「温度」は、化学反応に変化をもたらす最も重要な因子で、地球上に生息する全ての生物にとって、最も重要な環境情報のひとつです。人間であれば、炎天や寒冷による、わずか数℃の体温の変化が、体調に劇的な変化を引き起こします。さらに、室内外の急激な温度差が引き起こす温度差過敏症などは、現代社会を象徴する環境・健康問題となっています。このようなことから、温度感知の仕組みの解明は、人類の存続に関わる重要課題として取り上げられています。しかし、温度がどのような分子によって感知されるかは約10年前まで明らかになっていませんでした。1997年、カリフォルニア大学のジュリウス教授の研究グループは、温度を感知する分子として、TRPと呼ばれる分子を発見しました。この発見を発端に、温度感知に関わる主要分子がTRPファミリーであることが次々に発見され、温度を感じる分子の研究は終焉に向かっていると思われていました。
本研究チームは、新しい分子の発見に有用な実験動物である線虫C. エレガンス注1)を使い、人間の匂いや光、味の感知に重要な「Gタンパク質」注2)と呼ばれる分子が、温度感知にも関わっていることを発見しました。まず、温度への応答行動に異常をもつ線虫が、Gタンパクを制御する分子に異常をもつことを見つけました。そして、この線虫の温度への応答行動の異常は、従来、匂いを感じるニューロンとして知られていた嗅覚ニューロンに、Gタンパク制御分子を導入することによって回復することを突き止めました。さらに、ニューロンの活動を蛍光色の変化として観察できる最先端の光技術を用いた実験の結果、嗅覚ニューロンが、温度変化に対して、ニューロン内のカルシウム濃度を劇的に変化させることも分かりました。
本研究により、匂いを感じる「嗅覚ニューロン」として知られていた感覚ニューロンが、匂いだけではなく「温度」を感知し、環境の温度を「記憶」していることが、初めて明らかになりました。感覚情報の処理に関わる分子の多くは人間と線虫で類似していることから、人間の温度感知にもGタンパクが関わっている可能性が考えられ、本研究成果は人間の温度感知の仕組みの解明や病気の治療に大きく役立つと期待されます。
本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「生命システムの動作原理と基盤技術」(研究総括:中西 重忠)の研究テーマ「行動を規定する神経回路システム動態の研究」(研究代表者:森 郁恵)などのもとに行なわれました。
<研究の背景と経緯>
私たちが普段感じている環境情報のうち、「温度」は生存に直結する情報です。人間であれば、わずか1~2℃の体温の変化が、劇的な体調の変化を引き起こします。また、室内外の急激な温度差が引き起こす温度差過敏症なども、社会問題となっています。そのため、温度を感知し制御する仕組みの解明は、大きな問題として取り上げられています。
温度情報は、動物において主に神経系で感知され制御されています。例えば、哺乳類は環境の温度を末梢神経系で感知し、体温を主に脳内の視床下部に存在する温度感知ニューロンで感知し、制御しています。このような温度感知に関わる神経組織と温度を感知するニューロンの存在は、30年以上前から多くの動物で報告されていました。しかし、温度の感知と制御に関わる分子に関しては、長年明らかにされていませんでした。
1997年にカリフォルニア大学のジュリウス教授の研究チームメンバーであったカテリーナ博士らは、温度を感知する分子としてTRPと呼ばれる分子ファミリーに属するTRPV1という分子を発見しました。カテリーナ博士らの発見以降、世界中でTRPの研究が行われ、TRPが「温度を感知する分子」であることは周知の事実となりました。しかし、「果たして温度感知に関わる分子経路は、他にはないのか?」という疑問から、本研究チームは新しい分子の発見に有用な実験動物である線虫C. エレガンスを使い(図1上)、温度感知に関わる新たな分子の発見を目指してきました(図1下)。
<研究の内容>
本研究では、温度への応答行動に異常をもつ線虫が、人間の嗅覚や視覚に重要な「Gタンパク」と呼ばれる分子経路に異常をもつことを発見しました(図2中央)。この線虫の温度への応答行動の異常は、嗅覚ニューロンにGタンパク関連遺伝子を入れることで正常に戻りました(図2右)。さらに、ニューロンの活動が細胞内カルシウム濃度と関連していることに着目し、カルシウム濃度変化を蛍光色の変化として観察できる最先端の光技術を積極的に導入することにより、嗅覚ニューロンが温度を感知し、ニューロン内のカルシウム濃度を劇的に変化させることを明らかにしました(図3)。
本研究で得られた結果を以下に示します。
<今後の展開>
嗅覚や接触刺激などの感覚情報の処理に関わる分子の多くが、人間と線虫で類似していることから、人間の温度の感知にもGタンパクが関わっている可能性が考えられます。本研究で得られたことは今後、人間の温度感知の仕組みの解明や、温度感知が関わる難病の治療に役立つものと期待されます。
<参考図>
<用語解説>
注1:C.エレガンス
土壌に生息する非寄生性の線虫で、正式名称はセノハブダイティス・エレガンス。古くから分子遺伝学的解析に使われており、細胞死の発見やRNA干渉の発見により2002年と2006年のノーベル医学生理学賞の対象となる研究などが行われた。1998年には多細胞生物で初めて全ゲノム配列の解読が終了した。ヒトの遺伝子数に匹敵する約2万個の遺伝子を持ち、それらの中にはヒトの遺伝子と類似のものが多く含まれる。生命現象の分子メカニズムを解析する上で有用なモデル生物である。
注2:Gタンパク質
正式名称はグアニンヌクレオチド結合タンパク質。ここでは、膜受容体と結合するヘテロ三量体Gタンパクを指す。ヒトの目の光受容体や、鼻の嗅覚受容体などの細胞膜に存在する様々な受容体タンパクと結合し、受容体タンパクで受け取った環境情報を、生化学的反応に切り替える「スイッチ」として機能する分子。
<掲載論文名>
" Temperature sensing by an olfactory neuron in a circuit controlling behavior of C. elegans"
(邦訳:線虫C. エレガンスの行動を制御する神経回路における嗅覚ニューロンによる温度の感知)
doi: 10.1126/science.1148922
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