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平成19年9月21日

科学技術振興機構(JST)
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国立大学法人 東北大学
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磁石の中で微弱電流と微弱磁界の作用は本質的に異なることを発見

(大容量・低電力消費の磁気記憶素子開発に光)

 JST(理事長 沖村憲樹)と東北大学(総長 井上明久)は、強磁性半導体注1)(Ga,Mn)As[ヒ化ガリウムマンガン]を用いて、磁壁注2)が非常にゆっくり移動する現象であるクリープ運動注3)の様子を詳しく調べました。その結果、磁石に電流を流した時と磁界を加えた時とでは、磁壁のクリープ運動が本質的に異なっていることを発見しました。
 磁石に外から磁界を加えると、磁石の中にある磁壁を移動させることができます。このことを利用したメモリーなどの種々のデバイスの考案が従来から検討されてきました。近年、磁界の他に電流を流すことによっても磁壁を動かせることが実験的に示されました。
 本研究チームはこれまでに、強磁性半導体(Ga,Mn)Asに電流を流すことにより(Ga,Mn)Asでは、1NiFe[ニッケル鉄]など強磁性金属に比べ2桁程度小さな電流密度で磁壁を移動できること、2一定の電流密度(閾(いき)電流密度)以上では磁壁が移動する速度は電流に比例して増加すること、3一定の電流以下の微弱な電流を流した時、クリープ運動が生じること――を見出しています。電流による磁壁のクリープ運動は(Ga,Mn)Asにおいて初めて観測された現象です。
 今回、クリープ運動の様子を詳細に検討したところ、微弱な電流と磁界ではクリープ運動に本質的に異なる作用を与えていることが明らかになりました。この研究は、磁性物理学の新たな展開に資すると共に、磁壁を使った不揮発性磁気記憶素子の安定性を定量的に議論する基礎となります。
 一般に、物質中に存在する磁壁のような界面のクリープ運動速度は、外部作用(磁界、電流)の「べき」 (x の2乗などをx の「べき」と呼び、ここでは2が指数) を伴うスケーリング注4)関数で表現することができます。ここで指数はスケーリング指数と呼ばれます。スケーリング指数の値は、系が物理的に同じ性質を示す場合に同じ値を持つこと(普遍性注5) )が知られています。
 (Ga,Mn)Asを実験試料に、微弱な電流と磁界のそれぞれによる磁壁のクリープ運動を詳細に調べたところ、電流と磁界では異なるスケーリング指数を持つことが分かりました。これは、電流と磁界の磁壁のクリープ運動への作用を等価なものとして物理的に記述できないことを意味しています。また、電流に対するスケーリング指数はこれまで知られていませんでしたが、理論的解析により今回の実験値に近い理論値を導出できることが分かりました。
 本成果は、JST戦略的創造研究推進事業ERATO型研究「大野半導体スピントロニクスプロジェクト」(研究総括:大野英男 東北大学電気通信研究所 教授) と同研究所大野研究室が共同で進めている研究の一環として、東北大学金属材料研究所前川禎通教授の研究チームと共同で得たもので、2007年9月21日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Science」に掲載されます。

<研究の背景>

 磁気記憶素子は、電源を切っても蓄えた内容を保持する不揮発性と大容量性を兼ね備えたメモリーとして、大きな期待を集めています。現在、これらの素子中の磁化方向(記憶に対応)は、外部から磁界を加えることで制御しています。しかし、磁界を用いた磁化方向制御では大容量化に限界があるため、それに代わる電気的な制御法により、記憶素子の大容量化、低消費電力化、高速化の実現が期待されています。
 磁石の性質をもつ強磁性体は、電子の持つスピンが一方向に揃って磁化した領域(磁区)を持っています。強磁性体内に複数の磁区がある場合、隣接した磁区同士の境界領域を磁壁と呼びます。磁壁は幅を持ち、その中では、スピンの向きが一つの磁区のスピンの方向から隣接磁区のスピンの向きへと角度を変えながら遷移します(図1)。
 磁化方向を電気的に制御する一つの有力な方法である「電流誘起磁壁移動」は、電流を流すことにより磁壁が移動し、磁化方向が変わる現象です。低消費電力化が期待できるため近年、基礎研究だけでなく、応用研究も盛んになってきました。しかし、電流と磁壁の相互作用には様々な効果が寄与するため、不明な点が数多く残されていました。
 本研究チームは、電流と磁壁の相互作用を明らかにするため、強磁性半導体の(Ga,Mn)Asから作製された素子で詳細な実験を行いました。これまでに、磁壁移動速度は一定の電流以上では電流にほぼ比例して増加すること、微弱な電流では、磁壁のゆっくりとした移動(クリープ運動)が誘起されること、を観測しています(米科学雑誌「Physical Review Letters」、2006年3月10日号に掲載)。

 一方、NiFeなどの金属磁性体において電流で磁壁を移動させるためには、本研究で用いた電流値よりも2, 3桁大きい大電流を流す必要があります。この場合には大きな発熱が伴い、電気的な効果と熱的な効果を分けることに困難が残ります。また、電流の磁壁に対する作用には二種類の成分、すなわち電流固有の働きをする成分と、磁界と同様の働きをする成分があることが示唆され、国際会議や学術論文などで盛んに議論されています。

 本研究では、(Ga,Mn)Asから作製された素子において、微弱な電流によるクリープ運動と微弱な磁界によるクリープ運動の双方について、詳細に調べました。その結果、電流と磁界の磁壁のクリープ運動への作用は本質的に異なることを発見しました。

<成果の内容>

 本研究は、III-V族化合物半導体GaAsに磁性元素のMnをパーセントオーダーで添加した、膜面に垂直方向に磁化容易軸をもつ(Ga,Mn)As薄膜を用いて行いました。
 望みの場所に、磁壁を正確に位置させるために、(Ga,Mn)As薄膜の表面に数ナノメートルの加工を施し、加工している部分としていない部分の境界に、磁壁を正確に配置します(図2)。このナノメートル構造を利用して配置した磁壁に垂直に電流を流すことで磁壁が移動できます。2004年に報告した技術を用いています(英科学雑誌「Nature」、2004年4月掲載)。

 今回、上記研究結果を発展させ、微弱な電流によるクリープ運動と、微弱な磁界によるクリープ運動をそれぞれ詳細に調べることにより、以下のことが明らかになりました。

電流と磁界の磁壁に対する作用が異なっていることを発見:

 本研究グループでは、同一の素子で、微弱な電流により誘起される磁壁移動の速度と、微弱な磁界により誘起される磁壁移動の速度を、電流・磁界の強さと温度を変えて測定しました(図3図4に電流と磁界のそれぞれに対する測定結果の例を示します)。双方の測定結果を調べたところ、電流と磁界によるクリープ運動は同じスケーリング関数を用いて表せるものの、電流と磁界では異なるスケーリング指数を有することが明らかになりました (図5に電流に対するクリープ運動の結果を示します)。これは微弱電流と磁界の磁壁への作用が等価なものとして物理的に記述できないことを意味しています。
 物質中に存在する磁壁のような界面のクリープ速度は、外部作用(磁界、電流)の「べき」 (x の2乗などをx の「べき」と呼び、ここでは2が指数) を伴うスケーリング注4)関数で表現することができます。ここで指数は外力への運動の応答を特徴づける値を持ち、スケーリング指数と呼ばれます。スケーリング指数の値は、系が物理的に同じ性質を示す場合に同じ値を持つこと(普遍性注5))が知られています。そのため、実験的に正確なスケーリング指数の値を決めることができれば、2つの現象が物理的に同じものであるか否かを判断する基準とすることができます。
 大電流を流した際の磁壁の運動は、これまでもいくつかの報告がされていますが、微弱電流による磁壁のクリープ運動は本研究グループにより発見された現象で、初めて詳細に調べられました。これにより、磁界による磁壁のクリープ運動と電流による磁壁のクリープ運動の比較が初めて可能となりました。
 実験で明らかになった、電流に対するスケーリング指数はこれまで知られていない値をとります。本研究グループは、理論的解析によりその値を説明できることも示しました。これにより、電流による磁壁のクリープは、従来知られていたクリープ運動のどの分類にも属さない、新しい物理現象であることを明らかにしました。

<今後の展開>

 本研究結果は、乱雑なポテンシャル分布の中を磁壁が電流で移動するクリープ運動が、これまでに知られていなかった新たな普遍性を示す物理現象であることを明らかにしました。磁壁の運動のみならず、超伝導、結晶成長など他の分野で見られる、乱雑ポテンシャル中のクリープ運動の研究に新たな展開をもたらすものと期待されます。また、磁壁の電流駆動を用いた磁気記憶素子については、その信頼性を検証する基礎を与えます。

図1 図2 図3 図4 図5 用語解説

<論文名>

"Universality Classes for Domain Wall Motion in the Ferromagnetic Semiconductor (Ga,Mn)As"
(強磁性半導体(Ga,Mn)Asにおける磁壁移動の普遍性による分類)

<研究領域等>

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下のとおりです。

戦略的創造研究推進事業ERATO型研究
研究領域:「大野半導体スピントロニクスプロジェクト」
研究総括:大野英男 東北大学電気通信研究所 教授
研究期間:平成14年11月 ~ 平成20年3月

<お問い合わせ先>

東北大学 電気通信研究所 附属ナノ・スピン実験施設
〒980-8577 宮城県仙台市青葉区片平2-1-1
松倉 文礼(まつくら ふみひろ)
TEL, FAX: 022-217-5555
E-mail:

科学技術振興機構 大野半導体スピントロニクスプロジェクト
〒980-0023 仙台市青葉区北目町1-18ピースビル北目町5F
松寺 久雄(まつてら ひさお)
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