抗生物質耐性を獲得した細菌により引き起こされる院内感染は大きな社会問題となっています。この問題を引き起こす原因は、細菌の細胞膜に存在する多剤排出トランスポーターというタンパク質です。このタンパク質は細胞中の薬剤を能動的に排出し、薬の効果をなくしてしまいます。これまで、トランスポーターによる薬剤排出のしくみは全くの謎であり、そのことが多剤耐性化問題の深刻化にもつながっていると考えられます。
本研究では、大腸菌の持つ最も強力な多剤排出トランスポーターと薬剤(抗生物質および抗ガン剤)が結合した状態のタンパク質複合体に注目し、X線結晶構造解析により立体構造を明らかにしました。そして、様々な種類の薬剤が排出トランスポーターにより認識され、そして排出される仕組みを世界で初めて解明しました。病原性細菌の多剤耐性化問題の克服へ向け、本成果により解明されたメカニズムが大きな役割を担うものと期待されます。
本成果は、戦略的創造研究推進事業個人型研究(さきがけタイプ)「生体分子の形と機能」領域(研究総括:郷信広)、「薬剤耐性化問題の克服を目指した多剤排出タンパク質の薬剤認識機構の解明とその応用」の研究者・村上聡(大阪大学・産業科学研究所助教授)らの研究グループによるもので、英国科学雑誌「Nature」オンライン版に8月16日(英国時間)に掲載されます。
<研究の背景>
化学療法の役割が大きい現代医療において、最も深刻な問題の一つに、薬が効かなくなる現象、つまり薬剤耐性化が挙げられます。一般には院内感染などに見られる、病原性細菌による抗生物質耐性化や、末期がん、再発がんに見られる抗がん剤耐性化などとして、よく知られています。最近でも、薬剤耐性緑のう菌注2による院内感染が報じられ、社会問題の一つとなっています。ここで見られる薬剤耐性化には、細菌の細胞膜に存在する薬剤排出トランスポーターというタンパク質が大きな役割を担っています。薬剤の多くは細胞の中に入って効果を発揮しますが、その薬剤の分子を能動的に細胞内から排除してしまうことで、薬剤が効かない、すなわち薬剤に対する耐性を持つのです。
この問題の複雑なところは、一種類の薬剤排出トランスポーターが、多種多様な薬剤を排出することができる点です。つまり、この一種類の薬剤排出トランスポーターにより、多くの種類の薬剤がどれも効かなくなってしまうのです。生物学の世界では、ある酵素はある特定の基質にのみ作用すると考えられていますが(一酵素一基質説)、この多剤排出トランスポーターはその例外になります。
この生物学上では例外的な多剤排出トランスポーター構造を解明し、どのような仕組みで薬剤が排出されるかを理解できれば、薬剤排出トランスポーターで排出されないような新薬を開発したり、薬剤耐性化により有効性が低下してしまった薬剤に再び薬効を復活させるような排出トランスポーター阻害剤を開発することで、多剤耐性化問題に対して本質的な解決策を与える可能性も期待できます。
村上研究者らは、2002年に世界初となる、大腸菌主要多剤排出トランスポーターAcrB注3のX線結晶構造解析に成功し、AcrB分子は同じタンパク質分子3個が合体したもの(三量体)であることを明らかにしました。その成果は同じく英国科学誌Natureに掲載され、同巻の表紙を飾り、世界中から大きな注目を集めました。今回の成果は、そのAcrB三量体分子が薬剤を認識し、排出する作動メカニズムを解明したものです。
<研究の経緯および成果の概要>
今回は大腸菌の主要多剤排出トランスポーターAcrBタンパク質が薬剤を排出する状態の時に、立体構造を解析する事に成功しました。これは、世界で初めて多剤排出トランスポーターと薬剤の複合体を結晶構造解析した成果となりました。
タンパク質の構造を原子レベルで決定するためには、タンパク質を結晶化する必要があります。今回は、2002年に使用した結晶よりもさらに詳細な構造解析ができるタンパク質の結晶を新たに作成しました。この新しい結晶を構造解析し、AcrBを構成する3つのパーツ(タンパク質)のうち、一つだけ薬剤分子と結合し、3つのタンパク質分子はそれぞれが異なる基質(薬剤分子)結合状態を有していることが解りました(図1)。すなわち、薬剤を結合するための状態を持つパーツ(青)、
薬剤を細胞外に排出するための状態を持つパーツ(赤)、
細胞の内側方向からAcrB内部に薬剤を取り込むためのパーツ(緑)が存在することが判明しました。さらに、この3つのパーツの役割はいつも同一ではなく、ある時には結合するパーツ、ある時には排出するためのパーツとして、他のパーツと協調的に動作することで、細胞内に取り込まれた薬剤分子を効率よく細胞外へ排出していることを明らかにすることができました。
つまり、AcrBのパーツが薬剤を結合した後は全体の構造が変化させ、結合していた薬剤を細胞外へと続く外膜チャネル分子TolC注4へ放出されます(赤)。そして、次に薬剤取り込み口が開き、次の排出すべき薬剤分子を結合するために備えます(緑)。実際は、3のパーツが絶えずこの三つの状態を順序よく転位させているのです。そして、薬剤の細胞外へのくみ出しを行っている最中は、あたかも回転しているように見えるわけです。そして、これらを機能的回転メカニズムと名付けました。
また、薬剤が結合しているパーツ(青)は拡張した空洞を形成していました。つまり、多くの酵素で見られるように基質(薬剤)分子がピッタリと結合するタイプの結合部位ではなく、AcrBの内側へと突き出た複数のアミノ酸を組み合わせることで、様々な基質に対応できる仕組みを持っていることが判明しました(図2)。そして、この空洞の体積を増減させることで、薬剤の結合力を調節していることも分かりました。
さらには、細胞のエネルギーの利用と、能動的輸送注5の協調動作メカニズム解明に大きく近づいたといえます。多くの場合、この機械的ポンプのような機能は細胞膜を介して存在する水素イオン濃度勾配をエネルギー源とします。しかし、AcrB分子の中の細胞膜中に埋まっている部分に水素イオンが流入することをきっかけとして、構造変化が起こることも今回の結果で明らかになりました。
このような回転を伴って機能するタンパク質として、ATP(アデノシン三リン酸)合成酵素注6に見られる回転触媒説(1997年ノーベル化学賞)が知られています。このATP合成酵素も3つの同じタンパク質からなる三量体が機能単位であり、生命の進化過程で、AcrBと共通する仕組みを使い回しているのではないかと推察されます。
以上まとめると、以下のような事実が解明され、それによる新しいメカニズムが提唱されます。
つまり、AcrB分子が、ペリプラズム空間注7、あるいは細胞膜から薬剤分子を取り込み、種々の薬剤に対応可能な特殊な基質結合部位に結合させ、続いてそこから細胞外へと続くチャネルタンパク質へと薬剤を送り出す一連の運動が、原子レベルの立体構造から説明されました。
<今後の展開>
様々な多剤排出トランスポーターと抗生物質や抗がん剤との複合体を結晶構造解析により調べることで、多剤排出トランスポーターによる薬剤の認識機構と、その排出機構が明らかとなります。院内感染や再発がん、末期がんに見られる多剤耐性化問題の原因タンパク質が薬剤を無効にする仕組みが原子レベルで理解出来たことで、この仕組みを利用する新薬開発へとつながることが大いに期待されます。
<論文名>
Nature
"Crystal structures of a multidrug transporter reveal a functionally rotating mechanism"
(多剤排出トランスポーターの結晶構造解析により明らかになった機能的回転メカニズム)
doi :10.1038/nature05076
<研究領域等>
この研究テーマを実施した研究領域、研究期間は以下のとおりです。戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけタイプ) | |
研究領域: | 「生体分子の形と機能」 (研究総括:郷 信広) |
研究課題名: | 薬剤耐性化問題の克服を目指した多剤排出蛋白質の薬剤認識機構の解明とその応用 |
研究者: | 村上 聡 |
研究実施場所: | 大阪大学 産業科学研究所 |
研究実施期間: | 平成14年11月~平成18年3月 |
<お問い合わせ先>
村上 聡 (ムラカミ サトシ)
国立大学法人 大阪大学 産業科学研究所 助教授
〒567-0047 大阪府茨木市美穂ヶ丘8-1
TEL: 06-6879-8547 FAX: 06-6879-8549
E-mail:
白木澤 佳子(シロキザワ ヨシコ)
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