赤ちゃんのおもちゃの"ガラガラ"のような原子でできたナノ・スケールのカゴ状構造を持つ物質は発見されており、これらは熱が伝わりにくいことが知られています。これは、カゴの中に閉じ込められた原子が周りの原子と相互作用せずにカゴの中を自由に動き回って、伝わる熱を散乱することがその原因と考えられてきました。
本研究では、原子で作られたカゴ状の構造を持つ「充填スクッテルダイト」という物質において、大型放射光施設SPring-8の放射光X線を用いてカゴに閉じ込められた原子の振動状態だけを直接観察することに成功しました。その結果、カゴに閉じ込められた原子の振動と音や熱を伝える原子の振動は結合しており、従来考えられてきたようにかごに閉じ込められた原子が熱を伝える際の単なる散乱体ではないことを明らかにしました。この成果はカゴ状構造を持つ物質で熱が伝わりにくい新しい機構を提案し、廃熱利用に役立つ新たな熱電材料の開発に役立つことが期待されます。
本研究は、筒井 智嗣 副主幹研究員(JASRI)、小林 寿夫 教授(兵庫県立大学)、石川大介 博士(理研)、John Sutter博士(JASRI、現Diamond Light Source(イギリス))、Alfred Baron准主任研究員(理研)、長谷川 巧 博士、荻田 典男 准教授、宇田川 眞行 教授(広島大学)、依田 芳卓 主幹研究員(JASRI)、小野寺 秀也 教授(東北大学)、菊地 大輔氏、佐藤 英行 教授(首都大学東京)、菅原 仁 准教授(徳島大学)、関根 ちひろ 准教授および城谷 一民 教授(室蘭工業大学)による共同研究として行なわれました。今回の研究成果は、2008年3月10日(月)にJournal of Physical Society of Japanのオンライン版として掲載されます。
研究の背景
我々の経済活動によって多くの熱が大気中に排出されることが知られています。もしそのときに排出される熱を再利用することができれば、もっとエネルギー効率の高い経済活動が可能となり、結果的に環境によりやさしい生活環境を実現することが可能となります。熱エネルギーと電気エネルギーを相互に変換することにできる熱電材料は、経済活動に伴う廃熱利用や冷媒のいらない冷却装置などの観点から重要な材料です。このような材料は、身近なところで、オゾン層を破壊するといわれているフロンのような冷媒を用いない保冷庫の冷却機構などに現在利用されています。熱電材料では、熱を伝えにくく、電流が流れやすいことが必要とされています。物質中で熱を伝えているのは電子の移動と原子の振動であり、電流は電子の移動です。そのため、電気を流れやすくすると、電子によって熱が運ばれてしまうので、熱が伝わりにくくするためには原子の振動で運ばれる熱を小さくする必要となります。
近年、次世代の熱電材料として原子や小さな分子を入れることができるようなカゴ状構造(図1参照)を有する物質がその特性を満たす物質として注目され、盛んに研究されています。このような物質では、カゴの中に閉じ込められている原子や分子が周りの原子とは全く無関係に赤ちゃんのおもちゃの"ガラガラ"のように振る舞うことによって、その原子の振動によって本来熱を運ぶ役割をする音を運ぶための原子の振動が乱されて、物質中の熱を伝えにくくすることで熱電材料としての特性がよくなると考えられてきました。しかし、音や熱を伝える振動とナノ・スケールカゴに閉じ込められた原子の振動状態がどのように関わっているかについては、あまり調べられてきませんでした。
今回の研究の成果
物質中の原子がどのように振動しているのかを知るためには、X線を入射エネルギーの1/107という高いエネルギー分解能や非常に高品質のパルス状のX線が必要となります。本研究ではSPring-8のBL35XUとBL09XUの2つのビームラインでX線非弾性散乱という手法を用いて、これまでモデル計算が必要であったある特定の元素の振動状態を実験だけで明らかにすることに成功しました。このような実験が可能な施設は国内ではSPring-8をおいて他にはありません。本研究では、物質中でそれぞれの原子がどのように振動しているのかを知ることができる高分解能X線非弾性散乱と特定の元素がどのような振動エネルギーで振動しているかを知ることのできる核共鳴非弾性散乱という手法を用いて、SmRu4P12という充填スクッテルダイトと呼ばれる物質のそれぞれの原子の振動状態を調べました。その結果、カゴに閉じ込められた原子の振動と音を運ぶための原子の振動がどのように関わっているかを調べることができました。
SmRu4P12は図1に示すような結晶構造をしていることが既に知られていました。この物質ではSm(サマリウム)原子がP(リン)でできた正20面体のカゴの中に閉じ込められ、あたかも原子で作られた"ガラガラ"のような構造を持っています。核共鳴非弾性散乱という手法は、12個のリン原子で構成された正20面体のカゴの中に閉じ込められたサマリウム原子の振動エネルギーだけを選択的に調べることができます。サマリウムの原子の振動エネルギーだけを調べたところ、図2に示すようにリンのカゴの中でほぼ1つの周波数で振動していることが明らかとなりました。これは、サマリウム元素が音や熱を運ぶ役割をほとんどになっていないことを意味し、従来から考えられてきたカゴの中に閉じ込められた元素が自由に振動している場合にも観測されることが期待される結果と酷似しています。一方、高分解能X線非弾性散乱という手法では、原子の振動エネルギーの角度依存性を調べることによって、SmRu4P12という物質中でサマリウムだけでなく物質中にあるRu(ルテニウム)やリンという原子がどのように物質中で動いているのかを知ることができます。多くの物質において、音や熱を運ぶ原子の振動は高分解能X線非弾性散乱の角度依存性として図3(a)の青線で示すような振る舞いをすることが知られています。
もしサマリウム原子の振動が音や熱を運ぶ振動を乱しているのであれば、サマリウムの原子の振動は図3(b)中の赤線のような角度依存性を示し、音や熱を運ぶ振動は同じ図の青線のような振る舞いを示すと考えられます。また、もしサマリウム原子の振動が音や熱を運ぶ振動と結合して別の振動状態を作っているのであれば、図3(b)のような交差は観測されず、図3(c)のような角度依存性が観測されます。本研究で得られた結果は図4のように図3(c)と非常によく似た角度依存性が観測され、網掛けで示したエネルギーは核共鳴非弾性散乱で得られたサマリウム原子の振動エネルギーに一致します。このことから、充填スクッテルダイト化合物における熱伝導が抑制されるメカニズムは、カゴに閉じこめられた原子が熱の伝達にとっての散乱体であることではなく、カゴに閉じこめられた原子の振動と音を運ぶための原子の振動状態が結びついていることよって実現されていることが明らかになりました。
今後の発展・展開
今回の発見は、次世代の熱電材料として期待されるカゴ状構造を持つ物質の熱電特性のメカニズムに新たな指針を与え、現在よりより効率の高い熱電材料を設計に役立ちます。よって、本研究の結果から、エネルギー効率が高くかつ大気中への熱排出量を削減できて環境にもやさしいという画期的な製品開発に貢献していくことが期待されます。
参考資料

図1.充填スクッテルダイトの結晶構造

図2.核共鳴非弾性散乱を用いて得られたサマリウム原子(Sm)の原子の振動エネルギーの分布

図3.原子の振動エネルギーの角度依存性

図4.高分解能X線非弾性散乱で得られた原子の振動エネルギーの角度依存性
用語説明
(注1)充填スクッテルダイト
スクッテルダイトとは、ノルウェーのオスロ近郊のSkutterudで天然に産出されたコバルト鉱石(CoAs3)に由来します。As(砒素)の代わりにP(リン)やSb(アンチモン)を置き換えた化合物も存在します。これらの化合物では、図1に示すように、リン、砒素やアンチモンが正20面体のカゴ状構造が存在し、このカゴの中に原子を人工的に入れた化合物のことを充填スクッテルダイトと呼びます。
問い合わせ先
筒井 智嗣(つつい さとし)
財団法人 高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 副主幹研究員
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