼ぶのに対して、ある植物種に特異的で基本的な代謝経路には関係しない植物成分を「二次代謝産物」と呼んで区別する。二次代謝産物の代表的なものとしては、アルカロイド、フラボノイド、タンニン、サポニンなどのテルペノイドなどがある。二次代謝産物は捕食者や微生物などの外敵や各種ストレスに対する防御物質であると考えられており、多くの場合他の生物に対して強い生物活性を有する。そのため、二次代謝産物は医薬品などの原料となるものが多い。カンプトテシンも典型的な植物二次代謝産物であり、抗がん剤の原料として用いられている。

注4)インドールアルカロイド
 アルカロイドとは塩基性を有する植物成分の総称。強い生物活性を有する物質が多く、しばしば医薬品として用いられる。そのうちインドールアルカロイドは、アミノ酸のひとつであるトリプトファンを前駆体として合成され、その分子中にインドール骨格を有する。カンプトテシンはインドール骨格を有さないが、生合成的にはトリプトファンから作られインドールアルカロイドの変形と見なされる。

<掲載論文名および著者名>

 'Mutations in topoisomerase I as a self-resistance mechanism coevolved with the production of the anticancer alkaloid camptothecin in plants'
(植物における抗がん性アルカロイド・カンプトテシンの生産と共進化した、自己耐性機構としてのトポイソメラーゼIの突然変異)
 Supaart Sirikantaramas, Mami Yamazaki, and Kazuki Saito
 (スパート・シリカンタラマス、山崎 真巳、斉藤 和季)
 doi: 10.1073/pnas.0801038105

<お問い合わせ先>

斉藤 和季(サイトウ カズキ)
山崎 真巳(ヤマザキ マミ)
 千葉大学 大学院薬学研究院 遺伝子資源応用研究室
 〒263-8522 千葉市稲毛区弥生町1-33
 Tel:043-290-2904・2905 Fax:043-290-2905

E-mail: (斉藤)
(山崎)

瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究領域総合運営部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3524 Fax:03-3222-2064
E-mail: